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言向和(38) 恐怖や憎悪のコントロール

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月30日

「言向け和す」が現実の社会でどのように顕れているのか、いくつか例を挙げて説明して来ました。
「言向け和す」とは「敵と友達になる」ことですが、それらの例を眺めて見ると、「敵と友達になる」ということがどういうことだか、何となくご理解できたかと思います。

とはいえ、そういうことがそう簡単に実践出来るわけではありません。
紹介して来た例は、結果的に言向け和すことが出来たのであって、どうしたらそれが出来るのか、という点ではあまり参考にはなりません。同じようなケースが自分自身に起きても、それと同じような対応が出来るかどうか分かりません。
それが簡単に出来るのなら、地上にはとっくの昔に戦争がなくなっていることでしょう。

しかし第二次大戦後は、人間のマインドに関するテクノロジーもかなり進歩しましたので、「言向け和す」に役立つ実用的な技法もかなり開発されているようです。
それをこれから紹介して行こうと思うのですが、私もまだまだ勉強不足ですので、たいしたことを紹介できるわけではありません。

「言向け和す」に役立つ情報がありましたら、ぜひ教えて下さい。よろしくお願いいたします。


憎んだら負け

世界各地でテロの嵐が続いています。
テロる理由は、たいていは何かに対する復讐ですが、そのテロがまた新たな復讐を招きます。
この復讐の連鎖を断ち切らなくては地上に平和は訪れません。

『妻失い…なぜ「テロリスト憎まない」のか?』
という記事があります。
http://www.news24.jp/articles/2016/07/06/07334587.html

2015年のフランス・パリのテロで妻を亡くしたアントワーヌ・レリスという人への取材記事です。
この人は『ぼくは君たちを憎まないことにした』という本を書いています。
http://amzn.to/2wHPztn

この記事を読むと、次のように発言していました。

「“憎しみ”という言葉を使うと、“憎しみ”がそのドアから入ってきて、人生の色をすべて白黒に染めてしまう気がしました。その危機から私は家族を守りたかったのです」

なるほど。
敵を憎んだら「負け」ということではないでしょうか。
妻を殺されただけではなく、人生すべてを犯人によって支配されてしまうことになります。
それは癪に障りますね。

真に戦わなくてはいけない相手は、「敵を憎め」という、悪魔の誘惑の声なんだと思います。

レリスさんは、

「この間、息子と涙が出るほど、笑い転げたとき、昔と同じ笑い方だなと気付きました」

と語っていますが、敵を憎んだら、一生、憎しみに支配され、もはや心の底から笑うことなど出来なくなってしまうことでしょう。

そして、

「理性で乗り越えようと努力しています」
「恐怖を受け入れ、理性と明晰さをもって、それを支配するしかない」

とも語っています。

ある意味、さすが近代的自我を作り上げたフランス人らしく、意識(自我)で無意識に潜む恐怖をコントロールして行こうとしているように感じます。

   ○   ○   ○

アンガーマネジメント

怒りの感情をコントールするトレーニング法に、「アンガーマネジメント」というものがあります。

「殴ってやりたい」と思ったら6秒待て、というのです。

企業研修にも取り入れられているので、いろいろなノウハウがあるんだと思いますが、詳しいことはこちら↓をお読み下さい。

●日本アンガーマネジメント協会
https://www.angermanagement.co.jp/

●「すぐ怒る人に教えよう!アンガーマネジメントで学ぶ怒りやイライラのコントロール」
http://nurse-riko.net/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88/

上記の日本アンガーマネジメント協会のサイトによると、アンガーマネジメントとは「1970年代にアメリカで始まったアンガー(イライラ、怒りの感情)をマネジメント(上手に付き合う)ための心理教育」です。
https://www.angermanagement.co.jp/about

イライラ・怒りの感情と上手に付き合う方法、ということで、「感情が爆発しやすい」人に向けた感情コントロール法ではないかと思います。

アメリカ人と言えば「すぐキレる」というイメージが強いですが(笑)感情がすぐ爆発して人間関係に支障を来たして困っている人が多いので、こういう方法が必要とされたのではないでしょうか。

