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三鏡解説008 霊界と神霊界

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月06日

●水鏡「霊界と神霊界」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg008

 霊界とは霊妙な世界という事であって、顕、幽、神三界を総称してしか(注1)いうのである。

 人あり霊界物語を評していわく「書名題して霊界物語という。しかるに記すところは顕現界の事象はなはだ多し。何ぞそれ内容と題名と相応せざる事、かくの如くはなはだしきや」と。これ、霊界の意味を真に知らざるが故の妄評であって、霊界というのは、三界を包含したるものであるから、顕現界の事を記して、ちっとも差し支えないのである。世人のいわゆる霊界というのは、神霊界をさしていうのであって、霊界とはその範囲がよほど狭くなってくる。

初出:『神の国』大正15年(1926年)2月号

注1「しか」…「然り」ということで、「その通り」という意味。

世間一般でいう「霊界」とは、目に見えない世界、死後の世界というような意味で使われていると思います。
ちなみに広辞苑には「(1) 霊魂の世界。死後の世界。(2) 精神およびその作用の及ぶ範囲。精神界。」と書いてあります。
そういう感覚で霊界物語を読むと違和感を感じて、「【霊界】物語なのに、何じゃこれは?」と疑問に思うことになるのです。

第1巻の真ん中までは、いかにも死後の世界というような感じです。主人公(王仁三郎)が霊界へ行き、閻魔大王と出会ったり、亡者が現れたり、水地獄に遭遇したりと、マンガなどにもよく出てくる死後の世界です。
ですがそれ以降は神々の戦争の話となり、神話的な世界観になります。さらに第13巻以降になると舞台がかなり現代的になってきます。

霊界物語の霊界とは、上に書いてあったように、顕界(現界、物質界)、幽界(地獄界、根の国底の国)、神界(天界)の三界の総称で、つまり目に見える世界も見えない世界も全部含めた、この宇宙全体を指すのです。
ここには書いてありませんが、死者が最初に訪れる中有界(ちゅううかい)も当然含まれています。ただしここでは省略して顕・幽・神の三界と言っています。

「世人のいわゆる霊界というのは、神霊界をさしていうのであって」の「神霊界」とは、狭義の霊界であって、王仁三郎用語の幽界・神界のことです。

「霊界」は三界の総称だと言っても、王仁三郎は必ずしもそういう意味で「霊界」という言葉を使っているわけではありません。狭義の霊界(世間一般でいう霊界)つまり三界のうち幽界・神界だけを指す呼び方としても使っています。というより、そちらの方が多いです。
たとえば、

「国祖を地上【霊界】の主宰神たらしめたまいし太古の神代の物語」(第1巻序)
「【霊界】の業といえば世間一般に深山幽谷に入って、出世間的難行苦行をなすこととのみ考えておる人が多いようである」(第1巻第2章)
「今度はだんだん睡気を催しきたり、ふたたび【霊界】の人となってしまった」(第1巻第13章)

これらの「霊界」はみな、現界を含めない、狭義の霊界(神界・幽界)のことです。
「霊界物語」という題名の「霊界」だけが、三界の総称であると考えた方がいいです。

霊界物語は王仁三郎が霊界で目撃した出来事ですが、それがなぜ現界を含めた三界の物語だと言っているのか?
それは霊界と現界は合わせ鏡であり、霊界で起きたことは現界でも起き、現界で起きたことは霊界でも起きるからです。これを王仁三郎用語で「移写(いしゃ)」と呼びます。
(第21巻総説を参照)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm210003

であるから、霊界で目撃したことは、現界でも起きる(あるいはすでに起きた)ので、現界も含めた三界の物語ということになるのです。
ただし霊界は想念の世界であり、霊界における時間・空間は現界のそれとは全く異なります。ですから、霊界で目撃した場所・時間に現界でも起きるということではありません。
時間の順序も前後する場合もあります。

ちなみに幽界という言葉も、王仁三郎は二通りの意味で使っています。地獄界という意味と、幽世(かくりよ)つまり霊界(天界・地獄界)という意味です。

「されど神界【幽界】の出来事は、古今東西の区別なく、現界に現れ来ることも、あながち否み難きは事実にして」(第1巻序)
この幽界は地獄界という意味です。

「高熊山に登るまでに顕界の修行を了え、また幾分かは【幽界】の消息にも通じておったからである」(第1巻第2章)
「そうして中有の四十九日間は【幽界】で迷っておるから」(第1巻第14章)
この幽界は霊界という意味です。

言葉の意味はいろいろあるので、読むときに注意が必要です。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年6月24日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


三鏡解説007 霊界物語は最後の審判書なり

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月06日

●水鏡「霊界物語は最後の審判書なり」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg007

 キリストは、最後の審判を為すために再臨すると云ったが、彼の最後の審判というのは、火洗礼を施す事の謂いである。彼は火洗礼を施さんとして、その偉業が中途にして挫折したため、再び来って火の洗礼を完成せんと欲したのである。

 火洗礼とは、人間を霊的に救済する事であるという事は、既に我が弟子達の周知の事である。

 最後の審判は、閻魔大王が罪人を審(さば)くと同様なる形式において行わるると考えている人が多いようだが、それは違う。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものとの標準を示される事である。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる。そは各自の意志想念の如何(いかん)によるのである。

 標準とは何か。霊界物語によって示されつつある神示そのものである。故に最後の審判は、大正十年十月より、既に開かれているのである。

 バイブルに「また天国の、この福音を万民に、証(あかし)せんために、あまねく天下に宣べ伝えられん。然る後、末期(おわり)いたるべし」とある如く、大正十二年より、支那、朝鮮の順序を経て、今や全世界にこの福音が宣べ伝えられつつあるではないか。

初出:『神の国』大正14年(1925年)10月号

火洗礼というのは001「火の洗礼と水の洗礼」006「我はキリストの再来に非ず」にも出てきました。火=霊、水=体で、つまり霊的洗礼、霊的救済のことです。

「火の洗礼」「水の洗礼」も「最後の審判」も、本来はキリスト教の用語です。
明治以降日本にもキリスト教が広まりましたが、大本神諭に出る「立替え立直し」という概念を、キリスト教の終末論と結びつけて考える人たちがいました。
それで王仁三郎は、キリスト教の思想を用いて、「霊界物語は最後の審判書なり」と教えたのだと思います。

最後の審判というのは、世界の終末の時に救世主(イエス・キリスト)が再臨して、死者を甦らせ、裁きを行い、善人には永遠の生命が与えられ、悪人は地獄に堕とされるという思想です。

日本の仏教的な思想では、死んだらすぐに閻魔大王に裁かれるのですが、キリスト教では死んですぐ裁かれるのではないのです。終末の日まで神のもとで眠っており(諸説あり)、世の終末の時に甦って「最後の審判」を受けるのです。
その最後の審判の時には、閻魔大王が裁くのと同じような形で裁かれると思っている人が多いが、そうではない──と冒頭の水鏡に書いてありました。
もちろん欧米には閻魔大王なんていませんが、日本には閻魔大王という伝統的な信仰があったので、日本のキリスト教徒は(もともと仏教徒ですから)、閻魔大王が裁くのと同じような感じで、つまり生前の行いの善悪によって裁かれるのだ、というふうに思ったのではないでしょうか。

王仁三郎の教えでは、最後の審判とは、天国に行く者と地獄に行く者の「標準」を示すことです。
行為の善悪で裁くのではなく、天国行き・地獄行きの境目となる基準を示し、あとは各自が自由意志によって自ら選んで天国なり地獄なりに行くのです。

それは、霊界は想念の世界だからです。
行為の善悪の基準は、時代や地域によって大きな違いがあります。普遍的なものではありません。人の行為を制約する戒律というものは、普遍的なものではないのです。戒律を破ったから地獄に落ちるというやり方は、普遍的に通用しません。イスラム教の戒律はキリスト教徒にとって何の関係もありません。戒律というものは宇宙の真理とは異なるものであり、その時代・地域の人間を治めるための単なる法律的なものに過ぎません。

普遍的に通用するものは、想念です。
古代人も現代人も、東洋人も西洋人も、天国に行く人の想念は同じです。地獄に行く人の想念も同じです。ついでに言うと宇宙人だって同じはずです。
その想念上の善悪の「標準」を示すことが「最後の審判」なのだと王仁三郎は言っているのです。
誰かが裁くのではなく、自分の想念に従い、自分で勝手に、自分の好きな世界へ進んで行くのです。

霊界物語によって、その標準が示された、それがいわゆる最後の審判だということです。
大正10年10月というのは、霊界物語の口述を開始した月です。このときから最後の審判が始まったということになります。
大正12年(1923年)から海外にも伝えられるようになったと書いてありますが、それは人類愛善会などで世界宣教を開始したからです。

それから百年ほど経ちますが、霊界物語はまだまだ世界に広まったとは言い難いです。日本でさえ広まっていません。未だに「宣べ伝えられつつある」状態です。
しかしデジタル化してインターネットで読むことができるようになったことで、ある程度、広まるための基盤は整ったと思います。


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この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年6月20日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック