月別アーカイブ: 2020年9月

三鏡解説026 物忘れと無我の境地

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月23日

●水鏡「物忘れと無我の境地」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg026

 物を聞いてすぐ忘れてしまうとて、心配する人があるけれど、それはかえって結構な事である。善き事はみな血管に吸収されて霊の糧(かて)となるのであるから、これが真智となって必要な場合に現れて来るのである。

 覚えているような事はカスであって、それは神経系統の中に吸収されるのである。人間が浄化すれば浄化するほど、聞いたよい事は、ずんずん血液の中に吸収されて、意識の中に沈んで行く。

 かくて血液中に吸収されたるものは、必要の場合には現れて来るが、平素は出て来ない。これが無我の状態である。

初出:『神の国』大正15年(1926年)9月号

これはなかなか理解しがたいことを言っています。
聞いたことを忘れてしまっても、潜在意識(無意識)が覚えている…というのであれば、一般的に理解可能でしょう。
しかし、善きことは血管に吸収されて霊の糧になる…というのです! なんだか意味がよくわかりません。

これは「赤血球は霊である」ということと関係があると思われます。
血に関することをいくつかピックアップしてみました。

●水鏡「白血球と赤血球」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg225
 白血球は体(たい)の養(よう)を司るものであり、赤血球には霊が充満している。また霊の交通運輸の役目もする。赤血球百に対して、白血球一の割合が普通である。二千対一くらいになると体が弱い。

●玉鏡「霊と血」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg738
 霊は血液を機関としている事は毎度言う通りである。水死者などが死後数十時間を経過したる後、父母兄弟など身寄りの者の来る時は、鼻孔等より血液の流れ出づるものである。これは霊と霊との感応作用が起こるからである。

●玉鏡「血」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg740
 血の色は心の色である。赤き心などと昔からいうが、赤血球は霊そのものであるというてもよい。
 心の変化はすぐ血の色に影響するもので、羞耻(しゅうち)の念が起こると一遍に顔色が赤くなり、心配事に遭遇すると蒼白色になる。そのたびごとに血液は色を変ずるのである。
 ふとした出来事より悪漢が善心に立ち帰るという事があるが、その時はパッと一度に血液が色を変ずるので、面(おもて)が輝いて来るのである。

このように、赤血球は霊そのものだというのです。
王仁三郎は「霊」を「ち」とも読ませていますが、それは赤血球が霊だからです。
これまた意味がよくわからないかも知れませんが、そういうものだと思って下さい。

「善き事はみな血管に吸収されて霊の糧になる」と一番最初に書いてありましたが、それはこの赤血球に吸収されるという意味だと思います。
科学的には「脳が記憶する」のですが、王仁三郎的には霊が記憶することになります。
ただしそれは外分的な知識ではなく、内分的なことだと思います。
外分の知識は、やはり脳が記憶するのではないかと思います。
内分とは、霊徳というか、智慧証覚というか、霊格を高めるようなものです。
脳ではなく、霊が吸収して覚えているので、死んで肉体が滅びても、そのまま霊が覚え続けているわけです。


三鏡解説 目次


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年7月18日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


三鏡解説025 悲劇と喜劇

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月22日

●水鏡「悲劇と喜劇」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg025

 私は悲劇は嫌いである。さなきだに(注1)人生は苦しみが多いのであるに、わざわざ銭(ぜに)まで出して暇をつぶし、泣きに行く必要がどこにある。喜劇は心を晴らす。時々見ると気分が転換する。

