月別アーカイブ: 2016年3月

三五教は無抵抗主義だが正当防衛は許されている

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年03月31日

霊界物語のちょっと気になる言葉です。

三五教は無抵抗主義ですが、正当防衛は許されているようです。
しかし玄真坊(げんしんぼう)はその正当防衛を誤解して、師匠の照国別(てるくにわけ)に諫められます。

第72巻第5章「蛸船」より

(高砂丸の船中で、泥棒のコブライとコオロの二人に暴行されそうになり)

玄真坊「オイ、コブライ、コオロの両人、本真剣に俺を料理するつもりか、エー、それなら、それでこちらにも一つの覚悟がある。無抵抗主義の三五教に入信した俺だけど、正当防衛は許されてあるから、小泥棒の一匹や二匹ばらすくらい、何の手間ひま要るものか。サア見事相手になるならなってみよ』
と団栗眼(どんぐりまなこ)をむき出し、仁王立ちになって船底に四股を踏み鳴らしている。

コオロ、コブライの両人は、
『何、猪口才(ちょこざい)な、売僧(まいす)坊主』
と言うより早く、一人は首っ玉に喰いつき、一人は足を引っ攫え、せまい船の中で転けつ輾(まろ)びつ一場の活劇を演じ出した。

照国別はこの体(てい)を見るより、
『争いは枉津(まがつ)の神の仕業ぞや  静かなるこそ神の御心。
憎まれて憎み返すは枉神(まがかみ)の  醜(しこ)の業なり畏れつつしめ。
よき事と悪しき事柄行き交いて  この世の中は開け行くなり』

コオロ、コブライの二人はこの歌を聞くより、パット手を放せば、玄真坊は鼻汁をすすりながらヤットの事で起き上がり、
『有難し照国別の師の君の  生言霊(いくことたま)に命拾いぬ。
コブライやコオロの君に殴られて  罪消えなんと思えば嬉し』

コオロ『わが命助け玉いし師の君の  厳言霊(いづことたま)に反くよしなし』

コブライ『憎い奴とは思えども宣伝使  待てとの声に力抜けたり』

照国別『争いの雲もようやく晴れ行きて  誠のかがみ照るぞ目出度き』

玄真坊は、そもそも闘争の想念を持っていました。
それがまずかったのではないでしょうか?
宣伝使が悪党に襲われ、霊縛で動けなくしてしまうシーンが霊界物語のあちこちに出て来ますが、それは自分の身を守るために悪党を動けなくしただけなので、正当防衛です。闘争の気持ちで「やるんだったらやってやるぜ」というのは正当防衛の範疇を超えて過剰防衛になってしまうのではないでしょうか?
法律では、人の心の中までは裁けず、防衛のためにどの程度暴力を振るったか、その暴力の程度で正当防衛か過剰防衛かを判断しますが、神を前にした場合には、人の心の中が問題とされるのです。

ところで、相手を動けなくしてしまうのは、究極の兵器かも知れません。破壊のためのあらゆる兵器を無力化してしまうのですから。

ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。

悪の霊魂を善に立て替える

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年03月30日

大本神諭のちょっと気になる言葉です。

悪は滅ぼすのではなく、善に立て替えるのが、まことの神様の御心です。

大本神諭 大正四年旧十二月二日 より

悪い霊魂(みたま)を絶滅(のう)にしてしもふてするなら、容易(たやす)く出来るなれど、悪の霊魂(みたま)を善へ立替へて、この世一切の事を経綸策(やりかた)を替へて、神法(のり)かへて、新(さら)つの世の純粋(きっすい)の、元の日本魂(やまとだましい)にしてしまふのであるから、今の人民の思ふて居る事とは、天地の大違ひであるから、毎度筆先で気を付けて在るぞよ。

ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。

たとえ悪言でも滑稽として聞けば笑いによってたちまち善言美詞と化す

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年03月29日

霊界物語のちょっと気になる言葉です。

第47巻第18章「一心同体」より、第二天国の天人・珍彦と、竜公(治国別の弟子)との会話

天国を旅する治国別と竜公は、天人の珍彦に第二天国を案内される。
竜公は、珍彦・珍姫夫妻の顔がソックリなので、ひょっとして現界で双子だったのでは?と質問したところ、師匠の治国別に、失礼なことを言ってはいけない、と叱られ、珍彦に謝る。(注・天国の夫婦は意志想念が合致しているので顔も同じになる)

竜公『これは竜公の副守の外流ですよ。モシ珍彦さま、どうぞ私の今の言葉が天国を汚すようなことがございますれば直ちに宣り直します』
珍彦『滑稽として承れば、たとえ悪言暴語でもその笑いによってたちまち善言美詞と変化致しますから、御心配なさいますな。天国だって滑稽諧謔(こっけいかいぎゃく)が云えないということがありますか。滑稽諧謔、歓声は天国の花ですよ』

ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。

日本建国の精神は「言向け和す」

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年03月28日

霊界物語のちょっと気になる言葉です。

入蒙記第6章「出征の辞」より、日出雄(王仁三郎)のセリフ

私は日本建国の大精神を天下に明かにし、万世一系の皇室の尊厳無比なる事をあまねく天下に示し、かつ日本の建国の精神は征伐に非ず、侵略に非ず、善言美詞の言霊をもって万国の民を神の大道に言向け和すにある事を固く信じます。すべて世界の人民を治むるは武力や智力ではとうてい駄目です。結局は精神的結合の要素たる、すべての旧慣に囚われざる新宗教の力によるよりほかはないと信じます。

ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。

マラリアは死霊の業

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年03月27日

霊界物語のちょっと気になる言葉です。

第43巻第18章『石室』より

伊太公『瘧(おこり)(注・マラリアのこと)はみな死霊の業だ。谷川へ陥ったり、池や沼に落ち込んだ奴の亡霊が憑依するのだ。硫黄温泉でもあれば、そこへ突っ込んでやればすぐ退散するのだけれど、困ったところで瘧(おこり)をふるったものだわい』

ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。