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三鏡解説010 祈りは天帝にのみ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月07日

●水鏡「祈りは天帝にのみ」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg010

 祈りは天帝にのみすべきものである。他の神様には礼拝するのである。私はそのつもりで沢山の神様に礼拝する。そは(注1)あたかも人々に挨拶すると同様の意味においてである。

 誠の神様はただ一柱しかおわし(注2)まさぬ、他は皆エンゼルである。

初出:『神の国』大正15年(1926年)2月号

注1 「そは(其は)」は「それは」の意。
注2 「おわす(御座す)」は「居る」の意。

仏教で天帝と言えば帝釈天のことですが、ここで言う天帝とは宇宙の絶対神・最高神のことです。古事記の天御中主神であり、キリスト教のゴッドです。王仁三郎用語では主神(すしん)とも呼びます。

八百万の神々の世界観では、天帝(主神)以外に諸々の「神」がいますが、それはキリスト教などにおけるエンゼル(天使)に該当するのだというのです。
こうして王仁三郎は多神教の世界観と一神教の世界観を統合したのです。

また汎神論(はんしんろん)というものもあります。多神教は、諸々の神々がいるとする世界観ですが、汎神論というのは世界万有一切が神であるという世界観です。
王仁三郎が説く神観は、ただ一柱の神から無数の神々が生まれ、宇宙(物質界)は神の体である…というもので、一神即多神即汎神と言うべきものです。
色々な神々がいても、元に帰れば一柱の神に納まるというのです。

この神観を王仁三郎は「大本皇大神」(おおもとすめおおかみ)と呼びました。ただし大戦後は「大天主太神」(おおもとすめおおみかみ)に表記を変えています。霊界物語ではどちらの神名も基本的に出てきませんが(ほんの数回だけ出ます)、大本が奉斎している神は大本皇大神(戦後は大天主太神)です。
大本皇大神は天帝(主神)を根源においた神観ですので、大本皇大神を崇拝するというのは、天帝を崇拝しているということになります。

冒頭の水鏡の中で王仁三郎は、祈りは天帝のみに行い、他の神々には礼拝(人間界における挨拶)するのだと教えていましたが、神社で祭っている神はその多くが天帝ではなく、他の神々つまり下級神です。天照大御神ですら下級神です。

下級神に祈願するより、絶対神に祈願した方が威力は大きいでしょう。会社に喩えるなら、課長さんにお願いするより、社長に直訴した方が確実ですし、影響力が及ぶ範囲も広いはずです。

そうすると、神社やお寺で下級神に祈願するというのは好ましくないのか?という疑問が湧いてきます。

家に主神を祭っていれば、神社では「礼拝」するだけでよくなりますが、祭っていないと、神社などに行って「祈り」たくなると思います。
何らかの形で、家に主神を祭り、「同殿同床」(どうでんどうしょう)(これはまた後の方で出てきます)に変えるべきだと思いますが、もう一つの解決策としては、下級神を通して主神を拝むという方法です。
理屈としては、前述のように、一神即多神ですので、下級神でも元に帰れば主神に繋がっているのです。
神社で祈願したい場合には、そこにお祭りしている御祭神を通して、主神に祈願するようにしてみたらいかがでしょうか。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年7月1日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


三鏡解説009 言霊と言語

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月07日

●水鏡「言霊と言語」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg009

 言霊(げんれい)天地を動かすというのは、瑞霊の言霊(ことたま)の事である。言(げん)は三つの口と書く。言語の語は、吾の言と書く。人間は男女共に五つの口をもっている。言霊は天地を動かすけれど、言語は天地を動かすわけにはゆかぬ。

初出:『神の国』大正15年(1926年)2月号

言霊は一般には「ことだま」と読みますが、王仁三郎は濁らない「ことたま」と読ませています。

広辞苑を引くと「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」と書いてあります。たしかに一般的には、言葉が持つ力、という程度にしか思われていないと思います。
しかし王仁三郎が言う言霊とは、その程度のものではありません。

言霊によって宇宙は成り立っており、言霊を使うことで森羅万象を動かすことが可能です。実際に王仁三郎は言霊を使って気象に影響を与える実験をしていたようです。

言霊は七十五声(75種類)あり、それがそのまま言葉になったものが日本語です。
言霊を霊とするなら言葉(言語)は体(たい)です。言霊なら天地を動かせるが、言語では天地を動かせないと王仁三郎は言っているのです。

冒頭の水鏡に書いてあった「言霊天地を動かす」とは、おそらく明治天皇が詠んだ歌を指しているのだと思います。
明治37年(1904年)に明治天皇は次の歌を詠んでいます。〔宮内省・編『明治天皇御集 巻中』大正11年、国立国会図書館デジタルコレクション

「天地(あめつち)も動かすばかり言の葉の誠の道をきわめてしかな」

また、はるか昔、平安時代に紀貫之が古今和歌集の仮名序に「ちからをもいれずしてあめつちをうごかし(略)たけき(猛き)ものゝふのこゝろをもなぐさむるはうた(歌)なり」と書いていますが、明治天皇の歌はそれを踏まえたもののようです。

言葉が人に与える影響力を持っているのは事実です。権力者なら、その一言が社会を左右しますし、凡人でもインターネットが普及した現在では、何気なくつぶやいたその一言が大勢の人に影響を与えることも多々あります。

しかし言語(言葉)が動かすことができるのは人間社会という意味での天地だけであり、自然界に影響を与えることはできません。
自然界を動かすことができるのは言霊です。しかも「瑞霊の言霊」と言っていますが、要するに王仁三郎のような人であれば自然界を動かすことができるというわけです。
私たち凡人はそんなことはできません。しかし言葉が人に影響を与えていることは事実ですので、発する言葉には気をつけたいものです。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年6月27日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック