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三鏡解説006 我はキリストの再来に非ず

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月05日

●水鏡「我はキリストの再来に非ず」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg006

 人あり、我を目してキリストの再来なりと言う。我が弟子たち、また我を見てキリストの再来なりと信じ、そを我がために名誉なりとさえ考え、バイブルを引証して力説するものあり、はなはだ有難迷惑の次第である。

 彼キリストは、ヨハネによって「彼は火をもって洗礼を施す」と予言されながら、ついに火の洗礼を施すに至らずして帰幽(きゆう)せり。彼の事業は未完成のまま、悪魔の妨害によって中絶せしに非ずや。我の来(きた)れるは神業(しんぎょう)完成のためなり。火をもって洗礼を施さんがためなり。世界くまなく神の福音を宣べ伝えんがためなり。

 しかして我はすでにすでに、全世界に向かって火の洗礼を施しつつあるは、我が信徒らの日夜親しく目撃するところに非ずや。

 わずかに小アジアの一部分(注1)に水の洗礼を施したるキリストをもって我に擬し、栄誉を感じつつある、いとも小さき心の持ち主らよ、今少し偉大なる志をもって我に従え。

初出:『神の国』大正14年(1925年)10月号

注1「小アジアの一部分」…イエス・キリストが活動したパレスチナのこと。

当時、王仁三郎がイエス・キリストの再誕であるように思っていた信者がいたのですが、王仁三郎はそれを有り難迷惑だと言っています。
謙遜して言っているのではなく、自分はその程度の人物ではない、というのです。

キリスト教は世界最大勢力を持つ宗教ですが、教祖のイエス・キリスト自身が世界に広めたわけではありません。キリスト教をここまで広めたのは、その弟子たち(クリスチャン)の2千年間の努力によるものです。
イエス・キリスト自身はパレスチナの地だけでしか活動しておらず、その期間ははっきり分かっていませんが、最大でも3年くらいだろうと推測されています。
わずか3年間しか宣教活動をせず、わずかな人数(数十人?)の信者しか出来ず、最後にはエルサレムで十字架に架けられ処刑されてしまったのです。

もちろん、彼の言葉が弟子たちの魂を揺さぶり、宣教に邁進させ、ユダヤ教の一派を世界最大の宗教に拡大させたという点では、とても偉大な人物です。
ですが、御神業が現在進行中で教勢を拡大させて行っている王仁三郎にとっては自分が、わずかな年数、わずかな信者数の教団のまま殺されてしまったイエス・キリストの再来であるかのように思われることは、はなはだ迷惑だったのでしょう。

この発言から3年後の昭和3年(1928年)3月3日に満56歳7ヶ月を迎えた王仁三郎は、みろく大祭を開き、みろく下生(げしょう)を宣言しました。これはつまり救世主として世に立ったという宣言です。
●大本七十年史 下巻 「みろく大祭」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195402c5111

月鏡の「キリストの再来」の中では、霊界物語で説いたキリストと、ナザレのイエス(つまりイエス・キリストのこと)とは全然別人であると説いています。その説明は後日、該当のブログで行いたいと思います。
●月鏡「キリストの再来」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg365

火の洗礼・水の洗礼については、001「火の洗礼と水の洗礼」にも書きました。

王仁三郎用語では、火の洗礼は霊の洗礼であり、霊界・霊魂の方面の改革です。水の洗礼は体(たい)の洗礼であり、現界・肉体の方面の改革です。


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三鏡解説005 三猿主義は徳川氏の消極政策

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月05日

●水鏡「三猿主義は徳川氏の消極政策」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg005

 見「ざる」、聞か「ざる」、言わ「ざる」、というモットーがある。面倒臭い浮世に処しては、この三猿(さんえん)主義に隠れるのが一番上分別のようにも思われるが、これは徳川氏が、人民を制御した消極政策である。有為なる人間に対する去勢政策である。

 この去勢政策によって三百年の平和を維持しようと努めた陋劣(ろうれつ)な手段である。

 神様のお道はこれに反して、積極主義、進展主義である。人民を盲人(めくら)や、唖者(おし)や聾者(つんぼ)にしておいて、わがまま勝手のことをしようとは、ずいぶん虫のよい話ではないか。

