●月鏡「同殿同床の儀」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg427その昔、御神殿というものは、同殿同床(どうでんどうしょう)の本義に則って、屋内に設けられたもので、今日の如く別殿とするのは唐制を模倣してから以後のことである。
このたび開祖様の御像を本宮山上、穹天閣(きゅうてんかく)の私の室(しつ)にお祭りして、私はそこで寝る。これで古来の通り、同殿同床となってはなはだ愉快である。二代の室は次の間にある。
初出:『神の国』昭和5年(1930年)5月号
同殿同床は、同床共殿(どうしゅうきょうでん)とか同殿共床などとも呼ばれます。
神様を家の中に祭り、そこで神と人とが寝起きを共にすることです。
古代、この同殿同床が廃止されたことは、現代に至る社会悪化の原因の一つであり、これを復活させることが五六七神政成就に繋がります。
霊界物語第5巻には、太古の神代に、聖地エルサレムで同殿同床が廃止されたことが記されています。国祖が隠退し、大洪水が起きる前の出来事です。
●霊界物語第5巻第1章「栄華の夢」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0501&mky=a040-a044#a040聖地はすでに神霊を宮殿より分離し、橄欖山(かんらんざん)に形ばかりの神殿を建てたるに倣い、各地の八王八頭(やつおう やつがしら)もその宮殿より国魂を分離して、山上または渓間に形ばかりの神殿を造り、祭祀の道を怠った。
また記紀には、第10代の崇神天皇の御代に、同殿同床が廃止されたことが記されています。
それまでは天照大神と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の二柱を宮中にお祭りしていました。ところが崇神天皇は両神の神威を畏れ、同じ場所に住むのを止めて、両神を宮中の外に祭るようになった──ということが、日本書紀の崇神天皇6年の項に書いてあります。
その後、天照大神は近畿地方を転々として最終的に伊勢の地に、倭大国魂神は大和(おおやまと)神社(天理市)に祭られることになりました。
崇神天皇が行った【同殿同床の廃止】と【租税徴収の開始】は、和光同塵(わこうどうじん)の政策だと王仁三郎は述べています。
五六七の世までの一時的な措置ということです。
つまりその和光同塵の政策を廃止することが五六七の世に繋がるわけです。
詳しくは「世界大家族制とベーシックインカム(4)崇神天皇から租税制度が始まった」をお読み下さい。
大本の信者は主神(大天主太神)を家の中に奉斎しますが、それも同殿同床です。
家の外に祠を建てたりして神様を祭るのではなく、家の中に神様を祭ることが同殿同床ですが、しかしそれは形式上のことであって、より本質的には、神と共に生きる、ということが同殿同床ということになると思います。
家の中に神様を祭って、そこで寝起きしたって、神様を身近に感じない人だっています。
あるいは、神様を拝んでいたって、その神棚の小さなお宮の中だけに神様がいるんだと思う人もいます。
それでは信仰が稚拙だと言わざるを得ません。
神棚とか神社にだけ神様がいるわけではありません。
そこは聖域であって、神様とコンタクトしやすい場所だというだけで、実際には神様はどこにでもいるわけです。
究極的には、この宇宙全てが神です。
神は常にここにいる、神は吾と共にあり、という意識で生活することが、同殿同床の本質的な意義であると思います。
別な表現をすると【自分の中に神を祭る】ことです。
形だけ、家の中に神様を祭ったって、ただそれだけでは何でもありません。
常に神と共にいる、という感覚を持つことが出来るようになるために、神様を家に祭り、毎日祝詞を上げるのです。
究極的には神棚も神殿も必要なく、【自分の中に神を祭る】ことです。
そうすれば形が無いのですから、宗教間の相違から生じる下らぬ争いがなくなります。王仁三郎が「みろくの世には宗教は不要になる」と説いた、その世界へ近づくわけです。
(この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2021年4月19日号に掲載した文章をもとに加筆訂正したものです)