言向和(5) 王仁三郎以外の識者の意見

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月19日

前回は古事記で「言向け和す」という言葉がどのように使われているのか書きました。
「言向和」以外に、「言趣和」とか、「言向和平」という漢字も使われています。

一方、古事記の8年後(西暦720年)に完成した日本書紀には、「言向け和す」という言葉が出て来ません。
前回紹介した古事記のエピソードに該当するエピソードは書かれているんですが、「言向和」は出て来ません。
理由は分かりません。古事記と日本書紀は編纂者が異なるので、色々と思想も異なるのでしょう。
「言向和」に限らず古事記と日本書紀は相違点がたくさんありますが、今は「古代ミステリー」として深く追求しないでおきます。


「言向け和す」は古事記に記された日本建国の使命と言えるのに、千数百年間、誰も探究をせず、王仁三郎が史上初めて「言向け和す」をテーマに本を書いた。それが81巻の霊界物語である…ということは今までに何度も書いて来ました。

「言向け和す」という言葉自体は、神道系ではそれなりに使用しているようですが、しかし辞書に書いてあるような意味(第3回参照)で使っているだけで、それ以上深くは探究されていません。

とはいえ、調べてみると、若干、オリジナルな言い方で「言向け和す」を説明している本を何冊か見つけましたので、それを紹介します。(王仁三郎が「言向け和す」についてどう説いているのかは、もう少し後の回で書きます)

次の7人の方です。(著者の敬称略。引用文中の太字は飯塚による。ルビは《 》内。)

   「言向け和す」とは?

大野靖志 ・・・できるだけ現実に沿っていくという生き方
山田雅晴 ・・・言霊で平和・調和をもたらすこと
谷川健一 ・・・言葉をもって、自分に背く者を従わせることが「言向け」
久保田展弘 ・・・「言向け」とは、相手が能動的に服従しようという思いになること
天巫泰之 ・・・根気よく教え諭して相手の心を解きほぐし、おたがいに理解しあい、許し合い睦み合うという教え
中西進 ・・・「あら(荒)」=非秩序を「にき(和)」=秩序に変えること
鈴木一彦・林巨樹 ・・・鎮魂する行為

大野靖志『言霊はこうして実現する』文芸社、2010年、P222~223
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 一神教の終末観は、神に対立する「悪」を打ち倒す戦いを示唆するものであると同時に、神に近づかんとする人間に対する鉄槌でもある。
 その教えでは、唯一絶対の神がすべてを創造するのであり、人は神によって作られた被造物でしかない。そのため、人間による文明が進化して神の創造の領域へ近づいていくと、その文明そのものを崩壊させないことには、つじつまが合わなくなってしまう。
 一神教が終末観を持つのはそういった教義的な必然性ゆえのこと。ここで問題となるのが、一神教の影響下にある西洋の国々が大きな政治的・軍事的パワーを持っていることである。彼らは、人類を滅亡させるのに十分な核兵器を保持しているのだ。
 この状況において一筋の光明となりうるのが、本来の日本的な精神である。
 日本には古来、「ことむけやはす」「しろしめす」といった考え方がある。これは、できるだけ現実に沿っていくという生き方であり、一神教的な対立姿勢とは正反対のあり方だといえよう。

山田雅晴『2013年太陽系大変革と古神道の秘儀』たま出版、2012年、P185
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 光の神業を本格的に始めた私たちに、目本の地底に潜んでいた巨大な龍王神が怒って地上に出てきたわけです。その龍王神はとても恐ろしげな形相でした。そこで、地鎮祭の剣祓いの要領で、八握剣(レプリカ)を使って汗だくになって祓い清めました(私は昔、地鎮祭を頼まれた際、剣祓いをしていました。数年後、笏《しゃく》と錫杖《しゃくじょう》を使って調和する神業にしました)。
 さて、ミソギしてきれいになったところで、私が言向け和すと、龍王神さまは正気に戻られました。「言向け和す」とは古神道において、言霊で平和・調和をもたらすことを言います。

P206
 次に、全員で宇宙大龍神さまをお呼びして、シベリアの方に飛んでいただきました。「言向け和す(言霊で、調和・平和をもたらす)」こころをメインに、シベリア一帯に対し宇宙大龍神さまによる祓い清めご開運を行いました。

谷川健一『古代歌謡と南島歌謡─歌の源泉を求めて』春風社、2006年、P83~84
http://amzn.to/2u8bSWR

 「草木言問ふ」時代は天つ神の侵入以前で、草木石がよく物を言い、森羅万象が自分の存在を主張する時代であった。彼らはみずからがカミであった。そのあと後来のカミが侵入すると、邪神、悪神、国つ神として退けられた。「言問ひ」は天つ神から国つ神へ、常世神から土地の精霊へとなされる時代に変わった。言葉をもって、自分に背く者を従わせることが「言向け」であった。
 『万葉集』に、
  ちはやぶる神を言向け 服従《まつろ》へぬ人をも和し掃き清め……(巻二十・四四六五)
とある。また『古事記』に、
  葦原中国を言向け和平しつる状を、複奏したまひき(「神代」)
とある。それまで「言問ふ」存在で、反抗して不平を鳴らしていた相手を沈黙させるのが「言止《ことや》め」である。「言止め」るまで、相手を訊問し、糾問し、「言向け」追いつめねばならない。

久保田展弘『原日本の精神風土』NTT出版、2008年、P105
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 十握剣を逆さまに突き立て、その剣の切先に趺坐をかいて坐りながら、葦原中国の服属を迫るとは『記』『書紀』がいう「言向け」というにはほど遠い所行ではないか。「言向け」とは、相手が能動的に服従しようという思いになることであるはずだ。が使者である神々の武力行使といえる態度に「言向け」を実現させるようなゆとりはない。むしろ使者にたいする大国主命(大己貴命)、八重事代主神(事代主神)の親子神の対応にこそ、大人《たいじん》の風情がある。

天巫泰之『スピリチュアリスト天巫泰之が贈る~幸せになれる七つの方法』ArakawaBooks、2015年(Kindle版)
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 神道には、言向け和すという教えがあります。根気よく教え諭して相手の心を解きほぐし、おたがいに理解しあい、許し合い睦み合うという教えです。今こそ、世界は神道の「言向け和す」という教えに学ぶ時なのではないでしょうか? いままで武力で自国の論理を押しつけ、消え去らない怨念の血と涙がどのくらい流されてきたのでしょう。もうそろそろ私たちは愚かすぎる過去を悔い改め、卒業してもよいのではないでしょうか?

中西進『中西進万葉論集 第三巻』講談社、1995年、P138
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 こうした荒ぶる自然(モノ)に対して、人々は、これを「和す」べく言向けをしなければならない。先に述べた「まつる」論理と、言向けし「まつろ」わせるという論理とは、一義的には正反対の事柄だが、この両面をもつのが、一般的な祭りの論理である。まして荒ぶるものを「にき」なるものに和すことは、けっして祭ることと矛盾しない。「あら」に非秩序を、「にき」に秩序を考えていたのが彼らだったからである。そして、「にき」を超えるモノに対しては、これを言向けなければならない。言向けによって「にき」を手に入れなければならない。

鈴木一彦・林巨樹・編『研究資料 日本文法 10 修辞法編』明治書院、1985年、P41
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(略)神の遊行や天皇の巡行は、後に高みに登って国状を見る国見の儀礼として形式化するところの、文字通りの国見──占国の行為であった。それは、ことばを変えて言えば、国々の土着の土地神を言向け和す──鎮魂する行為であり、土地の人びとを服属せしめる行為であったけれども、多くの場合、それは戦いの形を取らないで、土地神を讃美する形で鎮魂し、人びとに祝福を与え開化する形で行われた。その土地の起源──したがって地名の起源が、それらの威大な神や天皇にこと寄せて説かれることは、それらの神や天皇の、その土地に対する特別の顧《かえり》みのあったことを確認することにつながる。神や天皇の特別の加護祝福によって、その土地が開かれ、創世したのだということを、人びとは、その起源説話に伝えたのである。

なるほど。
いろいろな言い方があり、とても参考になります。
皆さんも「言向け和す」に言及した本を見つけたら、ぜひ教えて下さい。

・・・しかし”言向け和すマスター”の王仁三郎は、もっと深く、激しいことを説いているのです。

(続く)

(この文章は「言向け和すメールマガジン」2016年6月15日号及び6月22日号掲載の文章に加筆訂正したものです)

言向け和す(4) 皇祖の大命と、憲法九条

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月18日

古事記によると──皇祖アマテラス(天照大御神)は天孫ニニギ(邇邇芸命)を地上に降し、荒ぶる神々を言向け和して統一せよと命じました。
──なんていう話は、おそらく初耳だという人も多いと思います。

実はアマテラスのセリフとして、ニニギに「言向け和せ」なんて語っているシーンは古事記に登場しません。
だから初耳なのも当然です。

それが今日まで千数百年間、「言向け和す」が皇祖の大命として認識されて来なかった理由の一つだと思います。
古事記にはっきり書いてあればいいのですが、はっきり書いていないのです。
「言向け和す」が書いてあるいくつかのシーンから、皇祖の大命を推測し、その結果、「地上を言向け和して統治せよ」ということが大命であったと判断できるのです。

まずは古事記で「言向け和す」がどのように使われているのか説明して行きます。

古事記で「言向け和す」という言葉は一番最初に、天孫降臨の場面に出てきます。地上を言向け和して統一国家を創ることを使命として天孫は高天原から降ってきたのです。

天孫とはアマテラスの孫のニニギ(邇邇芸命)のことです。
アマテラスは最初、自分の長男のオシホミミ(天忍穂耳命)に対して、降臨の使命を下しました。高天原から地上に降り「豊葦原の水穂の国(とよあしはらのみずほのくに、日本列島のこと)」を統治せよ…というミッションを、アマテラスはオシホミミに与えたのです。

しかし豊葦原の水穂の国は、荒ぶる(反逆する意)神々が多く、各地で騒いでおり、とうてい統治できる状態ではありませんでした。──天から地に降ると言っても、そこに住んでいる国津神たちにしてみれば、天津神による侵略と感じるでしょうから、そりゃ騒ぐはずです。

そこで高天原では、天の安河原(あまのやすかわら)に八百万の神々が集まって協議し、国津神を鎮撫するためにアマテラスの二男のホヒ(天菩卑命)を使者として派遣することにしました。

しかしホヒは、国津神の代表格である出雲のオオクニヌシ(大国主命)に扈従(こじゅう、付き従うこと)してしまい、三年経っても高天原に帰って来ません。

次にアメノワカヒコ(天若日子)が高天原から派遣されました。しかし今度はオオクニヌシの娘のシタテルヒメ(下照比売)に惚れ込んでしまい、八年経っても帰って来ません。

そこで三番目にキギシナナキメ(雉子名鳴女)という女神を派遣することになりました。そのときアマテラスは彼女にこのように命じるのです。

「アメノワカヒコに会って問いなさい。『あなたを遣わしたのは、荒ぶる神たちを言向け和すためです。なぜ八年経っても帰って来ないのですか?』と」

これが古事記に「言向け和す」という言葉が出てくる最初のシーンです。天孫降臨の前に地上に使者を派遣し「荒ぶる神たちを言向け和せ」というミッションを与えたことが明確に書かれています。
ただしあくまでも、天孫降臨の「前」に、その準備として派遣した使者に対して与えたミッションです。
天孫に与えたミッションではありません。

古事記の原典は漢文で書いてあり、ここでは「言趣和」(言趣け和す)という文字が使われています(真福寺本による)。

書き下し文を角川文庫の『新訂 古事記』(武田祐吉・訳注、中村啓信・補訂・解説)から引用してみます。少々長いですが、アマテラスが長男ホヒに命じるシーンから引用します。
(注・青空文庫のものを流用しています。ルビは《 》の中です。また、文字を多少変えています)

 天照大御神の命もちて、「豊葦原の千秋《ちあき》の長五百秋《ながいほあき》の水穂《みづほ》の国は、我が御子《みこ》正勝吾勝勝速日《まさかあかつかちはやひ》天忍穂耳《あめのおしほみみ》の命の知らさむ国」と、言依《ことよ》さしたまひて、天降《あまくだ》したまひき。ここに天忍穂耳の命、天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国は、いたくさやぎてありなり」と告《の》りたまひて、更に還り上りて、天照大御神にまをしたまひき。ここに高御産巣日《たかみむすび》の神、天照大御神の命もちて、天の安の河の河原に八百万の神を神集《かむつど》へに集へて、思金の神に思はしめて詔りたまひしく、「この葦原の中つ国は、我が御子の知らさむ国と、言依さしたまへる国なり。かれこの国にちはやぶる荒ぶる国つ神どもの多《さは》なると思ほすは、いづれの神を使はしてか言趣《ことむ》けなむ」とのりたまひき。ここに思金の神また八百万の神たち議りて白さく、「天菩比《あめのほひ》の神、これ遣はすべし」とまをしき。かれ天菩比の神を遣はししかば、大国主の神に媚びつきて、三年に至るまで復奏《かへりごと》まをさざりき。
 ここを以ちて高御産巣日の神、天照大御神、また諸の神たちに問ひたまはく、「葦原の中つ国に遣はせる天菩比の神、久しく復奏《かへりごと》まをさず、またいづれの神を使はしてば吉《え》けむ」と告りたまひき。ここに思金の神答へて白さく、「天津国玉《あまつくにだま》の神の子 天若日子《あめわかひこ》を遣はすべし」とまをしき。かれここに天《あめ》の麻迦古弓《まかこゆみ》天の波波矢《ははや》を天若日子に賜ひて遣はしき。ここに天若日子、その国に降り到りて、すなはち大国主の神の女 下照比売《したてるひめ》に娶《あ》ひ、またその国を獲むと慮《おも》ひて、八年に至るまで復奏《かへりごと》まをさざりき。
 かれここに天照大御神、高御産巣日の神、また諸の神たちに問ひたまはく、「天若日子久しく復奏《かへりごと》まをさず、またいづれの神を遣はして、天若日子が久しく留まれるよしを問はむ」とのりたまひき。ここに諸の神たちまた思金の神答へて白さく、「雉子名鳴女《きぎしななきめ》を遣はさむ」とまをす時に、詔りたまはく、「汝《いまし》行きて天若日子に問はむ状は、汝を葦原の中つ国に遣はせるゆゑは、その国の荒ぶる神たちを言趣《ことむ》け平《やは》せとなり。何ぞ八年になるまで、復奏《かへりごと》まをさざると問へ」とのりたまひき。

これ以降も古事記の随所に「言向け和す」という言葉が出てきます。

次に出てくるのはオオクニヌシの国譲りの場面です。タケミカヅチ(建御雷)の神が高天原から使者として派遣されます。そしてオオクニヌシが、国を天津神に献上することを約束した後、タケミカヅチは高天原に帰還して、葦原の中津国(日本の国土)を言向け和したことを報告するのです。
ここの原文は「言向和」です。

かれ建御雷の神 返りまゐ上りて、葦原の中つ国を言向け和しし状《さま》をかへりごとまをしき。

他にどういう場面で使われているか、いくつか見てみましょう。

【初代 神武天皇】
…かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向け和し、伏《まつろ》はぬ人どもを退《そ》けはらひて、畝火《うねび》の白檮原《かしはら》の宮にましまして、天《あめ》の下 治《し》らしめしき。

【第7代 孝霊天皇】
…吉備の国を言向け和したまひき。

【第10代 崇神天皇】
 またこの御世に、大毘古《おほびこ》の命(注・孝元天皇の皇子)を高志《こし》の道に遣し、その子 建沼河別《たけぬなかはわけ》の命を東《ひむがし》の方 十二《とをまりふた》道に遣して、その服《まつろ》はぬ人どもを言向け和さしめ、また日子坐《ひこいます》の王《みこ》をば、旦波《たには》の国に遣して、玖賀耳《くがみみ》の御笠《みかさ》(こは人の名なり。)を殺《と》らしめたまひき。

【ヤマトタケル(倭建)の西征】
…山の神 河の神また穴戸《あなと》の神をみな言向け和してまゐ上りたまひき。

【ヤマトタケル(倭建)の東征】
…ここに天皇《すめらみこと》、また頻《し》きて倭建《やまとたける》の命に、「東の方十二道《とをまりふたみち》の荒ぶる神、また伏《まつろ》はぬ人どもを、言向け和せ」と詔《の》りたまひて…
…東の国にいでまして、山河《やまかは》の荒ぶる神または伏はぬ人どもを、ことごとに言向け平和《やは》したまひき。
…そこより入りいでまして、ことごとに荒ぶる蝦夷《えみし》どもを言向け、また山河の荒ぶる神どもを平《ことむ》け和《やは》して

──とまあ、このような感じで使われています。
天皇を首班とする渡来民族(天津神)が、日本列島を征服し、先住民族(国津神)を支配下に置いて行くプロセスで、「言向け和す」という言葉が使われています。

和す(やわらかにする)というのですから、天津神と国津神、双方共に一致和合して円満解決……というイメージがします。しかし現実には、神武天皇もヤマトタケルノミコトも、武力によって先住民族を強圧的に征服して行った、という側面を持っています。

たとえば、先述した国譲りの立役者であるタケミカヅチの神は、出雲の国の浜辺に降り立つと──十掬の剣(長い剣)を逆様に突き立てて、オオクニヌシに国譲りを迫るのです。
剣を突き立てて国を譲れと言うのですよ。まるで床にドスを突き立てて「土地を明け渡さんかい」とすごむ地上げ屋の暴力団のようなかんじですね。
果たしてそんなやり方で「言向け和した」と言えるでしょうか? ……それでは「脅迫」ですよね。そんなやり方では、オオクニヌシは和されなかったことでしょう。脅されて渋々国譲りした、というかんじですね。

「言向け和す」が天孫民族に与えられたミッションだとはいえ、現実には言向け和すのはとても難しくて、それで暴力に頼ってしまい、いつしか「言向け和す」なんて忘れ去り、長い年月が経って今日にまで至るのではないでしょうか?
現代の私たちだって、人を言向け和そうと思ってもなかなか和せません。意見の対立を乗り越えられなくて、何か批判されたら悔しいから言い返して、それでお互いに相手を斬って、傷つけ合っています。
大日本帝国も、軍事力で周辺諸国を従わせてアジアの盟主になろうとしたのだし、現在の日本だって、軍備放棄の憲法を高く掲げたのはいいものの、好戦的な国を言向け和すことができずに、結局は軍事力で紛争を解決しようとしています。
言向け和すことはとても難しいことです。
しかし、争いに満ちた地上を言向け和すことを使命として日本が建国されたのです。私はこの素晴らしい崇高な使命を何とかして達成したいと思うのです。

さて、話がずれましたが、古事記には、アマテラスがニニギに、地上を言向け和せと命じたことは、明確には書いてありません。

古事記にはっきり書いてあることは、

①アマテラスが孫のニニギに、地上に降臨して統治せよ、と命じた。

②アマテラスは、降臨に先立って地上に使者を遣わし、荒ぶる神々を「言向け和せ」と命じた。

③ニニギの曾孫である神武天皇(初代天皇)、その子孫である孝霊天皇(第7代)、そして日本武尊(第12代・景行天皇の皇子)が、荒ぶる神々を言向け和して行った。

ということだけです。
アマテラスが直接、ニニギ(及びその子孫である天皇)に対して「地上を言向け和せ」と命じたシーンは出て来ないのです。

しかし③ニニギの子孫である天皇が「言向け和す」を実行しているので、アマテラスは②使者に対してだけではなく、①ニニギに対しても「言向け和す」を命じたのであろうと推測できるのです。
これが、「皇祖は天孫に地上を言向け和せと命じた」と私が主張する根拠です。

ただし、古事記に「言向け和した」と書いてあるからと言って、実際に国津神が言向け和されたのかどうかは別問題です。前述したように、武器で脅されて嫌々ながら…というのが実情だったのではないでしょうか。しかしそれは大和朝廷側が「言向け和す」とはいかなることかよく分かっていなかったからであり、大和朝廷の主観では「言向け和した」と思ったから、そのように古事記に書いたのでしょう。

いずれにせよ、古事記を朝廷以外の者が読むようになったのは江戸時代の国学者たちからで、一般市民でも読めるようになったのは明治以降のことです。帝国主義全盛の時代に古事記を読んでも、「言向け和す」の崇高さに気がつく人はいなかったのでないかと思います。
だから今日でも、それが皇祖の大命であるとは認識されておらず、相も変わらず日本人は、他人を力でねじ伏るようなことばかりしているのです。

日本民族は世界を言向け和すために神が準備しておかれた民族であるということを自覚せねばなりません。

古事記に「言向け和すが日本の使命」と明記されてはいませんが、

●古事記編纂(西暦712年)よりおよそ百年前(604年)に聖徳太子が制定した十七条憲法の筆頭に「和を以て貴しとなす」と規定されている。

●日本の別名を「和」と呼ぶ。(西暦750年頃から使われるようになった。それ以前は「倭」)

という事実を合わせて考えてみると、「言向け和す」が日本の使命だとか国是だとか断言してもいいと思います。

   ○   ○   ○

ここでこういう疑問が浮かんだ方もいるかも知れません。「そもそも古事記に書いてあることは真実なの?」と。

当然ながら古事記は支配者(勝者)から見た歴史の書であり、前半部分は神話です。歴史的事実がそのまま書いてあるとは言えません。しかしこれは天皇が編纂を命じたものであって「日本はこういう国です」ということを規定した書物なのです。

たとえば自伝を書くとします。当然、自分に都合のいいことしか書きません。自伝に書いてあることがすべて事実かどうかはあやしいものです。ですが「私はこういう人生を歩んできた人間です」と知ってもらうために自伝を書くのです。それは著者が自分自身を「自己規定した」のだと言ってよいでしょう。

古事記は1300年前に天皇が「日本はこういう国だ」と自己規定した書物なのです。日本は「言向け和す」を使命として建国されたのだと、当時の天皇が自己規定したのです。神武天皇や聖徳太子が仮に実在していなかったとしても何の問題もありません。「言向け和す」が、日本国家が掲げた国是だということには変わりがないのです。

そして、古事記編纂から1234年が経った昭和21年(1946年)に、戦争放棄を宣言した日本国憲法が公布されました。
私はそこに、人智を超えた神の壮大な意志というものを感じます。
そこには「言向け和す」という言葉こそ使われていませんが、紛争解決の手段として戦争することを放棄することが謳われています。これこそまさしく「言向け和す」の精神です。日本の使命は「言向け和す」だということが再規定されたのです。これはとても重要なことです。

憲法九条をよく知らない方のために掲載しておきます。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

戦争放棄を定めた第九条はマッカーサーの発案だとも、幣原首相の発案だとも、あるいは昭和天皇の発案だとも言われています。しかし誰が発案したのかはここではどうでもいい問題です。

「言向け和す」を使命として建国された日本に、戦争放棄の憲法が制定されたという事実は、日本人に「言向け和す」が使命だということを思い出させるために、神様が仕向けた天意ではないのかと思うのです。暴力は使うなと皇祖から命じられていながら、暴力を使い続ける日本人を目覚めさせるために、憲法九条が生まれたのではないかと強く感じるのです。

しかし、暴力を使わずに、いったいどうやって、紛争を解決すればいいのでしょうか?
新憲法制定から70年が経つのに、未だにそれが探究されていません。
日本が戦争を放棄したからと言って、世界は平和にはならないのです。

自民党では憲法九条改正に向けて着々と事が進んでいるようですが、他の国々のように軍隊(自衛隊)を憲法で規定しようというのは、世界的に見たら当たり前のことです。
しかし百年前と同じことの繰り返しです。軍拡競争して、ドカ~ン、です。
何の進歩発展もありません。

それに対して憲法九条を守ろうと、怒声を上げている人たちがいます。戦争をなくしたいという気持ちは大切ですが・・・しかし憲法九条を守っても世界は平和にならないということが、まだ分からないのですね。今現在でも世界では戦争でどんどん人が死んでいっているというのに。
こちらもまた進歩発展がありません。

戦ってはダメ。戦わなくてもダメ。

この禅問答のような命題を、神は日本に突きつけているのです。

武力を使わずに、紛争を解決する。

それが出来なくては人類は次の時代──ミロクの世へ進むことは出来ません。

この命題を解かせるために、神は天孫を下し、日本を建国したのです。
そしてその命題を解く鍵として、神は王仁三郎を世に下し、霊界物語を書いたのです。

(続く)

言向け和す(3) 古事記に秘められた日本の使命

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月17日

「言向け和す(ことむけやわす)」とはどういう意味でしょうか?
広辞苑を引くと、「言向け和す」そのものは載っていませんが、「言向く」と「和す」について次のように出ています。

【言趣く・言向く】ことばで説いて従わせる。転じて、平定する。
【和す】①やわらかにする。②やわらげる。平穏にする。

つまり「言向け和す」とは「言葉で説いて人の心を和らげて穏やかにする」というような意味になると思います。

また、旺文社の古語辞典には、

【言向く】そむいている者を説得する。服従させる。
【和す】やわらげる。平和にさせる。帰順させる。

とあります。
意味的には広辞苑と同じでしょうけど、「服従させる」とか「帰順させる」という説明が加わっています。これはもともと「言向け和す」という言葉は、大和朝廷が日本列島全土を征服し、先住民族を支配して行くプロセスで用いられた言葉だからです。

「言向け和す」は古事記に出て来る古い大和言葉です。
古事記は712年に完成した日本最古の歴史書であり、つまり1300年以上前から「言向け和す」という言葉が使われて来たのです。

それは、天孫降臨の時に初めて使われた言葉です。
天照大御神が天孫(ニニギ)を高天原から地上に降臨させる時に「地上の荒ぶる神々を言向け和して一つに統一して治めなさい」というミッションを与えたのです。(注・これは意訳です。詳細はまた後で書きます)

世界統一の使命を受けて降臨した天孫の、その子孫が天皇です。つまり天皇は、世界統一の使命を持っているのです。

その世界統一を実現するための手段として皇祖・天照大御神が指示したものが「言向け和す」です。
言向け和して、世界を統一せよと命じたのです。

しかし現実の日本の歴史はどうでしょうか。
神武天皇も日本武尊も、武力で日本列島を制圧して来たという側面を持っています。大日本帝国も武力で周辺諸国を服従させて来ました。
皇祖の「言向け和せ」という命令に反する方法で、統一を進めて来たのです。

しかし、武力自体を否定してはいけません。武力で攻撃して来る者に対しては、武力でないと対抗できません。物理的な力には物理的な力でないと対処できないのです。これは自然の道理です。
しかし、武力に武力で対抗し、武力で相手を屈服させても、それで平和な世になったわけではありません。表面的な武力紛争がなくなっただけです。屈服させられた相手の心には怨念・憎悪が残ります。それが凝り固まり、何かの機会に爆発して、新たな紛争を生み出すのです。
これは身の回りの紛争──たとえば男女の痴話喧嘩でもそうですね。夫婦喧嘩して奥さんを口で言い負かして黙らせたとしても、後で食事に毒を盛られて復讐される可能性もあるのです。そんな世界は平和とは言えませんね。
武力による解決は、一時的・その場しのぎ的な解決に過ぎないのです。

怨恨を残すようなやり方ではなく、心を和(やわ)して一つになりなさい、ということを皇祖は命じているのです。

その皇祖の大命を探究して81巻の書物に著したものが霊界物語です。
私は、王仁三郎以前に先人たちが「言向け和す」についてどのように論じて来たのか調べてみました。

国立国会図書館には日本全国で出版された書物が収蔵されています。そこで調べてみたところ、驚くことが分かりました。
「言向け和す」について論究されている文献が、全くと言っていいほど無いのです。
ウソだと思う人は国立国会図書館の公式サイトで検索してみて下さい。
http://www.ndl.go.jp/

「言向け和す」でヒットする本は、私の本『超訳 霊界物語 ~出口王仁三郎の[世界を言向け和す]指南書』だけです。しかも副題です。
他に、「ことむけやはす」という言葉が入った本があるんですが、読んでみると著者の自叙伝のような本であり、「言向け和す」を論じた本ではありません。
「言向和」等で検索するといくつか出て来ますが、いずれにせよ「言向け和す」を論じた本ではありません。
「言向け和す」を論じた論文(雑誌等に掲載)なら、何本かあります。しかし、古事記等の文献で「言向け和す」という言葉がどのように使われているのかを調べた論文であって、「言向け和す」とは何なのかを研究した論文ではありません。

他に、検索で出て来ない本でも、主に神道系の本ですが「言向け和す」に言及した箇所がある本なら結構たくさんあります。
しかし前述の辞書に出て来るような意味で使われているだけで、それ以上に探究がなされているわけではありません。(注・そのいくつかを例として後で紹介します)

驚いたことに、古事記成立以来、1300年の間、日本人は皇祖の大命について何ら探究して来なかったのです。
一体なぜ日本国が誕生したのか。
それは天皇が列島を統一したからです。
ではなぜ統一したのか。
それは皇祖の大命降下によるものです。
天照大御神が「言向け和して世界を統一せよ」という大命を降下したからこそ、今の日本人がいるのです。
それを忘れてしまった日本人に、天賦の使命を目覚めさせようとしたのが、霊界物語だったのです。

その事実に気が付いた時、私は王仁三郎のスゴさをあらためて実感しました。

富国強兵を叫び、武力こそ正義と誰もが信じていた時代に、「世界統一」という皇祖の大命を復活させたのです。
そして「言向け和す」こそが皇祖の御心であるということを甦らせたのです。

古事記成立以来、いや、天孫降臨以来、「言向け和す」を本格的に探究したのは、王仁三郎の霊界物語が初めてだったのです。
王仁三郎は弾圧され、非国民・反逆者として罵られましたが、それは全く真逆です。
王仁三郎こそが、皇祖に一番忠実な臣民だったのです。

さて、ここで、『言向け和すは分かったけど、そもそも世界を統一する必要なんてあるの?』と疑問に感じる人もいるかも知れませんので、一言書いておきます。
世界を統一する必要は、あります。
自分の村の中だけ住んでいる分には、統一の必要なんてそれほど感じないと思います。
うちの村と隣り村とをなぜ統一しなくてはいけないのか。
それを感じるのは、人の行き来が起こるようになった時です。ルールとか文化とかを統一しなくては不自由だし、言葉が通じないために意思の疎通が出来ずに無用な争いが起こりがちになります。
人の往き来をしなければいいだろうと思うかも知れませんが、少なくとも、自然環境が変化すると、食べ物や住む場所を求めて人々は移動を始めるのです。
古代国家の栄枯盛衰は、火山の噴火や地震などの大規模な天災と無縁ではありません。

