カテゴリー別アーカイブ: 出口王仁三郎と霊界物語

喜三郎の修業 (22) 集団の変容

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年08月21日

第38巻にも大本草創期の様々なエピソードが書かれており、とてもおもしろいのですが、喜三郎の修業という観点から見ると、これ以上特筆すべきことが見当たらないので、これでこのシリーズを終わりにしたいと思います。

この第37~38巻には、おおむね明治31年の高熊山修業前夜から明治42年頃(一時綾部を離れていた喜三郎が綾部に戻った年)までのおよそ10年間の出来事が書かれていました。

一般の宗教の教祖伝だと、何らかの神秘現象によって自分の使命に目覚めた後、宗教活動を開始して、その周りに信者が集まってきて、教団が作られて行くのですが、出口王仁三郎の場合は、もともと存在していた教団に、外部からやって来て入り込み、教主の座を獲得するという、極めて特異なケースです。

出口ナオをタテの教祖とするなら、王仁三郎はヨコの教祖です。
ある意味では王仁三郎が大本を乗っ取ったとも言えます。大本という宗教現象が他に例を見ないおもしろさがここにあります。

以前にも書いたように、王仁三郎は単独で十分に宗教を作るたけのスキルを持っており、亀岡では実際にそうしていました。
わざわざ綾部なんかに行く必要は全くありません。自分が来ることに反対し、命を狙うような奴らがいるところに行く必要はないのです。
大本なんか相手にせずに自分一人でやっていた方が、もっと早くに教団を大きくすることが出来たのではないかと思います。

出口ナオの周りにはそれほど多くの信者がいたわけではないし、お金を持っていたわけでもありません。
何もないただの無学で貧乏なおばちゃんです。
出口ナオと組んだっていいことは何一つないのです。
にもかかわらず、王仁三郎がなぜ綾部の大本で活動しなくてはいけなかったのか? それがこの時期の王仁三郎(喜三郎)を読み解く大きな鍵であると思います。

それはとりあえずこのシリーズの第15回「初めての参綾」を読み返して下さい。

それは神界的には、太古の神約の実現でもあります。
「天の神様、地に降りて、お手伝い遊ばすぞよ」っていうやつです。
そのことは第4巻第45章「あゝ大変」を参照して下さい。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0445

つまり、地の神様(国常立尊)のお手伝いとして地上に降りて来たので、自分一人でやればいいということではないのです。
ご主人あってのお手伝いさんです。
あくまでも出口ナオの元で行わなくてはいけなかったのです。

そしてまた別の観点から見ますと──宗教というのは基本的に「個人の変容」を促すものですが、ミロクの大神の化身である王仁三郎の場合は「集団の変容」ということが任務になって来ます。
大本という人間集団、そして日本、世界という集団です。
王仁三郎は職業を「世界改造業者」だと称していましたが、人間集団(社会)の改革屋なのです。
だから自分で新たに人間集団を作るのではなく、既存の人間集団(綾部の大本)に乗り込んだのです。

あまり良いたとえではありませんが、ゴーンやマッカーサーのようなものです。自分で会社を作ったり国を作ったりするのではなく、すでにある企業や国家に乗り込んで来て、斜陽化している集団を立て直す改革屋です。

このあたりは深く探究して行くといろいろおもしろいことが見えて来ると思いますが、また別の機会にしたいと思います。

(このシリーズは今回で終わりです)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年12月4日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


喜三郎の修業 (21) 暗殺隊

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年06月15日

第37巻に引き続き第38巻にも、大本草創期に王仁三郎が当時の役員信者から排斥され、いろいろとイジメられたことが書いてあります。

時には暗殺されそうになった(第11章)というのですから、ただのイジメではありません。重大な犯罪です。

…自分を排斥しようという、幹部の中の野心家連中の活動が段々露骨になって来た。
川合の大原(旧・川合村の大原…現在の福知山市三和町大原)に泊まった時、十人ばかりの暗殺隊がやって来た。
自分の霊眼には誰と誰とが来て居るという事がすっかり分かっている。
翌日大原を出発して上谷と西原との間の、俗に地獄谷と云っているところへさしかかると、どうしたものか、自分の羽織の紐がほどけて羽織が脱げようとする。
不思議だと思って鎮魂をして見ると、暗殺隊の待ち伏せである事が分かった。
〔第38巻第11章「思ひ出(二)」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3811

このときは機先を制したため、暗殺隊も気抜けがしてしまい、無事に済みました。
しかしまた別の日にも暗殺隊が待ち構えていました。

…ある夜用意のためにお守刀を一本携えて飛び出した。
綾部から二里八町向こうの山路の大原の新屋(あたらしや)という宿屋の便所へ入ると、便所の脇でヒソヒソ話の声がしている。
聞くともなしに聞くと『来たか来たか』と云っている。段々聞くと、杉浦が例の野心家連中としめし合せて、先回りをして待ち伏せしていたので、目的は自分を殺そうというのである事が分かった。
便所の壺をくぐって出るとそこに川がある。
川を渡って藪の中へ這い込んで一晩震えていた。
そのうち夜が明けたから、台頭(だいとう)というところへ行くと、暗殺隊の連中が自分の行くのを待ち受けていた。
そして短刀を出して決心を示したから、喜楽も短刀を出して見せて勝負しようと云ってやった。
自分の決死の意を見て取って少しく恐気(おじけ)がついたものか、とうとう勝負はせずに連れだって綾部へ帰った事があった。
〔同章〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3811#a108

さすがに刃物を前にしては喜三郎も言向け和すことが出来ずに自分も刃物を取り出したわけですが、それによって暗殺隊もビビってしまったようです。

しかし本当に殺そうと思うのなら、暗殺隊も躊躇せずに喜三郎を殺せばいいでしょう。
何で殺せなかったのかというと、喜三郎の置かれた微妙な立場が影響したのではないかと思います。

それは神示(筆先)で、喜三郎が重要な役を持っていることが示されていたからです。
その一方で、喜三郎が悪の御用だと言わんばかりの神示も出ていたので、幹部たちは、喜三郎に対して生かさず殺さずの態度で接していたのであろうと思います。
(第13回「小松林命」を参照)

…(注・幹部連中は)自分(注・喜三郎のこと)の所業は一々腑に落ちかねるところから、これは小松林という四つ足の悪の守護神の所業だといって、しきりにその悪の守護神を罵るのである。
それならいっそう喜楽を追い出してくれればよいのであるが、喜楽の肉体は教祖様のお筆先によって、神業のため居(お)らねばならぬ肉体になっているので追い出す事も出来ず、自分の一つの身体を二様に見ているのであるから、たまったものでない。
とうとう六畳敷の一室に入れられて、一挙一動を監視されるようになった。
〔第10章「思ひ出(一)」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3810#a182

というような感じです。
大本に居てもらっても困るし、追い出すことも出来ないし…というような状態だったわけです。

逆に喜三郎の方でも、こんな大本には居たくないし、とは言って出て行ってしまっては自分の使命が果たせないし…という状態だったわけです。

簡単にケンカ別れしてしまったら、互いに修業になりませんしね。
同じ大地の上で一緒に生きていかなくてはいけないからこそ、身魂の修業になるわけです。

しかし明治39年(1906年)頃から綾部の外に飛び出して、2~3年して綾部に帰っています。
その間、神社や、教派神道の御嶽教などで働いて、宗教経営のノウハウを学び、明治42年(1909年)から本格的に大本の経営に取りかかっています。

大阪で謎の易者に「これから十年間の艱難辛苦が訪れる」と
予言されたように(第11回「易者の予言」を参照)、大本に入って十年間はジッと我慢の修業の時期だったのです。

その間の主な出来事をリストアップしてみます。

明治32年(1899年)8月 金明霊学会を設立
明治33年(1900年)1月 出口澄子と結婚
  同年7月 冠島開き(第13章)
  同年8月 沓島開き(第14章)
  同年10月 鞍馬山出修(第18~19章)
明治34年(1901年)4月 元伊勢お水の御用(第20章)
  同年7月 出雲火の御用(第28章)
  同年10月 弥仙山岩戸籠もり(第10章)
明治35年(1902年)3月 長女・直日が生まれる(第12章)
明治36年(1903年)5月 弥仙山岩戸開き
明治37年(1904年)9月 「王仁三郎」に改名
明治39年(1906年)9月~翌年3月 京都の皇典講究所で学ぶ
明治40年(1907年)4月 神職試験に合格
  同年5月~12月 京都の建勲神社で神職として奉職
  同年12月~ 御嶽教で働く
明治41年(1908年)8月 金明霊学会を大日本修斎会と改称
  同年12月 御嶽教を辞して綾部に帰る
明治42年(1909年)2月 機関誌『直霊軍』発行、神殿新築決定

なぜ明治42年頃になって喜三郎は大本で活動できるようになったのかというと、王仁三郎に反対していた頑迷固陋な役員信者たちが居なくなったからです。

立替え立直し(世の終末)の予言が外れたので、失望して大本を出て行ったのです。

…幹部の連中は立替立直しは三十七八年の日露戦争だと誤解していたのだが、そうでなかったために、一人減り二人減り、野心家の中村竹蔵は死に、四十二年頃には教祖様のほかには四方与平、田中善吉のみが残って、後は皆いなくなった。
モウ大丈夫と考えたから自分も帰って来て、熱心に布教に従事し、今日の大本の土台がだんだん出来て来るようになったのである。
〔第12章「思ひ出(三)」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3812#a216

予言が外れたというより、予言の解釈が外れたのですが、それは神を信じていたのではなく、自分の予言解釈を信じていたということになります。
それでは真の信仰とは言えません。
そういう連中が大本から居なくなったので、ようやく王仁三郎が活動できるようになったのです。

しかし、それでもまだ王仁三郎が本領を発揮できたわけではありません。
歴史は繰り返すというか…再び終末予言に熱中する連中が大本の中心を占めるようになり、大正10年(1921年)に世の終末が訪れると叫び出すのです。

その予言解釈が外れて、彼らが大本から出て行った大正10年以降に、本当に王仁三郎が大本の実権を握り、空前絶後の大神業を展開するようになります。

(続く)


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喜三郎の修業 (20) 行動原理の転換

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年06月04日

ようやく第37巻が終わりました。
今回から第38巻に入りますが、総説に次のように書いてあります。

 本巻は子の巻に続き瑞月王仁が斯道(しどう)に入信したる経路の大略を口述したもので、実際の百分の一をも尽くしてはありませぬ。(略)この『舎身活躍』の子の巻、丑の巻はいずれも断片的物語で、年次を逐うては述べてありませぬから、そのおつもりで読んで頂きたいものであります。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm380002

第37~38巻は、王仁三郎の前半生の自叙伝になっていますが、この総説に書いてあったように、年月の順序で、起きた出来事をじっくり書いているわけではなく、想い出したこと逐次、書き綴ったようなかんじです。

第1巻から続く太古の神代の物語の中に、突如イレギュラーな現代の物語が挿入されているので、唐突な感じがしますが、何となく気まぐれに書いて霊界物語の中に入れた、というわけでもないようです。

霊界物語全81巻は次の3つの大きな話のブロックに分けることが出来ます。(詳しくはオニドや、拙著『あらすじで読む霊界物語』を参照)

第1~36巻  仮にAブロックと名づけます。
第37~72巻  Bブロック
第73~81巻  Cブロック(天祥地瑞)

このAブロックとBブロックの間に、自叙伝が挿入されています。

第39巻以降は、フサの国~月の国を舞台にした、大黒主調伏の旅で、それまでのストーリーの流れから一転した、新展開のストーリーとなります。

それ以前のAブロックにおける登場人物の行動原理は、欲望です。
高姫を筆頭に、自己実現するための玉を手に入れるために世界を駆け巡りますが、それが結果的には、神様から身魂磨きの旅をさせられていたということになります。

それに対して、Bブロックでの登場人物の行動原理は、使命です。
スサノオによって大黒主調伏の使命を与えられた宣伝使たちが旅に出ます。

AとBの両者の違いを、身近なことに喩えるのならば、お金を稼ぐために仕事をするのか、それとも世のため人のために仕事をするのか、ということです。

若い頃は、収入とか、世間体とか、そういうことで仕事を選ぶ傾向があります。しかしだんだんと年を取ってくると(お金ももちろん大切ですが)他人に役立つこととか、社会に貢献とか、そういうことに目が開いて来ます。

これは一人の人間の発達でもそうだし、社会の発達においてもそうです。

高度経済成長して世界の一流国になったところで、それはうわべだけのきらびやかに過ぎません。
中味も光り輝くためには、自分が、この世に生きて果たすべき役割は何なのか、日本が果たすべき役割は何なのか、そういう役割とか使命ということに目を向けるようにならなくてはいけません。

その行動原理の転換期に現代日本はあるわけですが、霊界物語においては、「みろく」の第36巻を境として、登場人物の行動原理が転換するのです。

その転換点に、王仁三郎の自叙伝が挿入されており、それ自体が、王仁三郎自身の転換期のドラマになっています。

9度にわたる大ゲンカ、そして高熊山修業という、死と再生の儀式によって、それまでの世間的な願望で生きてきた王仁三郎が、天から与えられた自分の使命に目覚め、行動原理が大転換したドラマが、第37~38巻なのです。

ですから、決して、ただ何となくここに自叙伝が挿入されているのではなくて、霊界物語全体の流れの中で、ちゃんと意味があってここに挿入されているのです。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月27日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


喜三郎の修業 (19) 悪魔は善良な人に憑きたがる

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年05月25日

前々回(17)で書き忘れたことがありました。

上田喜三郎が綾部に移住するまでは、出口ナオは金光教の看板を借りて活動していて、足立正信(あだち まさのぶ)という名の金光教の布教師が活動を仕切っていましたが、第1巻第17章「神界旅行(四)」に出て来る「足」という名の鬼は、この足立に相応するようです。

…山を降って少しく北に進んで行くと、小さな家が見つかった。自分は電気に吸い着けらるるごとく、たちまちその門口に着いていた。そこには不思議にも、かの幽庁にいられた大王が、若い若い婦(おんな)の姿と化して自分を出迎え、やがて小さい居間へ案内された。自分はこの大王との再会を喜んで、いろいろの珍しい話しを聞いていると…
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0117#a069

霊界で見たことが、後に現実界に事象となって起きて来たのですが、上記の出来事は、出口ナオとの面会という形で現実界に顕れたのです。
そのもう少し後ろの方に「足」が出て来ます。

…にわかに虎が唸るような、また狼が呻(うめ)くような声が聞こえてきた。
よく耳を澄まして聞けば、天津祝詞や大祓の祝詞の声であった。それらの声とともに四辺は次第に暗黒の度を増しきたり、密雲濛々(もうもう)と鎖ざして、日光もやがては全く見えなくなり、暴風にわかに吹き起こって、家も倒れよ、地上のすべての物は吹き散れよとばかり凄じき光景となった。
その濛々たる黒雲の中より「足」という古い顔の鬼が現れてきた。
それには「黒」という古狐がついていて、下界を睥睨(へいげい)している。

「黒」というのは、黒田清子という幽斎修業者(信者)のことのようです。
第38巻第7章に次のように出ています。

…喜楽は(略)上谷(うえだに)の四方伊左衛門という人の家の修行場へ出張してみると、役員も神懸りも村の人達も、老若男女の分かちなく、悉皆(しっかい…皆ことごくの意)福島(寅之助)について、高い不動山の上へ上ってしまい、あとには黒田清子と野崎篤三郎とが修行場の留守をしていた。そして黒田には悪狐の霊が憑って、喜楽の行ったのも知らずに、何事か一人でベラベラとしゃべり立てつつあった。
野崎はそのそばに両手をついて、おとなしく高麗狗(こまいぬ)然として畏まっていた。
喜楽の顔を見るなり、野崎は驚いて、黒田清子に耳打ちをすると、黒田はたちまちに仰向けになって、
黒田『上田来たか、よく聞けよ。この方は勿体なくも素盞嗚尊であるぞよ。お前が改心出来ぬために、気の毒ながら綾部の金明会は灰にしてしまうぞよ。(略)』
とベラベラと際限もなくしゃべり立てる。喜楽はいきなり、
喜楽『コラ野狐、何を吐(ぬか)すか。そんな事があってたまろうか。コリャ野狐、正体をあらわせ!』
と後ろから手を組んで『ウン』と霊をかけると、清子はたちまち四つばいになって、
『コーンコン』
と鳴きながら、家の裏山へ一目散に駆け出した。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3807#a134

キリスト教圏ではこれは要するに悪魔払い(エクソシスム)です。
神父さんが十字架を突き出して「サタンよ出て行け~!」と叫んで、おどろおどろしいことになるわけですが、霊界物語のこの悪魔払いは、滑稽ですね。
四つん這いになって「コーンコーン」と鳴きながら裏山に駆けていったなんて、ホラー映画ではなく、コメディ映画的ですね。

さて、福島寅之助のことが出て来ましたが、出口ナオの三女・久子と結婚した福島寅之助もまた、喜三郎の活動を妨害していた一人です。
要するに、大本が(艮の金神が)世に出ることを阻止するため、邪神界が動いていたのです。

第37巻の一番最後の章である第25章「妖魅来」に、福島寅之助の妄動が出て来ます。

…福島寅之助は上谷(うえだに)の村中に響きわたるような大音声(だいおんじょう)で、
福島『丑の年に生まれた寅之助は、福島ただ一人であるぞよ。それじゃによってこの方が誠の艮の大金神であるぞよ。上田は未の年の生まれ、出口直は申の年生まれであるぞよ。ようやく二人合わして坤の金神じゃぞよ。二つ一つじゃぞよ。とてもこの福島寅之助には叶わぬぞよ。サア皆の者ども、これから今までの取り違いをスッパリ改心致して、この方にお詫び致せば今までの罪を許してやるぞよ(略)』
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3725#a124

なるほど。「丑」の年に生まれた「寅之助」だから自分が本当の「丑寅(艮)の金神」だと言うのです。
邪神界はこういう下らないレトリックで正神の出現を妨害するのですが、しかしこんな下らない話に引っ掛かってしまうような人もいるのです。

一般に、大きな話より小さな話の方が、入りやすいし分かりやすいし、大衆には受け入れやすいです。
艮の金神(国常立尊)というのはこの地球の神霊ですが、地球的規模の話よりも、小さな体の人間を生神と崇めることの方が、広まりやすいのは事実です。
出口ナオや王仁三郎の御神業というのは、そういうちっぽけな話ではないのですが、邪神勢力が、それを矮小化して、大本神業を潰してしまおうとするのです。

邪神に憑かれた福島寅之助らの妄動はエスカレートして行きます。
先ほどの文章の続きを読んでみましょう。

…などと赤裸(まっぱだか)となり妖魅がうつって、教祖の筆先の真似ばかりを、のべつまくなしに呶鳴りちらして始末におえない。
喜楽は直ちに神界に祈願をこめ鎮魂を修した。
そのため、いったん邪神の暴動が鎮定したが、またほかの神懸りにも沢山の妖魅の同類がうつって福島の神に加勢をする。
ついには神懸り一同が口を揃えて、
『皆の者よ。シッカリ致さぬと、上田の曲津にごまかされて、ヒドイ目にあわされるぞよ。誠の艮の金神は福島大先生に違いはないぞよ』
と叫ぶのを聞いた福島は、再び邪神におそわれて、黒い濃い眉毛を上げたり下げたり、目を剥(む)いたり、腕をふり上げたり、飛んだりはねたり、尻をまくってはねまわったり、畳は穴があき床はおつる、ドンドンドンと響きわれるような音をさして、非常に大騒ぎを再演し出したので、田舎人が珍しがって、四方八方から毎日々々弁当持ちで見物に来る。

