膿をすする

投稿:2015年11月26日

霊界物語に「膿をすする」シーンが何回か出てきます。体が皮膚の病気で全身醜く化膿して膿汁が垂れている人が、旅をする宣伝使の前に現われるのです。
病気の人が宣伝使に「膿をすすってくれれば治る」と頼むと、宣伝使は快くすすってやり、すると病人が本当の姿──女神(木花姫命)となって現われます。実は宣伝使の身魂磨きのレベルを調べるための神の試しだったのです。

この場面には「癩病」(ハンセン病)とか「天刑病」という表現も出てきます。ハンセン病患者の人たちは、まさに天刑病と呼ばれて社会から差別され非人道的な対応をされてきたという歴史がありますので、そのことを十分注意した上で読まねばなりません。

さて、この場面は

(1)文字通り、病気等で外見の醜い人

と受け取れると同時に、

(2)心が醜い人の抽象的な表現

と受け取ることも出来ます。
いずれにせよ、ふつうはなかなか接したくない人であると思います。
都会の駅前でホームレスが寝ていたらなるべく離れて通るでしょうし、人の悪口や罵詈雑言ばかり発するような人とは友達になりたくないでしょう。
しかし人類愛善の精神を発揚させるならば、進んで接したくなるのだということが霊界物語で示されているのだと思います。

外見にせよ、内面にせよ、汚く醜い人には近づきたいくないというのは、自分を守るための生物としての本能だと言えるかも知れません。
しかしそれでは人間は獣と変わりがありません。
人間は動物であると同時に、神の子神の宮であり、神の霊が止(とど)まる「霊止」(ひと)であります。神人和合した霊止になるためには、嫌なこと・汚いものから避けて通ってはいけないのであります。

この世界には本来、不要なものは存在しません。自分の前に汚い・嫌だと思うことが現われたのならば、それは神様からのありがたい試練であると受けとめると、人生の質がより良く向上することでしょう。
美しくきれいなものだけが神なのではありません。大地の金神・金勝要神さまが「大便所の神」(かわやのかみ)と呼ばれているように、また救世主神・スサノオの神さまが世界中の罪・穢れを背負って高天原から追放されたように、汚く醜いところにも神はいるのであります。
それを人間が勝手に立て別けて、美しくきれいなものだけが必要なもので、汚く醜いものは不要なものと、差別をしているのであります。

さて、私が調べたところでは、霊界物語に「膿をすする」シーンが次の3ヵ所出てきます。
それぞれ若干、意味するものが違うようにも思います。
ご自身で読み較べてみて下さい。

(1)竜宮島で、初稚姫が。
第24巻第16章「慈愛の涙」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2416
※この章は『超訳 霊界物語2 出口王仁三郎の[身魂磨き]実践書 ~ 一人旅するスサノオの宣伝使たち』p85で紹介しました。

(2)高砂島で、高姫が。
第29巻第13章「愛流川」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2913

(3)天国で、治国別と竜公が。
第47巻第14章「天開の花」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4714