月別アーカイブ: 2017年9月

「瑞能神歌」について

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月15日

王仁文庫 第三篇「瑞能神歌(みづのしんか)」を霊界物語ネットにアップしました。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003

瑞能神歌には
大本神歌
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c03
いろは歌 その一
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c04
いろは歌 その二
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c05
の三つの神歌が収められていますが、実は今までも他の資料にほぼ同じものが掲載されていました。

大本神歌 → 大本史料集成 Ⅰ
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195501c22031

いろは歌 その一 → 大本史料集成 Ⅰ
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195501c22021
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195501c22022

いろは歌 その二 → 大本史料集成 Ⅰ、出口王仁三郎著作集 第一巻
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195501c2106
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c03

これを元に校正し、ルビや脚注を付けて「瑞能神歌」としてアップしたものです。

瑞能神歌とは主に予言が記された歌なんですが、内容の解説はまた別の機会にすることとして、外形的な情報をここに記しておきます。


瑞能神歌の「解題」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c02
にも書いてありますが、三つの神歌の初出はそれぞれ次の通りです。

大本神歌
大正6年(1917年)12月1日・筆
『神霊界』大正7年2月1日号で発表
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=M192919180201c03(霊界物語ネットには未掲載)

いろは歌 その一
大正6年(1917年)11月3日・筆
『神霊界』大正6年12月1日号(「い」から「ふ」の段まで)、及び大正7年1月1日号(「こ」の段以降)で発表
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=M192919171201c03(霊界物語ネットには未掲載)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=M192919180101c05(霊界物語ネットには未掲載)

いろは歌 その二
明治36年(1903年)9月10日・筆
『神霊界』大正6年11月1日号で発表
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=M192919171101c02(霊界物語ネットには未掲載)

これが後に一冊の本にまとめられ、王仁文庫の第三篇「瑞能神歌」として大正10年(1921年)1月に発刊されたのです。

当時の本をスキャンしたPDF復刻版が、霊界物語ネットの「書籍ダウンロード」でダウンロードすることが出来ます。(onibon_pdf_01.zip)
http://reikaimonogatari.net/dl.php

   ○   ○   ○

さて、最初に発表された神霊界誌上の神歌と、瑞能神歌収録の神歌とを較べてみると、細かい文字の違いはあるものの、ほとんど一緒です。

しかし、「いろは歌 その一」と「その二」の一部分に大きな相違があります。
脚注として本文中に入れておきましたが、その大きな相違点だけをここにも書いておきます。
脚注の設定はこちらをお読み下さい。総ての脚注を開いたり、非表示にしたり出来ます)

まず「いろは歌 その一」の「な」の段です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c04&mka=a357#a353
「御稜威もたかき大和路の」が、初出の神霊界では「罪も穢れも内藤の、家に集える信者を、大本王仁が引連れて、御稜威もたかき神の森、大阪本の文雄大人、其他あまた伴なひて、大和の国に名も高き」になっています。つまり王仁文庫に収録されるにあたり、ばっさりと短く切り落とされたのです。理由は不明。

次は「も」の段です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c04&mka=a926#a918
「道の審神者は経と緯」が、初出の神霊界では「未だ日も浅野王仁の大人」になっています。浅野和三郎の名を出したくなくて修正したのか?

次は「せ」の段。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c04&mka=a940-a943#a938

神 「活動く時機を松の世の、東の国に冬小森、国の鎮めと木花の」
王 「活動く時機を松の世の、国の鎮めと木花の」

神 「咲耶の姫の弥固き、千代の常磐の岩下に」
王 「咲耶の姫の活動は、千代に八千代に動きなき」

それに続いて「す」の段。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c04&mka=a9764a9765a9806-a9809#a976

神 「教御祖と諸共に、神の御教を王仁が」
王 「教御祖の神教に、服ろひ尽す真人が」

神 「咲哉木の花直日嬢、御代の一の大二に、誉も竜の宮の棟、十曜の星のキラキラと」
王 「咲哉木の花春の空、時代の栄へも弥広く、誉も竜の宮の棟、十曜の紋のキラキラと」

この「せ」と「す」の段は、他にも細かい文字の相違が多いんですが、神霊界では姓名折込歌になっているため、姓名に合わせた用字・文言になっています。しかし王仁文庫では姓名折込歌ではなくふつうの神歌になっているため、字句を改めたのではないかと思われます。

最後は「いろは歌 その二」の「く」の段です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B115003c05&mka=a248#a243
「然も大道の中心を」の前に、神霊界では「手掛足懸色々に、」という文が入っています。

大きな相違点は以上です。

   ○   ○   ○

余談です。
「瑞能神歌」は基本的には予言歌のようですが、回顧歌も一部含まれています。
「いろは歌 その一」の「な」の段以降は回顧歌のようです。

「む」の段ですが、ここは、大正6年(1917年)4月23日に明治天皇の遠い親戚だった鶴殿親子(大本名は大宮守子)が初めて参綾し、その翌24日に、王仁三郎・鶴殿親子ら一行11人で吉野山へ神業に出向いた時のことが記されています。
その時の模様は神霊界の大正6年6月1日号p37~40に「山吹の花」という題名で詳しく載っていますが、まだテキスト化していません。
この吉野の御神業もいろいろ謎めいています。
『新月の光』の「吉野山」という項に、

大石凝先生は吉野山に金がある。厚さ三寸、巾三里、長さ十三里のがあると言われていた。(略)
王仁は大正六年四月二十四日、大勢つれて吉野山に見に行った。金峯山や八幡山にはあるが、これは嘘やと言って帰った。確かにある。金のあるところには、黄金草が生えているから判る。シダのようなものである。(昭和十八年)
〔新月の光(八幡版)下巻 p105〕

とあるのは、この時のことです。

「霊の礎」について

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月14日

霊の礎(たまのいしずえ)は霊界や霊魂の実相を王仁三郎が簡潔にまとめたものです。

最初は機関誌『神の国』誌上で発表され、大正11年(1922年)11月25日号から12年4月25日号にかけて掲載されました。
その後、霊界物語の巻末に収録され、全11篇が8巻に分散して収められました。下のリストがそうです。

ただし戦後、天声社から発刊された霊界物語の中には、収録されている巻が違っている場合があります。
霊界物語ネットの霊界物語は、愛善世界社版に準拠(戦前の版に準拠)しており、下のリストの通りです。(霊界物語ネットにリンクが張ってあります)

霊界物語の刊行後に、一冊にまとめられて『霊之礎』という本として発刊されました。
大正13年(1924年)に初版が出ており、霊界物語ネットの「ダウンロード」のページから、昭和5年(1930年)の第七版がPDFでダウンロードできます。(onibon_pdf_02.zip)
http://reikaimonogatari.net/dl.php


(1)第16巻
(2)第16巻
(3)第17巻
(4)第18巻
(5)第19巻
(6)第20巻
(7)第20巻
(8)第23巻
(9)第37巻
(10)第24巻
(11)第24巻

言向和(45) なぜ「言向け和す」が必要なのか

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月13日

前回紹介した松山氏のこの講演の中で、次のような発言がありました。

カレーの話題の後でこのように話しています。

…このように、食というのは、その土地の気候、風土といったものに大きく左右されます。宗教も同じで、気候、風土、それから歴史、文化、伝統といった色んな要素でその国にふさわしい形に洗練されてまいります。

なるほど。たしかにその国の文化というものは、その国土、その気候風土から生まれて来たものです。
砂漠だとか氷雪のような、生きるのに厳しい環境と、四季が多彩で豊かな自然に囲まれた環境とでは、そこで生きる人間の性質に大きな違いが出て来るのは当然です。

仮に日本の「寛容性のある宗教観」を外国に伝えたところで、歳月が経つにつれて、その国の気候風土によって現地化されて行くことになります。
外国の文化が日本に伝わると日本化されるのと同じことです。外国に日本文化を伝えても、やがて形を変えて行きます。形は残っても中味は変質して行きます。「寛容性のある宗教観」を外国に伝えても、それがその国に根付くとは限らないのです。

では、世界を寛容性のある世界にするにはどうしたらよいのでしょうか?
もちろん、文化を伝えて行くことも大切ですが、それだけでは限界があります。

日本列島から「寛容性のある宗教観」が生まれて来たということは、何を意味しているのでしょうか?
世界を寛容的にしたいというのであれば、それは「世界を日本のような自然環境にしよう」ということになるのではないでしょうか?

砂漠を緑化するなどして、ある程度は人為的な手段で世界を日本化することが可能だと思います。
しかし本格的に世界を変えるには、その程度ではダメです。もっと根本的な改革が必要です。
それは、天変地異によって地球環境が大きく変化するということです。
そのことを百数十年も昔の明治25年から、艮の金神さん(国祖・国常立尊)が出口ナオを通してメッセージを発し始めたのです。「三千世界の立替え立直し」です。

艮の金神こと国常立尊という神様は、端的に言うと、この地球の神霊です。
それは大地の女神とか豊穣の女神ではありません。大地の女神は大本神話では金勝要神(きんかつかねのかみ)と呼びます。
そういう優しそうな女神様ではなく、もっと恐ろしい神です。

国常立尊は、火山からマグマが噴き出してくる恐ろしい力を持った、この地球のことです。
その中心部のコアは400万気圧、5000~6000度という想像もつかない温度で金属が煮えたぎっているこの地球が、その神力を発動させて、大地を震わし、自然環境を大きく変えてしまうのです。その結果、世界中が今の日本のように比較的穏やかな自然環境へと変わるのです。
その時に地軸移動(ポールシフト)も起きます。そういう大規模な天変地異が起きるというのです。

それを「大峠」とも呼びますが、今の人類の在り方では大峠を乗り越えずに、人類が三分(3%)になってしまうと、予言と警告をして来たのです。

天変地異というとトンデモ系と受け取られがちですが、地球の長い歴史から見ると、実はよくあることです。3千年前の縄文時代には、海面が今より高くて東京も大阪も海の底でした。3万年前の氷河期時代には、逆に海面が低くて日本列島は大陸と地続きでした。
そういう長いタイムスパンで見ると天変地異なんてよくある話なのです。そういう数万年、数十万年に一度しか起きないような、あるいは数百万年、数千万年に一度しか起きないような自然現象がやがてそのうち起きるという、醒めた目で見れば、ただそれだけの話です。

動物や鳥や虫たちは地球の鼓動を感じて危険地帯から逃げ出したりするのですから、人類の中にもそれを感じ取る人がいて「ヤバイよ ヤバイよ」と声を発する人がいても何ら不思議ではありません。そのメッセンジャーの一人が出口ナオです。

その大峠を今の人類がなぜ乗り越えられないかというと、たとえばこういうことです。
大峠が訪れると陸が海となり海が陸となるようなことが起こります。その時に民族大移動しなくてはいけなくなります。
しかし今の世界の有り様では、移住の余地がありません。世界中の陸地はすべてどこかの国、どこかの誰かの所有地になっており、勝手に住むことは出来ないのです。避難したところで先住者が「出て行け」と言って衝突が起きるのは目に見えています。
非常時の大混乱の際には挙国一致(国と言っても全世界のことですが)して事に当たらねばなりませんが、とうていそういう状態ではありません。
そこで国祖の神様が昔から、「早く改心せよ」とメッセージを発して来たのです。我利我利亡者と化した人類に対する警告です。

それから百数十年の間に、ずいぶんと人類の在り方も変わって来ました。帝国主義の嵐も鳴りを潜め(今でも中国は帝国主義ですが)、交通・通信網の発達で、かなり「世界は一家、人類はみな兄弟」的になりつつあるとは思いますが、まだまだですね。
しかしもうそろそろ仕上げの段階ではないでしょうか。
世界政府樹立の段階です。
そのための「言向け和す」です。
そのために、太古の神代に天孫降臨し、神武天皇が日本を建国して、「言向け和す」を秘めておいたのです。

   ○   ○   ○

松山氏の講演の中でもう一つ取り上げたいところがあります。
講演の最後の方で次のように話しています。

…私この2年ほどで、前のローマ法王にご招待いただいてバチカンに行ったり、この4月にはここ京都ではダライラマ猊下にご招待いただいてシンポジウムに参加させていただきましたが、世界の宗教家が実はこの日本の宗教観に非常に期待されています。

ローマ法王(カトリック教皇)を始め世界の宗教家が日本の「寛容性のある宗教観」に期待しているということですが、「日本を見習って我が宗教も寛容的になろう」ということでしょうか??
しかし宗教はなかなか寛容的になれるものではありません。寛容的な宗教というのは、最初から寛容的なのです。
残念ながら、キリスト教やユダヤ教やイスラム教は、どうやっても寛容的にはなれません。無理です。宗教を改革しようとすると、闘争が起きて、分裂します。だから最終的には、地球環境を変化させることによって、人間の性質自体を変化させねばならないのです。

しかし、考古学的な発見が、宗教を根本から変化させる可能性もあります。
「百聞は一見にしかず」「論より証拠」で、物証が見つかることで、歴史観・世界観というものが変わる可能性があるのです。

先日、明智光秀が「本能寺の変」の直後に反織田信長勢力の豪族に送った書状の原本が発見されたというニュースがありました。
詳しいことはネットニュースを見て下さい。
http://www.excite.co.jp/News/it_biz/20170913/Cobs_1669569.html
http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/11/akechi-mitsuhide_a_23205232/
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091202000240.html?ref=rank

それによると、光秀の謀叛の目的は、室町幕府を再興することであった、ということです。
本能寺の変の動機については諸説あり、信長に対する怨恨だとか、何者かに操られたという黒幕説だとか、いろいろあるようですが、こういう物的証拠が発見されることで、歴史が塗り変わる可能性があるのです。

たとえば日本から「失われたアーク」が見つかったら、世界の歴史はどう変わるでしょうか?

あるいはまた、フリーメーソンが、太古からの数々の工作を裏付ける文書を世間に公表したとしたら、どうでしょうか?

そういう考古学的発見によって、世界の歴史が塗り変わり、「各地で別々に発展して来たように見える諸民族が、実は太古はみな一つに繋がっていたのだ」という、有機的な連関が見えてくるような歴史観・世界観の大転換が、天変地異の前に起こります。
そういう物的証拠が示されれば、宗教も、根本的な部分から変化を迫られることになります。

これは大本の雛型神業では、出口ナオ開祖の「見真実(けんしんじつ)」という形で顕れています。大正5年に開祖は、自分の手から出た筆先によって、王仁三郎の正体(ミロクの大神)を知ることとなり、世界観の大転換を迫られたのです。
そういうことがやがて世界にも起きます。

これはある意味で「言向け和す歴史観」だとも言えます。
他を非難し、敵を憎み、人類に分断をもたらす歴史観ではなく、すべての出来事は、より良い世界を創るためにあったのだという、世界を一つにするための歴史観です。

それが起きてから、ようやく世界政府も樹立されるのではないかと思います。

(続く)

言向和(44) 寛容性のある宗教観

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月12日

TED(テッド)はアメリカを中心に様々な分野の人物による講演会活動を行っている団体です。
2014年に京都で開かれたTEDの講演会で、あるお坊さんが講演しました。
臨済宗の禅寺の副住職をしている松山大耕氏です。
演題は「Reasons for religion」。直訳すると「宗教の理由」となります。(「宗教の理性」かな??)

ユーチューブに講演の動画があります。
https://youtu.be/8mAPA3YKC_A

十数分の短い話ですが、けっこう反響があったようで、ネット上のあちこちで紹介されています。
全文テキスト化したものがありますので、動画を見る時間のない方は、こちらをお読み下さい。
http://logmi.jp/34073

テーマ自体は、日本の宗教の寛容力が大きいことを訴えるもので、特に目新しいテーマではありませんが、しかし話しているエピソードがなかなかおもしろいです。

松山氏はお寺の子として生まれましたが、中学・高校はカトリックの学校に通っていました。

大学時代にアイルランドに行ったときに、現地の人に自分のそういう経歴を話すと、驚いて
「なぜあなたの国ではそんなことができるのか? アイルランドでそんなことをやったら殺される」
と言われたそうです。

アイルランドにも信仰の自由はありますが、国民の9割がカトリックです。
IRA(アイルランド共和国軍)というテロ組織が、イギリス領土になっている北アイルランドをイギリスから分離させて、全アイルランドを統一することを目的に長い間活動して来ました。(90年代末に停戦し、現在は武装解除しているようです)

IRAはカトリック過激派組織であり、イスラム教におけるアルカーイダやISILのようなものです。
要するにアイルランドには、自分の信仰する宗教以外は許容しないようなカルチャーがあるわけです。
「殺される」というのはさすがに大げさだとしても、カトリック信者の子供がプロテスタント系やイスラム系の宗教の学校に行くなんて、とうてい考えられないことなんでしょう。まして僧職者の子供だったらなおさらです。(ただしカトリックの神父は結婚禁止なので子供はいません)

松山氏の経歴を聞いたアイルランドの人は「日本では何でそんなことができるのか」とすごいカルチャーショックだったと思いますが、「そんなことをやったら殺される」と言われた松山氏もかなりカルチャーショックだったことでしょう。

しかし世界はそういうものだということを、私たち日本人はよく知った方がいいと思います。
結婚式はチャペルで行い、クリスマスを祝って、神社に初詣に行き、葬式は仏教で・・・なんていうのは、世界基準で見たらかなり異常な人たちなわけです。
それは果たして宗教的に寛容だということなのか、それとも無節操だということなのか・・・

松山氏は、この宗教観の違いは、食の違いと似ていると述べています。
洋食のコース料理にはメインディッシュというものがありますが、和食にはそれがありません。
懐石料理を想像してみて下さい。いろいろな料理が少しずつ出てきて、特別にメイン料理というものがありません。
ある特定の料理(宗教)だけを特別視することなく、全ての宗教に共通する倫理観とか哲学といったものを日本人は大切にしているのではないか、と松山氏は話しています。

他にも、日本とインドの仏教の違いはカレーに似ているとか、お坊さんだけあってなかなか話がうまいです。
で、最後は、日本人の持つ素晴らしい寛容性のある宗教観を世界に伝えて行きたい、そうすれば世界はもっと素敵になると信じている云々ということで、話を結んでいます。

   ○   ○   ○

松山氏のこの講演の中から特に抜き出して紹介したい箇所がいくつかあります。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年8月3日号

言向和(43) 憎しみの教育 その結果 寛容の精神に欠ける

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月10日

ユーチューブにあった動画で、中国の大学の所長が次のように語っていました。
『マフィア化する中国の医療』の2:13から
http://youtu.be/p-FZZYkTkZ0?t=2m13s

医療事故を隠すために病院が暴力を行使して被害者の声を弾圧している、という社会問題に対するインタビューです。
そういう問題が発生する理由の一つとして、この所長は、
「我々が受けた教育は階級闘争の教育で、憎しみの教育なので、寛容の精神に欠けている」
と語っています。

階級闘争の教育とは、一言で言うと「敵を憎め」という教育です。
共産主義が「悪魔の宗教」と呼ばれる所以です。

この所長が言うように、たしかに共産主義国家の中国では、党・政府の命令で、「敵を憎め」という教育が行われているのでしょう。「反日」がそのいい例です。
その結果、人心が荒廃し、寛容の精神に欠けるようになってしまったと、この所長は嘆いているのです。

しかし。
これは共産主義国家特有のことではありません。
日本でも「憎しみの教育」は身近なところに転がっています。

たとえば、夫婦仲に問題があり、妻が夫をバカにしている家庭があります。
妻の方が夫よりも仕事のスキルがあって収入が多く、夫が無能な人間に見えて仕方がないのでしょう。
そして子供を自分の味方につけて「父親はダメ人間」と教え込み、一緒になって夫を非難・攻撃させているのです。
この妻はイデオロギーとは無縁の人であっても、やっていることは階級闘争そのものです。
知らず知らずのうちに、そういう態度を取ってしまっているのです。
果してこんな「憎しみの教育」を受けた子供は、どういう人間に育つのでしょうか?

階級闘争から生まれるものは、自己嫌悪です。
夫を非難し、父親を非難し、そこから生じるのは空しさだけではないですか?
そういう男と結婚し、あるいは、そういう親から生まれた自分自身が、情けないだけです。
いくら夫や父親を非難しても、自尊心というものは決して生まれません。
自己嫌悪するだけです。自己嫌悪するから、なおさら父親を非難するのです。

年中、ストライキばかりしている労働組合があったらどうですか?
経営者を非難攻撃するのもいいですが、それは結局「うちの会社はダメな会社だ」と言っているのと同じです。

年中、政府や社会を非難攻撃している野党や市民活動家やマスコミがいたらどうですか?
それは結局「わが国はダメな国だ」と言っているのと同じです。

中国や韓国のように年中、日本を非難攻撃している国は、結局「わが国は簡単に他国に侵略されるような弱い国だ」と言っているのと同じです。そんな国の国民は、自尊心が育たず、自尊心がないが故にますます他者を非難攻撃することになります。

「弱い犬ほどよく吠える」と言いますが、自尊心のない人ほど、他人を悪く言うものです。
しかし他人を悪く言ったからと言って、自分が良くなるわけではありません。
それどころか、自分が悪く言っている人(あるいは会社とか社会とか国家とか)に依存して生きていかなくてはいけない自分が空しくなるだけです。
余計に自尊心が傷つくだけです。

安倍政権・自民党を一生懸命に非難攻撃して来た民進党が、脱党者が続出して解党寸前ですが、そんなのも良い例です。安倍政権の支持率を急落させたのですから、本当なら万歳三唱で結束力が高まるはずでしょう。ここで政権奪取のチャンスじゃないですか!
しかし他人の悪口しか言えない党なんて、嫌気が差す人もまた多いのです。民進党の支持率は低下し、それでは選挙に勝てないと脱党したくなる気持ちもよく分かります。

ツイッターだのフェイスブックだのインターネットの普及で、誰もが声を上げることのできる時代です。
他者を非難攻撃することが「言論の自由」であり、それが社会の健全発展につながるかのような錯覚が広まっているように思います。

ですが実はそれは悪魔の罠なのかも知れません。
社会はますます悪くなり、自分自身も悪化して行くことになるのです。

誰かを非難攻撃したい気持ちになったときは、まずその気持ちを言向け和してみる必要があるのではないでしょうか。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年2月17日号