世界大家族制とベーシックインカム(9)古事記の予言

投稿:2022年07月14日

「金銀為本(きんぎんいほん)」という言葉は、古事記の仲哀(ちゅうあい)天皇の段に出て来る。

第14代天皇である仲哀天皇は、日本武尊の息子である。また、神功皇后の夫であり、応神天皇の父親である。

仲哀天皇の事跡の特徴は、出張が多かった、ということだ。
初代の神武天皇から第12代・景行天皇まで、皇居はずっと今の奈良県内にあった。平城京(第43代・元明天皇から第50代・桓武天皇まで)があった奈良市よりももっと南の、橿原とか桜井の辺りである。
第13代・成務天皇(日本武尊の弟)の時に、滋賀県大津市に皇居が移った。
第14代・仲哀天皇(成務天皇の甥)は、どこに皇居があったのか記紀に記されていない。今の下関市と福岡市に宮があったと記されているが、そこは本拠地ではなく、出張して滞在していた場所である。おそらく本拠地は先代と同じ大津市にあったのだろうが、ずっと九州方面に出張していたのである。それは九州南部にあった熊襲(くまそ)の国を制圧するためだ。

仲哀天皇は即位して2年目の6月に、熊襲が反乱を起しているという報せを聞いて、下関に向かった。(年月日は日本書紀によるもの。古事記に年月日は記されていない)
下関の宮は「穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや)」と呼び、忌宮(いみのみや)神社(下関市長府宮の内)がその跡だと言われている。
忌宮神社公式サイト:神社概要

仲哀天皇は数年間、下関に滞在した後、即位8年1月に福岡に移動した。
その宮は「筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや)」と呼び、香椎宮(かしいぐう)(福岡市東区香椎)がその跡だと言われている。
香椎宮公式サイト:香椎宮のこと

この筑紫に滞在中に、神功皇后が神懸かりした。即位8年9月5日である。
ここは審神(さにわ)の場面だ。

神が懸かる人を神主(かんぬし)と呼び、託宣を請う人を審神者(さにわ)と呼び、その行為も審神(さにわ)と呼ぶ。
浄められた清浄の場で行うのだが、その場所を沙庭(さにわ)と呼ぶ。
つまり、サニワがサニワでサニワするわけだ。
王仁三郎は場を浄めるために石笛(いわぶえ)を使ったが、仲哀天皇は琴を弾いて場を浄めた。審神者は武内宿禰(たけうちのすくね)である。

神功皇后に懸かった神は、古事記によれば底筒男・中筒男・上筒男の三柱、つまり住吉三神だ。日本書紀には神名は記されていない。
住吉三神は、天照大神の御心として、次のように告げた。

「西の方に国がある。その国には金銀をはじめとして、種々の珍しい宝が多数ある。われはその国を帰順させよう」

日本書紀では、この西方の国は新羅(しらぎ)と記されている。
この時代の朝鮮半島は三国時代で、新羅・百済(くだら)・高句麗(こうくり)という三つの国があった。新羅が全土を統一したのは西暦668年で、日本では第38代・天智天皇の時だ。

この神示を聞いた仲哀天皇は「高い所に登って西の方を見たが、国土は見えない。大きな海があるだけだ」と言って、神示を信じなかった。
その後、仲哀天皇は死んでしまい(9年2月6日)、妊娠中だった神功皇后は朝鮮半島へ出兵し(同年10月)、新羅に勝利して、帰国して生まれた子が応神天皇だ。
つまり審神で神示が下ったエピソードは、三韓征伐へのプロローグになっているのである。

天照大神の神示は、
「西の方に国がある。その国には金銀をはじめとして、種々の珍しい宝が多数ある。われはその国を帰順させよう」
というものだった。
これは簡単に分かりやすく私が意訳したのだが、原文の漢文だと次のようになる。

「西方有国。金銀為本。目之炎燿、種々珍宝、多在其国。吾今帰賜其国。」〔出典

ここに「金銀為本」という言葉が出て来るのだ。

読み下し文だと次のようになる。〔岩波文庫の倉野憲司・校注『古事記』(1963年)p132〕

「西の方に国有り。金銀(くがねしろがね)を本(はじめ)として、目の炎耀(かがや)く種種(くさぐさ)の珍(めづら)しき宝、多(さは)にその国にあり。吾(われ)今その国を帰(よ)せたまはむ。」

金銀為本の為本は、「本(もと)と為(な)す」ではなく、「本(はじめ)と為(し)て」と読ませている。
「帰(よ)せる」というのは、帰順・帰服させるという意味だ。

この神示は、王仁三郎の解釈によると次のようになる。
古事記の”超解釈”なので、歴史学者などによる一般的な解釈とはまるで異なる。

(一)西方有国(にしのかたにくにあり)。
ここに西方(にしのかた)と示し給うは極東日本国の位置より西方と称し給うものにして、即ち世界各国の国家を指し給えるなり。

(二)金銀為本(こがねしろがねをはじめて)。
金銀を本(もと)と為(な)すと示し給うは即ち国家経綸の根本経済が金銀本位を基礎と為しいる国柄の事なり。この御神勅の御言葉は現代の日本人が最も心魂に徹底して拝聴し奉るべき一大事にして、この御教覚(ごけうかく)の御一声によりて古今二千年間の迷夢を醒破(せいは)せざるベからざるものなり。現代の我国の租税制度、金本主義は日本国体の本義と絶対に矛盾している事に注意せざるべからざるなり。(注・「せざるべからず」とは「しなくてはいけない」の意)

(三)目之炎燿(めのかがやく)。
この意義は虚栄(きょえい)逸楽(いつらく)を好み、これを人生畢生(ひっせい)の目的と為し、土木工芸ことごとくその欲望を満足せしむる事を主旨とし、人生の天職本義を知らざる国柄の事を示し給えるなり。

(四)種々珍宝(くさぐさのたから)。
これは世界各国が天賦の気候、風土、人性に適応したる産物ありて、多種多様なる天賦的衣食住の特色を具備しいるを示させ給う。

(五)多在其国(そのくにさわなるを)。
これは金銀本位を国家経綸の本義と為し、人生の目的を知らずして、もっぱら虚栄虚偽、生存競争をもって人生の目的となしつつある国柄の国家が多く存在することを示し給う。

(六)吾今帰賜其国(あれいまそのくにをよせたまわん)。
この御言葉は最も注意せざるべからず。『吾今(あれいま)』とは神聖なる皇祖の御遺訓たる皇典古事記の真義の闡顕(せんけん)せられたる時代をもって『吾今(あれいま)』と詔(の)り給う時と拝聴すべきものなることを確信し奉るなり。
『其国(そのくに)を帰賜(よせたま)う』と詔り給うは昭和現代に帰(よ)せ賜う御事(おんこと)なり。
天下を治むる御天職を保ち給う天津日継(ひつぎ)天皇が御天職を発揚し給う時運到来して、世界の人智は以て皇道の教化に浴するの程度に達し、世界航運の発達を以て天津誠の教義を宣伝流布し、皇道を宣揚して世界を経綸し以て御国体の本義を顕彰するの時代に達したり。
〔「世界の経綸」第5章〕

ここに書いてあったことを簡単にまとめると──金銀本位を国家経綸の本義とし、人生の真の目的を知らず、虚栄虚偽・生存競争を人生の目的とする国柄の国が多数存在する。その国々を帰順させるのは今(昭和)である──というようなことである。古事記を一種の未来予言として解釈しているのだ。

王仁三郎的な意味での「帰順」とは、軍事力で制圧することではない。それは霊界物語の三五教の宣伝使を見れば分かる。

上に引用した部分のもう少し後ろ、第5章の最後は、次のように書いて締めくくっている。

ただし、大日本天津日嗣天皇の世界統一は侵略に非ず、征伐に非ず、植民政策に非ず、唯一の済世安民(さいせいあんみん)の至誠に出づるものにして、言向和平(ことむけやわし)なり、世界人類享生(きょうせい)の天職を教導発揮せしめ給うにほかならざるなり。

この「言向け和す」ということが、天皇を擁する日本の使命なのである。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)