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三鏡解説036 三千年に一度実る桃の実

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年10月07日

●水鏡「三千年に一度実る桃の実」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg036

「三千年に一度実る桃の実」というのは、無花果(いちじく)の事である。桃の事ではない。

「優曇華(うどんげ)の花咲く春」というのも同じ意味である。優曇華は印度語であって、無花果の事である。

大本神諭の「煎豆(いりまめ)にも花が咲く」というのと同じ意味であって、希有(けう)の出来事の謂(い)いである。

初出:『神の国』大正15年(1926年)10月号

「三千年に一度実る桃の実」というフレーズは大本神諭には出て来ません。霊界物語に何度か出て来ます。
たとえば、

●第6巻第24章「富士鳴戸」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0624

三十三魂(みづのみたま)は瑞霊(ずいれい)の意なり。また天地人、智仁勇、霊力体、顕神幽とも云い、西王母(せいおうぼ)が三千年の園(その)の桃の開き初めたるも三月三日であり、三十三は女の中の女という意味ともなるを知るべし。

西王母(せいおうぼ)は中国の古い信仰で、女神や仙人のような存在です。
漢の武帝(紀元前1世紀頃の皇帝)が西王母から不老長寿の桃をもらったという故事があります。この桃は三千年に一度、花を咲かして実を結ぶという桃です。
https://kotobank.jp/word/-391318
https://kotobank.jp/word/-619549

「三千年に一度実る桃の実」とは、その桃を指しています。西王母の桃です。

霊界物語では西王母は坤の金神の別名ということになっています。治国別(はるくにわけ)宣伝使の天国巡覧の物語に西王母が出て来ます。霊国の桃園のシーンです。
●第48巻第12章「西王母」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4812

冒頭の水鏡の中で王仁三郎は、この西王母の桃は、実は桃のことではなく、無花果(いちじく)だと言っています。

仏教では、優曇華(うどんげ)が三千年に一度咲くと言われています。
優曇華は想像上の植物ですが、この優曇華の花が咲く時に、転輪聖王(てんりんじょうおう)という理想の王が世に現れると言われています。
そのインドの仏教の優曇華の話が中国に伝わり、中国では桃だと言われるようになったようです。

冒頭の水鏡の中で、優曇華もまた無花果のことだと王仁三郎は言っています。

調べてみると優曇華は無花果そのものではないようですが、無花果の親戚の植物だと言われているようです。
https://kotobank.jp/word/-441041
https://kotobank.jp/word/-102884

「優曇華(うどんげ)の花咲く春」というフレーズも大本神諭は出て来ません。霊界物語に何度か出ます。
たとえば「ここに会うたは優曇華の 花咲く春の引合せ」〔第13巻第2章〕というように、滅多に起きない稀有な出来事を指す譬喩として使われています。

「煎豆(いりまめ)にも花が咲く」というのは、大本神諭に出る有名なフレーズです。
火で煎った豆には花が咲くことはありません。そのあり得ないことが起きるという、稀有の出来事を指す表現です。

ところで無花果というのは、果実ではないそうです。
何とあれは花なんだそうです。
果実のように見えますが、あの中に入っている赤いツブツブが、花なんだそうです。
とても変わった、稀有な植物ですね。
一見、花が咲かないように見えるので「無花果」という文字が当てられたようです。
(参考)
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/figue.htm
http://www.ja-gp-fukuoka.jp/education/akiba-hakase/002/003.html


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年8月5日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


三鏡解説035 天国霊国と花壇

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年10月07日

●水鏡「天国霊国と花壇」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg035

 天国にも霊国にも花園(はなぞの)が無ければならぬのだ。それで私が昔、花を植えると、訳の分からぬ役員達が抜いて捨ててしまう。だから綾部になかなか天国が建設せられなかった。幸い亀岡の役員達は、私を比較的よく理解していてくれるので、霊国の一大要素たる花苑(かえん)や花壇が段々に出来て来て結構である。

 今私は温室を造っておるが、冬になって花が無くなると霊国の資格が欠けるから、それで私がこしらえておると、今に訳の分からぬ人達が「この経費多端の秋(とき)に当たって、贅沢な温室などをこしらえて、聖師様はどうするおつもりであろうか」などと言う。今も昔も忠義ぶって神の経綸(しぐみ)の妨害ばかりする守護神が多いのは困ったものである。

 神諭に「九つ花(ばな)が咲きかけたぞよ、九つ花が十(と)ようになって咲く時は、万古末代(まんごまつだい)萎(しお)れぬ生花(いきばな)であるぞよ」とある。

 一未信者の設計になった天恩郷の花壇の形が、十曜の神紋であった時に、私はいよいよ時節進展と喜んだ。綾部の神苑にも花壇が出来るようにならねば天国は開けぬのである。

初出:『神の国』大正15年(1926年)10月号

直前の034「厳と瑞」と同じように王仁三郎は、瑞の御霊の神業を役員・信者が理解しない…と歎いています。しかし綾部より亀岡の方がまだ少しマシだというのです。そもそも亀岡の神苑は瑞霊の神業の聖地として造営したので、王仁三郎を慕う人が多いのでしょう。

綾部の神苑は明治40年代から少しずつ買収し、造営して行きました。亀岡の神苑(亀山城址)は大正8年に買収し、大正14年2月以降、本格的に造営が開始され、「天恩郷」と命名されています。詳しくはオニペディアを見て下さい。
○梅松苑
https://onipedia.info/wiki/%E6%A2%85%E6%9D%BE%E8%8B%91
○天恩郷
https://onipedia.info/wiki/%E5%A4%A9%E6%81%A9%E9%83%B7

水鏡「天国霊国と花壇」は『神の国』の大正15年(1926年)10月号に掲載されたものなので、天恩郷の造営が始まって1年ちょっと経った頃の発言です。

綾部の聖地は天国を、亀岡の聖地は霊国を地上に移写したものとして造営されました。
「花園が無ければならぬのだ」と言っているのは、王仁三郎が花好きだったからではなく、天界(天国と霊国)は百花爛漫(ひゃっからんまん)芳香馥郁(ほうこうふくいく)の世界だからです。

温室云々と書いてありましたが、この時は温室で花を育てていたようです。しかし後にそれを止めています。その理由も三鏡に書いてあります。

●玉鏡「温室をやめた理由」(昭和8年8月)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg735

 大分長い間温室において花を育てていた。それは天国の移写たる聖場には、冬といえども花がなくてはならぬからであった。だがガラスで囲って温湯(おんとう)で暖めてやらねばならぬような花、外へ持ち出すとすぐ萎(しお)れるような花はとうてい駄目である。雪霜(せっそう)を凌いでその中に凛(りん)として咲くような花でなくては物の役に立たぬと思うて、断然温室栽培をやめる事にしたのである。

なるほど。
冬に咲く花というと、サザンカとか椿、葉ボタンなどを栽培していたのでしょうか?

「九つ花(ここのつばな)が咲きかけた」というのは大本神諭に何度か出る表現で、九曜紋が十曜紋になったことを、ミロクの世の表徴として言っているようです。
明治32年(1899年)に遷座祭を行うため、祭典用に注文した提灯が、九曜紋を指定したのに、何故か十曜紋で作られました。
九曜紋は綾部のお殿様である九鬼家の紋章で、当時の大本はそれを使っていたようですが、業者が何故か間違って十曜紋で作ってしまったのです。
十曜紋の方が複雑なので作り間違うとは思えませんが…これが神の仕組だったのです。これによって大本の神紋が十曜紋に定められました。
○大本七十年史 上巻「十曜の神紋」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c1522

「一未信者の設計になった天恩郷の花壇」とありますが、未信者とは信者ではない者という意味です。信者ではない人が花壇を設計したのに、たまたま十曜の形で設計した、ということのようです。
王仁三郎はそれを神の意志と受け止めて、「いよいよ時節進展」と喜んだのだと思います。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年8月1日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック