世界大家族制とベーシックインカム(22)肉食の是非

投稿:2022年07月17日

前回(第21回)は天産自給について書いた。
天産自給は、住んでいる土地で天賦に産出するものを用いて生活することである。
地球に住む生き物は、全て天産自給で生きている。
アフリカのライオンが、中国のパンダを喰おうとは思わない。
天産自給が天理天則である。
しかし人間は欲望というものがあるので、その土地で採れるものだけでは満足しない。
遠いところから持ってきたり、本来その土地にない動植物を栽培・養殖したりして欲を充たそうとする。

コーヒーでもバナナでも、今は海のはるか向こうから持って来ている。これは天産自給という観点から見ると、間違ったことである。
なるべく日本に近いところで育ったもの、できれば日本国内で育てるようにすべきだ。
フィリピンバナナよりは台湾バナナの方がいい。
最近は沖縄でもバナナを育てている人がいるようだ。
どうしても食べたければ、そうやって、なるべく近くで育てるようにすればいいのだ。

本来その土地にない外来種でも、長年そこで栽培し、土地に根付いて行けば、その土地の産物となる。
たとえばトマトはもともと日本にはなく、南米ペルー原産の植物だ。
それがヨーロッパで栽培されるようになり、明治に日本に入って来た。
一般市民も食べるようになったのは昭和に入ってからのようだ。
王仁三郎は最初は、トマトは食べていけないと言っていた。

「トマトは向こう(外国)から来たのを食べたらいかんので、こちら(日本)になじんだのは食べてよいのである。十年したら日本のトマトになる」〔『新月の光』下巻p187「トマトと肉」〕

実際に王仁三郎は、昭和17年に拘置所から出獄して亀岡に帰ってから、トマトを食べたとのことだ。〔『新月の光』上巻p220「トマト」〕

人間は欲を充たすために栽培や養殖ということをやるが、対象が植物ではなく、動物となると、また違う問題が出て来る。
2020年11月、デンマークでミンク1700万匹を殺処分したというニュースがあった。
BBCニュース「デンマーク、ミンク1700万匹を殺処分へ 新型ウイルスの変異種発見で

新型コロナウイルスの変異種がミンクから見つかり、人間に感染するのを防ぐため殺処分したというのだ。
毛皮用のミンクだ。
年々減っているようだが、今でも毎年数千万頭ものミンクが毛皮にするため殺されているらしい。
Vegan Fashion「世界中でミンクの毛皮生産量大幅な減少」(2016年)

最近はアパレルブランドも、動物愛護団体の突き上げで、動物ではなく、代替素材で毛皮風コートを作ったりしているようだ。

王仁三郎は天産自給に絡んで、服装の改革が必要だと唱えている。

古往今来、天理人道未だ明らかならずして、野生的欲望の窮極するところ、ついに弱肉強食の暴状をもあえてはばからざるに至ったのである。

ことに最もはなはだしきは西洋強国の暴状である。彼らは人生の本義を全く知らない。動植物が天賦自然の使命を有する事も知らない。弱肉強食的野獣性を発揮して、むやみに鳥獣を屠殺してその肉に舌鼓を打ち、その毛羽や皮革を服用して文明社会の常事としていささかも怪しまないのは、野蛮因習の然らしむる所であって、その残忍、酷薄なる習慣はますます増長して、ついには他人の国家を侵蝕し、併呑し、飽食暖衣を誇るをもって、世界的文明強国なりと信じているのである。仏者のいわゆる畜生道、餓鬼道、修羅は、最も適切な現代の評語であろう。

今や服装の改良は最も急務中の急務である。古諺(こげん)に『良薬は口に苦く、諫言(かんげん)は耳に逆う』と、実にもっともである。現在世界的文明の服装として、国民が競って使用せる洋帽に洋服に洋傘に、洋靴の如きは、実に実に非文明的野蛮を標榜したる獣的蛮装である。しかしてその材料として貴重されいるものほど残忍無道を敢行せる産物である。

畏くも万世一系の皇運を享有し給い、済世安民を以て天職と為し給う御国体の根本義としては、これらの蛮的獣装を禁止する事が、国家経済と人心革正の必要とまた天産物自給の法則上における最大急務である。
〔「皇道維新について」第六章 天産物自給の国家経済

当時はまだ化学繊維は出回っていなかったから、服の素材は木綿や麻、動物の皮が主流だと思う。
上流階級だと絹もあるだろう。
王仁三郎は西洋の服装を「獣的蛮装」とこき下ろしている。それは西洋の庶民の服装ではなく、おそらく鹿鳴館に代表されるような、西洋かぶれした日本の上流階級が着ていたような華美な服装を指しているのだと思う。
それこそミンクの毛皮のコートのようなものを「獣的蛮装」とこき下ろしているのだろう。
日本では明治維新まで、上流階級でも動物の皮を着たり肉食をしたりすることはなかったが、明治以降は西洋文明に毒されて、肉食や毛皮が広まった。

王仁三郎は「蛮的獣装を禁止」せよと厳しいことを言っている。
単に毛皮を着ることを禁止せよということではなく、華美な服装を禁止せよということだと思う。
「その材料として貴重されいるものほど残忍無道を敢行せる産物である」と言っているが、贅沢な服装の極にあるのが、動物の毛皮だということだと思う。
絹にしても、蚕に糸を吐かせて繭を作らせた後は、茹でて殺してしまうのだ。
虫だから動物よりはいいかも知れないが、しかしまあ、なるべくなら殺したくないものだ。

果たして、肉食が好きだとか、毛皮が好きだという人は、動物を殺すことが好きなのだろうか?
いや、決して殺すのが好きなのではなく、肉の食感や味、毛皮の肌触りや質感が好きなだけだと思う。
しかしテクノロジーの発達によって、肉のような食べ物や、毛皮のような素材を作ることが出来るようになって来たので、もはや殺さなくてもいい時代がやって来た。
もう動物を殺すのは止めて、代わりのもので満足すべきである。

しかし肉食や毛皮が本質的に悪いわけではない。
氷上や砂漠で生活している人は、そもそも植物が育たないのだから、そこに生きている動物を殺して肉を食べたり毛皮を着たりするしかない。そういう場所では、そういう生活が理に適っているのだ。
それが天産自給というものだ。
その土地で採れたものを使って生活するのが原理原則だ。
しかし人類の大多数は温暖な地域に住んでいる。肉食したり、動物から皮をはいだり必要はない。
植物で十分、食も衣服もまかなえる。
しかも人類はテクノロジーを手に入れた。
動物を殺さなくても代替の素材がいくらでもある。
五六七の世に近づいているのだ。

☆   ☆   ☆

王仁三郎は「キ」のつく動物は食べてもいいと教えている。

キの字のつく四足類は、食用とすることを許されているのである。たとえば、狸、狐、兎の如きもので、また、たまがえし(注・言霊返しのこと)してキになるものも許されるのである。かも鹿の如きがそれであって、これらは神界の方で木即ち植物に宣り直していて下さるのである。鳥類でも鴨、雉の如きみなキにかえるので、鶏をカシワと呼びならわしたのも柏の意味で木ということになる。牛馬の肉は食用としてはいけない。
〔月鏡「食用動物」〕

さきに、狐、狸、兎、雉などのキのつく動物は、食べても差し支えないと云ったことがあるが、これらは有職故実においても草木と見なしたものである。
鶏をカシワと云うのは柏の意である。
鴨の魂返しはコである。即ち木であるから食べてもかまわない。
玉鏡「キのつく動物

このように、ニワトリ(カシワ)などは食べてもいいというのだが、しかしそれは、食べても大丈夫だということであって、食べなさいと勧めているわけではない。
たとえ殺してでも食べなくてはいけないような状況であれば、食べるべきだが、食べなくてもいいのであれば、食べるべきではない。殺すべきではない。

昔の日本は多くの国民が農家であり、農家であればたいていどこでもニワトリを飼っていた。
盆や正月に自分ちのニワトリの首を絞めて食べるというようなことを王仁三郎は想定して「キのつく動物は食べてもよい」と言っているのである。

しかし現代はまるで状況が異なる。ほとんどの人は非農家だ。毎日のように肉を欲しがる人々の食欲を満たすために、工場で大量にニワトリを養殖している。身動き出来ない狭いスペースに閉じ込めて、酷い場合には口から無理矢理エサを突っ込んで太らせているのである。
王仁三郎の時代とは全く異なる。
現代に即して考えなくてはいけない。

テクノロジーによって、もはや動物を殺さなくても、動物のような素材(肉のような素材、毛皮のような素材)が開発されて来ているのだから、酷いことは止めて行くべきである。
それが愛善の精神というものだ。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)