三鏡解説025 悲劇と喜劇

投稿:2020年09月22日

●水鏡「悲劇と喜劇」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg025

 私は悲劇は嫌いである。さなきだに(注1)人生は苦しみが多いのであるに、わざわざ銭(ぜに)まで出して暇をつぶし、泣きに行く必要がどこにある。喜劇は心を晴らす。時々見ると気分が転換する。

 私は子供の時に定九郎(さだくろう)が与市兵衛(よいちべえ)を殺すところの芝居(注2)を見せられてから、すっかり劇というものが嫌いになった。

(注1)「さなきだに」は「そうでなくてさえ」〔広辞苑〕の意。
(注2)仮名手本忠臣蔵の五段目で、斧定九郎が与市兵衛を殺して50両を奪うシーン。

初出:『神の国』大正15年(1926年)9月号

王仁三郎は悲劇が嫌いということなので、「ハムレット」なんて全く嫌いなんでしょうね。

しかし悲劇が嫌いだということは、べつに宗教的にどうのこうのということではありません。

ただ単に、明るい人は暗いものを好み、暗い人は明るいものを好む傾向がある、ということのようです。

王仁三郎は次のようなことも言っています。

●月鏡「日本人と悲劇」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg258

 日本人は概して悲劇を好む。故に浄瑠璃などはほとんど悲劇的である。日本人は本来性情(せいじょう)が極めて陽気であるにより、かえって反対に悲劇を好むのである。

 昔は花見、紅葉見(もみじみ)と同じように、枯野見(かれのみ)、虫聞き、鹿聞きなどの行事があって、淋しい枯野を見て限りなき感興を覚えるなども、日本人が極めて陽気なる反映である。

 西洋人などは反対に性質が陰気であるから、陽気な音楽や、ダンスなどを好むのである。

ということは、悲劇が嫌いな王仁三郎は性質が陰気だった??

というよりは、苦しいことが多い人は楽しいことを好み、楽しいことが多い人は悲しいことを好みやすい、ということではないでしょうか?
人生に苦難が多い人は、お化け屋敷に行ったりホラー映画を見たりしないと思います。日頃苦しい目に遭っているのに、お金を払ってレジャーで苦しい目に遭おうなんて思わないでしょうね。たいていは「楽しい所に行きたい」と思うことでしょう。

最初の水鏡に「人生は苦しみが多いのである」と書いてありましたが、王仁三郎の人生もまた苦労の連続でした。
それで「悲劇は嫌いだ」という発言が出たのではないかと思います。

ところで霊界物語は喜劇でしょうか? 悲劇でしょうか?
それは、両方の側面があると思います。
全体としてはミロクの世に向かっているのでしょうから、喜劇なんでしょうけど、個々のエピソードで見ると、悲劇な場面も多々登場します。

しかし高姫を始めとする悪党がコミカルに描かれていたり、ダジャレ・言葉遊びの要素が多数あったりと、なるべく笑える物語に仕上げているのだと思います。
ゲラゲラ腹を抱えて笑うような場面はありませんが、読めば陽気になれる物語だと思います。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年7月15日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック