出口王仁三郎が大正6年(1917年)に発表した大正維新論(昭和に入ると皇道維新論に改称)には、世界大家族制や御稜威紙幣以外にも、注目すべき思想がある。
天産自給(てんさんじきゅう)もその一つだ。
天産とは「天賦の産物」のこと、自給とは「自ら支給し自ら生活する事」である。
生き物は自分が住む土地で採れた産物を使って生活することが原理原則だ。
しかし人間は欲望があるので、自分の生活圏以外のものまで欲しくなる。
そのために争いや苦しみが生じる。
天産物自給の国家経済について少しく述べんに、天産物とは天賦の産物である。自給とは自ら支給し自ら生活する事である。この文字はすこぶる簡単であるけれども、これ世界の人類にとっては生活上の大問題であらねばならぬ。皇道経綸の本旨においては、すこぶる高遠なる意義の存する事であって、衣食住の根本革新問題である。
〔「皇道維新について」第六章 天産物自給の国家経済〕人生の本義たるやその天賦所生の国家を経綸するをもって根本原則となす。さればその人類の生活に適当する衣食住の物は必ずその土地に産出するものなり。故に天賦所生の人間はその智能を啓発し、もって天恵の福利を開拓して文明の利用を研究し、その国土を経営するは人生の根本天則たるなり。
由来世界各国経済は天造草昧(てんぞうそうまい)(注・乱雑の意)なる野蛮の遺風なり。そもそも人文未開の遊牧時代は、天産自給の天則を知らず、腕力をもって他民族を征服し、巡遊侵略もって国家を組織し、ここに租税徴貢の制を定むるに至れるなり。この強食弱肉の蛮風は、世界を風靡してついに自称文明強国を現出せるものなり。彼らいわく、優勝劣敗は天理の自然なりと、咄々(とつとつ)何等の囈語(たわごと)ぞ、この天理破壊の魔道は今や根本より廃滅さるべき時代の到着せるなり。
〔「世界の経綸」第九章 天産自給〕
よく「日本は資源が少ない」と言うが、決して資源が少ないわけではない。
資源はいっぱいあるのに、それを使っていないのである。
自分の足下に素晴らしい宝があるのに、隣の芝生が青く見え、他人がやっていることばかりマネして、神が自分に与えた天賦の能力に気づいていない。
たとえば発電であれば、石油を使う火力発電や、原子力発電に代わり、再生可能エネルギーということで太陽光発電や風力発電を増やしつつある。しかしそんなのは日本の気候風土に合っていない。日照時間が短く、風もたいして吹かない日本で、外国のモノマネをしたって、うまく行くはずがない。
海に囲まれた日本なので、潮力発電が天賦の電源と言えるだろう。また火山の多い日本なので、地熱発電も天賦の電源であろう。
潮力は月がある限り存在するし、地熱は地球にマグマがある限り存在する。事実上の永久機関である。
そういう、その国、その土地に与えられた天賦の資源エネルギーを使って人間社会を営むことが、「天産自給」の生活である。
これは衣食住に関しても、工業生産品に関して、みな同様だ。
人類は資源を求めて月や他の天体からも奪い取ろうとしているが、その前に、地球にあるものをもっと利用すべきである。
というより、地球にあるものだけで自活せよというのが「天産自給」なのだ。
天産自給については過去に何度か『霊界物語スーパ-メールマガジン』に書いたことがある。
2018年6月11日号の「王仁三郎の基礎(10)天産自給」に多少加筆訂正したものを下に記しておく。
天産自給とは、社会の在り方を考える時にとても重要な概念だ。
王仁三郎が言う天産自給の天産とは「天賦の産物」ということで、つまり神様がその土地に与えた産出物である。鉱物も動植物も全部含む。
その土地に住む生物は、そのお土からあがった(採れた)ものを食べて生きることが大原則である。その土地で採れたものが一番体に良いのだ。
食べ物のみならず、人間の文明を築くための資源・エネルギーも、そのお土からあがったものを使って文明を築くことが大原則となる。それが天産自給ということだ。
南極のペンギンはわざわざ北極まで魚を獲りに行かないし、海の底に棲む深海魚は「ホタテが食べたい」なんて言わない。
みな自分の生活圏にある食べ物で満足している。
あれが欲しい、これが欲しいと言って遠い国から持って来たものを食べているのは私たち人間だけである。
足りないと略奪までするのだからタチが悪い。
「日本は資源が少ない」ということで大陸を侵略し植民地にしていこうと政財界や軍部は動いたが、しかし王仁三郎は「日本は天産自給が出来る国である」と唱えた。
現代でも日本は資源がないと世間一般では思われているが、それはものの見方が間違っている。
食糧に関して言えば、日本の食糧自給率はカロリーベースで40%弱らしいが、これは日本の農地が痩せているのではなく、外国から輸入した方が安いから輸入しているだけのことであって、生産しようと思ったら100%以上の食糧自給率を持つことが出来る。
単にお金の都合で生産していないだけだ。
コーヒーやバナナなどは日本では育たないかも知れないが、これも品種改良やハウス栽培などで作ろうと思えばいくらでも作れるはずだ。ただコストがかかるから手っ取り早く安価な外国から輸入しているだけのことである。
資源・エネルギーに関して言えば、たしかに日本は資源が乏しいように思える。
特に石油は国内ではほとんど産出しません。
しかしこれは石油を使うという前提に立った産業構造なので、石油を必要としているだけである。
日本での石油の用途は、発電所などの熱源が4割、自動車などの動力源が4割、プラスチック製品などの原料等が2割になっている。
