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三鏡解説427 同殿同床の儀

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年09月19日

●月鏡「同殿同床の儀」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg427

その昔、御神殿というものは、同殿同床(どうでんどうしょう)の本義に則って、屋内に設けられたもので、今日の如く別殿とするのは唐制を模倣してから以後のことである。

このたび開祖様の御像を本宮山上、穹天閣(きゅうてんかく)の私の室(しつ)にお祭りして、私はそこで寝る。これで古来の通り、同殿同床となってはなはだ愉快である。二代の室は次の間にある。

初出:『神の国』昭和5年(1930年)5月号

同殿同床は、同床共殿(どうしゅうきょうでん)とか同殿共床などとも呼ばれます。
神様を家の中に祭り、そこで神と人とが寝起きを共にすることです。

古代、この同殿同床が廃止されたことは、現代に至る社会悪化の原因の一つであり、これを復活させることが五六七神政成就に繋がります。

霊界物語第5巻には、太古の神代に、聖地エルサレムで同殿同床が廃止されたことが記されています。国祖が隠退し、大洪水が起きる前の出来事です。

●霊界物語第5巻第1章「栄華の夢」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0501&mky=a040-a044#a040

聖地はすでに神霊を宮殿より分離し、橄欖山(かんらんざん)に形ばかりの神殿を建てたるに倣い、各地の八王八頭(やつおう やつがしら)もその宮殿より国魂を分離して、山上または渓間に形ばかりの神殿を造り、祭祀の道を怠った。

また記紀には、第10代の崇神天皇の御代に、同殿同床が廃止されたことが記されています。
それまでは天照大神と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の二柱を宮中にお祭りしていました。ところが崇神天皇は両神の神威を畏れ、同じ場所に住むのを止めて、両神を宮中の外に祭るようになった──ということが、日本書紀の崇神天皇6年の項に書いてあります。

その後、天照大神は近畿地方を転々として最終的に伊勢の地に、倭大国魂神は大和(おおやまと)神社(天理市)に祭られることになりました。

崇神天皇が行った【同殿同床の廃止】と【租税徴収の開始】は、和光同塵(わこうどうじん)の政策だと王仁三郎は述べています。
五六七の世までの一時的な措置ということです。
つまりその和光同塵の政策を廃止することが五六七の世に繋がるわけです。
詳しくは「世界大家族制とベーシックインカム(4)崇神天皇から租税制度が始まった」をお読み下さい。

大本の信者は主神(大天主太神)を家の中に奉斎しますが、それも同殿同床です。

家の外に祠を建てたりして神様を祭るのではなく、家の中に神様を祭ることが同殿同床ですが、しかしそれは形式上のことであって、より本質的には、神と共に生きる、ということが同殿同床ということになると思います。

家の中に神様を祭って、そこで寝起きしたって、神様を身近に感じない人だっています。
あるいは、神様を拝んでいたって、その神棚の小さなお宮の中だけに神様がいるんだと思う人もいます。
それでは信仰が稚拙だと言わざるを得ません。

神棚とか神社にだけ神様がいるわけではありません。
そこは聖域であって、神様とコンタクトしやすい場所だというだけで、実際には神様はどこにでもいるわけです。
究極的には、この宇宙全てが神です。

神は常にここにいる、神は吾と共にあり、という意識で生活することが、同殿同床の本質的な意義であると思います。
別な表現をすると【自分の中に神を祭る】ことです。

形だけ、家の中に神様を祭ったって、ただそれだけでは何でもありません。
常に神と共にいる、という感覚を持つことが出来るようになるために、神様を家に祭り、毎日祝詞を上げるのです。

究極的には神棚も神殿も必要なく、【自分の中に神を祭る】ことです。
そうすれば形が無いのですから、宗教間の相違から生じる下らぬ争いがなくなります。王仁三郎が「みろくの世には宗教は不要になる」と説いた、その世界へ近づくわけです。


三鏡解説 目次


(この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2021年4月19日号に掲載した文章をもとに加筆訂正したものです)


出口総裁と髪の手入れ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2022年01月16日

王仁三郎は「頭髪をたびたび洗うと命が短くなる」と説いています。
三鏡「頭髪と人間の使命

それに関連した信者の記事を見付けたので、ここにメモしておきます。

『人類愛善新聞』昭和4年(1929年)11月13日号p4の吉原亨が書いた「出口総裁と髪の手入れ」です。

出口総裁と髪の手入れ 吉原亨 『髪は、洗うと命が短くなります』
 出口総裁が私にある時、こう仰いました。この一言は、理由なしに私に強く響きました。
 その後、私が髪の手入れで体得した理屈はこういうことです。──
 髪の毛を絶対洗わないということにして今日もう十二年になりますが、決してそう臭くはありません。
 但し洗う代わりに梳(す)くことが大切です。梳くというのは、実は埃をとるばかりでなく、その後へ自然に出てくる油を塗りつけるわけであります。涙も唾も、出せばいくらでも出るように、脂腺(しせん)からも油はいくらでも出てきます。
 梳かぬと脂腺がふさがって、フケとなり痒くなります。そのフケという油のかたまりが出来ないように、度々すけば、髪の毛は段々艶(つや)がよくなります。
 人間の作った油や、色々のものを塗ったり、熱い湯で洗ったり染めたりしては艶もなくなり、枯れて赤くなるのは当たり前です。油などを塗りつけた毛を虫眼鏡で見ると、ペンキの剥げかかったようなもので、またつけたものがイヤに臭くなってくるのです。
 初めはこれまでの習慣上何もつけぬことにするとパサパサで誠に具合悪いようですが、一日に数回、一週間ばかり続くと、だんだん毛がすなおになって艶が出ることは男も女も同様です。

『人類愛善新聞』昭和4年(1929年)11月13日号p4

「ウロー」は讃嘆の声

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年03月07日

霊界物語に頻繁に出る言葉の一つに「ウロー」があります。ウローとは、賛美の声、嬉しいときにあげる歓びの声です。
「万歳」とか「イエーイ」などと似たような使い方をします。

「満座の諸神人はあたかも暗夜に月の出たるがごとく喜び勇み手を拍って祝し、ウローウローと叫ぶその声、天地も破るるばかり勇ましかりける」〔第4巻第37章

「鉄彦親子を始め別室に集まりたる村人は、この歌を聞いて今までとはうって変わり蘇生したる如き面色にて、思わず知らず手を拍ち、ウロー、ウローと叫びながら立ち上がり踊り狂う」〔第10巻第34章

ほとんどは片仮名で「ウロー」と表記されていますが、漢字で書かれている箇所が1ヶ所だけあります。第8巻第26章の章題です。
「讃嘆」という漢字に「ウローウロー」という振り仮名が振ってあります。「讃嘆(さんたん)」とは「ふかく感心してほめること」〔広辞苑〕ですが、つまりウローとはそういう気持ちの時に発する言葉であるのです。

もともとの語源は何なのかは、ちょっとわかりません。

「王仁三郎」をエスペラント語で書くと ONI SAV ULO(オニ サブ ウロー)で、「人々を救う人」つまり救世主というような意味になりますが、このULO(人)なのかも知れません。


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2015年6月29日号、2019年5月23日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック

霊界物語に登場する地名は「約1800」と判明

Published / by 飯塚弘明
投稿:2019年09月19日

今まで、霊界物語の登場人物は推定3000人、地名は推定1500(又は1000)と言って来ましたが、地名に関してもう少し正確な数字が判明しました。約1800です。

この3000とか1500という数字の出所は、十数年前に窪田英治編『神名備忘』『地名備忘』をベースにIME辞書を作った時、人名が約5100、地名が約2600あり、表記ゆれ(ライオン河とライオン川のような)を引くと、感覚的に6割くらいかなと思い、それで人名推定3000、地名推定1500と発表したのです。

昨年からオニペディアを作っていますが、霊界物語に登場する地名はほぼ収録しました。
「霊界物語の地名」カテゴリの配下にあるページが現在1779ありますので、約1800ということにしたいと思います。

人名に関しては、全部書き終えるのは数年先ですので、まだまだ「推定」の世界ですが、地名に関しては「推定」を外して「約1800」でだいたいいいと思います。

この数え方というは難しく、いくつかの数え方があります。

まず表記ゆれを別にするか一緒にするか。

次に別名をどうするか。
「ライオン川」と「ライオン河」は表記ゆれですが、「聖地エルサレム」は「地の高天原」の別名です。これを別々に数えるか、それとも一つと数えるか、数え方を決めなくてはいけません。つまり実体ベースで数えるか、名前ベースで数えるか、です。それによって数が変わって来ます。
オニペディアの場合は、基本的に表記ゆれは別ページとして数えられませんが、別名は別ページとして数えるようになっています。

あと、同じ名前のものは、出来れば別個のページにすべきですが、同じ一つのページに書いてしまっている場合があります。地名はあまりありませんが、人名は同名異人が多く、たとえば虎公は9人熊公は10人もいます。
そうなると、オニペディアのページ数で数えるのではなく、もっとマニュアルで数えて行く必要があります。

他にも、改名して名前が変わる人をどうするか。名前が変わったら別人として数えるのか、同一人物として数えるのか。
改名ではなく、再生(生まれ変わり)の場合はどうするか。たとえば「高姫」と「千草姫」と、千草姫の肉体に高姫の霊が入った「千種の高姫」の三者を、どのように数えるか。

名前のない甲乙丙の類も、セリフがあるなら数えた方がいいでしょう。では名前すらない通りすがりの人でセリフのある人は数えるべきか? 逆に名前だけ出てセリフもアクションもない人は数えるのか?

このように数え方に関する諸問題があり、単純に「霊界物語に登場する人は○人」と言い難い部分があります。
そのようなわけで、現在のところは大ざっぱに「推定3千人」ということにしておいて下さい。