もちろん、誰でも多かれ少なかれ、怒りを持つことは日常的にありますので、学んでおくと役に立つはずです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年7月6日号 及び 2016年5月11日号

言向和(37) 敵と友達になる─仮面ライダーフォーゼと塩田剛三

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月28日

子ども向けのテレビドラマやアニメには勧善懲悪物をよく見かけますが、天に代わって悪を成敗するようなドラマの中にも、たまに「言向け和す」を見つけることができます。

今回は『仮面ライダーフォーゼ』の最終回を紹介します。

「フォーゼ」は仮面ライダーシリーズの誕生40周年記念として作られた作品で、2011年9月から一年間放送されました。

私立高校が舞台の学園青春ドラマ風になっています。
主人公は高校二年生の如月弦太朗(きさらぎ げんたろう)。
天ノ川学園高校に転校生としてやって来ました。
リーゼントに短ランという、大昔の(私の少年時代ですが)ツッパリスタイルです。

弦太朗は転校早々、教室で
「この学校の生徒全員とダチ(友達)になるッ」
と宣言します。
この弦太朗が仮面ライダーに変身して、学園の平和を乱す悪の結社「ゾディアーツ」と戦うのです。
設定は学園ですが、お馴染みのバイクや、採石場での特撮シーンももちろん出てきます。

さて、その最終回です。
悪の親玉は、何と学園の理事長でした。
卒業式の場に弦太朗をはじめ仮面ライダー部の部員が集まります。
弦太朗は必殺技の「青春銀河大大大ドリルキック」を理事長に喰らわして倒しました。

「この私が負けた…」と茫然自失している理事長に、弦太朗はニコリと笑います。
そして、「ダチ(友達)になってくれ、理事長」と手を差し出すのです。

この一言が理事長の心を変えました。
改心した理事長と弦太朗は握手を交わして友情を結ぶのです。

しかしもう肉体的限界に達した理事長は消滅(死)の前に「君たちがプレゼンター(宇宙人)に会ってくれ」と頼み、自分が叶えなかった夢を弦太朗たちに託します。
弦太朗は「わかった。約束する」と誓いました。
そして静かにその場を立ち去る理事長に敬意を表して、弦太朗はじめライダー部の部員たちは深々と礼をして見送りました──。

という話です。
いくら子供向けのドラマとはいえ、ある意味ではとても日本的なシナリオかも知れませんね。
アメリカのヒーロー映画には絶対にあり得ない展開ではないでしょうか。
欧米的な価値観では、悪は根絶するものであり、悪党と友達になるということは、正義のヒーローが悪に成り下がることを意味します。

ですがフォーゼ(如月弦太郎)の場合は決して自分が悪党になったわけではありません。
それはおそらく──フォーゼに負けて、悪の固い仮面を脱ぎ捨てて一人の人間となった理事長に、正義のヒーローとしてではなく、一人の人間として「ダチになってくれ」と手を差し出したのだと思います。
今まで敵だと思っていた如月弦太郎が、自分を差別せずに、友情を結んでくれる・・・
そういう態度に理事長の心は和されたのではないでしょうか。

詳しいストーリーはこちらをごらん下さい。
http://mboverdrive.blog93.fc2.com/blog-entry-1209.html
http://blog.livedoor.jp/jerid_and_me/archives/52033410.html

   ○   ○   ○

このフォーゼの最終回を読んで「いや、これは子供向けだから」と思った人も多いと思います。
そうですね、大人向けのドラマでこのエンディングでは、ちょっと、どうでしょうか。
子供向けだから、こういうエンディングもアリなのでしょう。
親は子供同志がケンカすると「仲直りしなさい」と怒りますもんね。そういう教育的指導がシナリオに込められているのかも知れません。

しかしよく考えてみると、なぜ子供には「仲直りしなさい」と言うクセに、大人はケンカしても仲直り出来ないのでしょうか?
子供に「仲直りしなさい」と怒る親が、夫婦喧嘩の挙げ句に離婚していたのでは、シャレになりません。
「嫌いな奴とは縁を切りなさい」と身をもって教えていることになるのです。

