神々が綾部に集まり会議する七夕祭は夜に始まる

投稿:2017年07月09日

一昨日、7月7日は七夕でした。
天の川の両岸に住む織姫と彦星が年に一回逢うことができる日です。
願い事を書いた短冊を笹の葉につるす…という、メルヘンチックな行事ですが、王仁三郎的には、七夕というのは別な意味を持っています。

七夕は本来は旧暦7月7日の夜に行う星祭りですが、王仁三郎的には旧7月6日の夜から12日にかけて一週間行う「七夕祭」なのです。

旧七月六日の晩より七月十二日に亘り、綾部の本宮(ほんぐう)坪の内にて行わるる祭典は最も大切なる神事にて、この一週間は、御三体の大神様(天の大神)を初め奉り、八百万の神々様が御集会なされて、一年中における世界の経綸をお定めになるのである。
即ち地上の規則を地の高天原でお定めなさるのであるから、謹み慎んで、人民の願いごとなど決して、してはならないのである。
〔玉鏡「神庭会議」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg598

旧七月六日の晩から同十二日にかけて挙行される七夕祭は、神々様が地の高天原に神集いに集われて一ヶ年中の経綸について神議せらるる大切なる神事であることはかつても話したが、十二日の晩になると王仁(わたし)がその決定せられたる神事を承って、そのプログラム通り、一年間の御経綸を遂行する役に使わるるのである…
〔玉鏡「再び七夕祭に就て」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg599

旧暦7月12日というのは、王仁三郎の誕生日です。

その一週間前から八百万の神々が綾部の聖地に集まってその年の計画を立てて、王仁三郎がそれを実行するという、何ともまあ壮大な話です。
「人民の願いごとなど決してしてはならない」
と王仁三郎は強く戒めています。
世間一般で行う七夕の行事とはまるで異なりますね。

この七夕祭のルーツは大本神諭にあるようです。

 また、神諭には「綾部町本宮神宮坪の内は、神に昔から因縁のある結構な神の元の霊地であるから、明治二十五年から、神界の経綸で、世界一切の大本と相定まりたから、八百万の神を集めて、世の立替えの本をはじめる所であるから、人民では見当のとれんところであるぞよ。神宮坪の内に御三体の御宮を建て、天の大神さまをお祭り申し上げてあるのは、毎年旧七月七日天地の大神が御相談あそばす元の場所、陸(あげ)の竜宮と相定まりたからのことであるぞよ」とあり、これまでは神々が出雲で集会していたが、明治二五年の神定以来、綾部の大本で集会するさだめになっていたといわれている。
〔『大本七十年史 上』「出雲の火のご用」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c1622

この大本神諭が何年何月何日に下りた神諭なのかは不明です。

現代の大本ではこの祭典は「神集祭」と呼ばれ、今年(2017年)は新8月27日(旧7月6日)から9月2日(旧7月12日)にかけて行われます。
http://www.oomoto.or.jp/japanese/events/index.html

ちなみにこの祭典は午後6時30分から執り行われます。戦前の機関誌を見ても、時刻はよく分かりませんが、夕方から行っていたことが記されています。
7月6日の「晩」から行う…ということですね。
ところでなぜ「晩」からなんでしょうかね? よく分かりませんが、ユダヤ教やイスラム教のように日没を一日の開始と考えているのでしょうか?(前日の日没が一日の開始なので7月6日の日没が7月7日の開始となる)
それとも、『神々は夜に集まる』というような意味合いでしょうかね?
よく分かりません。ご存知の方教えて下さい。
余談ですが、かなり昔に大本神諭を調べていたら、日付が日没開始と思われる箇所がいくつか見つかりました。
メモがどこかに行ってしまったので、また調べてお知らせします。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2013年7月5日号掲載の文章に加筆訂正したものです)