霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。
「芸術は宗教の母なり」という王仁三郎の言葉をどこかで聞いたことがありませんか? その言葉が一人歩きして誤解されているので、王仁三郎がその意味について説明しています。その場合の芸術とは人の手になる芸術ではなく、神の手になる芸術のことです。
第65巻総説より
芸術と宗教とは、兄弟姉妹の如く、親子の如く、夫婦の如きもので、二つながら人心の至情に根底を固め、共に霊(れい)最深の要求を充たしつつ、人をして神の温懐(おんかい)に立ち遷(うつ)らしむる、人生の大導師である。(略)
ゆえに吾々は左手(ゆんで)を芸術に曳かせ、右手(めて)を宗教に委ねて、人生の逆旅(げきりょ)を楽しく幸(さち)多く、辿り行かしめんと欲するのである。(略)芸術はひたすらに美の門より人間を天国に導かんとするもの、宗教は真と善との門より人間を神の御許に到らしめんとする点において、少しくその立場に相異があるのである。(略)
芸術の極致は、自然美の賞翫(しょうがん)悦楽により、現実界の制縛を脱離して、恍(こう)として吾を忘るるの一境にあるのである。それゆえ、その悦楽はホンの一時的で、永久的のものではないのである。(略)瑞月(王仁三郎の雅号)はかつて「芸術は宗教の母なり」と言ったことがある。しかしその芸術とは、今日の社会に行わるる如きものを言ったのではない。
造化の偉大なる力によりて造られたる、天地間の森羅万象は、いずれもみな神の芸術的産物である。この大芸術者、即ち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かんとするのが、真の宗教でなければならぬ。
(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)