初出:『神の国』大正14年(1925年)10月号または11月号

最後の「人民を盲人(めくら)や、唖者(おし)や聾者(つんぼ)にしておいて」云々は、戦前の版ではそのようになっていますが、戦後の天声社の版では「人民を盲人(もうじん)や、唖者(あしゃ)や聾者(ろうしゃ)にしておいて」というように、読み方が書き換えられています。また八幡書店版ではその部分が削除されています。これは、「めくら」「おし」「つんぼ」という言葉が現代では差別用語とされているための措置だと思われます。いわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)の一種です。

霊界物語ネットでは、戦前の版に書いてあるままで、修正していません。古典に、現代の価値観から見たら問題のある文言が載っていたとしても、それはある意味で当然のことです。その当時の価値観で書かれたものなのですから。
それを必ず修正しなくてはいけないのであるなら、古事記や日本書紀なども書き換えねばならなくなります。

現代を生きる宗教団体としては、現代の教典として出版しているので、差別用語を修正するという現代的対応は必要なことだと思います。しかし霊界物語ネットでは、百年前に王仁三郎という人が書いた古典として載せていますので、修正せずそのまま載せています。

さて、「見ざる・聞かざる・言わざる」と言えば、徳川家康を祭った日光東照宮の厩(うまや)にある三猿の彫刻が有名です。
日本語の猿(さる)という言葉に引っ掛けてあるので、日本で生まれた言葉かと思いきや、実は外国発祥のようです。
中近東あたりにルーツがあり、それが8世紀頃に日本に伝わったようです。

コトバンク「三猿」
ウィキペディア「三猿」

見ざる・聞かざる・言わざるの意味については色々見解があるようですが、冒頭の水鏡の中で王仁三郎は、これを徳川幕府による去勢政策であると指摘しています。
武士(政治家・役人)が不正をしていても見ざる聞かざる言わざるで知らんぷりしていようという、事なかれ主義です。
そうやって、お上に逆らわないようにした、ということなのでしょう。

「神様のお道はこれに反して、積極主義、進展主義である」というのは、四大主義(しだいしゅぎ)のうちの一つの「進展主義」です。先に進んでも後には城ぞかないという教えです。
四大主義は、清潔主義、楽天主義、進展主義、統一主義の四つあり、
こちらに↓簡単な解説があります。(『王仁文庫』の一節)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=Z9029

ところで、江戸時代の三猿主義は消極主義の去勢政策なのだとしても、別の意味での三猿もあるのではないかと思います。
霊界物語第1巻第19章「盲目の神使」の真ん中あたりに次のようなエピソードが記されています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0119

霊界を探検する王仁三郎の前に、盲目の天使が現れ、王仁三郎を地の高天原へ道案内します。
狭い道に、いろいろな大蛇や毒蛇が横たわっているのですが、天使は目が見えないため、平気でその上を歩いて行きます。
マムシがいても狼が足にかみつきそうになっても、平気で歩いて行くのです。
しかし王仁三郎は目が見えるため、蛇や狼が目に入り、恐怖心が起こって進むことを躊躇しました。
ですが、天使が歩いて行く通りについて行けば問題はないだろうと思い、こわごわと後をついて行きます。
そのとき天の一方から何者かの声で、「目の見えざる者は幸いなり」と聞こえて来ました。
峠の頂上に登り着いて王仁三郎が思ったことは──世界のことは、目を開けぬ方がよい、たとえ見えても見えないふりをした方が無難である──ということでした。

神の道を歩むのに邪魔になる情報は見ざる聞かざる言わざるということです。
余計なことを知って悩んだり、怖れたりするのであれば、知らない方がいいでしょう。
今はインターネット時代ですが、インターネット上には怪情報が蔓延しています。福島原発事故の時には、ネットの怪情報を読みあさって精神的に不調になり、体調もおかしくなった人が大勢いました。放射能病ではなく、放射能情報病です。
乱雑な情報を処理することが出来ずに精神不調になるのであれば、見たり聞いたりしない方がいいです。また、そんな情報は発信すべきではありません。
そういう、瑞垣としての意味での三猿もあると思います。


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