出口王仁三郎と霊界物語」カテゴリーアーカイブ

五六七の世までも云々

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年08月26日

霊界物語に「この御恩はミロクの世迄も忘れは致しませぬ」のような「五六七の世までも云々」という言い回しがたびたび出てくる。

たとえば、

「貴方の御親切は孫子(まごこ)の時代はおろか、五六七の世まで決して忘れは致しませぬ」
第8巻第38章「華燭の典」 五月姫のセリフ
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0838#a132

「千代も八千代も変りなく 睦び親しみ永久(とこしへ)に 五六七の世迄も霊(たま)幸(ちは)ふ」
第11巻第27章「太玉松」 石凝姥命の歌
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1127#a075

「固き心は千代八千代 五六七の世まで変らじと 心定めし益良夫の」
第30巻第18章「日暮シの河」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3018#a100

「この御恩はミロクの世迄も忘れは致しませぬ」
第68巻第17章「地の岩戸」 スバール姫のセリフ
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6817#a230

この「五六七の世までも云々」という言い回しは霊界物語独特の言い回しだなと思っていたらそうではなかった。

宮田登・著『ミロク信仰の研究』によると、仏教の弥勒信仰において北陸地方で「五六七の世まで」云々という言い回しが使われていたそうである。

奥能登の町や村では、ちょっとした冗談口に「お前のような奴は、弥勒の世になっても借金を返すまいから貸さない」といったり(略)「こんなうまいことは、弥勒の世代にもないことじゃ」などともいったりするという。
きわめて日常的意識の中で、「ミロクの世」はなかなか実現しにくい未来のことを示している。富山県高岡市でも「弥勒様の世になっても」という場合、未来永劫望みはなしという意味を表わすといっている。
〔『ミロク信仰の研究 新訂版』p25-26〕

ミロクの世は「なかなか実現しにくい未来のこと」と書いてあったが、たしかに仏教の弥勒信仰ではそうなのだろう。何しろ釈迦滅後56億7千万年後のことなのだから。

霊界物語でもそのようなニュアンスで使われているが、それは”35万年前”の”太古の神代”の物語だからであろう。

しかし天運循環して国祖再現の時節が到来した。明治25年からミロクの世への幕が開いている。
「五六七の世までも云々」と太古の神代の人たちが言っていたその時代がやって来ているのである。

「霊界」は「霊魂の世界」ではなかった!

Published / by 飯塚弘明
投稿:2021年12月12日

ふと気がついたので調べたことをメモしておきます。
「霊界」という言葉には、もともと「霊魂の世界」とか「死後の世界」という意味はなかった……という話です。
王仁三郎の時代に、世間一般で霊界とはどのような世界だと思われていたのかを調べていて、気がつきました。これは国語辞典での意味です。
霊魂の世界や死後の世界について人類はどのように考えてきたのかという、概念について調べた学者の本ならありますが、「霊界」という言葉そのものについて調べた本は見当たらなかったので、調べてみました。
その結果、何と世間一般で、死後の世界が「霊界」と呼ばれるようになったのは戦後のことであり、辞書に載るようになったのは昭和30年代からだという事実が判明しました。これは驚きです。

■現代──「霊界」の意味は二つある

まず現代ですが、【広辞苑 第五版】(1998年、新村出・編、岩波書店)には「霊界」の意味として次のように書いてあります。

①霊魂の世界。死後の世界。
②精神およびその作用の及ぶ範囲。精神界。↔肉界

前者は、形体がある世界です。霊の人たちが住んでいる世界ということで、物質界とは異なりますが、何らかの形体がある世界として捉えていると思います。
それに対して後者は、形体の無い世界です。人間のインナーワールドであり、マインド(心)であり、精神です。

他の辞書でも似たようものです。Kotobankで調べてみると、
https://kotobank.jp/word/-660870

【精選版 日本国語大辞典 第二版】(小学館)

① 精神の世界。精神およびその作用のおよぶ範囲。肉界に対していう。
② 霊魂の世界。死後の世界。あの世。

【デジタル大辞泉】(小学館)

1 霊魂の世界。死後の世界。
2 精神の世界。「肉界」に対していう。

辞書三つとも「霊界」の意味として、大別して二つの事柄を記しています。
「霊魂の世界。死後の世界」ということと、
「精神界」ということです。

三者とも文章自体がほとんど同じなのは、後発の辞書が先発の辞書の文面を流用しているのだと思います。

これが、戦前の辞書となると、状況が異なるのです。

■大正~昭和初期──「霊界」の意味は「精神界」だけ

【大日本国語辞典】(上田万年・松井簡治・共著)
大正8年12月18日 初版(冨山房・金港堂書籍、第四巻)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954648/663

昭和16年2月28日 修訂版(冨山房、第五巻)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870727/458

精神の世界。精神及び其の作用の及ぶ範囲。(肉界の対)

この辞典には「精神界」という意味だけで、「霊魂の世界。死後の世界」という意味は記されていません。

この「大日本国語辞典」は高く評価されており、後の国語辞書の範になったそうです。
https://kotobank.jp/word/-91822

それでこの辞書の文面が後に広辞苑などに流用されたのでしょう。見比べて下さい。文面が全く同じです。

さらに昔の辞書を調べてみました。

■明治──「霊界」は存在しない

「言海」という辞書は日本で最初の近代的な国語辞書と評されています。
https://kotobank.jp/word/-491504

【言海】(明治22~24年、大槻文彦・著・発行)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992954/614

【言海】(明治40年3月15日・第160版、大槻文彦・著、吉川弘文館・発行)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2938224/612

何と「霊界」の項目がありません!
「霊感」はあるんですが…。

【日本大辞林】(明治27年、物集高見・編、宮内省・発行)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/863449/780

国学者の物集高見(もずめ・たかみ)が編纂したこの辞書にも「霊界」はありません。「霊感」も無いです。「霊魂」ならあります。

【大増訂 ことばの泉】(奥付が無いが明治41年の発行?、落合直文・著】
https://kotobank.jp/word/-503217
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2938223/789

これにも「霊界」はありません。

ちなみに手元の古語辞典(『旺文社古語辞典』1988年改訂版)には「霊界」も「霊魂」もありません。

「霊界」という言葉は江戸時代までは使われておらず、明治以降に使われるようになったみたいです。
国立国会図書館オンラインで検索してみても、ヒットするのは明治以降の本だけです。書名や見出しに「霊界」を使った本です。

ただし本はあっても、辞書にはマイナーな言葉は載りません。
辞書に載るようなら、世間一般でも使われるくらいポピュラーになった言葉だと考えていいと思います。

では「霊界」が辞書に載るようになったのはいつ頃なのか?

■「霊界」が辞書に載ったのは大正中期以降、ただし意味は一つだけ

前出の「大日本国語辞典」は大正8年(1919年)の版に載っていましたが、金沢庄三郎・編「辞林」では大正13年(1924年)の版には載っていません。昭和9年(1934年)の版には載っています。

【辞林】(大正13年・八版、金沢庄三郎・編、三省堂)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1086165/613

【広辞林】(昭和9年・新訂版、金沢庄三郎・編、三省堂)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126465/955

精神の世界。肉界の対。

「霊界」という言葉がポピュラーになって行ったのは、大正以降に少しずつ…ということのようです。

しかし「霊界」の意味は、当初は「精神界」という意味だけでした。

「霊魂の世界。死後の世界」という意味が加わったのはいつからなのか?
戦後の辞書を調べてみました。

■「霊界」に「死後の世界」という意味が加わったのは昭和30年代から

【新訂 大言海】(昭和31年3月1日・新訂版初版、昭和42年9月10日・新訂版29版、大槻文彦、冨山房)

〔肉界に対す〕精神、及、其作用に関する範囲。精神界。

調べたのは昭和42年の版ですが、片仮名・旧字体で印刷されています(引用文は平仮名・新字体に直した)。ですからおそらく内容は昭和31年の版から改訂されていないのだと思います。

【辞海】(昭和33年2月15日・三版、金田一京助、三省堂)

①霊魂の世界。死後の世界。あの世。
②精神界。精神及びその作用の及ぶ範囲。↔肉体界

【広辞苑】(昭和30年5月25日・第一版、同年8月5日・第一版第二刷)

精神およびその作用の及ぶ範囲。精神界。↔肉界

【広辞苑】(昭和44年5月16日・第二版、昭和49年9月20日・第二版第八刷)

①霊魂の世界。死後の世界。
②精神およびその作用の及ぶ範囲。精神界。↔肉界

広辞苑の第二版は、冒頭の第五版と同文です。
調べたのは昭和49年の第八刷ですが、増刷の際の修正は誤字・脱字など若干の文字の訂正だけだと思いますので、広辞苑では昭和44年の第二版から「霊魂の世界。死後の世界」という意味が加わったと考えていいと思います。

この4つの辞書を調べた限りでは、昭和30年の広辞苑と31年の大言海では戦前同様「精神界」の意味だけであり、33年の辞海と44年の広辞苑には「霊魂の世界。死後の世界」という意味が加わっているので、つまり昭和32年に何かがあった! ──いや昭和32年に何かがあったのではなく、昭和20年代に何かがあって「霊界」という言葉に新たな意味が加わったのでしょう。

戦後の宗教ブーム(いわゆる第二次宗教ブーム)が影響しているのかも知れませんが定かではありません。

辞書の編者は書籍、雑誌、新聞やラジオ、テレビ(日本でテレビ放送開始は昭和28年)などのメディアで使われている言葉からメジャーな言葉を採録するのだと思います。
国立国会図書館で昭和20~30年代の書籍・雑誌を「霊界」というキーワードで検索してみましたが、特に目立つような情報はありませんでした。

霊界物語が冊数の多さで目立つだけです。しかし一つの宗教団体の教典に過ぎませんから、辞書の編者が、それをもってメジャーな言葉だと判断はしないと思います。

(2021/12/13追記)読者からの情報で、『辞海』の一版(昭和29年8月25日)からすでに三版と同じ記述になっていることが判明しました。情報ありがとうございます。

■王仁三郎の著作にも明治期には「霊界」は無い

王仁三郎が霊界物語を書いたのは大正10年(1921年)以降です。
それ以前にも王仁三郎は「霊界」という言葉を使っていますが、しかし明治時代に書いた文献では「霊界」を使っていないようです。
たとえば明治37年(1904年)~38年に執筆した『道の栞』です。
その当時は公刊はされず、抄出が大正7年(1918年)以降に機関誌『神霊界』や『神の国』に掲載され、大正14年(1925年)に単行本として発行されました。(新字体・新仮名遣いに直した復刻版が天声社とみいづ舎から出版されています)
この本には「霊界」という言葉は見当たりません。(見落としがあるかも知れません)
「天国」や「地獄」という言葉は使われていますが、それらを包括する言葉、つまり現界に対する霊界を表現する言葉としては「霊(みたま)の国」「幽世(かくりよ)」「幽界(かくりよ)」などの言葉が使われています。

明治~大正期の全ての王仁三郎文献を調べたわけではありませんので、断定的は出来ませんが、『道の栞』に「霊界」という言葉が見当たらないというのは、とても興味深い事実です。

まだ「霊界」がメジャーではなかった時代に王仁三郎は「霊界物語」を書いて「霊界」という言葉を沢山使って日本中に発信したのですから、ひょっとしたら王仁三郎が「霊界」をメジャー化させた張本人なのかも知れません。

■「霊界」はキリスト教から?

国立国会図書館所蔵本の中で、明治時代に「霊界」という言葉が書名や見出しに使われている本を調べてみると、キリスト教絡みの本が多いです。
どうやらキリスト教の影響で「霊界」が使われるようになったようです。

その中で最古の本は、明治21年(1888年)5月に出版された『二法一元論』という本です。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824953

これは英書の翻訳本です。著者のヘンリー・ドラムモンド(Henry Drummond、1851~1897年)は、スコットランドの生物学者でプロテスタントの伝道者です。
原題は『Natural Law in the Spiritual World』(1883年)で、「霊界合性法」と翻訳されています。Google翻訳で直訳すると「精神世界の自然法」になります。
◇ウィキペディア英語版の「Henry Drummond」
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Drummond_(evangelist)
◇プロジェクト・グーテンベルクの「Natural Law in the Spiritual World」
https://www.gutenberg.org/cache/epub/23334/pg23334-images.html

この本の翻訳(訳者は西館武雄)で、「Spiritual World」を「霊界」と訳したのが、文献に見える「霊界」の始まりのようです。(みっちり調べたわけではないので、ひょっとしたら他にあるかも知れません)

この本で使われている「Spiritual World」は、「Natural World」(自然界)に対する言葉です。つまり「霊魂の世界。死後の世界」という意味です。

その翌年、明治22年(1889年)3月に出版された『宗教哲学』の著者・石川喜三郎(1864~1932年)はロシア正教の信者です。
この本のp6では「霊界」の意味として、次のように記されています。(新仮名遣い・新字体に直し、難読字は平仮名に置き換えた)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/814884/13

「霊界と云う一名目の中に人間の霊魂と、霊魂の去り行く冥界とを含有する」「霊界の信仰と云うときは、いつも霊魂と冥界の二者の信仰を云う」

このように、まさに「霊魂の世界。死後の世界」という意味で「霊界」を使っています。

■辞書と実態の相違

もう一つの「精神界」という意味での「霊界」は、書名や題名からは調べることが出来ませんでした。
青空文庫の全文検索で調べてみると、該当するものがいくつか見つかりました。
単なる「霊界」だけでなく「心霊界」も「精神界」という意味で使われています。

●夢野久作『鼻の表現』 著述年不明 昭和11年(1936年)没
https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2145_16835.html
「(略)と宗教界、芸術界、哲学界や他の思想界なぞいう様々な霊界に飛び出してはねまわります」

●石川啄木『閑天地』 明治38年(1905年)著
https://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/49677_49237.html
「世に、最も恐るべき、最も偉大なる、最も堅牢なる、而して何物の力と雖ども動かし能はざるものあり。乃ち人の信念也。(略)夫れ信念は霊界の巨樹也」

●倉田百三『女性の諸問題』 昭和9年(1934年)著
https://www.aozora.gr.jp/cards/000256/files/43133_17950.html
「恋する以上は(略)つねに死と永遠と美とからはなれない心霊界においての恋を生きる気でなければならぬ」

これらの「霊界」「心霊界」は「精神界」の意味です。

しかし圧倒的に「霊魂の世界。死後の世界」という意味で使われているケースが多いです。
これは青空文庫が全ての著者を網羅しているわけではなく、偏りがあるためなのか?
それとも辞書の編者の調査が偏っていたのか?
その理由は分かりませんが、私が今回調査した限りでは、戦前の辞書は「霊界」は「精神界」の意味だけだが、文筆作品の実態は「霊魂の世界。死後の世界」という意味で使われているケースが多い、という結果になりました。

■神や霊はどこにいるのか?

江戸時代までは「霊界」という言葉は使われていなかったようですが、では、「霊魂の世界。死後の世界」のことを何と呼んでいたのか?

それはたとえば、神道系の言葉としては「黄泉(よみ)」、仏教系の言葉としては「冥土(めいど)」です。

明治22年(1889年)の「言海」から引用してみます。(原文は片仮名、旧字体。《 》内はフリガナ)

冥土  仏説に、亡者の往きて居る処、地下にありと云ふ。よみぢ。冥府。

黄泉  〔夜見の義と云〕人死して後に、魂の行くべき処。よみのくに。よもつくに。根国《ねのくに》。よみぢ。九泉。九原。

この言葉が何故、「霊界」に移行して行ったのか?

推測ですが、近代科学が説く世界観の普及と共に、霊魂の居場所がなくなってしまったではないかと思います。
昔の世界観では、冥土にせよ黄泉にせよ、この世の延長線上にあの世があると考えられていました。
冥土にせよ黄泉にせよ、地下の世界です。
仏国土である西方浄土や東方浄土は、この世の西や東の彼方にあると考えられて来たわけです。
しかし、この世の延長線上にそれらの異世界があるという思想は、近代科学によって否定されてしまいました。
この世=地球の姿が明らかになり、霊魂たちの居場所がなくなってしまいました。
それで、霊魂たちの居場所が、物質界とは異なる「霊界」というパラレルワールドへ移行して行ったのではないかと推測します。

既に書いたように、キリスト教の「Spiritual World」の翻訳から日本での「霊界」が始まったようですが、そのキリスト教にしても、聖書に「Spiritual World」という言葉が書いてあるわけではありません。
「天にまします我らの父よ」と言うように、神は天(空)にいると考えられていたわけです。
また、日本語で地獄とか黄泉、陰府(よみ)などと訳されている「ゲヘナ(ゲヘンナ)」や「ハデス」は、「陰府(よみ)にまで落されるのだ」〔マタイ福音書11:23、新共同訳〕という表現があるように、やはり地下にあると考えられていました。(ゲヘナはもともとエルサレムにある「ヒンノムの谷」のこと)
(参考)地獄 (キリスト教) – Wikipedia

ヨーロッパでいつ頃から「霊界」という言葉が使われるようになったのかは分かりませんが、ヨーロッパは近代科学の発祥地です。日本よりも二百年くらい早く、神も天国も地獄も霊魂も、その居場所が否定されています。そうすると、この世の延長線上ではなく、「霊界」というパラレルワールドへ、それらの存在が移行していかざるを得ないわけです。
目に見える物質界とは異なる、目に見えない霊界です。空の上も地面の下も、どうなっているのか知らなかったので、そこに異界があると思っていたのですが、科学によって解明され、異界の存在が否定されたために、「霊界」という、科学では解明できない形而上の概念が編み出されたのではないでしょうか。

