第12巻で、イホの国の白瀬川の上流「深雪の滝」に棲む大蛇(おろち)を言向け和しに向かう四人の宣伝使の会話の中に出て来ます。悪に立ち向かう時の心がけです。
玉光彦(たまてるひこ)「(略)まず自分の霊に憑依せる悪魔を追い出し、清浄潔白の霊になった上、悪魔を征服する資格が初めて出来るのだ。大瀑布に悪魔がいると思えば、あに図らんや、自分の心の奥に白瀬川の大瀑布が懸かり、そこに大蛇の悪魔が巣ぐうているのだ。身外の敵は容易に征服できるが、心内の敵は退治が出来にくい(略)」
高光彦(たかてるひこ)「悪魔に対(むか)うのは、ちょうど的(まと)に向かって弓を射(い)るようなものだ。弓を射る者はその身を正しうして、一分一厘の隙間(すきま)もなく、阿吽(あうん)の呼吸の合ったとき始めて(略)無我無心の境(きょう)に入(い)りて、自然に矢が弦(つる)を離れる。さすればその矢は的の中心に当たるようなものだ。まず己の霊を正しうするのが肝腎だ」
国光彦(くにてるひこ)「(略)我が身の敵は我が心に潜む(略)」
高光彦「世の中に鬼も大蛇も悪魔もあるものでない、あるように見えるのだ(略)」
〔霊界物語第12巻第15章「宣直し」〕
外部の悪魔は、自分の心の中の悪魔の投影かも知れません。
悪魔狩りをするのは悪魔だということです。
他人を批判する際にはよほど省みる必要があります。
自分の心の中の悪魔(副守護神)が、それをさせているのかも知れないのですから。
(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)