怪獣大戦争のような状況ですね。
しかし、弁当持って見物人が来るというのですから、何とものどかな時代ですね。
現代だったらたちまち警察とマスコミの餌食にされてしまうことでしょう。

ところで、邪神に憑かれた福島寅之助というのは、邪神に憑かれるような奴だから、よっぽど悪い奴なんだろうと思うかも知れませんが、全く逆です。悪い奴どころか、人間界的には良い人だったようです。
この章(第25章)の最後に、次のように書いてあります。

…そしてイの一番に叛旗(はんき)をかかげたのは福島寅之助氏であった。
元来福島は正直の評判をとっている、人間としては申し分のない心掛けのよい人である。
妖魅という奴はなかなか食えぬ奴で、世界から…彼は悪人じゃ、不正直だと見なされているような人間にはメッタに憑るものでない。
たとえ憑ってみた所でその人物に信用がなければ、世人が信用せないことを知っているからである。
そこで悪魔は必ず善良なる人間を選んで憑りたがるものであるから、神懸りの修行する者はよほど胆力のある智慧の働く人でないと、とんだ失敗を招くものである。
良き実を結ぶ木には害虫がわき易いものである。菊一本にても、大きい美しい花の咲くものには虫がかえってよけいにわくようなもので、正直だから善人だから、悪神がつくはずがないと思うのは、大変な考え違いである。
あゝ惟神霊幸倍坐世。

なるほど。
悪魔は必ず善良なる人間を選んで憑りたがるもの
というのは重要ですね。
これは第65巻第25章で初稚姫が
悪の強い欲の深い者はみな聖地に来て何か思惑を立てようとする
と教え戒めているのと同じことです。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6525#a223

善良な人、清純な人ほど、慢心取り違えて悪魔に憑かれないよう常に用心せねばなりません。
もっとも、自分で「自分は善良だ」「自分は清純だ」と思っているような人は、その時点でもうすでに悪魔に取り憑かれている可能性が高いですけどね。(^_^;)

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月23日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック


喜三郎の修業 (18) 運が良いのか悪いのか

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年05月13日

第37巻の第21章「参綾」には、喜三郎が初めて参綾したこと(明治31年10月)と、綾部に移住したこと(明治32年7月)が記されています。その間は、園部の辺りで宗教活動を続けていました。

その時のエピソードが3つほど、次の第22章「大僧坊」、第23章「海老坂」に記されています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3722

1. 鞍馬山の大僧坊と偽る悪霊が取り憑いた小林貞蔵という男のエピソード(第22章)
2. 人見与三郎という僧侶がいる古寺でのエピソード(第23章前半)
3. 森田お民という稲荷憑きのエピソード(第23章後半)

この3つは直接霊界物語を読んでいただくことにして──その次、第24章「神助」と第25章「妖魅来」は、喜三郎が綾部に移住して大本での活動を始めた最初の頃のエピソードです。
そこから気づいたことを一つ取り上げます。

喜三郎は綾部でも幽斎修業を始め、それが順調に発達して来たある日、四方平蔵(しかた・へいぞう)という信者と共に、静岡の長沢雄楯の元を訪ねました。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3724#a139

月日は霊界物語には書いていませんが、別の資料によると、明治32年10月のことです。
31年4月に初めて静岡へ行き、5月に再訪し、今回が3度目になるようです。

二昼夜滞在した後、帰郷の途に就きました。

…午前一時の急行列車へ乗り込もうとする時、わずか二分の短き停車、ことに列車はボギー式で、田舎の汽車のように入口が沢山にないところへ、四方氏はあいにく目が悪い、夜分はほとんど灯があっても見えぬくらいだ。
それに沢山の荷物を肩にひっかけている。
喜楽も手一杯の荷物を下げて手早く乗車し、四方氏はどうかと昇降台を見れば、今片手をかけたばかりに汽車は動き出している。
駅員は力一杯の声を出して『危ない危ない』と連呼している。
四方氏はその間に七~八間(十数メートル)も引きずられていた。
喜楽は金剛力を出して荷物もろとも昇降台まで引きあげた。
この事を思うと今でもゾッとするようだ。

午前1時というのは、深夜です。
長距離だからか、そんな真夜中にも汽車が走っていたんですね。
今の夜行列車のような感じでしょうか?