子供に怒るクセに、自分はケンカした後、仲直り出来ないのです。
それもそのはず。
どうやって仲直りしたらいいか分からないからです。
自分のこの腹立たしい気持ちをどう静めたらいいのか。
相手の怒りや悪意をどうやって静めたらいいのか。
そ~んなことは誰も教えてくれません。親も学校も教えてくれません。
しかし、自分が出来なくても子供には「仲直りしなさい」と怒るのは、人間の魂の中に「みんなと仲良くしたい、仲良くしなくてはいけない」という痛烈な想いが先天的にセットされているからです。

ではどうしたら仲良く出来るのか、ケンカした奴と仲直り出来るのか、その技が「言向け和す」です。

   ○   ○   ○

「敵と友達になる」という、ある意味では子供じみたことを、平気で言ってのけた大の大人がいます。
合気道の達人・塩田剛三(1915~1994年)です。
彼は合気道開祖・植芝盛平(1883~1969年)の直弟子であり、養神館合気道の創始者です。(詳しいことはウィキペディアを見て下さい)

「超偉人伝説 神様と呼ばれた男 合気道塩田剛三伝(2/2)」
https://youtu.be/HTXwmGDrkBc
このユーチューブ動画の2:22あたりから、塩田剛三の子息の塩田泰久氏が、父親の強さの秘密について次のように語っています。

すぐ一つになっちゃうんですよね。誰とでも親しくなれるし、悪い人でも、自然と一つにしてしまう。それが一番、集中力をたくわえた原因だと思っています。

そしてそれに続いてナレーターが次にように語っています。

(塩田剛三が)弟子の一人に「先生、合気道で一番強い技は何ですか?」と聞かれ、こう答えた。
「合気道で一番強い技、それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」

自分を殺しに来た相手と友達になる。

これはまさに「敵と友達になる」ということであり、「言向け和す」の精神です。

実は塩田剛三は王仁三郎をあまり評価していなかった…という情報もあるのですが、「言向け和す」の精神は植芝盛平を通して、しかっりと孫弟子に受け継がれているようです。

この動画を見た人かも知れませんが、ヤフー知恵袋で「自分を殺しに来た相手と友達になる技ってどういう技?」という質問をしている人がいました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197684001

それに対して何人もの人が答えていますが、精神論もあり、技術論もあり、人それぞれ色々な意見が出ています。

しかし言うまでもなくこれは合気道という道場の中だけの話ではなく、人間の人生、社会生活の中で用いられる「技」であります。
時には、手も、足も使わず、口(言葉)さえも使わずにその技を使わねばならないこともあります。

そしてその「自分を殺しに来た相手と友達になる」技を極めたら、もう世界に恐いものは何もなくなることでしょう。

それは宗教が目指す「安心立命」の境地であると言っていいかも知れません。

それがミロクの世の境地です。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年3月16日号 及び 2016年8月10日号

言向和(36) ヤクザと友達になった話

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月27日

前回に引き続き「悪を抱き参らせた」というような例を紹介します。

山元加津子さんという、石川県で養護学校の先生をしている女性がいます。
通称「かっこちゃん」です。
彼女がメルマガに書いていた話を紹介します。
かっこちゃんが「ヤクザと友達になった」話です。

オフィシャルなところには載っていないようなので、こちらのブログに転載されているものを読んで下さい。
「かっこちゃんのメルマガより。「お友だちのやくざさんのこと」」(さゆら日記)
http://nekonosatochan.blog89.fc2.com/blog-entry-507.html

その概略だけ紹介します。

かっこちゃんは東京に来たとき、電車に乗るために、山手線のホームで待っていました。
電車が入ってきて、車両のドアが開くと、そこに驚くべき光景を見ました。
何と、上から下まで黒ずくめの服装のヤクザが、若い学生の襟首を掴んで殴っていたのです。

そんな光景を目撃したら、皆さんだったらどうしますか??

見なかったことにして別の車両に移りますか?

それとも駅員や警察に通報しますか?

勇気のある人なら、そのヤクザに直接言うかも知れませんね。
「弱い者いじめするな」と。

悪に遭遇した時に人が取る態度は、通常は「逃げる」か「戦う」かどちらかです。(第23回参照)

見なかったことするのは「逃げる」だし、通報したり直接注意したりするのは「戦う」です。

しかし、そのときかっこちゃんが取った態度は違いました。

何と、そのヤクザをハグして
「大丈夫、怖くないよ、怖くないよ、大丈夫です」
と声をかけたのです。

あまりにも意表を突くやり方ですね。
しかし意図的にやったのではなく、自然にそういうことをしたそうです。

すると、かっこちゃんを睨み付けたそのヤクザの目から、驚いたことに涙がポロポロとこぼれ落ちたのです。

そしてヤクザが、
「自分は極道だ。どうしてそんなことするんだ?」
と聞くので、かっこちゃんは
「とっても、つらそうだったから」
と答えると、何と彼は「オー」と声をあげて泣き出したのです。

このとき何らかの理由でこのヤクザの心は和されたのだと思います。それで泣いたのでしょう。

その後いろいろあって、かっこちゃんはそのヤクザと文通友達になるんですが、詳しいことは前述のブログを読んで下さい。

前回のJINGAさんの例と同様に、かっこちゃんはハグをして、悪党(ヤクザ)を抱き参らせてしまったのです。
あるいは「態度で言向け和した」とも言えるでしょう。

悪党なんですから、警察に突き出すとかして、成敗してもいいのですが、しかし、そうではない方法をかっこちゃんは取ったのです。

どうしてそういう態度を取ったのか、それには事情があります。
その頃かっこちゃんは学校(養護学校)で、ある女の子の担当になって毎日一緒にいたんですが、その子はとてもつらいことがあると、他人の髪の毛をギューと引っ張ったり、殴ったり、ピアノだとか物をドーンと倒したりするのです。
それでも気持ちが収まらないと、自分の顔をバンバン殴ったりします。

養護学校の子でなくても、誰でもそういう体験があるのではないかと思います。
腹が立って、イライラして、どうしようもないとき、部屋の物を壊したり、身近な人にひどいこと言って八つ当たりしたり・・・

そういうとき、かっこちゃんはその子を「大好き」と言ってギューと抱きしめて「大丈夫、怖くないよ」と言ってあげると、だんだんと落ち着いて来るそうです。

そういう子と毎日学校で一緒にいたので、おそらく、その子と、ヤクザとが、重なって見えたのではないかと思います。

それで無意識のうちにハグして「大丈夫、怖くないよ」と言ったのです。

こんなことは意識的には、なかなかできるものではありませんし、意識的にやったとしても、果たして効果があるかどうか分かりません。
前回のJINGAさんの例と同様に、自然に体が動いたのです。

これは悪に立ち向かう態度の「第三の道」として、とても考えさせられる話です。

戦うのでもなく、逃げるのでもなく、友達になってしまう。

友達になると言っても、お茶のみ友達とか、酒飲み友達とか、そういう意味での友達ではありません。
ハートが、いや魂が繋がった関係、とでも言えばいいのでしょうか。

そういう関係になることで、相手に(そして自分にも)何らかの心的変化を与えているのです。

敵対している状態だったら、そんな変化は起こせないでしょう。
敵対関係を超えたからこそ、できたことだと思います。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2013年10月28日号 及び
「言向け和すメールマガジン」2016年3月2日号

言向和(35) 悪を抱き参らせる

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月26日

出口王仁三郎が創始した大本からは色々な新宗教が派生していますが、その一つに「日月神示」があります。
詳しくはウィキペディアを見て下さい。

その日月神示に「悪を抱き参らせる」というフレーズが出て来ます。

「抱き参らす」と言っても、敵の体を抱き締め、プロレス技をかけて降参させる…という意味ではありません。(^_^;)

ネットを探っていたら、悪を抱き参らせる体験をした人を見つけました。
次のブログに書いてあります。

「悪を抱き参らせる体験」(真日本建国)
http://jinga123.blog118.fc2.com/blog-entry-20.html

ブログ主はJINGAさんという人です。

詳細はブログを直接読んでいただくことにして、概略だけ紹介します。

──JINGAさんがあるセミナーに参加したとき、参加者の一人、Aさんの言動が突然おかしくなりました。
目がうつろになり、舌なめずりをし、言葉遣いが荒くなり、語尾に「~じゃ」をつけてしゃべるようになったのです。
そしてJINGAさんに対して、シャドーボクシングのように殴るマネをして来ます。

JINGAさんは手を出さず、腕組みをしてAさんを見つめました。

Aさんはしきりに挑発し、「お前、殴ってみろ」と言い出しました。
それでも手を出さないJINGAさんにしびれを切らし、JINGAさんの手を取ると、自分(Aさん)の頬にパンチを入れ始めたのです。

JINGAさんは無性に切なくなり、「もういい、もう自分を痛めつけるのはやめろ」という想いでいっぱいになりました。
それは乱暴者を息子をなだめる母のような心境でした。

そのときJINGAさんは、足を一歩踏み出して、Aさんをハグしたのです。

なぜそうしたのかはわかりません。
そしてAさんの背中をポンポンと叩き、その頭を撫でました。

するとAさんは
「おお、すまなかったのう。大丈夫か?」
と言って、JINGAさんの髪の毛を直してくれたのです。

その後Aさんの体は脱力して、催眠術にかけられたかのように、後ろにスーと倒れました。
JINGAさんはAさんの体を、そっと床に寝かすと、横にしゃがみこんで、胸をポンポンと叩きながら、まるで子供を寝かせつける母親の心情になっていました。
それはすごく切ない気持ちでした。

──という体験です。

半ば狂乱状態の人を落ち着かせたわけで、これは「言向け和す」そのものだと思います。

JINGAさんは、最後に次のように書いています。

──先に手を出さない。こちらから攻撃をしない。相手の手に乗らない。
何があっても、何を見ても、絶対に真コトを貫く。
排除するのではなく、抱き参らせる「親の愛」が大事である。──

全く「言向け和す」ですね。

このときJINGAさんは何かを意図して動いていたのではなく、無意識的に動いていたようです。

狂ってる人を意識的にハグすることはなかなか難しいと思います。恐いですからね。
この時は、自然と体が動いたからできたのでしょう。

ハグをした、ということで、文字通り「悪を抱き参らせた」のです。

   ○   ○   ○

実際に物理的なハグをしなくても、悪を抱き参らしてしまうケースもあります。

ときどき次のようなニュースが報道されます。
民家に強盗に押し入ったのに、その家の一人暮らしのオバチャンに説教され、結局何も盗らずに逃げた、という事件です。

「間抜けな強盗」ということで報道されるのですが、しかしそのオバチャンって、どんな人なんでしょうかね?
もちろんケースバイケースでしょうけど、強盗に対して正義感を発揮して勇敢に立ち向かって撃退した男勝りのオバチャン・・・というよりはむしろ、下町の人情オバチャン的な姿を私は思い浮かべます。

つまりその強盗が自分の子供のような年齢で──こんなバカなことをして人生台無しでしょ、親に迷惑かけないでマジメに働きなさい・・・みたいなことを説教している姿が目に浮かびます。

さすがにハグはしないでしょうけど、強盗するのをあきらめて逃げて行く犯人に、千円札の2~3枚でも手に握らせたかも知れません。「お金に困っているならこれを使いなさい」と。

強盗にしてみれば完全に「抱き参らせられた」わけです。完敗です。参ったとしか言いようがないでしょうね。
母親の大きな愛で包み込まれてしまい、戦闘意欲が失ってしまったのです。

このオバチャンから見たら、強盗に入られて恐い、という気持ちよりも、バカなことをしている犯人が憐れで、切ない気持ちの方が大きかったのだと思います。

そういう、広く包み込んでしまうような愛が、親心であり、神心です。

言葉自体で言向け和したのではなく、その態度で、言向け和したのだと思います。

次回は「悪を抱き参らせた」と言えるような体験をもう一つ紹介します。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2013年10月24日号 及び
「言向け和すメールマガジン」2016年7月27日号

言向和(34) 雷を言向け和した指揮者─緊張を感動で緩和する

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月25日

オーケストラの指揮者をしているEさんが講演の中で、次のようなことを語っていました。(分かりやすいように多少脚色しました)

アメリカの某都市の郊外で、屋外に巨大テントを張ってクラシックコンサートが開かれました。
その指揮者はEさんが尊敬する先生で、そのコンサートをEさんは聴きに行きました。

するとコンサートの最中に、巨大な雷が鳴り出しました。
だんだん近づいて来て、雷鳴が間近で轟きます。

観客の女性や子どもは、その恐ろしい雷鳴に悲鳴を上げ出しました。
こういうとき、ふつうなら、指揮者はコンサートを中止にするそうです。雷鳴で音楽が聞けませんからね。

しかしその指揮者は何故かコンサートをそのまま続行させました。
そして何を思ったか、雷鳴が轟くと、そちらの方に向かって指揮棒を振り出したのです。
あっちでゴロゴロ鳴ると、あっちへ指揮棒を振り、こっちでゴロゴロ鳴ると、こっちへ指揮棒を振り……その動きがあまりにもコミカルで、やがて観客は笑い出し、場内に笑い声が響き渡りました。(和された瞬間です)

コンサート終了後、観客たちは、すごい感動を与えてくれたこの指揮者に一言、感謝のお礼を言おうとして楽屋の前に並びました。
Eさんもお礼を言うために行ってみると、その列は300mくらい続いていたそうです。

仮にコンサートを中止しても、観客は帰れないので、会場の中で雷鳴に震えたまま過ごさなくてはいけません。
といって、ただコンサートを続行しても、雷鳴で音楽は聞こえないし、観客は悲鳴を上げるし、もうメチャクチャですね。
それが、この指揮者のとっさの判断で、雷の恐怖から、一転して感動に変わったわけです。

これは雷を言向け和した……のではなく、観客の、怖い、恐ろしいという怯える気持ちを和したわけですね。
そこに感動が、生まれたのだと思います。

あるいは──雷さんをもオーケストラの一員にしてしまったのかも知れません。
偉大な指揮者ですね。

   ○   ○   ○

このエピソードは、緊張をユーモアで和した例でした。
いや、もう少し厳密に言うと、ユーモアによって感動を起こし、その感動で和したのでしょう。
次の例はユーモアではありませんが、歌を歌って感動を起こして和した例です。

つい最近のことですが(2017/8/20)、歌手の松山千春が、出発が遅れていた飛行機の中で歌を歌って、イライラしていた乗客の心を和ませた、という出来事がありました。
ネットニュースから引用してみます。

スポーツ報知 2017年8月22日5時0分
「松山千春、出発遅れの機内で熱唱!イラ立つ機内静めた」
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170821-OHT1T50204.html

 歌手の松山千春(61)が、20日に搭乗した飛行機で出発が遅れた際に、機内の乗客のために自らの代表曲「大空と大地の中で」を機内放送を通じて披露していたことが21日、分かった。機内の険悪な空気を感じ、それを和らげようと自ら乗員に申し出た。“特例”でのサプライズに、乗客は大喜び。松山は20日夜のラジオでこの出来事に言及し、「みんなの気持ちを考えて、何とかしたいと思った」と振り返った。

 「いったい、いつになったら飛ぶんだ…」。イラ立ちが最高潮に達した機内に、松山の伸びやかな歌声が響き渡った。

 「いつの日か 幸せを 自分の腕でつかむよう」

 松山が乗ったのは、20日の札幌(新千歳)発、大阪(伊丹)行きの全日空1142便。同社広報部によると、出発予定は午前11時55分だったが、お盆休みの最終日ということで帰省ラッシュのため空港内が大混雑。保安検査場の通過に時間がかかったことに加え、各便とも満席で振り替えができないため、最後の乗客が搭乗するまで出発を遅らせざるを得なかったという。

