三鏡解説003 神命と実行

投稿:2020年09月03日

●水鏡「神命と実行」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg003

 神の命じたまうことは即座に実行せねばならぬ。寸時の猶予も許されないのである。

 命令を受けたときに実行せないで延ばすと、そのことはもう成就せないのである。もし後で成就することになっても、それは他の人がやってしまうから、命令を受けた本人に取っては、つまり実行できなかったことになる。

 大本のことは、九月八日の仕組(しぐみ)(注)で、世間に先だってリードするのであるから、一日遅れると世間並みになってしまう。

 見よ、大本が宗教連盟(注)を企(くわだ)つるや、世間はにわかに、なに連盟、かに連盟と連盟を企てて真似をする。満蒙(注・満州と蒙古のこと)開発より他に国是はないと思って私が入蒙(にゅうもう)(注)すると、満蒙政策が喧しく唱道される。だから大本は一日先に神様に教えられて、社会を導くようになっているのである。

 私が「こうせい」(注・「こうしろ」の意)と命じても「会議を開いて相談した上で実行いたします」というような役員が多かったから、今まで長蛇を逸してしまったことが、いくばくあるか分からぬ。だから御経綸(ごけいりん)が遅れるのだ。

 神様は考えてから、ゆっくりやるというようなことは大お嫌いだ。

 事業を計画するにしても金が集まった上でやるというのは、本当のやり方ではない。やろうと思うと同時に実行に着手したらよいのだ。そうすると金は自然に出て来るものだ。

 自然を見よ。かの蒼々(そうそう)空を凌(しの)いで立つ老松も、一本三厘の松苗を、二~三分間の時間と、ほんのちょっとの労力で植えておいた結果に過ぎないではないか。先の先まで計画しての仕事ではない。

初出:『神の国』大正14年(1925年)9月号

これはいくつか説明が必要です。(注)と書いてある3つの言葉について説明します。

■「九月八日の仕組

世間一般に9月9日は「菊の節句」です。
と言っても今ではそういう風習はほとんど廃れていると思うのでご存じない方も多いと思います。
私も王仁三郎に出会わなかったら、菊の節句なんて知ることはなかったと思います。

節句は年に5回あり五節句と呼びます。

1月7日=人日(じんじつ)
3月3日=上巳(じょうし)
5月5日=端午(たんご)
7月7日=七夕(しちせき)
9月9日=重陽(ちょうよう)

参考↓
https://www.benricho.org/koyomi/5sekku.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%8F%A5

1月7日は七草がゆを食べる日、3月3日は雛祭り(桃の節句)、5月5日はこどもの日(菖蒲の節句)、7月7日は七夕(たなばた)として知られていますが、9月9日の菊の節句はマイナーであまり知られていないのではないかと思います。

この9月9日に1日先立つのが9月8日です。
王仁三郎は「九月八日の仕組」について次のように話しています。

●出口王仁三郎全集 第5巻 「九月八日の仕組」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c224

 今日は九月八日という記念すべき日であります。由来大本では九月八日を非常に尊重するのであります。何故なれば九月九日は菊の節句であり、九月八日はこれに先立つこと一日であって、何事も世の中に先端を切り、来(きた)らんとする事を前(さき)つ前つに覚って実行しているからであって、これを九月八日の仕組というのであります。

王仁三郎の活動には9月8日に実行したものがいくつもあります。

たとえば綾部の本宮山の山頂に文字面を下にして伏せて置いておいた神声碑、教碑、歌碑の三つの碑石が、昭和6年9月8日に王仁三郎の命令で建立されました。

このとき王仁三郎は「これから十日後に大きな事件が起き、それが世界的に発展する」と予言しました。
その言葉の通り9月18日に満州事変が勃発し、それが日中戦争へと発展し、足かけ15年に亘る大戦争へと広がって行ったのです。

また、大審院で第二次大本事件の上告が棄却されたのは、昭和20年9月8日です。
そのちょうど6年後の昭和26年9月8日には、サンフランシスコ講和条約が締結されています。
(これは数運の説明でよく取り上げられています)

旧暦の9月8日もあります。
大本開祖・出口直による一週間の「弥仙山岩戸籠もり」の神業が行われたのは、明治34年旧9月8日(新10月19日)からです。

王仁三郎が霊界物語を書くことになったのは大正10年旧9月8日(新10月8日)に神命が降りたからです(その10日後から口述開始)。

また大本外の出来事ですが、「慶応」から「明治」に改元されたのは、旧9月8日です。(ただし当時は新暦はまだ使われていなかった)

霊界物語の中でも、9月8日に色々な出来事が起きています。

たとえば、玉依姫命が献上した五つの「麻邇宝珠」が竜宮島(豪州)から、オノコロ島(日本)の由良の港に運ばれてきたのは9月8日です。(第26巻第2章)

また、綾の聖地の「錦の宮」に保管されていたその玉が紛失してしまい、高姫たちによって再び「錦の宮」に戻ってきたのも9月8日です。(第33巻第18章)

さらに、「錦の宮」の神柱である玉照彦と玉照姫が結婚式を挙げたのも9月8日です。(第65巻第26章)

9月8日には、このように色々なことが起きています。

このようなものを「九月八日の仕組」と呼びます。
「世間に先だってリードする」するという意味があるのです。

■「入蒙(にゅうもう)」

王仁三郎は大正13年(1924年)2月から6月にかけて、蒙古を目指して中国大陸に渡りました。

目的は、政治的に混乱していた蒙古を統一し、宗教的国家を建設するためです。
結局、目的を達せずに現地軍に捕まり、強制帰国となりました。

詳細はオニドをお読み下さい。↓
●王仁三郎ドット・ジェイピー「入蒙そして世界統一」
https://www.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=17

■「宗教連盟」。

大正13年(1924年)7月、大陸から帰国した王仁三郎は、捕まって拘置所に入れられてしまいます。
大正10年の大本事件の裁判中に、当局に無断で出国したため、保釈が取り消されて、再び入獄となったのです。

98日後の11月に、保釈され綾部に帰った王仁三郎は、世界宗教連盟(仮称)の結成に着手しました。
この宗教連盟の計画は、大正14年(1925年)5月に北京で「世界宗教連合会」の発足という形で結実しました。
また日本国内では「万国信教愛善会」が発足しています。

詳細は大本七十年史を読んで下さい。↓
●大本七十年史 上巻「世界宗教連合会」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c4412
●同「万国信教愛善会」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c4413

冒頭の水鏡で王仁三郎が、自分が宗教連盟を計画したので世間でも何かの連盟の類を作ろうという動きが起きたとか、自分が入蒙したので世間でも満蒙政策(大陸への入植)がやかましく言われるようになったとか言っています。
果たして本当に王仁三郎が言う通りなのかどうかは調べていないのでよく分かりません。しかしともかく、世間よりも早くやれ、世間がまだやっていないことをやれ、ということなのでしょう。

原発が事故ってから原発反対運動をやり出しても遅いのです。
原発で空を飛ぶ鉄腕アトムがもてはやされていた1950年代にやり出すべきでした。
しかし原子力の平和利用が是とされていた時代に、アトム反対と叫ぶような先見の明を持つ人は、なかなかいなかったのではないでしょうか。
「一日先に神様に教えられて、社会を導くようになっているのである」と書いてありましたが、人間心ではなかなか分からないものがあります。

「「会議を開いて相談した上で実行いたします」というような役員が多」いというのは、現代でも同じですね。
よく、ワンマンの社長が嘆くセリフです。

この水鏡のタイトルは「神命と実行」ですが、神命と言っても凡人には神様の命令など分かりません。
凡人レベルの言葉に変換すると、「直観に従い、即実行せよ」ということだと思います。

直感に従って行動することは、「不言実行」という三五教の教えに繋がります。
そのことは拙著『超訳 霊界物語2 出口王仁三郎の[身魂磨き]実践書 ~ 一人旅するスサノオの宣伝使たち』p116に記してあります。


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