 私は子供の時に定九郎(さだくろう)が与市兵衛(よいちべえ)を殺すところの芝居(注2)を見せられてから、すっかり劇というものが嫌いになった。

(注1)「さなきだに」は「そうでなくてさえ」〔広辞苑〕の意。
(注2)仮名手本忠臣蔵の五段目で、斧定九郎が与市兵衛を殺して50両を奪うシーン。

初出:『神の国』大正15年(1926年)9月号

王仁三郎は悲劇が嫌いということなので、「ハムレット」なんて全く嫌いなんでしょうね。

しかし悲劇が嫌いだということは、べつに宗教的にどうのこうのということではありません。

ただ単に、明るい人は暗いものを好み、暗い人は明るいものを好む傾向がある、ということのようです。

王仁三郎は次のようなことも言っています。

●月鏡「日本人と悲劇」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg258

 日本人は概して悲劇を好む。故に浄瑠璃などはほとんど悲劇的である。日本人は本来性情(せいじょう)が極めて陽気であるにより、かえって反対に悲劇を好むのである。

 昔は花見、紅葉見(もみじみ)と同じように、枯野見(かれのみ)、虫聞き、鹿聞きなどの行事があって、淋しい枯野を見て限りなき感興を覚えるなども、日本人が極めて陽気なる反映である。

 西洋人などは反対に性質が陰気であるから、陽気な音楽や、ダンスなどを好むのである。

ということは、悲劇が嫌いな王仁三郎は性質が陰気だった??

というよりは、苦しいことが多い人は楽しいことを好み、楽しいことが多い人は悲しいことを好みやすい、ということではないでしょうか?
人生に苦難が多い人は、お化け屋敷に行ったりホラー映画を見たりしないと思います。日頃苦しい目に遭っているのに、お金を払ってレジャーで苦しい目に遭おうなんて思わないでしょうね。たいていは「楽しい所に行きたい」と思うことでしょう。

最初の水鏡に「人生は苦しみが多いのである」と書いてありましたが、王仁三郎の人生もまた苦労の連続でした。
それで「悲劇は嫌いだ」という発言が出たのではないかと思います。

ところで霊界物語は喜劇でしょうか? 悲劇でしょうか?
それは、両方の側面があると思います。
全体としてはミロクの世に向かっているのでしょうから、喜劇なんでしょうけど、個々のエピソードで見ると、悲劇な場面も多々登場します。

しかし高姫を始めとする悪党がコミカルに描かれていたり、ダジャレ・言葉遊びの要素が多数あったりと、なるべく笑える物語に仕上げているのだと思います。
ゲラゲラ腹を抱えて笑うような場面はありませんが、読めば陽気になれる物語だと思います。


三鏡解説 目次


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年7月15日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


三鏡解説024 和歌と調

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月21日

●水鏡「和歌と調(しらべ)」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg024

 歌というものは、河水(かすい)の流るるように滞(とどこお)りなく、すらすらと調(しらべ)が流れねばならぬ。

 下(しも)の句から上(かみ)の句にかえって行くような歌は歌として面白くない。歌は歌うものであるから、そのことをよく考えて、どこまでもすらすらと調(しらべ)がよいように詠まねばならぬ。

 詩になれば少々どうなってもよいものである。

初出:『神の国』大正15年(1926年)8月号

一般には「和歌」ではなく「短歌」と呼ぶ場合が多いのではないかと思いますが、王仁三郎は「短歌」とは呼ばず「和歌」と呼んでいます。

少し細かいことを言うと、「和歌」というのは「長歌(ちょうか)・短歌・旋頭歌(せどうか)・片歌などの総称」〔広辞苑〕なので、五七五七七、計三十一文字の歌は「短歌」と呼ぶのが厳密な言い方のようです。

「長歌」というのは、五七、五七が繰り返される五七調です。古事記・日本書紀・万葉集に多く記されています。
古事記の最初の歌は須佐之男命が須賀の宮で詠んだ八雲神歌ですが、二番目の歌は長歌です。八千矛神(大国主)が妻(の一人)沼河比売(ぬかわひめ)の家で呼んだ歌です。

霊界物語に出る宣伝歌は、七五、七五が繰り返される七五調です。
霊界物語には無数の歌が記されていますが、短歌か七五調のどちらかです。

「下(しも)の句から上(かみ)の句にかえって行くような歌は歌として面白くない」と書いてありましたが、私は歌に詳しくないのでどういう意味かよく分かりません。
倒置法が使われているような歌でしょうか?