 同便も約400人の乗客で満席。予定時刻から約1時間が過ぎ、殺伐とした空気が流れる中、その雰囲気をくみ取った松山は、客室乗務員に「みんな、イライラしています。少しでも機内が和むように歌わせて下さい」と申し出た。
(略)

 松山は自己紹介の後、CAが使用する受話器型のマイクを手に「大空―」の一節を披露。その後、独特の声のトーンで「皆さんのご旅行が、またこれからの人生が素晴らしいことをお祈りします。もう少しお待ち下さい」と、機長やCAに代わって謝罪した。松山の“神対応”に、乗客からは拍手が起き、ムードが一変。もくろみ通り、松山がマイクを取ったわずか2~3分で機内の空気は穏やかになった。結局、同機は午後1時3分に出発した。
(略)

なるほど。
松山千春もそうですが、CAも機長も、うまく機転が利きましたね。素晴らしいです。

このケースでは歌を歌って感動を起こしたわけですが、しかしもっと深く考えてみると、歌で感動したのではなく、「有名人が同じ飛行機に乗り合わせており、サプライズしてくれた」から、感動が起きたのではないかと思います。

もちろん歌を歌えばいいというものではありません。有名ではない歌手や、私のような無名人が歌っても、ブーイングが起きるだけです。
また、有名人ならば、歌が上手くなくても、やはり感動が起こったと思います。
歌でなくても、他のことでもいいでしょう。
ともかく感動を与えることで、、いつ離陸するのか分からない苛立つ気持ちから注意をそらし、緊張を緩和したわけです。
最初の雷の例も同様です。感動を与えることで、恐怖から注意をそらし、緊張を緩和したのです。

人間は、見ているところへ吸い込まれて行きます。特に恐怖や怒りや苛立ちはブラックホールです。そこへ見つめると、どんどんそこへ引き込まれて行き、他のことを考えることが出来なくなってしまいます。

自分で意識を転換できればいいのですけどね。
たとえば、仕事のことを考えるとか、旅先での観光のことを考えるとか、そうすれば、出発が遅れてもさほどイライラすることなく過ごせるのですが、現実には、自分で自分をマインドコントロール出来ない人の方が多いのです。そんな訓練は、人生の中で受けていませんしね。

それで仕方ないので、誰かがピエロになるのです。前述の指揮者や、松山千春のように。
うまく感動を起こすことが出来たから良かったですが、もし滑ってしまったら…痛いですね。これはイチかバチかの賭けです。二人とも必死だったと思います。

   ○   ○   ○

ところで「言向け」和すと言いますが、必ずしも「言葉」は要らないようです。この指揮者は自分の動作・態度で観客を言向け和したのですし、松山千春は「有名アーチストが生歌を歌って聞かせる」というサプライズで言向け和したのです。

人間の意思伝達手段には、言葉を使わない非言語コミュニケーションというものがあります。「目と目で通じ合う」ことがありますし、身振り手振りのようなボディランゲージもあります。

「こと」というのは漢字の「言」を当ててますが、「言」と「事」はもともと同語(同源)であると広辞苑に書いてあります。つまり「言向け」和すは「事向け」和すでもあるのです。

「事」とは人間の行為・行動のすべてあり、世の中に現われる一切の現象です。
人間が行うアクションのうち、他の生き物が使えない、最も特殊なアクションが「言」(言葉)です。
「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」と聖書にありますが、言葉を使えることが、人間を他の哺乳類から大きく進化させたと言えます。
言葉(文字)を使えば、遠く離れた地に住む人にも、はるか未来の子孫にも、自分のメッセージを伝えることができるのです。

私は二十歳を少し過ぎた頃、キリスト教に傾倒した時期がありました。聖書を読んで、とても心が和されたのです。
二千年という歳月を飛び超えてイエス・キリストの言葉が私を言向け和したのです。

このように言葉が持つ力は偉大であり、他の動物が持たない、人間ならではのコミュニケーション手段ですので、「事向け」ではなく「言向け」和すと呼んでいるのではないでしょうか。

しかし本来的には「事向け」和すであり、言葉を使わずに言向け和すことも出来るのです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
ブログ「言向け和す」2012年11月8日の記事 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)