●水鏡「無抵抗主義と抵抗主義」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg002無抵抗主義は、実は極端なる抵抗主義である。打たれても、たたかれても、黙って隠忍しているところに底力のある強い抵抗がある。そしてこの無抵抗の抵抗がついに最後の勝ちを制するのである。
天理教祖のおみきさんは、牢獄に投ぜらるること、幾回なるかを知らず、警官の叱責にあうや、いつでもただ、ハイ、ハイと言うていた。
「ハイ、ハイ、ハイで這い登れ山の上まで」というのが、常に彼女が教え子たちに示したモットーであったということである。
初出:『神の国』大正14年(1925年)8月号
戦前は大本に限らずどこの宗教団体も政府によって活動に制限が加えられていましたが、天理教の教祖・中山みきも何度か留置・拘留されました。
「ハイ、ハイ、ハイで這い登れ山の上まで」と本当に言っていたのかどうかは私には分かりませんが、そういう精神で生きていたことは事実なのでしょう。
霊界物語で主人公のスサノオが導く三五教(あなないきょう)は「無抵抗主義」です。
霊界物語のドラマの中にたびたび無抵抗主義の実践が描かれていますが、最初の霊主体従(第1~12巻)の中で特に印象に残るのは、第6巻第33~36章の三大教の北光天使(きたてるのかみ)のエピソードと、第12巻第22~24章の一つ島の深雪姫のエピソードです。
一度読んだだけだけでは何のこっちゃ意味がよく理解できないと思いますが、歳月を経て、自分の思想・精神が深化するとともに読み直してみると、新しい気づきが得られます。
ところで無抵抗主義と言えばインドのガンジーの無抵抗主義が有名ですが、王仁三郎の無抵抗主義は異なります。
ガンジーの運動を無抵抗主義と呼ぶのは実は間違いで、正しくは「非暴力・不服従」というものです。抵抗しないのではなく、暴力以外の方法で徹底的に抵抗するのです。
それに対して王仁三郎の無抵抗主義は全く無抵抗です。ですから一見、やられてしまうように見えます。しかし相手の力をクルリと回してその方向を変えてしまうのです。それを武道に応用したものが合気道です。
このことは拙著『超訳霊界物語』に詳しく書いてますので、そちらをお読み下さい。
「無抵抗」と言っても、実際には抵抗しているのです。ただ表面的には、抵抗していないように見えるだけです。
ガンジーの運動は、デモ行進やストライキ、不買運動などの非暴力的な手段を使いますが、それは立派な抵抗として見えます。ですから相手に敵愾心を持たせることになります。相手は「自分に刃向かっているな」と感じるのです。
王仁三郎の無抵抗主義は、表面的にも抵抗しているように見えないのです。ですから相手は敵愾心を持ちません。それどころか仲間意識を持つことでしょう。
くだけた言い方をすると、友達になって、相手を内側から変革していくのが、王仁三郎の無抵抗主義です。冒頭の教示に書いてあったのように、まさに「無抵抗の抵抗」です。
それが一番強いし、怨恨を残さないし、神の愛善の精神に基づくものです。
やられたらやり返したい、というのは復讐心です。復讐心は自分の副守護神から出ています。
敵も悪魔かも知れませんが、自分も悪魔になってしまっているのです。
ですから争いがやむことがありません。
やり返したいと思う自分の副守護神を言向け和して、本守護神を発動させててから、相手の副守護神を言向け和すのです。
無抵抗主義とは、「言向け和す」の別名だと言ってもいいです。
「言向け和す」についてはブログに46回連載で書いてありますので、そちらをごらん下さい。
言向け和す 目次
この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年6月13日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック)