五六七の世までも云々

投稿:2022年08月26日

霊界物語に「この御恩はミロクの世迄も忘れは致しませぬ」のような「五六七の世までも云々」という言い回しがたびたび出てくる。

たとえば、

「貴方の御親切は孫子(まごこ)の時代はおろか、五六七の世まで決して忘れは致しませぬ」
第8巻第38章「華燭の典」 五月姫のセリフ
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0838#a132

「千代も八千代も変りなく 睦び親しみ永久(とこしへ)に 五六七の世迄も霊(たま)幸(ちは)ふ」
第11巻第27章「太玉松」 石凝姥命の歌
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1127#a075

「固き心は千代八千代 五六七の世まで変らじと 心定めし益良夫の」
第30巻第18章「日暮シの河」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3018#a100

「この御恩はミロクの世迄も忘れは致しませぬ」
第68巻第17章「地の岩戸」 スバール姫のセリフ
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6817#a230

この「五六七の世までも云々」という言い回しは霊界物語独特の言い回しだなと思っていたらそうではなかった。

宮田登・著『ミロク信仰の研究』によると、仏教の弥勒信仰において北陸地方で「五六七の世まで」云々という言い回しが使われていたそうである。

奥能登の町や村では、ちょっとした冗談口に「お前のような奴は、弥勒の世になっても借金を返すまいから貸さない」といったり(略)「こんなうまいことは、弥勒の世代にもないことじゃ」などともいったりするという。
きわめて日常的意識の中で、「ミロクの世」はなかなか実現しにくい未来のことを示している。富山県高岡市でも「弥勒様の世になっても」という場合、未来永劫望みはなしという意味を表わすといっている。
〔『ミロク信仰の研究 新訂版』p25-26〕

ミロクの世は「なかなか実現しにくい未来のこと」と書いてあったが、たしかに仏教の弥勒信仰ではそうなのだろう。何しろ釈迦滅後56億7千万年後のことなのだから。

霊界物語でもそのようなニュアンスで使われているが、それは”35万年前”の”太古の神代”の物語だからであろう。

しかし天運循環して国祖再現の時節が到来した。明治25年からミロクの世への幕が開いている。
「五六七の世までも云々」と太古の神代の人たちが言っていたその時代がやって来ているのである。