カテゴリー別アーカイブ: 抜き書き

バラモン教のルーツは北米大陸

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年05月09日

しばらくブログ更新をお休みしていました。
今「霊界物語ネット」の新バージョンの製作に没頭しています。霊界物語・三鏡・伊都能売神諭だけでなく、大本神諭や他の王仁三郎の本も読めるようにしています。おおかた完成したので、今月中には公開できそうです。
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霊界物語第40巻総説より

・・・しかるに神示の『霊界物語』によれば、大自在天は大国彦命であって、その本の出生地は常世の国(今の北米)であり、常世神王(とこよしんのう)と言ってあります。大国彦命の子に大国別命(おおくにわけのみこと)があって、この神がバラモンの教えを開いたことも、この物語によって明かである。常世国からエジプトに渡り、次いでメソポタミヤに移り、フサ(ペルシャ)を越えインドに入って、ハルナの都に現われ、ここに全くバラモン教の基礎を確立したのは、大国別命の副神・鬼雲彦が大黒主と現われてからの事である。それ以前のバラモン教は極めて微弱なものであったのであります。このバラモン教の起元は遠き神代の素盞嗚尊の御時代であって、シャカの出生に先き立つこと三十余万年であります。

霊界物語に出てくる「バラモン教」は、その名称だけ聞くと古代インドの宗教と同じです。古代のヒンズー教のことです。
しかし霊界物語のバラモン教は、その名称を流用しているだけで、古代インドのバラモン教そのものではありません。

上に引用したようにバラモン教のルーツは北米にあります。
第39巻第1章「大黒主」にも、もう少し詳しいことが書いてありますが、まとめると──

天王星から降臨した大自在天・大国彦は北米大陸でウラル教を国教として統治していた。黄泉比良坂の戦い(第10巻)で天教山の神軍に敗北し改心した後、その残党が第二のウラル教としてバラモン教を興した。大国彦の息子の大国別(おおくにわけ)がバラモン教主となり、アフリカ大陸に渡り、エジプトでバラモン教を広めた。
大国別の帰幽後は、その副棟梁だった鬼雲彦がバラモン教を乗っ取った。大国別の息子の国別彦(くにわけひこ)を追放し、自ら大教主・大棟梁と称し、大黒主(おおくろぬし)と名乗って、月の国(インド)ハルナの都に大殿堂を築いて月の国を支配した。

──というです。

この北米大陸がルーツだというのが注目すべきところです。
世界の古代史にも、超古代史にも、北米から、アフリカ(エジプト)そしてインドに文明・文化が伝わったという話はちょっと聞いたことがありません。

北米と言えばマヤ(紀元前3~16世紀)やアステカ(15~6世紀)を始め、メキシコあたりで文明が勃興していますが、それと何か関係があるのでしょうか? それとも「三十余万年」前と書いてあるように、超古代の出来事なのでしょうか??

神の芸術は宗教の母なり

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年04月30日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

「芸術は宗教の母なり」という王仁三郎の言葉をどこかで聞いたことがありませんか? その言葉が一人歩きして誤解されているので、王仁三郎がその意味について説明しています。その場合の芸術とは人の手になる芸術ではなく、神の手になる芸術のことです。

第65巻総説より

芸術と宗教とは、兄弟姉妹の如く、親子の如く、夫婦の如きもので、二つながら人心の至情に根底を固め、共に霊(れい)最深の要求を充たしつつ、人をして神の温懐(おんかい)に立ち遷(うつ)らしむる、人生の大導師である。(略)
ゆえに吾々は左手(ゆんで)を芸術に曳かせ、右手(めて)を宗教に委ねて、人生の逆旅(げきりょ)を楽しく幸(さち)多く、辿り行かしめんと欲するのである。(略)

芸術はひたすらに美の門より人間を天国に導かんとするもの、宗教は真と善との門より人間を神の御許に到らしめんとする点において、少しくその立場に相異があるのである。(略)
芸術の極致は、自然美の賞翫(しょうがん)悦楽により、現実界の制縛を脱離して、恍(こう)として吾を忘るるの一境にあるのである。それゆえ、その悦楽はホンの一時的で、永久的のものではないのである。(略)

瑞月(王仁三郎の雅号)はかつて「芸術は宗教の母なり」と言ったことがある。しかしその芸術とは、今日の社会に行わるる如きものを言ったのではない。
造化の偉大なる力によりて造られたる、天地間の森羅万象は、いずれもみな神の芸術的産物である。この大芸術者、即ち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かんとするのが、真の宗教でなければならぬ。

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)

信仰と恋愛は歓喜の源泉

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年04月29日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

三五教の宣伝使・五三公(いそこう)のセリフです。

第46巻第2章「慰労会」より

五三公『恋愛は神聖だ。宗教的信仰と正しき恋愛とは、人間の霊魂を優美に向上させるものだよ。正しき信仰と完全な恋愛は人間の心霊を発育せしめ、永遠無窮の生命を与うるものだ。(略)
すべて恋愛というものは性欲から分化したものだ。そして性欲の中に可能性の形において始めて含蓄されてるのが恋愛だ。この世を造り給うた誠の神様が、人間の生命に性欲を与え給うた時から、恋愛というものを含蓄させておかれたのだ。
信仰と恋愛は歓喜の源泉だ。歓喜というものは心霊を永遠に保存し、かつ心霊の優美完全なる活躍を起こさしむるものだ』

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)

恐るべきは愛の情動の度合なり

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年04月28日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

「愛善」の反対語は「愛悪」ですが、実は霊界物語に愛悪という言葉はあまり出て来ません。全83冊の中に、「愛善」はおよそ170回出て来ますが、「愛悪」はたったの5回しか出て来ません。
その愛悪の説明です。

第74巻第14章「真心の曇らひ」より

無始無終の宇宙間において、もっとも強く美(うるわ)しきものは愛の発動なり。
大虚空中に愛の発動ありて始めてスの言霊は生まれ、天地の万神は生まる。
ゆえに神は愛なり力なりと称するゆえんなり。

愛あるがゆえに宇宙は創造され、万物は発生す。
宇宙間いっさいのものはこの愛に左右され、創造も、建設も、破壊も、滅亡も、混乱も生ずるものなり。
愛はもっとも尊むべく、かつ恐るべきものとす。(略)

愛の情動にしてその度合よろしければ、生成化育の神業(みわざ)は完成し、愛の情動の度合過ぐれば、ついには一切を破壊するに至る。

しかして、愛には善あり、悪あり、大あり、小あり。
神の愛は「愛善」にして、世間一切の愛は「愛悪」なり。
神の愛は大愛にして世間の愛は小愛なり。

わが身を愛し、わが家を愛し、わが郷土を愛し、わが国土を愛するは、いわゆる自己愛にして、神の大愛に比して雲泥の相違あり。(略)
世間の愛は他をかえりみず、ひたすらにわが身を愛し、わが家を愛し、わが郷土を愛し、わが国家を愛するがゆえに、他よりもし不利益を加えらるると見る時は、たちまち立って反抗し争闘し、身を破り家を破り国家を破るに至る。恐るべきは愛の情動の度合なり

これを読むと、私たちがふだん「愛」なんて言っていることは、みなすべて「愛悪」ですね。(^_^;
ここに引用した文章は、愛悪の説明というより、「愛」の説明と言った方がよさそうです。

「愛あるがゆえに宇宙は創造され、万物は発生す」
「宇宙間いっさいのものはこの愛に左右され、創造も、建設も、破壊も、滅亡も、混乱も生ずるものなり」
「恐るべきは愛の情動の度合なり」

神の愛に近づきたいものです。

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)

縁起譚 家でお地蔵様を祀るようになったわけ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2016年04月27日

霊界物語のちょっと気になる言葉を紹介します。

霊界物語には、事物の起源・由来を説明した、いわゆる縁起譚(えんぎたん)がいくつか記されています。その一つ「家の庭に小さなお地蔵様を祀る」ことの起源です。
よく道端に小さなお地蔵様を祀っているのを見かけますが、あれは辻地蔵だとか、道祖神などと呼ぶようです。
道端ではなくて、敷地内の片隅に祀っているのは何と呼ぶのでしょうか? 呼び方が分かりませんが、ともかく、あれです。あれの起源が霊界物語に書いてあります。

第29巻第14章「カーリン丸」より

三五教の宣伝使・高姫(元ウラナイ教の教祖)は、「黄金の玉」が紛失したから探しに行けと、鷹依姫(たかよりひめ)たちに命じた。それは高姫の執着心から出て来た業であった。
鷹依姫一行4人(他に竜国別、テーリスタン、カーリンス)は高砂島(南米)に上陸して玉を探すが、木花姫命から諭され、改心して玉への執着を捨て去り、アマゾンへ進んで行く。
その後、高姫一行3人は高砂島に上陸するが、神威に打たれて心を改め、玉への執着を捨てる。そして神命によって大原野を進んで行くと、途中で鷹依姫一行が刻んだ石像を見つけた。それは一行4人が改心の記念として刻んで、そこに置いて行った石像だった。高姫はそれを見て、探しに行けと命じたことを深く反省する。

高姫『あゝやっぱり鷹依姫さまも竜国別さまも、テー、カーも、つまりこの荒原をさまようてござったと見える。ホンにお気の毒な、あるにあられぬ苦労をなさったであろう。(略)
今になって過去を顧みれば、私の犯した罪、人さまの恨みが実に恐ろしくなって来た。せめては鷹依姫さま一同の苦労なさって通られた跡を、こうして修業に歩かしてもらうのも、私の罪亡ぼし、また因果のめぐりめぐりて同じところをウロつき回るようになったのだろう。(略)
あゝ鷹依姫様、竜国別様、テー、カーの両人さま、高姫のあなた方に加えた残虐無道の罪、どうぞ許して下さいませ。(略)
この石像は、鷹依姫様、竜国別様の心を籠められた記念物、これを見るにつけても、おいとしいやら、お気の毒やら、お懐かしいような気が致します。
何ほど重たくても罪亡ぼしのためにこの石像を、鷹依姫様、ほか御一同と思い自転倒島(おのころじま)(日本のこと)まで負うて帰り、お宮を建てて、朝夕にお給仕を致し、私の重い罪を赦して戴かねばなりませぬ』

と念じながら、あたりの蔓草(つるぐさ)をよって縄を作り、背中にくくりつけ、その上から蓑(みの)をかぶり、持ち重りのする石像を背中に負うて、とうとうアマゾン河の森林まで帰ってしまったのである。
これが家々に、小さき地蔵を造り、屋敷の隅に、石を畳み、その上に祀ることとなった濫觴(らんしょう)(物事の始まりの意)である。

──なるほど。鷹依姫たちが彫ったお地蔵様を、高姫が背負って歩いて行った、ということから、屋敷でお地蔵様を祀ることが始まったと。
ほんまかいな~と思ってしまいますが、王仁三郎の言うことは一見バカバカしくても真実が秘されているので決してあなどれません。興味のある方は研究してみて下さい。

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)