世界大家族制とベーシックインカム」カテゴリーアーカイブ

世界大家族制とベーシックインカム(21)「天産自給」とは?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年07月17日

出口王仁三郎が大正6年(1917年)に発表した大正維新論(昭和に入ると皇道維新論に改称)には、世界大家族制や御稜威紙幣以外にも、注目すべき思想がある。
天産自給(てんさんじきゅう)もその一つだ。

天産とは「天賦の産物」のこと、自給とは「自ら支給し自ら生活する事」である。

生き物は自分が住む土地で採れた産物を使って生活することが原理原則だ。
しかし人間は欲望があるので、自分の生活圏以外のものまで欲しくなる。
そのために争いや苦しみが生じる。

天産物自給の国家経済について少しく述べんに、天産物とは天賦の産物である。自給とは自ら支給し自ら生活する事である。この文字はすこぶる簡単であるけれども、これ世界の人類にとっては生活上の大問題であらねばならぬ。皇道経綸の本旨においては、すこぶる高遠なる意義の存する事であって、衣食住の根本革新問題である。
〔「皇道維新について」第六章 天産物自給の国家経済〕

人生の本義たるやその天賦所生の国家を経綸するをもって根本原則となす。さればその人類の生活に適当する衣食住の物は必ずその土地に産出するものなり。故に天賦所生の人間はその智能を啓発し、もって天恵の福利を開拓して文明の利用を研究し、その国土を経営するは人生の根本天則たるなり。
由来世界各国経済は天造草昧(てんぞうそうまい)(注・乱雑の意)なる野蛮の遺風なり。そもそも人文未開の遊牧時代は、天産自給の天則を知らず、腕力をもって他民族を征服し、巡遊侵略もって国家を組織し、ここに租税徴貢の制を定むるに至れるなり。この強食弱肉の蛮風は、世界を風靡してついに自称文明強国を現出せるものなり。彼らいわく、優勝劣敗は天理の自然なりと、咄々(とつとつ)何等の囈語(たわごと)ぞ、この天理破壊の魔道は今や根本より廃滅さるべき時代の到着せるなり。
〔「世界の経綸」第九章 天産自給

よく「日本は資源が少ない」と言うが、決して資源が少ないわけではない。
資源はいっぱいあるのに、それを使っていないのである。
自分の足下に素晴らしい宝があるのに、隣の芝生が青く見え、他人がやっていることばかりマネして、神が自分に与えた天賦の能力に気づいていない。

たとえば発電であれば、石油を使う火力発電や、原子力発電に代わり、再生可能エネルギーということで太陽光発電や風力発電を増やしつつある。しかしそんなのは日本の気候風土に合っていない。日照時間が短く、風もたいして吹かない日本で、外国のモノマネをしたって、うまく行くはずがない。
海に囲まれた日本なので、潮力発電が天賦の電源と言えるだろう。また火山の多い日本なので、地熱発電も天賦の電源であろう。
潮力は月がある限り存在するし、地熱は地球にマグマがある限り存在する。事実上の永久機関である。
そういう、その国、その土地に与えられた天賦の資源エネルギーを使って人間社会を営むことが、「天産自給」の生活である。

これは衣食住に関しても、工業生産品に関して、みな同様だ。
人類は資源を求めて月や他の天体からも奪い取ろうとしているが、その前に、地球にあるものをもっと利用すべきである。
というより、地球にあるものだけで自活せよというのが「天産自給」なのだ。

天産自給については過去に何度か『霊界物語スーパ-メールマガジン』に書いたことがある。
2018年6月11日号の「王仁三郎の基礎(10)天産自給」に多少加筆訂正したものを下に記しておく。


天産自給とは、社会の在り方を考える時にとても重要な概念だ。

王仁三郎が言う天産自給の天産とは「天賦の産物」ということで、つまり神様がその土地に与えた産出物である。鉱物も動植物も全部含む。

その土地に住む生物は、そのお土からあがった(採れた)ものを食べて生きることが大原則である。その土地で採れたものが一番体に良いのだ。
食べ物のみならず、人間の文明を築くための資源・エネルギーも、そのお土からあがったものを使って文明を築くことが大原則となる。それが天産自給ということだ。

南極のペンギンはわざわざ北極まで魚を獲りに行かないし、海の底に棲む深海魚は「ホタテが食べたい」なんて言わない。
みな自分の生活圏にある食べ物で満足している。
あれが欲しい、これが欲しいと言って遠い国から持って来たものを食べているのは私たち人間だけである。
足りないと略奪までするのだからタチが悪い。

「日本は資源が少ない」ということで大陸を侵略し植民地にしていこうと政財界や軍部は動いたが、しかし王仁三郎は「日本は天産自給が出来る国である」と唱えた。
現代でも日本は資源がないと世間一般では思われているが、それはものの見方が間違っている。

食糧に関して言えば、日本の食糧自給率はカロリーベースで40%弱らしいが、これは日本の農地が痩せているのではなく、外国から輸入した方が安いから輸入しているだけのことであって、生産しようと思ったら100%以上の食糧自給率を持つことが出来る。
単にお金の都合で生産していないだけだ。
コーヒーやバナナなどは日本では育たないかも知れないが、これも品種改良やハウス栽培などで作ろうと思えばいくらでも作れるはずだ。ただコストがかかるから手っ取り早く安価な外国から輸入しているだけのことである。

資源・エネルギーに関して言えば、たしかに日本は資源が乏しいように思える。
特に石油は国内ではほとんど産出しません。
しかしこれは石油を使うという前提に立った産業構造なので、石油を必要としているだけである。
日本での石油の用途は、発電所などの熱源が4割、自動車などの動力源が4割、プラスチック製品などの原料等が2割になっている。
しかし石油やウランを燃やさなくても発電は出来る。波力発電や地熱発電など、日本の土地の特性に合った発電手段を使えばよいのだ。
それが王仁三郎が説く「天産自給」の考えである。
プラ製品も、最近では環境保護の観点から使用が制限されつつあり、EUでは2030年までに使い捨てプラ容器・プラ包装の使用をゼロにするらしい。
そのように決めてしまえば代替え材料の開発がいくらでも進む。
自動車も水素で走る車が開発されている。
最初から「石油を使う」という前提だから、「日本は石油がない!」と言っているだけである。
使わないことにすれば、いくらでも使わずに済むのだ。
石油はいろいろな用途に使えて利便性が高いということもあるだろうが、国際石油資本のお金儲けのために、石油を「使わされている」というのが実情であろう。

それぞれの国土の特性に合った資源・エネルギーを使って物質文明を発達させればよいのである。
それが神が定めた天地の法則「天産自給」である。

しかし天産自給が出来ない国もある。
面積が小さかったり人口が少ない国では無理だろう。
みろくの世では、地球上は12くらいの天産自給圏に分かれるらしい。
どのような区分けになるのか具体的に王仁三郎は説いていないが、おそらく国祖の御神体である日本はそれだけで一つの天産自給圏なんだろうと思う。
ただしその場合の日本というのは現在の政治区画としての日本ではない。
樺太から台湾までの日本「列島」のことだ。
地図で見れば分かるように、樺太から台湾までは一連の島々である。それ全体が国祖の御神体なのである。
そこに人間が勝手に国境線を引いているだけである。
政治的な区分ではなく、地理的な要因によって、12の天産自給圏にまとまって行くのだと思う。

★   ★   ★

王仁三郎が「天産自給」という言葉を使うようになったのは、おそらく大正6~7年頃からだ。
この当時の機関誌で発表した大正維新論の中に出て来る。
しかしその概念自体は、それ以前から大本神諭に出ている。
たとえば、

金銀を用いでも、結構に地上(おつち)から上がりたもので、国々の人民が生活(いけ)るやうに、気楽な世になるぞよ。
…金銀をあまり大切に致すと、世はいつまでも治まらんから、艮の金神の天晴れ守護になりたら、天産物自給(おつちからあがりた)その国々の物で生活(いけ)るようにいたして、天地へ御目(おんめ)に掛ける仕組(しぐみ)がいたしてあるぞよ。
大本神諭 明治26年旧7月12日

と出ている。
食糧や資源を奪うために外国を侵略して植民地にしなくても、自国だけでまかなえるようにするぞよ、ということだ。

艮の金神こと国祖・国常立尊は、この地球を造った神様である。
地球の神霊と言ってしまってもいいかも知れない。
だから王仁三郎の思想は地(つち)と密着しているのが特徴である。
これは地球を単なるモノとしか見ないセム族の宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)の思想との大きな違いである。
環境破壊で地球は住めなくなるから他の星に移住しよう…なんて考えはとんでもない曲がった考えだ。
地から離れて人間は生きて行けない。

★   ★   ★

天産自給という言葉はネットで調べても王仁三郎がらみでしか出て来ない。
どうやら王仁三郎のオリジナル用語のようだ。
しかし似たような思想はいくつかある。

まず「身土不二(しんどふじ)」だ。
これは天産自給に一番似ている思想である。
食養とかマクロビオティックの世界で使われている言葉である。
もともとは仏教用語だが、それを流用しており、「地元で採れた旬の食べ物や伝統食が体に良い」というような思想である。
それを食べ物だけでなく、資源・エネルギー等にも適用させたものが王仁三郎の天産自給である。
天産自給は洋服だの建物だの、すべての産業について適用される。
その土地で採れるものを使って、服を作る、建物を建てる、ということだ。

他に「地産地消」(ちさんちしょう)というものがある。
これは農水省が主導した用語で、主に経済的観点から、地元で作った物を食べようという思想だ。

また「食糧安保論」というものがある。
これは、外国からの輸入に頼っていては、いざ食糧の輸入が途絶えたときに困ってしまうので食糧自給率を高めよう、という政治的な観点からの思想だ。

環境問題の観点からは「フードマイレージ」というものがある。
これは食糧の輸送量や輸送距離から算出される数値である。
遠い場所から食糧を運ぶと、CO2など環境負荷がかかる。
地球環境を守るために、その数値を小さくしようという運動だ。

それらの思想も、それはそれで結構だと思うが、天産自給とはかなり異なる。
天産自給は経済的観点でも安保的観点でもエコロジーでもなく、人間はこの地球に住む生き物だという観点だ。
地球を造った国常立尊の復権を叫んで大本が誕生したのだが、人間のエゴの極みである経済至上主義によって見えなくなってしまった地球の恩恵を、王仁三郎が復権させたのだ。
天産自給はみろくの世を創るためにとても重要な思想である。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)

世界大家族制とベーシックインカム(20)王仁三郎は世界の霊的ハブ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年07月16日

アメリカの大統領選挙で、共和党と民主党の候補者は、最初は数十人の候補者がいて、予備選挙のプロセスで一人に絞られて行く。
トランプ氏とバイデン氏が競った2020年の大統領選挙では、民主党の候補者は29人いたが、その中にベーシックインカムの導入を唱えている人がいた。
実業家のアンドリュー・ヤン氏だ。
18歳以上の全アメリカ国民に毎月1000ドル(日本円で10万円強)を配ろうというのだ。
ウィキペディア:2020年アメリカ合衆国大統領選挙
ウィキペディア:アンドリュー・ヤン

物価の違いや為替の関係もあって単純に比較できないが、日本円で10万円というのは、その年の5月に日本で全国民に配った定額給付金と同じ額である。
10万円を毎月配ってくれるなら人生楽勝だ。
都会に住んでいたら家賃で大半が消えてしまうが、田舎に住めば家賃が安いので働かなくても生きて行ける金額だ。

金額がいくらがいいのかはともかく、新しい思想というものは、事あるごとに社会に提起していかないと、浸透して行かない。
金額や財源の問題は二の次であり、まずはそういう思想があるのだということを知ってもらうために「宣伝」することが必要だと思う。

ベーシックインカムの思想は欧州で18世紀末に現れたようだ。日本で紹介されるようになったのは1990年代後半からで、本格的に知られるようになったのは2008年9月のリーマンショック以降だ。私がベーシックインカムを知ったのは東日本大震災(2011年)の年である。

ベーシックインカムを本格的に導入した国はまだどこにもない。具体的に財源や配り方などどうしたらいいか議論百出だ。まだ構想段階の政策である。
こういう新しい思想は国民の多くは知らないのだから、まずは宣伝が大切である。

しかし日本人が、何か新しい発想で社会を改革するということは、残念だが難しいと思う。
自ら新しいことを考えたり、新しいものを創り出すようなことは、日本は苦手な傾向にある。
結局、ベーシックインカムも外国でやり出してから日本でも導入することになるのであろう。
日本が最初にやり出すことは、まず考えられない。

外国のモノマネが得意なのは日本の特徴である。
欧米人は新しいものを生み出すことが得意だが、その代わりそれを改良し発展させることは不得意な傾向にある。
日本人は逆だ。新しいものを生み出すことは不得意だが、外国のものを採り入れて組み合わせ、アレンジし、発展させる能力には長けている。

王仁三郎の思想も、その最たるものだ。
王仁三郎の思想というものは、日本古来に伝わる思想や、外国の思想をうまく組み合わせて、さらにそれを発展させた形になっている。一体王仁三郎のオリジナルは何なのかと言ってもよく分からない。
おそらく、それら色々な思想を一つに統一したということが、王仁三郎のオリジナルなんだと思う。
これを私は「王仁三郎は霊的ハブである」と説明している。
ハブというのは沖縄にいるあのニョロニョロして長いやつ…ではなくて、車輪の中心部のことだ。自転車のタイヤの、外側のリムを支える沢山のスポークを車軸の部分で一つに繋ぐための真ん中のパーツがハブだ。
あるいはまた、パソコンで使う「USBハブ」などのハブだ。色々な周辺機器をパソコンに繋ぐための装置である。
世界の思想を一つに繋いだハブが王仁三郎なのだ。

日本もまたハブである。
世界の中心であり、首都であり、世界の親国だ。

それは「ス」である。
中心にあるものだ。

新しいものは、概して、社会の外周部から発生する。
宇宙創造から見ると、スから発して外周部へと広がって行く。スは宇宙のあらゆるものの根源である。
しかし物質界(人間界)においては逆である。
外周部から新しい文化が起こり、それが中心(ス)に集まり、結実する。根源ではなく、集結点だ。
だから、スの国である日本からは新しいものは生み出されなくても問題はない。役割が違うのだ。

しかし、世界の思想を一つに繋いだ王仁三郎から、様々な思想(救世教などの宗教や、合気道など)が沢山生まれて行ったように、日本で結実したものが、さらに世界へ広がって行くこともあるだろう。
それが御稜威というものなのかも知れない。

世界の親国である日本は、その御稜威を日本だけにとどめておいてはいけない。
世界から日本に集まって来るのだから、その御稜威は世界に返さないといけない。
政府紙幣を発行したり、ベーシックインカムを実行するのであれば、それは日本国内だけにとどめておくのではなく、世界的に実施するという発想を持たなくてはいけない。
日本人だけ生活が保障され、安逸に暮らせれば、それでいいのだろうか?
そんなことでは、自分だけが良ければそれでいいというエゴ国家になってしまう。
われよし・つよいものがちの国だ。
世界の親国である日本は、日本一国だけを考えるのではなく、世界をどうしたらいいかという観点で考えなくてはいけない。
王仁三郎が唱える「世界大家族制」はまさに世界を考えた発想である。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)

世界大家族制とベーシックインカム(18)御稜威は無限に大きくすることが出来る

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年07月16日

出口王仁三郎は御稜威(みいづ)紙幣の発行によって税金を廃止すべしと唱えた。

現在の日本では約100兆円の税金が国民に課せられている。
令和元年(2019年)度の場合、国税は約62兆円、地方税は約41兆円、合計103兆円である。
総務省「令和3年版地方財政白書

これらの税金を廃止して、その分を御稜威紙幣の通貨発行益によってまかなうことなど出来るのだろうか?
実際に出来るかどうかは別として、国の御稜威ということについてもう少し考えてみよう。

御稜威紙幣(御稜威為本)は、御稜威という、目に見えないものに価値を置いた貨幣制度である。
それに対して「金銀為本」は、物質(モノ)に価値を置いた貨幣制度である。
モノが少ない時代には、貴重だから、それに重きを置いて来たのは仕方ないことだろう。
しかしテクノロジーが進化して、モノに満ちあふれた時代になると、モノに対する信仰は自ずと薄れて来る。
また、いろいろなモノが出現すると、価値観は多様化し、金銀の価値は相対的に小さくなる。金銀よりダイアモンドやビットコインの方を欲しがる人もいるであろう。

目に見えないもの、形のないものに対する経済的価値が大きく注目されるようになったのは、第二次大戦後のことだ。
特許だとか著作権のような知的財産は戦前からあったが、本格化するのは戦後のことだ。
特にITの時代になるとデジタルコンテンツというものが身近なものになり、誰もがコンテンツを作って売ることが出来るようになった。ユーチューバーもその一つだ。
現代ではひょっとしたら、モノ以外のものの方が、経済的価値が高いかも知れない。

昔の億万長者は、モノの売上から利益を得ていた。
ロックフェラーは石油王だし、ロスチャイルドは金融王だ。
ビジネスの利益によって、巨万の富を手にした。
現代の大金持ちは、IT長者がほとんどである。
マイクロソフトのビル・ゲイツ、アマゾンのジェフ・ベゾス、フェイスブックのザッカーバーグ、オラクルのエリソンなどなど。
彼らIT長者は、ビジネスの売上そのもので富を築いたわけではない。
モノやサービスの売上の中から貰った報酬や配当では、たいして富は築けない。毎年10億円貰っても、10年で100億円にしかならない。
彼らはみな10~20兆円以上の資産を持っている。
そのほとんどは、自分が創業した会社の株だ。
最初は1万円だった株価が、努力して企業価値を高めた結果、1億円になったのだ。株の値上がりによってとてつもない富を築いたのである。
こういうことが可能になったのは比較的最近のことである。王仁三郎が生きた大正~昭和初期の資本家は、配当で富を築いていた。労働者から搾取した、と言っても過言ではない。しかしIT長者たちは労働者から搾取はしていない。むしろ他の会社よりも多い賃金を払っている。高賃金で優秀な労働者を集め、他社より優れた製品を開発して、それによって会社の価値を高め、株価を高め、最初に投資した金額の何百何万倍もの資産を手にしたのである。

これは企業の話だが、企業価値を高めて富を得るということが分かれば、国の御稜威によって通貨発行益を得るということも、似たようなものとして理解できる。
モノは有限であり、モノに価値を置くと、奪い合いになる。帝国主義がその最たるものだ。領土、領民、資源を奪い合った戦いが、第二次世界大戦だ。
しかし目に見えないもの、形のないものは無限である。そこに価値を置けば、奪い合いにならず、無限に拡大して行く。
企業価値だとか、国の御稜威もそれだ。
株価は無限に高くすることが出来る。
国の御稜威も無限に大きくすることが出来る。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)

世界大家族制とベーシックインカム(17)国家の総合力が問われる御稜威紙幣

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年07月16日

出口王仁三郎は御稜威紙幣の発行によって、租税を廃止したり、貧困者を救うことを唱えた。それはおそらく「御稜威紙幣」と呼ぶ一種の政府紙幣の「通貨発行益」によって国家財政をまかなおうということではないか?ということを前回までに書いた。

通貨発行益は、お金を生み出す「打ち出の小槌」だ。
中央銀行券は、印刷しても富は生じないが、政府紙幣は印刷するだけで富が生じる。

価値というものはおもしろいものだ。人が価値があると思えば、価値があるものになる。
「鰯の頭も信心から」と言うが、鰯の頭だって、それに価値があると人が思えば神様になってしまうのだ。
ただの紙切れも、それが1万円の価値があると人々が思えば、1万円になる。
逆に、欲しいと思う人がいなければ、価値はなくなる。
金(ゴールド)も、欲しいと思う人がいなければただの金属だ。

こんな打ち出の小槌を、なぜ今まで使わなかったのか?
陰謀論的には、銀行の信用創造によって利益を得ている国際金融資本が政府紙幣を作らせなかったのだ…ということになる。政府紙幣を発行したリンカーンやケネディを暗殺したのも、みな国際金融資本の仕業である。しかし政府紙幣を発行してニューディール政策を実施したルーズベルトは殺されなかった。何故だろう?
そんな御都合主義の陰謀論はさておき、一般には、政府紙幣の発行はインフレの心配があると言われている。
だが、ある程度までは政府紙幣を出しても問題ないのだ。今現在でも、日本政府は硬貨の発行によって毎年数千億円の通貨発行益を得ている。
それがいくらまで大丈夫なのかは、実際にやってみないことには分からないだろう。
その時々の社会の状況、人心の状態次第だ。

現代はITの時代なので、政府紙幣の供給量を細かく調整することが可能である。
経済状況を見ながら毎日少しずつ政府紙幣を発行し、インフレになりそうなら、供給をストップすればいい。
政府紙幣と言っても、実際にはモノとしての紙幣を発行する必要はない。
政府の銀行残高を増やすだけでよい。
あるいは、電子通貨(デジタル通貨)でもよい。欧州ではすでに自国通貨を電子通貨にしている国もあるし、日銀も円を電子通貨にする実験を進めている。
日本経済新聞(2020年10月9日)「日銀がデジタル通貨実験 「21年度の早い時期に」
ITメディア(2022年4月13日)「日銀はデジタル通貨をどう考えているのか? 実証実験フェーズ2開始のCBDC

モノとしての紙幣を発行すると供給量の調整が難しいが、電子通貨なら簡単だ。
そして、もしインフレになってしまったら、政府紙幣を消してしまえばいいのだ。
1万円札が火で燃えてなくなってしまうのと一緒である。
お金を生んだり、消したりなんて、いい加減なことができるか、と思うかも知れないが、価値というものはそういうものである。
3千万円で買った土地がバブルで1億円に値上がりし、バブル崩壊で1千万円に値下がりしてしまった…というのと同じだ。
株や仮想通貨で一夜にして大金持ちになったり、一文無しになったりするのと何も変わりがない。
政府紙幣が生まれたり消えたりというのは、こういった、価値が上がったり、下がったり、と同じことである。

その上がり下がりする価値とは一体何の価値なのか?
この場合、それは国富(こくふ)である。
国の富の総計だ。官民合わせた、国全体の資産の総計が国富である。
2019年末の時点で、日本の国富は3689兆円ある。
日本経済新聞の記事

この国富には、数字に現れない潜在的な価値がある。
たとえば1億円と評価されている土地が、1億5千万円で売れたとする。この5千万円は、実際に売買が行われないと表に出て来ない数字である。
ダフ屋が、アイドルのコンサートの5千円のチケットを、8千円で売ったとする。
ぴあの窓口では定価5千円で売っていたのに、本当は8千円の価値があったということになる。
この5千万円や3千円が、政府紙幣だ。
国富の潜在的価値を実体化させるものが政府紙幣である。
価値は時と場合によって上がり下がりする。ダフ屋が一日中ねばっても4千円でしか売れないかも知れない。そうなると赤字だ。
だから政府紙幣も生まれたり消えたりするのが、ある意味で自然である。

そうすると、たくさんの政府紙幣を発行するためには、そのものが持つ価値をどんどん高めて行くことが重要になる。
そのものとは、その国であり、その社会である。
8千円のものを8千円で売ったら、それで打ち止めだ。より儲けたいと思ったら、さらにその価値を高めて行く必要がある。
より多く、国の御稜威を耀かすことが、御稜威紙幣を成功させる鍵となる。

御稜威が耀いていない国で政府紙幣を発行したらどうなるか?
たとえば北朝鮮で政府紙幣を発行して窮乏する人民を救おうとしたとする。
人民は金正恩委員長から大金を貰って大感謝だ。
しかしお金があっても、必要とするモノが手に入らない。
供給が圧倒的に不足しているのだ。
その状態でお金持ちが増えてしまうと、モノを購入したいという人が増えて行く。
お金がなければ、欲しくても我慢するが、お金があったら、買おうとする。
そうするとモノの値段がどんどん上昇して行く。つまりインフレだ。

政府紙幣は発行すればいいというものではなく、製品・サービスの供給や、需要など、いろいろな条件がそろって、有効に機能する。
そういう、国家の総合力が「御稜威」であろう。

お金があり、供給も足りてるのに、購買欲求がない場合もある。
コロナ禍に入ってすぐ、2020年5月に日本で一人10万円の特別定額給付金を配った。世論調査によると、給付してから3ヶ月くらいの間に使われたお金は、全約13兆円のうち半分くらいのようだ。
給付金の10万円、いくら使った? 「0円」36.2%
別の研究では6~27%という報告もある。
特別定額給付金が家計消費に与える影響に関する研究論文を発表

十分な供給があっても、欲しいものがないのであれば、お金があっても役に立たない。
この特別定額給付金は赤字国債によって調達されたが、国が借金してもその半分は国民の銀行預金を増やしただけで、社会のため、経済のためには少ししか役立たなかったわけだ。
使ってこそのお金だ。
自分のために使わなくても、他人のために使ってもいいのである。
仮に御稜威紙幣を発行して租税を廃止しても、増えた可処分所得が預金になるだけでは、社会の発展にはつながらない。
お金は何のためにあるのか、何のために使うのか、そういう哲学的・精神的なものも含めたものが国の御稜威であろう。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)

世界大家族制とベーシックインカム(16)御稜威紙幣についてここまでのまとめ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年07月16日

出口王仁三郎が説く御稜威(みいづ)紙幣について、過去数回のまとめ的なことや補足的なことを書いておく。

御稜威紙幣とは具体的にどういうものなのか、王仁三郎はあまり多くのことを語っていない。
次の文章は、第12回で紹介した「神政運動について」の一部分だ。

(略)金銀為本を廃(や)め、土地為本の制度にするが最も平易にして簡単で、効力の多い御稜威為本としたならば、必要な金はいくらでも出すことで出来る。もちろん無茶苦茶に出してはいけないが、まず日本を徹底的に建直すにおいては、一千億円の金が要ると思うのである。
この一千億円の紙幣を陛下の御稜威によって御発行になったならば、農民も商工業者も、その他総ての苦しんでいる人達を救うことが出来るのである。つまりその紙幣によって、日本国がすっくりと建直るまでは五年でも六年でも総ての××(注・伏せ字だが「税金」だと思われる)を免除する。そうしたならば日本の国は数年ならずして本当の元の天国浄土に立還ることが出来得るのである。これは経済機構の都合で何でもない仕事である。
〔『惟神の道』(昭和10年発行)所収「神政運動について」〕

御稜威紙幣で分かっていることは、まず
(1)金銀為本を廃止して御稜威為本にすること。そしてそれによって
(2)「必要な金はいくらでも出すこと」が出来る。ということだ。

既存の概念に当てはめると、
(1)が管理通貨制度のようなものであり、
(2)が政府紙幣のようなものだと思う。

通貨の価値が、金の価値によって決まるのではなく、その国の国力によって決まるのが管理通貨制度だ。
管理通貨制度では、円やドルなど主要通貨は、自由な市場原理で、つまり通貨の売買によって、その国の通貨の価値が決まる。
その国の信頼によって通貨の価値が上下する。その国の政府が何か重大な政策を発表したり、事件が起きるたびに、相場が上下動する。
しかし相場に任せっきりだと色々問題も起きる。円高すぎても困るし、円安すぎても困る。
それで政府が政策によって為替市場に介入し、通貨の価値を管理して行こうというのが、管理通貨制度だ。

自由な相場における通貨の価値は、その国の「御稜威」によって決まると言ってもいいのではないだろうか。
民間の経済活動や、政府の政策、治安や教育なども含めた、その国の総合力だ。

金本位制を止めることになった理由の一つは、経済規模が大きくなるにつれ、お札の数だけの大量の金を確保するのが難しくなったからだ。
管理通貨制度では、お札の発行量が、保有する金の量に縛られずに、好きなだけ発行できる。
しかし、お札を作るということは、お金を作ることではない。
単純に言うと、銀行預金を引き出す時にお札を発行するだけのことで、政府の財布が肥えるわけではない。
政府の財布を肥やす方法が、政府紙幣だ。
「必要な金はいくらでも出すこと」が出来る仕組みだ。
これもまた「御稜威」と言える。
しかし無制限に出せるわけではない。
出し過ぎるとインフレを招く。
それは王仁三郎も承知しており、「もちろん無茶苦茶に出してはいけない」と言っている。

その額として1000億円という額を示しているが、それは窮乏した日本を立て直すのに、そのくらい要るだろうという希望額であって、その額にこだわる必要はない。
第13回で書いたが、当時の国家財政の規模は20億円くらいだ。1000億円の御稜威紙幣(という名の政府紙幣)はさすがに多すぎると思う。
しかし金額はともかくとして、それだけ沢山の政府紙幣を出しても、日本は国力(御稜威)があるので、平気だということを言いたいのだろう。
それによって、税金を廃止したり、国の借金や人々の借金をチャラにしたりして、困窮する人々を救おうということだ。

(続く)



(このシリーズは「霊界物語スーパーメールマガジン」令和2年(2020年)8月24日号から12月28日号にかけて25回連載した文章に加筆訂正したものです)