三鏡の中では他に次の箇所で和歌について教えています。

●月鏡「和歌について」…「歌を詠む秘訣は水の流るるがごとく、ただ安らかにと云うのにある」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg428

●玉鏡「明るいのが歌」…「和歌即ちうたは敷島の道で風雅の芸である」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg699

●玉鏡「伊勢物語と和歌」…「和歌を詠むものは伊勢物語をよく読まねばならぬ」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg700

●玉鏡「悠々自適」…「和歌は大和魂を練る最も穏健な方法である」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg708


三鏡解説 目次


三鏡解説023 毒と薬

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月20日

●水鏡「毒と薬」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg023

 毒にならぬものは薬にもならぬ。毒もうまく使えばたいした働きをするものである。毒にならぬものは、ただ自分だけの事が出来るくらいのものだ。

 「聖師様のそばには悪魔ばかりがついている」と罵るものがあるそうだが、よし悪魔であっても差し支えないではないか。

 毒になるものは薬になる。

 かのいわゆる善人なるものは、ただ自分の自身を救う事が出来れば関の山だが、悪魔が一朝大悟(いっちょうたいご)徹底改心すれば、多くの人を救う働きをするものである。

 鬼も大蛇(おろち)も救わにゃならぬこの神業に、尻の穴の小さい、毛嫌いばかりしていて、他人を悪魔扱いにする人達が、信仰団体の中にも沢山あるのは歎かわしい事である。

 また、悪魔を料理し得る人才が、いかにもすくない事も、歎かわしい事の一つである。

 お人の好(よ)いばかりが能でもない。私は本当に骨が折れる。誰か私に代わって鬼も大蛇(おろち)も料理するという偉才が早く現れないものかなあ。

 この「わに口(ぐち)」(注・王仁口、つまり王仁三郎の口のこと)は、鬼や大蛇(おろち)はまだおろか、どんな骨の堅い、腕っぷしの強い獣物(けだもの)でも、噛みこなすだけの強い歯を持っているつもりだ。御心配御無用。

初出:『神の国』大正15年(1926年)8月号

これは王仁三郎の器の大きさがよく分かる教示です。
自分のテリトリーにどれだけ悪を含めることができるかどうか、ということだと思います。

悪とは何か。
自分に都合の悪いものはすべて悪です。
犯罪者、という狭い意味ではありません。
本質的にその人が悪い人かどうかではなく、自分にとって不都合な人です。
ですから、性格の合わない人とか、自分と価値観の異なる人などもそうです。

ふつうは、悪を排除して、自分のテリトリーから追い払い、きれいにするわけです。
嫌な人は避け、身近にいないようにして、自分が住みやすいようにするわけです。

そうして悪を排除していくと、同じような人だけが寄り集まった同質社会になります。
同質社会はやがて活力を無くして滅びます。地域社会でも、会社でも、宗教団体でも、国家でも、すべてそうです。衰退して行きます。

人々は自分たちの「常識」に従って動いていますが、その常識に問題があるから社会が衰退するのです。
常識に異議を唱える異質な者が、社会を変革に導くのです。

しかし変わり者は社会から嫌われます。みんな「常識」に従って動いているのに常識外れなことをする人は煙たがられるのは当然です。
そういう人を排除せずにうまく使って、何らかの役割を与えると、社会の活性化・変革の大きな原動力となるのです。

毒はたくさん使ったら毒ですが、少しだけ使うと薬になります。
その毒の使い方を、王仁三郎はよく心得ていたのでしょう。
毒の使い方、悪の料理の仕方はここには書いていませんが、霊界物語に物語という形で教え示されています。


三鏡解説 目次


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2019年7月11日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


三鏡解説022 小さいタンポポ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年09月19日

●水鏡「小さいタンポポ」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg022

 大正十年二月の頃、皆の知っている通り私は京都監獄におった。

 ある日の散歩に、枯草の中に咲いている一輪のタンポポを見出した。

 ああ、その一輪の花。それによって私はどのくらい慰められたか分からなかった。

 何という愛らしい花であろう。冬の寒い長い間、百草(ももぐさ)も枯れて何もないように見えるこの花が、春の光を浴びると、眠った如く見えた根からは青い芽が出で、葉が伸び、やがてはあの豊醇な乳を持った美しい、黄色や白い花が咲くのである。

 何だか私の境遇に似ているようである。

 私は思うた。たとえこの度のことによって大本が潰れたとて、五十七才になったらまた元の六畳敷から初めよう。教祖様は五十七才にして初めて立たれたのだから……。

 かく、この一輪の花によって慰められつつ、日を送っているうち、やがて春の最中になって、そこら一面タンポポの花をもって埋(うづ)めらるるようになって来た。何らの慰めをも持たぬ囚人たちは、いかにこの花によって慰められたことであろう。朝(あした)に夕(ゆうべ)に花は囚人の唯一の愛の対象物であった。

 しかるに、心なき園丁(えんてい)は掃除をするのだと言って、みな、この花を引きむしってしまった。

初出:『神の国』大正15年(1926年)6月号

これは王仁三郎が第一次大本事件で収監された時の思い出です。
大正10年(1921年)2月12日、王仁三郎は検挙され、京都監獄に収監されました。容疑は不敬罪及び新聞紙法違反です。

京都監獄とは、今の京都刑務所(山科区東野井ノ上町)のことです。昭和2年に現在地(京都市街地の東端)に移転しましたが、それ以前は市街地の真ん中、二条城の西側(上京区主税町の辺り)にありました。
大正10年時点では「京都監獄」という名称ですが、翌年の大正11年10月に「京都刑務所」に改称されています。

監獄(刑務所)に収監されたというと、あたかも犯罪者のような印象を持ってしまいますが、厳密に言うと監獄ではなく、監獄に併設されている未決監(みけつかん)です。
未決監とは今の拘置所のことで、刑が確定する前の容疑者・被告人を収容しておく施設です。ですから無罪の人もいるのです。(現在でも各地の刑務所に拘置施設として「拘置支所」が併設されています)

王仁三郎は第一次大本事件では7ヶ月強(大正10年2月12日~6月17日の126日間と、大正13年7月27日~11月1日の98日間)、第二次大本事件では6年8ヶ月(昭和10年12月8日~17年8月7日)収監されていましたが、全て未決囚として未決監に収監されていました。
王仁三郎が刑罰を受けて罪人として収監されたことは一度もありません。受刑囚ではなく、あくまでも裁判中の未決囚です。
罪が確定していない未決囚とはいえ、実質的に罪人扱いされ、自由を剥奪されるのですから、苦しい毎日だったと思います。

「教祖様は五十七才にして初めて立たれた」とは、天保7年12月16日(西暦1837年1月22日)生まれの出口直に、艮の金神が懸かった明治25年(1892年)1月30日(旧元日)が、数え年で57歳(天保7年=1836年から数える)だという意味です。
満年齢だと、あと8日で55歳になります。
今の55歳はまだまだ若いですが、当時は平均寿命が55歳くらいの時代です。ですから今の70代くらいの感じでしょうか。かなりの高齢です。そんな高齢にもかかわらず、神様の御用に仕えるため立ち上がったのです。

大正10年(1921年)2月12日に収監された時、明治4年(1871年)7月12日(新暦8月27日)生まれの王仁三郎は、数えで51歳、満年齢だと49歳5ヶ月半です。
寒い冬にも負けない一輪のタンポポを見て、自分も大本事件で潰されたとしても、57歳から再びやり直そう…と王仁三郎は思ったわけですが、とてもエネルギッシュです。
現代なら、たとえば70歳で冤罪で捕まり、今まで築き上げて来た事業を国家権力やマスコミに潰されて、それでも『人生まだまだこれから』と思えるかどうか。
私は……そもそも潰されたくないですね。
いや、しかし、そんな、大きな運命の波から逃げるような気持ちでは、大事業を成し遂げることは出来ないのでしょう。

ところで「タンポポ」の文字ですが、このブログでは読みやすいように片仮名で「タンポポ」に変えてしまいましたが、原文では漢字で「蒲公英(たんぽぽ)」になっています。

あまり見かけない文字ですが、調べてみると、これは中国語の「蒲公英」にタンポポという言葉を当てた当て字です。開花前のタンポポを漢方で「蒲公英(ほこうえい)」と呼ぶそうです。
●語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/ta/tanpopo.html


三鏡解説 目次