しかし素粒子物理学などの発達によって、もはやこの宇宙のどこにも異界など存在しないということが明らかになってしまいました。
ホーキング博士(1942~2018年)が神や霊界の存在を否定したことは有名な話です。
ですがそれは、従来の宗教が唱えていた神や霊界の考えを否定しただけです。
果たして神や霊はどこにいるのか、その居場所について再検討する必要があります。
しょせん、その居場所は人間が勝手に想像したことなので、変更してもよいのです。
そうすると、王仁三郎が説く霊界観──霊界は想念の世界であるという考えが優れていると言わざるを得ません。
この考えは科学的な見解を否定するものではありません。ものの見方を変えるだけです。観点、視点を変えるのです。
霊界というのは、物質界とは異なるパラレルワールドなのではなく、物質界の別の側面だと言えます。
霊界と現界は合わせ鏡だと王仁三郎が説いているように、同じものの二つの側面なのです。
王仁三郎は人類の霊界に関する思想を、すでに百年も前にアップデートさせていたのです。

(終)

伝染病と禊

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年03月28日

今日(2020/3/28)は東京で『あらすじで読む霊界物語』の著者4人による講演会が企画されていましたが、今月上旬に中止が決定されました。主催者が新型コロナウイルスの感染を警戒しての判断です。

毎日状況は悪化して行き、とうとう今週末の東京は外出自粛ということになってしまいましたね。上旬の時点で中止にしておいたのは正解だったと思います。
ウイルス渦が収まったら、また講演会を企画していただけるようです。

このような伝染病が流行るのは「霊の仕業」だと王仁三郎は教えています。

霊界物語スーパーメールマガジン』2月6日号に掲載した文章を加筆訂正して、下に載せておきます。


出口王仁三郎・著『玉鏡(たまかがみ)』収録「流行性感冒(かんぼう)」を紹介します。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg840

流行性感冒とは、インフルエンザのことです。略して「流感」とも呼びます。
今からおよそ100年前、大正7年(1918年)から8年にかけて世界中で流行したインフルエンザは「スペイン風邪」と呼ばれており、甚大な被害をもたらしました。
当時の世界人口が約20億人の時代に、感染者数は数億人、死者数は数千万~1億人と言いますから、人類の5%が死んだわけです。
いわゆる「パンデミック」(伝染病の世界的流行)の元祖です。

 本年(昭和九年)もたいぶ流行性感冒がはやるようであるが、戦争と流行性感冒とはつきものである。あれは霊の仕業である。

 近年満洲事変(注・昭和6年)、上海事件(注・昭和7年)等で多くの戦死者を出したが、それに対して、禊の行事が行われていない。

 禊の行事の大切なる事は霊界物語に詳しく示しておいたが、昔はこの行事が厳格に行われたから、戦争などで沢山の死者があっても地上は時々に清められて、流行性感冒の如き惨害から免がるる事を得たのであるが、今の人たちは霊界の事が一切分からず、禊の行事などのある事をすら知らぬ人たちのみなるが故に、邪気充満して地上は曇りに曇り、濁りに濁り、爛(ただ)れに爛れて、目を開けて見ておられぬ惨状を呈しているのである。

 気の毒にもこうした事情を知らぬ世間の人々は、医師や薬にのみ重きを置いて焦心焦慮しているのであるが、霊より来る病気を体的にのみ解せむとするは愚かである。

 禊の行事の偉大なる効果を知る人は凶事あるごとに常にこれを行うべきである。さすれば一家は常に朗らかで滅多に病気などには罹(かか)らぬものである。

初出:『神の国』昭和9年(1934年)3月号

今世界を大混乱に陥れている新型コロナウイルスは、人工的に作られた生物兵器だという説もありますが、新しいウイルスや菌は人為的でなくても、自然にいくらでも誕生します。

昔であれば、新しい伝染病が発生しても、一つの村が全滅するだけで終焉していたでしょうけど、交通機関の発達によって、たちまち世界中に広まるようになりました。

玉鏡に書いてあったように、このような伝染病が流行るのは「霊の仕業」だと王仁三郎は教えています。
戦争や災害などの死者の、苦しみ、怨み、憎しみというような邪気が充満して地上が曇り、このような伝染病が流行るということなのでしょう。

スペイン風邪が大流行する直前には、第一次世界大戦(1914~18年)がありました。
主に欧州を舞台とした大戦争で、戦死者数は1千万人以上に上ります。
スペイン風邪と呼ばれているので、あたかもスペインが病気の発生源のように思ってしまいますが、全く異なります。
スペイン風邪の発生源は、戦場にならなかった米国の、中央部にあるカンザス州です。
しかし戦時中で情報統制がされていたので報道されず、中立国で情報統制がされていなかったスペインで流行していることが報じられたため、スペイン風邪と呼ばれるようになりました。

近年のパンデミックである、AIDS(1980年代以降)の発生源はアフリカ、SARS(2002~3年)も新型コロナも発生源は中国です。
しかしスペイン風邪のように、霊的には、発生源以外の地域で起きた戦争が関係している可能性もあるわけです。

ではAIDSやSARS、新型コロナはどんな戦争が関係しているのでしょうか?
いやそれは…ちょっと分かりません。人類はいつでも地上のとこかで戦争をしていますからね。
どれか一つ、というわけでもないでしょう。
戦争だけではなく、テロや弾圧や、地震・台風など自然災害も含まれると思います。
浮かばれない霊たちが大勢いるわけで、それによって伝染病が流行するというのです。

それを防ぐには禊(みそぎ)の行事が重要だと王仁三郎は言っています。「凶事あるごとに常にこれを行うべき」と書いてありました。
禊の行事というのは具体的に何を指しているのかよく分かりません。天祥地瑞の第75巻第1章「禊の神事」(著述は昭和8年)に記載してある方法かも知れません。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm7501

「振魂(ふるたま)」だとか「天の鳥船」だとか「雄健び」だとか、禊の方法がいくつか書いてあります。
禊と言えば神道家の川面凡児(かわつら・ぼんじ、1862~1929年)が有名ですが、天祥地瑞に書いてある方法は、川面凡児が提唱した禊の方法と、おそらく同じものではないかと思われます。
<参考 稜威会公式サイト「行法概要」>
http://www.miizukai.org/misogi/Gyouhougaiyou.html

そういう行法以外に、祭典としての禊もあると思います。
大本で行う節分大祭も、大は宇宙から小は個人に至るまで罪穢れを祓う、一種の禊の神事です。
戦争や災害の死者を弔う慰霊祭のようなものも、一種の禊です。

今回の新型コロナが収束したとしても、今後もパンデミックは時々起こることでしょう。
それに対処していく術を、人類は身に付けて行かなくてはいけません。
王仁三郎が説く禊もそうですが、こういう危機にどう向き合うか、その術です。
政府の対応方法もそうですし、治療法の開発もそうです。
社会として、感染者を差別することなく、どう受け入れて行けばいいのか。
感染を食い止めるためには経済が停滞してもいいという価値観も共有する必要する必要があります。
あるいはまた、病で人が死ぬことは止むを得ない、ウイルスと共存して行こう、という価値観も持つ必要もあるでしょう。

ミロクの世に向かって進んで行くためには、人類が獲得しなくてはいけない文化がたくさんあります。
そういうことを、神様が人類にやらせているのであると思います。
これはミロクの世を創るための一つの試練です。

「ウロー」は讃嘆の声

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年03月07日

霊界物語に頻繁に出る言葉の一つに「ウロー」があります。ウローとは、賛美の声、嬉しいときにあげる歓びの声です。
「万歳」とか「イエーイ」などと似たような使い方をします。

「満座の諸神人はあたかも暗夜に月の出たるがごとく喜び勇み手を拍って祝し、ウローウローと叫ぶその声、天地も破るるばかり勇ましかりける」〔第4巻第37章

「鉄彦親子を始め別室に集まりたる村人は、この歌を聞いて今までとはうって変わり蘇生したる如き面色にて、思わず知らず手を拍ち、ウロー、ウローと叫びながら立ち上がり踊り狂う」〔第10巻第34章

ほとんどは片仮名で「ウロー」と表記されていますが、漢字で書かれている箇所が1ヶ所だけあります。第8巻第26章の章題です。
「讃嘆」という漢字に「ウローウロー」という振り仮名が振ってあります。「讃嘆(さんたん)」とは「ふかく感心してほめること」〔広辞苑〕ですが、つまりウローとはそういう気持ちの時に発する言葉であるのです。

もともとの語源は何なのかは、ちょっとわかりません。

「王仁三郎」をエスペラント語で書くと ONI SAV ULO(オニ サブ ウロー)で、「人々を救う人」つまり救世主というような意味になりますが、このULO(人)なのかも知れません。


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2015年6月29日号、2019年5月23日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック