労働の報酬は当然の権利、ではない。

投稿:2016年03月19日

霊界物語のちょっと気になる言葉です。

第46巻第2章『慰労会』より、宣伝使・五三公と、万公との会話

五三公『オイ万公、労働は神聖だ。俺だって労働は貴様と同様にやったのだ。労働の量に相当しただけの報酬を、権利として要求するのは道徳的には根拠のないものだよ。労働の報酬のみをもって当然の権利とみるならば、それこそ社会に弊害百出して世を混乱に導くより仕方がない。老者、病者、小児などは労働をせないからパンを与えないと云ったらどうするのだ。
労働させて貰うのもヤッパリ神様のおかげだよ。
現代やかましく持ち上がって来た労働問題は、人類の集団もしくは階級間の問題でなくして、神様と人間との問題だ
われわれ三五教の宣伝使または信者たるものは、いかなる場合にも、永遠の真理の上に立ち、時代を超越していなければならない。神聖な神の道でありながら、労働問題を云々するような事は、チッと謹まねばなるまいぞ
万公『それだとて、労働は天の恵みを開拓するのだ。宣伝使だってヤッパリ労働者でもあり、また報酬を要求する権利がなくてはヤリ切れないじゃないか』
五三公『宣伝使、信者の、神より賜わる報酬というものは、信と愛と正しき理解との歓喜の報酬を即時に神から賜わっているじゃないか。たとえ世の中の物貨生産の労働に従事し、相当の報酬を得るのを、今の人間は自分が儲けるのだと云っているが、決して儲けるのではない。神から与えられるのだ。おかげを頂くのだ。自分が儲けるなンて思ったら大変な間違いだ。
人間というものは自分から生きるこたァ出来ない、許されて生きているのだ。
それだから人はパンのみにて生くるものに非ずと神がおっしゃるのだよ。パン問題のみで人間の生活の解決がつくのならば、世の中は殺風景な荒野のようなものだ』

併せて、「謝恩の生活」(三鏡)もお読み下さい。