しかし石油やウランを燃やさなくても発電は出来る。波力発電や地熱発電など、日本の土地の特性に合った発電手段を使えばよいのだ。
それが王仁三郎が説く「天産自給」の考えである。
プラ製品も、最近では環境保護の観点から使用が制限されつつあり、EUでは2030年までに使い捨てプラ容器・プラ包装の使用をゼロにするらしい。
そのように決めてしまえば代替え材料の開発がいくらでも進む。
自動車も水素で走る車が開発されている。
最初から「石油を使う」という前提だから、「日本は石油がない!」と言っているだけである。
使わないことにすれば、いくらでも使わずに済むのだ。
石油はいろいろな用途に使えて利便性が高いということもあるだろうが、国際石油資本のお金儲けのために、石油を「使わされている」というのが実情であろう。
それぞれの国土の特性に合った資源・エネルギーを使って物質文明を発達させればよいのである。
それが神が定めた天地の法則「天産自給」である。
しかし天産自給が出来ない国もある。
面積が小さかったり人口が少ない国では無理だろう。
みろくの世では、地球上は12くらいの天産自給圏に分かれるらしい。
どのような区分けになるのか具体的に王仁三郎は説いていないが、おそらく国祖の御神体である日本はそれだけで一つの天産自給圏なんだろうと思う。
ただしその場合の日本というのは現在の政治区画としての日本ではない。
樺太から台湾までの日本「列島」のことだ。
地図で見れば分かるように、樺太から台湾までは一連の島々である。それ全体が国祖の御神体なのである。
そこに人間が勝手に国境線を引いているだけである。
政治的な区分ではなく、地理的な要因によって、12の天産自給圏にまとまって行くのだと思う。
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王仁三郎が「天産自給」という言葉を使うようになったのは、おそらく大正6~7年頃からだ。
この当時の機関誌で発表した大正維新論の中に出て来る。
しかしその概念自体は、それ以前から大本神諭に出ている。
たとえば、
金銀を用いでも、結構に地上(おつち)から上がりたもので、国々の人民が生活(いけ)るやうに、気楽な世になるぞよ。
…金銀をあまり大切に致すと、世はいつまでも治まらんから、艮の金神の天晴れ守護になりたら、天産物自給(おつちからあがりた)その国々の物で生活(いけ)るようにいたして、天地へ御目(おんめ)に掛ける仕組(しぐみ)がいたしてあるぞよ。
〔大本神諭 明治26年旧7月12日〕
と出ている。
食糧や資源を奪うために外国を侵略して植民地にしなくても、自国だけでまかなえるようにするぞよ、ということだ。
艮の金神こと国祖・国常立尊は、この地球を造った神様である。
地球の神霊と言ってしまってもいいかも知れない。
だから王仁三郎の思想は地(つち)と密着しているのが特徴である。
これは地球を単なるモノとしか見ないセム族の宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)の思想との大きな違いである。
環境破壊で地球は住めなくなるから他の星に移住しよう…なんて考えはとんでもない曲がった考えだ。
地から離れて人間は生きて行けない。
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天産自給という言葉はネットで調べても王仁三郎がらみでしか出て来ない。
どうやら王仁三郎のオリジナル用語のようだ。
しかし似たような思想はいくつかある。
まず「身土不二(しんどふじ)」だ。
これは天産自給に一番似ている思想である。
食養とかマクロビオティックの世界で使われている言葉である。
もともとは仏教用語だが、それを流用しており、「地元で採れた旬の食べ物や伝統食が体に良い」というような思想である。
それを食べ物だけでなく、資源・エネルギー等にも適用させたものが王仁三郎の天産自給である。
天産自給は洋服だの建物だの、すべての産業について適用される。
その土地で採れるものを使って、服を作る、建物を建てる、ということだ。
他に「地産地消」(ちさんちしょう)というものがある。
これは農水省が主導した用語で、主に経済的観点から、地元で作った物を食べようという思想だ。
また「食糧安保論」というものがある。
これは、外国からの輸入に頼っていては、いざ食糧の輸入が途絶えたときに困ってしまうので食糧自給率を高めよう、という政治的な観点からの思想だ。
環境問題の観点からは「フードマイレージ」というものがある。
これは食糧の輸送量や輸送距離から算出される数値である。
遠い場所から食糧を運ぶと、CO2など環境負荷がかかる。
地球環境を守るために、その数値を小さくしようという運動だ。
それらの思想も、それはそれで結構だと思うが、天産自給とはかなり異なる。
天産自給は経済的観点でも安保的観点でもエコロジーでもなく、人間はこの地球に住む生き物だという観点だ。
地球を造った国常立尊の復権を叫んで大本が誕生したのだが、人間のエゴの極みである経済至上主義によって見えなくなってしまった地球の恩恵を、王仁三郎が復権させたのだ。
天産自給はみろくの世を創るためにとても重要な思想である。
(続く)
(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)