以前にブログに書いたように、私は20代の始めの頃、予言の研究に没頭していた時期があります。→「火の雨はまだ降っていない? 予言解読の限界」
時は90年代、世紀末です。ノストラダムスの大予言なんかが流行っていた時代です。
終末観が漂っていたという時代背景もあって、予言にハマっていたんですが、21世紀になった今日でも、予言というものは相変わらず人気の高い分野ですね。
予言の中でも、本当に知りたいことは、過去に起きたことではなく、「未来はどうなるのか」ということだと思います。
王仁三郎の予言には、過去にすでに起きたものが少なくありません。
第一次大本事件を予言していたとか、原爆投下を予言していたとか、8月15日に戦争が終わることを予言していたとか、現代から見たら、みな過去のことです。すでに完了した予言なんて「ふむふむ」って一瞥して終わりじゃないですか?
それに対して、昨日紹介した「出口王仁三郎の現代の予言」に書いてあるようなことは、今起きていること、あるいは未来に起きることであって、そういう未来予言の方が関心が高いと思います。
予言にはこのように、すでに成就した過去の予言と、今起きている或いは将来起きる未来の予言との二種類に分けられます。
また別の分類の仕方もあります。立て替え(破壊)の予言と、立て直し(建設)の予言です。
立て替えの予言というのは、終末予言のようなやつです。大戦争が起きるとか、地異天変が起きるとか。
「出口王仁三郎の現代の予言」に書いてあるようなことも、立て替えの予言です。
危機感を煽る予言です。
この手の予言を神が下すのは人類に警告を与えるためです。「このままだと、こういうことになってしまう。だから早く心を改めてくれ」と訴えているのです。
大本神諭の「人民が三分になる」とか「東京はすすき野になる」とか「火の雨」が降るとか、そういう破局を告げる種類の予言が立て替えの予言です。
それに対して立て直しの予言というのは、「ミロクの世はこうなる」というやつです。「ミロクの世には世界が十二ヶ国になる」とか「人は最低120歳まで生きられるようになる」とか「ミロクの世は宗教が不要になる」とか、そういうやつです。
この前紹介した「空中郵便」とか「空中交通機」なんかもそうです。
立て替えの予言の方が、センセーショナルで、目を引きやすいのですが、本当に重要なのは立て直しの予言の方です。
立て替えは黙っていても起きます。人間が何かをしなくても、勝手に自然崩壊するのです。腐った社会は自ずと滅びるのですよ。
それに対して立て直しは人間の努力が必要です。
黙って見ていても、勝手に立て直されるわけではありません。建物の立替え立直しを考えればよく分かると思います。解体業者が建物を破壊しなくても、歳月が経って老朽化すれば建物は自ずと壊れて行きますね。それに対して建物を建築するのは、人間が意志を持って動かなくては造ることは出来ません。
もちろん自分は黙って見ていてもどこかの誰かが勝手にやってくれるとは思いますが、「天地経綸の主体」として地上に生まれて来たのが人間です。神の手足となって動くのが人間ですから、歴史の傍観者でいることは許されません。
たとえば、空中で指を動かして文字を書くことができる指輪型デバイス「Ring」を開発した富士通の開発者が、実はオニサブラーで、霊界物語の「空中郵便」のところを読んで、『おおっ!これだ!これを造ろう!それが自分に与えられた使命だ!』と感じて、それを開発したのかも知れないのです! そうやって、人間にミロクの世を建設する指針を与えているのが、立て直しの予言です。
もちろん人それぞれ役割があり、得意分野が異なりますので、自分の得意分野以外では傍観者になってしまうことはやむを得ないことです。
人それぞれ自分の得意なことでミロクの世をクリエイトして行けばいいと思います。
以前に書きましたように、未来は大ざっぱなことしか分かりません。細かいことは分かりません。言い方を変えると、その細かいことは、創意工夫の余地があるわけです。そこをクリエイトして行く任務を委ねられているのが人間です。抽象的なビジョンを描くのは神様で、それを具体化するのが人間です。
さて、王仁三郎が説く立て直しの予言ですが、木庭次守編『新月の光(かけ)』に多数収録されています。王仁DBで「みろくの世|ミロクの世|五六七の世|弥勒の世」というキーワードで検索するとだいたい出て来ます。「|」は「または」を意味する記号で、OR検索と言います。
検索キーワードが長いので結果が出るまで少々時間がかかりますが、『新月の光』に関しては20件くらい検索されて出て来ます。しかし本文は表示されません。王仁三郎の語録なので著作権は切れていますが、編者の編集著作権が生きているので表示できません。八幡書店から上下2巻組で発売されてますので、それを買って読んで下さい。
ミロクの世は米本位制になるとか、お金は一人十万円しか持てないとか、いろいろ驚くようなことが書いてあって、そういう意味でおもしろいのですが、結論だけが書いてあって、その理論までは分かりません。
たとえば学校で算数を勉強するときに九九を暗記しますが、暗記だけして、どういう思考をすれば3+7が10になるのか、それを知らなくては、応用が効かなくなると思います。
王仁三郎が「ミロクの世はこうなる」と言っている、その結論だけでは、言っていないことについては、何もクリエイトすることが出来なくなってしまう可能性があります。
空中郵便にしても、なぜそれが必要なのか、ということが分からないと、指輪型デバイスを作って、それでオワリになってしまいます。
マニュアルに書いてあることしか出来ないマニュアル人間になってしまう、ということです。
しかし大丈夫。安心して下さい。
王仁三郎はちゃんと理論も述べています。
理論というか、理念というか、精神というか、ミロクの世にそういう現象が出て来るその理由です。
それは、天国が地上に移写されて、地上天国(ミロクの世)が建設される、ということです。
その天国の姿が、霊界物語の第47~48巻に、詳細に記されているのです。
王仁三郎用語では「天界」と呼び、その天界が「天国」と「霊国(れいごく)」の2つのエリアに分かれています。
それがどういう世界なのかが詳しく書かれているので、それをもとに想像すれば、ミロクの世が見えてくるのです。
たとえば『新月の光』に、ミロクの世は人々は高原地帯に住むようになるということが書いてあるのですが、それは天界では天人たちは高い所に住んでいるからです。それが地上に移写されるのです。
またミロクの世は181階級になるとも書いてありますが、それは天界が181階級に分かれているからです。
このように、天界を探究すれば、ミロクの世が見えてくるのです。
ミロクの世をクリエイトする究極の立て直しの予言、それがこの霊界物語第47~48巻だと言えます。
そのことに気が付いたのはだいぶ前です。2009年に霊界物語の講座をやり始めた頃から『天界が地上に移写されるとどうなるのか』ということを考え出しましたが、私のアタマではなかなか想像が付きません。逆立ちして考えたり、寝ながら考えたり、時には腹筋したり、腕立て伏せをしたりして探究を続けた結果、何とか人に話せるくらいの量になって来ました。
しかしそれを話す前に、まず王仁三郎が天界の姿をどのように語っているのかを説明しなくてはいけません。
ちょうど今、メルマガに天界の解説を連載しています。
一番いいのは私の解説を読むのではなく、霊界物語ネットで第47~48巻を直接読んでもらうことです。
周知のように、難解ですけどね。チャレンジしてみて下さい。
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