●水鏡「人間の霊魂」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg039人間には元はよい魂(みたま)が授かってあったがだんだん悪くなった。
黄金(おうごん)時代は元の美しい霊であったが、世がだんだん悪くなって、白銀(はくぎん)、赤銅(しゃくどう)、黒鉄(こくてつ)時代と成り下がり、今は早や泥海時代となっておるから、今の世の中に生まれておるものは、魂(みたま)が既に外部的状態を混じた善悪混合のものとなっている。
初出:『神の国』大正15年(1926年)11月号
黄金時代、白銀時代、赤銅時代、黒鉄時代、泥海時代という時代区分は、王仁三郎のオリジナルなものではなく、もともとはギリシャ神話に出てくる言葉です。
○ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E6%99%82%E4%BB%A3
○コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%BB%84%E9%87%91%E6%99%82%E4%BB%A3-448892
スエデンボルグもこの言葉を使っています。
霊界物語にもこの言葉がときどき出て来ます。次の箇所で詳しく説明されています。
●第47巻第21章「跋文」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4721#a113地上における最太古の人間は即ち天的人間であって、相応そのものによって思索し、彼らの眼前に横たわれる世間の自然的事物は、彼ら天的人間が思索をなす所の方便に過ぎなかったのである。
太古の人間は天人と互いに相交わり相語り、天界と世間との和合は彼らを通して成就したのである。これの時代を黄金時代というのである。
次に天界の住民は地上の人間と共におり、人間と交わること朋侶(ほうりょ)の如くであった。されど最早この時代の人間は相応そのものより思索せずして、相応の知識よりせるによって、なお天と人との和合はあったけれども、以前のようには親密でなかった。この時代を白銀時代という。
またこの白銀時代を継いだものは相応は知らぬにはあらざれども、その思索は相応の知識によらなかった。故に彼らがおる所の善徳なるものは自然的のものであって、前時代の人の如く霊的たることを得なかった。これを赤銅時代といったのである。
この時代以後は人間は次第々々に外的となり、遂に肉体的となりおえ、従って相応の知識なるもの全く地に墜ちて天界の知識ことごとく亡び、霊界に関する数多の事項もおいおいと会得し難くなったのである。
また黄金は相応によって天国の善を表わし、最太古の人のおりし境遇である。また白銀は霊国の善を表わし中古の人のおりし境遇であった。赤銅は自然界の善を表わし古(いにしえ)の人のおりし境遇である。
さらに下って、黒鉄時代を現出した。黒鉄なるものは冷酷なる真(しん)を表わし、善はこれにおらない時代である。これを思うに現今の時代は全く黒鉄時代を過ぎて泥土(でいど)世界と堕落し、善も真もその影を没してしまった暗黒無明の地獄である。
国祖の神はかくの如き惨澹たる世界をして松の代、三五(あなない)の代、天国の代に復活せしめんとして不断的愛善と信真のために御活動を遊ばし給いつつあることを思えば、吾々は安閑としてこの現代を看過することは出来ないのである。天下国家を憂うるの士は、一日も早く神の教えに眼を醒まし、善のために善を励み、真のために真を光(てら)して、空前絶後の大神業に参加されんことを希望する次第であります。
黄金時代というのは、人間が天人と互いに交わり、語り合い、つまり神人合一していた時代のようです。
“相応によって思索する”というのは、どういうことなのか私にはよく分かりません。何しろ私も泥海時代の人間ですから(^_^;
皆さん、いろいろ考えてみて下さい。
この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年8月12日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック)