教えの名は変わっても神様に変わりはない

投稿:2016年04月05日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

第53巻第23章「純潔」より

ビクの国の内事の司タルマンは、ウラル教の宣伝使であるが、三五教の宣伝使・治国別(はるくにわけ)に国を救われたことに感謝し、治国別に弟子入りすることを願い出ます。それを了承した治国別のセリフ

三五教の祠の森には、国治立大神様、盤古神王様、大自在天様がお祭り致してありますれば、教えの名は変われども、神様には少しも変わりはありませぬからなア

「祠の森」の三五教の聖場には、神殿が三社あり、

  • 中央には、国治立尊(三五教)、日の大神、月の大神が
  • 左側には、大自在天・大国彦命(バラモン教)と盤古大神・塩長彦神(ウラル教)が
  • 右側には、山口の神を始め、八百万の神々が

鎮祭されています。〔第49巻第5章「復命」〕

バラモン教とウラル教の神も祭られていますが、三五教の神殿では常にどこでもそうしているのではなく、祠の森では何らかの理由があって祭っているのですが、たとえ邪教でも排斥するのではなく、一つに繋げていこうという精神が現われています。
ここに王仁三郎が唱えた「万教同根」の精神が見てとれます。
大国彦も塩長彦も、元をたどればみな国祖・国常立尊(国治立尊)の子孫です。

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。いろいろな角度から考えてみて下さい。)