三鏡解説011 玉について

投稿:2020年09月08日

●水鏡「玉について」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg011

 如意宝珠(にょいほっしゅ)というのは、八方転びの玉である。円転滑脱(えんてんかつだつ)、いささかの障碍(しょうげ)もなく、自由自在に転ぶ玉である。だから人が来て、それにつき当たれば、ころんで他の面を向けるが、どの面を向けても同じ珠(たま)である。もしすこしでも角があれば前の面と、今度の面とは違っているという事がわかるけれど、八面玲瓏(れいろう)の玉なれば、突き当たられて一転びしても、転ばぬ前も同じである。誰がその差異を見出し得るものがあろうか。

 人の心も同様で、すこしの角もないまでに磨き上げらるれば、それが如意宝珠と同じ働きを起こすのだ。円転滑脱、自由自在、人と衝突して人を傷つけ、我が身を傷つけるような事はない。どんな立派な玉でもそれにすこしのイビツな所でもあれば、決して如意宝珠ではない。

 先年大阪辺で如意宝珠だとて大騒ぎをしていた珠があるが、あの珠は鮑(あわび)の貝に塩の附着して出来たものであるから、楕円形である。本当の如意宝珠ではない。あれはむしろ邪気の凝固(かたまり)である。

 あれを見、あれを持っていると、禍(わざわ)いが身に及ぶから、深く包んで人に見せないようにせねばならぬ。で私はお宮を作って祭るようにと言うておいたのだ。およそ形のあまりに珍奇に異様なものは、みな邪(よこしま)なるものである。弄(ろう)せないようにせねばならぬ。

□録者(注・側近の加藤明子)は愕然として驚きました。この如意宝珠の珠というのは、一見はなはだ立派なものであって、所有者は印度人が三千年来尋ね尋ねている憧がれの玉であると深く信じており、これを日本で盛大に祭れば数十万の印度人が踵(きびす)を接して日本にお参りに来る、国家の利益この上もない事であるからと言うて、東奔西走金を集めて大宮殿を建立して祭ろうとしているものであります。

 ただ何の玉であるかが分からぬため、日本の帝国大学はもちろんの事、米国三界まで持ち出して、鑑定を頼んだものです。このために、今まで費した金高は既に数十万円に上っているはずでございます。今も現に大阪の某富豪が、数万円を投じて、祭ろうと企てているという話ですから、近い将来に実現するかも知れません。

 しかして不思議にも、この玉の持主は度々変わり、そしていつもいつも御覧を願いたい言うては、聖師様のお手許に参ります。現に半年ばかり前にも、貰っていただきたいと云って来ましたが、聖師様は
「私には必要がない。お宮を建てて祭っておいたらよかろう」
とおっしゃって断っておられました。

 初めこの玉の鑑定を頼みに来た時は、聖師様は大正日日新聞社の社長室におられましたが
「見ないでも私にはよく分かっています。とうから霊眼で見てあります。少し楕円形をした、こんな珠でしょう」
とおっしゃって、見る事を拒まれました。持参者は驚いて、
「その通りでございます。大学あたりでも分からず、米国の大学まで持ち回っても本質が分からず、試験のため、この通り削って分析し、すこし傷がついていますが、不思議にもだんだん傷が癒えて参ります。重量も増えたり、減ったり致します」
と云ひながら、包みを解いて師の目の前に差し出したものです。聖師様は
「如意宝珠? そうでしょう、なかなか立派な玉です」
とおっしゃったと聞いております。

 ……そうでしょう……とおっしゃった言向け和せを知らぬ私は、大層珍しがり、わざわざ見に行きまして、大正日日紙上で提灯持ちまで致しました。私ばかりでなく吉野花明氏(注・大本信者)なども、大分この玉についての記事を書かれたように記憶しております。日本一と人々から尊敬せられつつある某名僧は、深く如意宝珠だと信じて、玉を世に出す運動に参加しておられますが、五年の後の今日、初めて真相を示されて悟らして頂きました。

 みないでもよい……とおっしゃった師のそのお言葉が、いかに深重な意味を含んでいたかという事に今気がついて
「聖師様も、その玉を御覧になったのでございますね。私も見ました。手にまで取って撫で回したのでございます。玉の霊徳を受けたいと存じまして……でございますが、それから受けた禍いと申しますと、何でございましょう」
とお伺い申し上げますと
「大正十年二月起こった、大本事件がそれである、私はそのために今まで悩まされている。お前も悩まされているではないか。事件はあの珠を見てから、十数日の後に起こったのである」

 録者は、冷水を頭上から浴びせられたような感じが致しまして、今後決して珍奇なものに心を動かすまいと考へました。(大正十五、二、九)

初出:『神の国』大正14年(1925年)11月号または大正15年(1926年)3月号

「如意宝珠」と言えば、霊界物語にそういう名の珠が登場します。
ただし普通名詞としても使われているので、複数あります。
固有名詞として「如意宝珠」と呼ばれているのは、冠島に埋蔵されていた珠だけです。第16巻で高姫が口から呑み込んでしまった、あの如意宝珠です。
その第16巻を含む輯(第13~24巻)は、輯の題名が「如意宝珠」です。

如意宝珠はもともと仏教用語で、「あらゆる願いを叶える不思議な珠。衆生を利益すること限りないことから仏や仏説の象徴とされる」〔広辞苑〕ということです。
王仁三郎用語としての如意宝珠は、神仏の象徴というよりは、人間自身の御魂(みたま)を象徴する意味合いが大きいです。
汚れた御魂ではなく、本来あるべき、光輝く清い御魂です。

冒頭の水鏡で王仁三郎は「人の心も同様で、すこしの角もないまでに磨き上げらるれば、それが如意宝珠と同じ働きを起こすのだ」つまり、角がないまで磨き上げられた心は如意宝珠と同じ働きをするのだ、と説いています。
磨かれた御魂は、他人を傷つけることも、自分を傷つけることもないのです。「言向け和す」ということとも関係しています。
私たちが人生で真に得るべきものは、自分の外側にある形ある珠ではなく、自分の内側にあるこの如意宝珠です。

しかし高姫のように、形ある如意宝珠を追い駆けている人たちもおり、「東奔西走金を集めて大宮殿を建立して祭ろうとしている」と書いてありました。
おそらく大正時代の大阪の新聞を見れば、この大騒ぎをしていたという珠の記事があるのではないかと思いますが、まだ未調査なので、どういう珠なのかよく分かりません。

「あの珠は鮑(あわび)の貝に塩の附着して出来たものであるから、楕円形である。本当の如意宝珠ではない」
たとえば↓こういう巨大真珠のように、いびつな形をしていたのではないでしょうか。これは2016年にフィリピンで発見された巨大真珠です。
https://www.afpbb.com/articles/-/3098648

真珠は貝の内側で作られるものなので、貝に塩が附着してできたというその如意宝珠もどきの珠は真珠ではないと思いますが、宝珠と呼ぶのにふさわしいものだったのでしょうね。形はいびつでも、表面はピカピカ光っていたのでしょう。

こういうものを有り難がって欲しがる人がいますが、それはちょっと考え直した方がいいようです。「形のあまりに珍奇に異様なものは、みな邪(よこしま)なるものである」と王仁三郎が言っていましたが、水鏡のもう少し後ろの方にも似たようなことが書いてあります。

●水鏡086「変ったものに相手になるな」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg086

(略)総て何物に限らず、珍妙な形をしたものには相手にならぬがよい。器具でも木石(ぼくせき)でもあまり変わったものは何かあるので、そんなものを好んで持つのはよくない事で、思わぬ災害を受ける事がある。人間も同じで、奇妙な風をしたり、言うたりする人は、どうも信用がおけぬものである。総てあまり変わったものには相手にならぬがよい。

この珠の影響があって、大正10年の大本事件が起きたというのですから、この珠の正体が気になります。また後で調査したいと思います。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年7月4日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック