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天国・霊国の統治制度は「正道」と「公義」

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月03日

都議選は自民が惨敗(57→23議席)して都民ファーストが圧勝(6→55議席)しましたが、何の実績もない都民ファーストが勝ったのは言うまでもなく「小池百合子」のネームバリューです。小池百合子氏が一人で「55」議席を獲得したのです。王仁三郎が「代議制は寡頭政治と同じ」と言っていたことを以前紹介しましたが、全くその通りですね。セクトのボスによって政治が営まれるわけです。

もちろん、寡頭政治自体に問題があるのではなく、重要なことは「都民のための政治」になるかどうかです。都民ファ・公明・ネットの与党3党で、全127議席のうち過半数を超える79議席も占めていますが、自民党も23議席、共産党も19議席もあるのですから、彼らを無視するのでは「都民のための政治」とは言えません。都民ファーストと名乗っていたって、結局は「小池百合子支持者のための政治」になるのです。「数の論理」で「強行採決」するであろうことは目に見えています。自民党を敬遠する勢力が今回勝ったというだけで、やり方自体は自民党と変わりがありません。少数派を排除・弾圧するわけです。

しかし現在の人類の意識レベルでは、多数決というやり方よりも優れたやり方が見出せないので仕方ありません。それで今まで書いて来たように、テクノロジーの進化によって人間の意識の変化を促すことが必要ということになるのです。そうしてある程度、人間界で準備が出来たら、天変地異が起きて、新世界(ミロクの世)の建設、という流れになります。

さて、ミロクの世の世界統治を考えるに当たって、「正道(せいどう)」と「公義」という重要な概念を紹介します。
これは天界の統治制度だと霊界物語に書いてあります。
天界は「天国」と「霊国(れいごく)」の2つのエリアから成っており、天国の統治制度が「正道」で、霊国の統治制度が「公義」です。

「統治制度」というように、「制度」という言葉が使われているのですが、実際に細かい制度が書いてあるわけではありません。正道や公義は、制度というよりは、主義とか方針というようなかんじです。
たとえば「民主主義」というのはそれ自体が制度というわけではなく、民主主義という思想・方針から細かな法制度が生まれくるわけです。正道や公義もそれと同じように、正道主義とか公義主義と言うべき性質のものであって、実際の制度を作るための根本的な原則とか主義、方針というようなものだと思って下さい。

それは第47巻第15章「公義正道」に書かれているのですが、その部分を引用してみます。

…高天原(注・ここでは天国のこと)における諸々の団体中の天人は、善と真とにおる事いずれも同様なれども、その証覚には様々の程度がある故に、必然の理由として高天原にもまた統治の制度が布かれてある。(略)高天原においては、相愛の制度を外(ほか)にしては別に制度なるものはないのである。
 高天原における統治制度を称して正道(せいどう)と言う。大神(注・ス神のこと)に対する愛善の徳に住して行う所を総て正道と言うのである。
 この統治制度はただ大神のみに属するものであって、大神が御自身に諸天界の天人を導き、またこれに処世の事物を教え給う公義上の理法とも言うべき種々の真理に至りては、各天人中の心中に明かに記憶さるるをもって、天人としてこれを識(し)り、またこれを知覚し、またこれを感得し得ないものはない。
 故に公義上の事件については争議上の種とはならないけれども、正道上の事件即ち各天人が実践躬行上の事件のみは時々疑問となる事がある。かくの如き正道上の事件の起こった時には証覚の少なきものよりこれを自己より勝れたる天人に正し、あるいはこれを直接大神に教えを請うて、その結着を定むるものである。
 故に天人はただ正道に従って、大神の導き給うがままに生息するのをもって自分らの天界となし、また極秘の歓喜悦楽とするのである。

 次に大神の霊国即ち月の御国(みくに)における制度を、公義と言う。霊国の諸天人は霊善(れいぜん)におるからである。
 霊善とは、隣人に対する仁の徳を言うのである。そうしてその実性は真である。しかして真は即ち公義に属し、善は正道に属するものである。
 今ここに月の国と云ったのは、現在地球上の人間が見る月球の事ではない。神の神格によって構成されたる霊的国土である。
 この国土に住める諸々の天人はまた大神の導き給い、統べ治め給う所なれども、直接ならざるが故に、ここには統治者なるものが出来ている。
 その統治者の多寡(たか)は、各その所属団体の必要によって設けらるるものである。
 またここには律法が制定せられて諸々の天人はこれに従いて群居しているのである。統治者はその律法によって数多の事物を統制するの任務に当たっている。
 そうして、これらの天人はいずれも証覚あるにより、その律法をよく解し、万一疑う所あれば、大神が下らせ給うて、これに明白なる解釈を与え給う事になっている。
 天国即ち日の国にあるが如き、善によって行わるる統治を正道と云い、霊国即ち月の国にあるような真によって行わるる統治を公義と言うのである。

 天国、霊国の各団体の統治者は現代における各国の統治者の如く、決して自ら尊大振るものでない、かえって卑下し、かつ謙譲の徳を充たしているものである。そうしてその団体の福利と隣人の事を第一において、自己の福利を最後におくものである。
 けれどもその統治者は非常なる名誉と光栄とを有している。これらの統治者は自分に与えられたる光栄と名誉は全く大神の与えられたるものたる事を自覚し、他の天人が自分に服従するのは、これ全く大神の御稜威(みいづ)なる事を知っているから、自然に謙譲な徳が具(そな)わり、尊大振らぬのである。
〔第47巻第15章「公義正道」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4715#a157

少々分かりにくい部分があったかと思いますが、私にもよく分かりません。(^_^;

正道と公義とは、簡単に言うと、次のようになります。

正道・・・天国での統治制度。「善」によって行われる。
公義・・・霊国での統治制度。「真」によって行われる。

正道の本質が「善」であり、公義の本質が「真」であるということは分かりましたが、あまりにも抽象的すぎて、これが具体的にどのような統治制度になってくるのか、全く見えて来ないのではないでしょうか。

しかし、実は正道と公義について言及されているのは、霊界物語の中でこの章しかないのです。霊界物語以外の文献でも、正道と公義に言及しているものは見つかりません。引用した箇所がほぼ全てです。
何ともまあ無責任(?)なことに、王仁三郎はヒントだけ残して、具体的なことは何も遺さずに霊界に帰ってしまったのです。

しかし神様というのはそういうものです。
大ざっぱなこと・方向性だけ示して、「後は自分で考えろ」というのです。
全く不親切ですね。
何で細かく具体的に教えてくれないのでしょうか?

それは、具体的なことまで差図してしまったら、人間が自分では何も考えることが出来ないマニュアル人間になってしまうからです。
だからヒントだけ与えて、あとは自分で考えさせるのです。
答えを教えるのではなく、その人の自己解決能力を促してあげるのが、本来の教育の在り方ではないでしょうか。
そういう意味で、王仁三郎は偉大な教育者です。決してケチだから教えないのではないのです。

さて、自分で考えろというのですから、しょうがないので私なりに正道と公義を探究してみました。

(続く)