言向和(20) 植芝盛平の合気道は無抵抗主義

投稿:2017年08月05日

出口王仁三郎は明治の初めから第二次大戦直後まで、ちょうど日本が大日本帝国だった時代を生き抜いた人です。ガンジーと同時代を生きた人でもあります。二人の生没年月日を並べて書いてみましょう。

王仁三郎:1871年8月27日~1948年1月19日(注・生年月日は旧暦だと7月12日)
ガンジー:1869年10月2日~1948年1月30日

ガンジーが一~二歳年上ですが、二人はほぼ同じ時期を生きていたことが分かります。
帝国主義の嵐が地球上を吹き荒れていた十九世紀後半から二十世紀前半は、人類の在り方を大転換させるような精神指導者が世界各地に出現しました。日本から生まれた霊的巨人が出口王仁三郎です。

王仁三郎は「無抵抗主義」を唱えました。これはガンジーの無抵抗主義(実際には非暴力・不服従)という言葉を流用したものだと思いますが、中味はかなり異なります。

「やられたらやり返す」というのがそれまでの人類のやり方でした。押されて、押し返したら、双方の力が衝突します。戦争です。(図の上段)
それをガンジーは「やられてもやり返さない」非暴力・不服従という方法を編み出したのです。押されても、叩かれも、ジッと忍耐して、押し返さずに、押されるのをジッと我慢する。これによって衝突の力はかなり緩和されます。(図の中断)

それに対して王仁三郎の無抵抗主義は「やられたらやられてしまう」のです。一見、押されたら、そのまま押されるように見えるのです。全く抵抗しない、本当の無抵抗です。これなら衝突することはありませんが、敵に屈服しまうのでは敗北です。

しかし実は相手の力をそのまま使って、向かう方向をクルリと回転させて別の方向へ向けてしまうのです。(図の下段)

戦うのでもなく、ジッと耐えるのでもなく、相手の力と自分の力を和合させて方向転換させてしまうのです。
これが王仁三郎の無抵抗主義です。

そしてこの無抵抗主義を武道に応用したのが「合気道」です。
相手の力を利用するので、合気道は力の弱い人でも、体の大きな人を投げ飛ばすことができるのです。

合気道の創始者・植芝盛平(1883~1969年)は出口王仁三郎の高弟の一人でした。
今や合気道人口は世界中で百五十万人以上いると言われるほど広く普及していますが、合気道の源流が王仁三郎にあるということはあまり知られていないようです。

もちろん、誤解のないように厳密に言うのなら、植芝盛平の長年の修業・研鑽の結果、編み出されたものが合気道であって、彼に大きな影響を与えた人物の一人が王仁三郎である、ということになりますが、私は王仁三郎中心史観ですので(^_^; 合気道の源流は王仁三郎という観点で語らせていただきます。

植芝盛平は「合気道は無抵抗主義である」と語っています。
言うまでもなくこの無抵抗主義とは、ガンジーの無抵抗主義ではなく、自分の師匠の王仁三郎が唱えた無抵抗主義を指すのです。
植芝盛平の語録から少し引用してみます。

 「合気」という言葉は、昔からあるが、「合」は「愛」に通じるので、私は、自分の会得した独特の道を「合気道」とよぶことにした。(略)合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。(略)合気道の極意は、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹の中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。(略)敵が、「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争うという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。(略)
 合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っていたのだ。邪気のある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。(略)では如何にしたら、己れの邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか? それには、まず、神の心を己れの心とすることだ。神の心とは何か? それは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。(略)
 「愛」は争わない。「愛」には敵がない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。(略)勝つとは、己れの心の中の「争う心」にうちかつことである。神よりあたえられた使命をなしとげることである。
〔砂泊兼基『武の真人 合気道開祖植芝盛平伝』1984年、たま出版、P264~266〕

これは王仁三郎の教えそのものだと言ってもいいでしょう。
これが、「和」の国・日本から生まれた無抵抗主義です。宇宙の調和の中で生かされているのですから、そこには闘争するということが存在しないのです。
合気道の精神は王仁三郎の無抵抗主義であり、それは日本建国の精神である「言向け和す」そのものです。闘争の状態(調和の乱れた状態)を、和して、調和の取れた平和な状態へと変えて行くのです。

ガンジーは暴力は使いませんが、闘争はします。「不服従」というのは、敵と戦うということです。
しかし王仁三郎の無抵抗主義は、暴力を使わないだけでなく、戦うこと自体をしないのです。

ガンジーは20世紀という時代において、人類の精神性を大きく進化させました。
そして王仁三郎は、21世紀において、それをさらに大きく進化させ、ミロクの世へと導いて行くものです。

(続く)

(このエントリーは電子書籍『言向け和す』収録の文章の一部に加筆訂正したものです)