世界大家族制とベーシックインカム(14)御稜威紙幣の管理通貨制度としての側面

投稿:2022年07月15日

出口王仁三郎が説く「御稜威為本」や「御稜威紙幣」というものを既存の概念に当てはめると、管理通貨制度と政府紙幣を同時に実行するようなものではないかということを前回書いた。

「御稜威(みいづ)」(現代仮名遣いでは「みいず」)という言葉の一般的意味は、広辞苑によると「「いつ」の尊敬語。天皇・神などの威光。強い御威勢。」という意味だ。

王仁三郎も霊界物語などで、やはりそのような意味として用いている。
「神の御稜威に照らされて」とか「生言霊(いくことたま)の御稜威によりて」とか「皇祖の御稜威を照らし顕はし」というように使っている。

天皇の御稜威をもとに紙幣を発行することが「御稜威為本」で、その発行された紙幣が「御稜威紙幣」ということになる。

「天皇」という言葉を「国」に置き換えて考えてみると、国の御稜威をもとにして紙幣を発行することは、管理通貨制度のようなものになる。

通貨(紙幣や硬貨)が通貨として使用されるには、それが通貨として通用する何らかの信用が必要だ。
金本位制では、金はどこの国でもいつの時代でも高価である(価値が変化しない)という事実が、その通貨の信用になっている。
管理通貨制度では、その国が安定して発展しているという事実が、その通貨の信用になる。

たとえば天候不順などで食品が不足した場合、政府が何らかの政策によって食品の安定供給を図らないと、食品の値段が上昇し、相対的に通貨の価値が下がって行く。
また、戦争や革命などが起こり『今の通貨が使えなくなるかも』という不安が人々に間に襲うと、モノは供給されていても、一挙にインフレが起きる。紙クズになるかも知れない紙幣を手元に置かずに使い切ろうとしてモノを買おうとするからだ。
極端なケースとしては十数年前のジンバブエだ。7年間で2億パーセントというハイパーインフレにより、2009年には100兆ジンバブエ・ドルというとんでもない高額紙幣を発行した。(アマゾンで売っている
こんなに急激に価値が下がる通貨は安心して使うことができない。通貨が信用できないということは、その国の政治力が不足しているということになる。

管理通貨制度は政府の政治力だけではなく、民力も重要であろう。
物資不足の時にみんなが買い占めに走ったりするような国民性では、社会の混乱に拍車をかけてしまう。
官民合わせた、その国家の総合力が、その国の通貨の価値を決めている。
これが管理通貨制度である。その国家の御稜威によって、通貨を発行しているのだと言える。

王仁三郎が提唱する「御稜威為本」というものは、こういう管理通貨制度と同じようなものだと思うが、また別の面も持っているようである。
第12回で紹介した「神聖運動について」の中で王仁三郎は、「日本の国は一天万乗の大君(注・天皇のこと)の御稜威(みいづ)が輝いている為に、今の紙幣が本当の不換紙幣と同じようなものであっても価値に変動がない」「御稜威為本としたならば、必要な金(かね)はいくらでも出すことで出来る。もちろん無茶苦茶に出してはいけないが、まず日本を徹底的に建直すにおいては、一千億円の金が要ると思うのである」と述べていた。

金本位制では、保有している金に等しい額の紙幣しか発行できない。しかし管理通貨制度では「いくらでも」紙幣を発行することができる。と言っても経済規模に見合うだけの金額だ。紙幣を印刷しても富が増えるわけでない。あまり紙幣を発行し過ぎると、富の価値が下がる=紙幣価値が下がってしまう。

しかし王仁三郎は、日本経済を立て直すことができるだけのお金(紙幣)を「いくらでも」出すことが出来るのだという。
御稜威紙幣を1千億円発行することで、1千億円のお金が入る、それを財源にして税金を廃止し、困窮する国民生活を立て直すべし、と唱えているのだ。

この種の紙幣は、経済学で言う「政府紙幣」である。
政府紙幣とは、お札を印刷することで富を増やしてしまうマジックだ。

金本位制でも管理通貨制度でも、通貨を発行することで富を生み出すことはない。
1万円札の製造原価は1枚20円くらいだが、原価20円の紙切れに9980円の利益を上乗せして1万円札として流通させているのではない。銀行預金から1万円を引き出す時に1万円札を渡しているだけだ。つまり、逆に20円の赤字になるのであって、政府・日銀は1円も儲けていない。
しかし9980円の利益を得てしまおうというのが、政府紙幣である。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)