そしてやがて地球的規模の天変地異がやって来ます。
それがいつなのかは分かりませんが、50世紀までには地軸の角度が元に戻る(大洪水の時に地軸が傾いた)ということが霊界物語に予言されています〔第15巻第21章参照〕。
天変地異と言うとオカルトっぽく聞こえるかも知れませんが、地球の長い歴史から見たらよくあることです。「地球あるある」です。たいしたことではありません。しかし人類の短い歴史から見たら、たいへんな事態です。
今天変地異が起きたら、それこそ人類は滅びかねません。もし日本列島が沈んだら(実際には沈みませんが)一体、日本人はどこへ逃げたらいいのでしょうか? 反日感情の高い韓国や中国が日本人を受け入れてくれますか?
中近東が沈んだら、シリア難民を追い返すヨーロッパ諸国が、ムスリムを受け入れてくれますか?
北米のUSAだけが沈んだら、トランプ支持者をメキシコが受け入れてくれますか?
現在の人類の「敵を憎め」という在り方では、来たるべき大峠(天変地異)を乗り越えることが出来ません。
そこで、神様は事前に警告(予言)を発し、人類に在り方を改めさせ、世界を統一して、大峠に備えた体制造りをさせようとしているのです。
世界的規模の天変地異には、人類が一致団結して臨まねばなりません。
その世界統一の役割を担う国として、神様は日本を準備しておられたのです。
それがいわゆる「三千年の仕組」です。
その統一とは武力による統一ではなく、言向け和すことによる統一です。

では、言向け和すとは具体的にどのようなことなのか、その手引きとなる指南書として、霊界物語があるのです。

(続く)

言向け和す(2) なぜテーマが「言向け和す」なのか?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月16日

霊界物語のテーマは何でしょうか?
王仁三郎は霊界物語のテーマについて明確に述べてはいませんが、私は「言向け和す(ことむけやわす)」がテーマであると考えています。

その前にまず「テーマ」とは何でしょうか?
テーマを日本語に訳すと主題です。
小説や映画、演劇等の主題は、静的な名詞ではなく、動的な動詞や形容動詞であるべきです。

たとえば「愛」をテーマにしたシンポジウムだとか、「自然」をテーマに論じた論文だとか、分野によって「テーマ」の性質が変わって来ます。これらの例では、テーマが名詞であってもおかしくはありません。

しかし小説等におけるテーマとは、作者の主義主張のことです。「戦争をテーマにした映画」と言う場合、その「戦争」という名詞はテーマというよりはむしろ題材とか話題とか呼ぶべきもので、戦争は何だと言いたいのか、その主張こそが真にテーマと呼ぶべきものなのです。「戦争は素晴らしい」と言いたいのか「戦争は悲しいことだ」と言いたいのか、作者の主張によって作品から受ける感動が全く変わって来ます。

「言向け和す」は動詞ですが、厳密に言えば他動詞なので、目的語が必要です。つまり言向け和す対象です。いったい何を言向け和すのか? 「悪を言向け和す」とか「世界を言向け和す」とか、そういう形にすることが、テーマとしてふさわしい言葉になると思います。私は「世界を言向け和す」と言っているのですが、今のところまだ確定の心境には達していないので、とりあえず「言向け和す」だけにしておきます。

ところで、テーマ(主題)に対して、アンチテーゼ(反対命題)も必要です。
たとえば、「愛はお金より大切だ」という主張がテーマであるなら、「愛よりお金が大切だ」というアンチテーゼを立てます。そして、主人公は最初は守銭奴で『ヘン、愛でメシが食えるか』と鼻先で笑っていたのが、献身的に愛を捧げるヒロインと出会うことで、愛の大切さに目覚めて行く…という形でストーリーを展開させて行くわけです。あるいは、主人公は最初から「愛はお金より大切だ」という信念の持ち主という設定にしてもいいです。そして主人公の前に札束をばらまいてその信念を揺るがすような試練を与えながら、『それでも愛は大切だ』というテーマを再確認して行く…という方法もあります。

霊界物語のテーマが「言向け和す」だとするなら、アンチテーゼは何でしょうか? 「言向け和せない」とか「言向け和すなんて無理だ」ということかな??
実際に霊界物語では、地上霊界の主宰神・国常立尊や、地上現界の主宰神・スサノオが、荒ぶる神々を言向け和せずに、彼らによって追放されてしまうのです。
主人公の信念が挫かれたわけです。
大本神諭に「神も時節には叶わんぞよ」と度々出て来るように、世界が言向け和されてミロクの世が成就するには、長い長い歳月が必要でした。その間、国常立尊やスサノオは何もせずに放置していたわけではなく、世界を言向け和すために、陰から守護していた(=工作していた)のです。
で、表に出て活躍するのは、スサノオの手足となる宣伝使たちです。宣伝使たちが、悪党はもちろん、世界の人々を言向け和す旅をするわけです。
そして、霊界物語で一番登場回数が多い高姫は、彼女の存在自体がアンチテーゼです。高姫は言向け和せない最凶キャラです。実際には、彼女は何度も言向け和されて改心するのですが、しかししばらくするとまた悪化してしまいます。結局、最後までそれを繰り返しながらストーリーが進んで行くのです。

さて、霊界物語のテーマが「言向け和す」だと思うようになった理由ですが、最初はそれほど深い理由はなかったように思います。
たしか平成22年(2010年)頃から、霊界物語のテーマは「言向け和す」だと説くようになったと記憶しています。その頃から、イベントの懇親会や、異業種交流会のような場所で、名刺交換をし、私は何をやっている人で、霊界物語とは何なのかを簡潔に説明する必要に迫られるようになったのです。
それで、主人公は誰か(これは前回書いたようにスサノオです)、そしてテーマは何なのかを探究したのです。

霊界物語は惟神を説いている、という見方も出来ます。つまり「神の御心のままに生きる」ということがテーマです。
また「安心立命する」ということがテーマだとも、「人類愛善を実践する」ということがテーマであるとも言えるでしょう。
王仁三郎が、テーマは何かを明言していないので、いろいろな考えがあってしかるべきです。
その中で私が「言向け和す」という言葉に注目したのは、千数百年前から使われている古い大和言葉であるにもかかわらず、現代ではほとんど使われておらず、新鮮味のある言葉と感じたからです。何か人を惹き付ける力を持った言葉だな、と思ったのです。

また、その言葉が霊界物語である程度頻繁に使われている、ということも、理由の一つです。
「言向け和す」という言葉は、その省略形と思われる「言向ける」という言葉と合わせると、霊界物語全巻の中で約600回ほど使われています。それを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが。
ちなみに「惟神」は約3000回、「愛善」は約170回、「安心立命」は約10回です。もちろん、その言葉が多く使われているからと言って、それがテーマということにはなりませんが、「言向け和す」は動詞なので、テーマとして好ましい言葉だと思います。

そして、使い勝手がいい言葉でもあります。
「霊界物語は宣伝使が悪人を言向け和す物語」とか、「スサノオが太古にヤマタオロチを退治した時には斬り殺してしまったので、その怨霊が現代に甦り悪事を為している。今度のオロチ退治は斬るのではなく、言向け和すのである」などと、霊界物語をいろいろ説明する際に、便利な言葉なのです。
「惟神」とか「愛善」に比重を置くよりも、「言向け和す」に比重を置いて説明した方が、説明しやすいのです。

そしてまた、時代精神にマッチした言葉でもあります。
最初は何となく「霊界物語のテーマは『言向け和す』です」と言っていただけだったんですが、次第に「今の時代だからこそ『言向け和す』だ」と確信するようになって行きました。
2010年9月に尖閣諸島周辺で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりして逃走するという事件が起き、その頃から中国での反日活動が活発になって行きます。そして2011年3月の東日本大震災を挟み、2012年9月に日本政府が尖閣諸島を国有化すると、日中国交正常化以降最大規模のデモが起き暴動と化したのです。
このような状況を見て私は、地震の次は『今度は戦争だ』と感じ、『今こそ「言向け和す」だ』と確信したのです。

以上のように、私の霊界物語普及活動の中から「言向け和す」がクローズアップされて来たのです。
ですから、霊界物語のテキスト化作業をしていた時期(2003~2006年)には、「言向け和す」に全く興味を持ちませんでした。
「言向け和す」が霊界物語のテーマだと位置づけた拙著『超訳 霊界物語 ~出口王仁三郎の[世界を言向け和す]指南書』が発売された後、霊界物語を何度も読んでいる長老が、「自分は『言向け和す』を重視していない」と言っていました。たしかに、霊界物語を読んでいるだけでは、「言向け和す」を重視することはないかも知れませんね。私の実践の中から霊界物語のテーマは「言向け和す」だと確信するに至ったのです。

ところで「言向け和す」とはいったいどういう意味なんでしょうか? 実際にどうしたら人を言向け和すことが出来るのでしょうか?
「言向け和す」は古事記に出て来る言葉です。
王仁三郎以前に、先人たちが「言向け和す」についてどのように説いているのか、それを調べてみました。
すると驚くことに、千数百年間、「言向け和す」は全くと言っていいほど、論究されていなかったのです。

(続く)

言向け和す(1) 霊界物語の主人公とテーマは何?

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月15日

出口王仁三郎が書いた霊界物語のテーマは何でしょうか?
私は「言向け和す(ことむけやわす)」がテーマだと人に教えています。
しかし王仁三郎がそう言っているわけではありません。
王仁三郎は霊界物語のテーマについて言及していません。
ですから色々な意見があっていいのですが、私は「言向け和す」がテーマだと考えています。
私自身が霊界物語を探究した結果、「言向け和す」がテーマだと確信したのです。
これから何回かに分けて、この霊界物語のテーマ「言向け和す」について書いていこうと思います。


私は平成21年(2009年)から霊界物語の講座を行うようになり、霊界物語をどのように人に伝えて行けばいいのか、いろいろと考えました。
霊界物語とは何なのか、簡潔に短い言葉で紹介するには、どのように言えばいいのだろうか、と。

まずは霊界物語の出版社がどのように宣伝しているのか調べました。
現在、霊界物語の印刷本は、天声社、愛善世界社、八幡書店の3社から出版されています。
そのホームページから、霊界物語の宣伝文句を引用してみます。

天声社
 本書は、出口王仁三郎聖師が霊山高熊山で神的修業をされた際、心得された救世の教えと経綸を口述編纂されたもので『大本神諭』とともに大本の根本教典である。
 神と人との関係、人生の意義、霊界の真相、救世の本義、地上天国建設の神策などがユーモアあふれるなかに凝縮され、読者を知らずしらずのうちに雄大無比な宇宙真理に導き、限りない歓喜と光明の法悦に浴させる宇宙唯一の大宝典である。

愛善世界社
 『大本神諭』とともに大本の根本教典である『霊界物語』は、三千世界の救世の書であり、最後の審判書といわれます。
 全81巻83冊という他に類例を見ない長大な教典であり、宇宙の剖判から50世紀の未来に至る大宇宙の実相が物語の形式で開示されています。
 霊界物語はみろくの大神の啓示のまにまに出口王仁三郎聖師が口述したもので、大正10年から昭和初期にかけて天声社から発刊されました。(以下省略)

八幡書店
 王仁三郎は『霊界物語』全81巻83冊を、延べわずか1年1カ月という信じられないスピードで口述した。常人の技ではない。
 天界の中府に、あるいは宇宙の外に身をおき、霊眼に映じてくる神々の活動は、ものに憑かれたように、湧きあふれるように、王仁三郎の口から語りだされ、一字一句おろそかにされることなく筆録された。
 大虚空からの宇宙創造、地球を舞台とする神々の活動と神政の破綻、正神群と邪神群の闘争、世界を巻き込む終末状況、救済更生の神・神素盞嗚大神の活動などの歴史を軸に、豊かな文体で神々人々の葛藤、改心、歓喜の世界が織りなされてゆく。舞台は全世界におよび、国家国境の枠を超越している。
 霊的世界を内包する生命性あふれる自然万物への開眼、人間存在に注がれる神の愛と三界にわたる霊魂の運命と歓喜、現界での人生の意味など、きわめて詳細に解き明かされ、国際政治、内政、経済のあり方、宗教、教育、芸術、恋愛など百般に及ぶ。
 しかも、その多彩な文章表現のなかには、無数の予言や暗示が重層的にぬりこめられている。
 『霊界物語』にまつわる奇跡談は枚挙にいとまがない。刊行中から夢のなかで続きを読んだという人や、電球が12個に見えるほどの乱視の人が、なぜか『霊界物語』の活字だけはくっきりと見え、全巻拝読できたという例もある。『霊界物語』は既存の宗教テキストの観念をまったく打ち破る。全体は小説形式を採りながら論説あり、随筆あり、詩歌ありと天衣無縫に展開し、襟を正して読まねばならぬ箇所があるかと思うと、抱腹絶倒のユーモアが折り込まれ、楽天主義を説く王仁三郎独特の明るさに満ちた世界が拡がる。まさに、読むだけで癒されるヒーリング文学といえよう。

なるほど。
各社ともいろいろ考えて、霊界物語を紹介していますね。
これはこれは簡潔に紹介していて、とても良いです。

しかし私は、これらの文章に今ひとつ物足りなさを感じていました。
それはおそらく──これらの紹介文は「本」の紹介であって「物語」の紹介ではないからだと思います。
外側の紹介であって、内側の紹介ではない、と言ってもいいでしょう。
何かの映画の予告編を思いおこして下さい。その映画の見所となるシーンを短くカットして繋いで紹介しています。主役を始めとする登場人物やアクションを見せるわけです。それが内側の紹介・物語の紹介です。
それと同時に、○○賞を受賞した××が監督だとか、制作費が○○億円だとか、そういうスペック的なこととか、「この夏空前の感動巨編」みたいなキャッチコピーを、テロップやナレーションで流して行くわけです。それが外側の紹介・本(映画)の紹介です。
紹介には、この内と外の両面が必要となります。
前述の各社の霊界物語紹介は、どれも映画予告編にテロップで流れるキャッチコピー的な感じです。
それはそれで重要ですが、それと同時に、そこに流す物語のカットも必要です。
霊界物語を「物語」として紹介するにはどうしたらいいか、いろいろ考えました。
映像作品ではなく、文字だけで書かれた物語の予告編をどう作るか?

まず「物語」なんですから、主人公がいるはずです。霊界物語の主人公は誰なのか?
王仁三郎は特に誰が主人公とは述べていませんし、全巻通して登場する人物もいません。
主人公は誰なのか科学的に(?)解明するため、電子化した霊界物語のテキストを使って登場人物の名前の使用回数を調べました。主人公なら一番多く出て来るはずです。
その結果、第一位は高姫で約5千回、名前が出て来ることが分かりました。
しかし高姫は悪党です。キャラ的にはおもしろいのですが、悪党が主人公というのは、ちょっとどうなのかな~~?
第二位は黒姫で約2500回。しかし黒姫は高姫の一番弟子で、やはり悪党です。
闇金ウシジマくんとか東映ヤクザ映画のように、悪党が主人公という物語は多々ありますが、しかし霊界物語はいちおう神の教えが書かれた教典なので、そのような紹介の仕方はちょっとアレですね。
実は最初は、私も茶目っ気を出して、高姫を霊界物語の主人公に位置づけようと思ったのですが、関係各方面から多大な批判が出ることことも予想されるので、踏みとどまったのです。霊界物語を一般に広めて行くというのは先駆者がいませんので、私が言うことがデファクトスタンダードになってしまう可能性があります。だから慎重に事を進めなくてはなりません。

そこで、もう一度霊界物語をよく読んでみると、第1巻の一番最初、「序」に、次のように書いてありました。

 この『霊界物語』は、天地剖判の初めより天の岩戸開き後、神素盞嗚命が地球上に跋扈跳梁せる八岐大蛇を寸断し、ついに叢雲宝剣をえて天祖に奉り、至誠を天地に表はし五六七神政の成就、松の世を建設し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまいし太古の神代の物語…
〔第1巻序〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm010001

なるほど。
主語が「スサノオ(神素盞嗚命)」になっています。第1巻の冒頭に「スサノオが~五六七神政を成就する物語」と書いてあるのですから、スサノオが主人公と考えて間違いないでしょう。
スサノオの名前の登場回数は第5位の約1000回なので、それほど多くは登場しないのですが、ミナミの帝王もゴルゴ13も水戸黄門も主人公はそれほど多く登場しているわけではありません。主人公以外の人物がストーリーを進めて行き、肝腎なとこだけ主人公がボンと出るという形です。そういう物語の形態もあるのです。

スサノオが主人公ということについては、それほど異論は出ないと思います。
ただし「王仁三郎が主人公だ」と言う人はいるかも知れませんね。
第1巻の途中までは、王仁三郎自身が物語の主人公として登場し、一人称で語られて行きます。
それが途中から、王仁三郎がどこかに消えてしまい、三人称に変わるのです。
これは、王仁三郎が宇宙の中心の「須弥仙山」から、神々の物語を見ている、という形になるからです。〔第1巻第20章「日地月の発生」参照〕

王仁三郎は物語の外側から観察して語っているのですが、たまに物語の中に入り込むのがおもしろいです。第5第24章「天の浮橋」では自らが、天空に架かる天の浮橋の上に揚げられて橋を渡っていますし、時々霊界から現界に戻り、高熊山の寒い岩窟で目を醒まします。(第2巻第50章第3巻第17章など)

王仁三郎の神霊はスサノオですし、霊界物語のスサノオとは実は王仁三郎自身のことであるという解釈も出来ますので、霊界物語の主人公は王仁三郎だという見方をしてもいいと思います。
しかし、王仁三郎本人が物語の中で活躍するシーンは、ほんのわずかですので、私はスサノオが主人公であると位置づけたのです。
「王仁三郎が」というよりは「スサノオが」と言った方が、霊界物語の神話世界に入りやすいと思いますしね。

さて、主人公は誰だか確定したので、次に霊界物語の「テーマ」は何だろうと考えました。
他人に霊界物語を紹介する上で、「霊界物語の主人公は○○で、テーマは××です」と話せば、霊界物語を簡明に伝えられるだろうと思ったのです。
知らない人に霊界物語を知ってもらうのが私の役目です。話のつかみが大切です。最初の30秒で人の心をつかまなくては、もう後は聞いてくれません。

しかし王仁三郎は霊界物語のテーマは何か、語っていません。
さて、テーマをどうやって調べたらいいでしょうか?

(続く)