ボギー式の車両というのは、車体に直接車輪が付いているのではなく、台車の上に車体を載せている車両で、車体を長くすることが出来ます。「列車はボギー式で」云々というのは、車体が長くて入口の間隔が離れており、停車時間も短いので乗るのが大変だ、という意味だと思います。
現代の感覚からすると、2分も停車しているなんてずいぶん長時間ですけど、昔のことだからホームというものが無い駅だと思います。汽車が来るまで駅舎で待っていて、汽車が入って来たら、駅舎から出て砂利の上を歩いて行って、「昇降台」(階段)を昇って車両に乗り込むという形です。
目の悪い四方平蔵が車両に上がるのが遅くなり、汽車が走り出してしまったというのです。
映画ではそういうシーンを見かけますが、実際にあるんですね。

喜三郎が力一杯引き上げて、四方平蔵は何とか汽車に乗れましたが、災難はこれだけではありませんでした。
午後1時、京都駅で降りて(静岡から京都まで12時間かかったことになります。現代なら新幹線で2時間くらいです)、亀岡行きの乗合馬車を待っていると、四方平蔵は食中毒で苦しみ出し、死人のような有様になってしまいます。

そこで喜三郎が、教祖(出口ナオ)から授かっていた「おひねり」を与え、鎮魂を施すと、御神徳によってたちまち病気は回復しました。

ここで言う「おひねり」というのは、世間一般で言うお金のことではなく、宗教用語であり、一種の神薬です。
神様に病気を治していただくために頂くものです。

宗教法人大本の公式サイトに次の資料がありました。
『大本いろは ご下付物3 おひねり』
https://oomoto.or.jp/wp/wp-content/uploads/2018/01/iroha09.pdf

 大本の「おひねり」は、当代の教主が祈念して神名を書いた和紙を折りたたみ、それをひねって小さくまるめたもので、重い病気や、突然の事故など、まさかの場合にご神水と一緒に頂きます。
 おひねりを頂くことで、体の中からも神さまのお力を頂き、大きなご守護を頂けるのです。
 おひねりは医薬品ではありません。感謝と畏敬の気持ちをもって、信仰的に頂きましょう。

出口ナオによって、この当時からこういうおひねりが与えられていたのです。

喜三郎は、元気になった四方平蔵と共に人力車に乗って亀岡に向かうと、今度は四方が乗った車の車輪が外れてしまい、四方は車から道路に放り出されてしまいました。
しかし奇蹟的に、かすり傷一つしないで無事でした。

──このように四方平蔵は一日のうちに三度も死にはぐったのです。

そんな目に遭ったら、皆さん、どう思いますか?
「ああ、ついてないな~」とため息ついたり、「何か悪いことしたかな」(つまり天罰)と反省したり、はたまた「悪魔が邪魔をしている」と思ったりするかも知れませんね。

しかしここで王仁三郎は、違う見方をしています。

…四方氏はよほど運の強い人と見え、一日の間に三度まで汽車、馬車、人力車の危難に救われるという事は、実に不思議である。
これも神様の御神徳と考えるよりほかに判断はつかぬ。
人間には一生のうちには必ず一度や二度は幸運が向かうて来る。
それと同様にまた一度や二度は大難が来るものである。
四方氏の信仰の力と大神様のおかげで、かかる危ない所を九分九厘で助けられたのは、全く神様に一心に仕えていたおかげである。

一日に三度も死ぬような災難に遭ったのだから「よほど運が悪い人」だ、と思うのは、凡人の発想です。

そういう人を王仁三郎は全く逆に、「よほど運が強い人」だと受けとめています。

災難が身に降り注いだ時、「運が悪い」と受け取るか、「運が良い」と受け取るかで、人生に違いが出て来ます。

死にそうになっても、かろうじて生きているのだから、それを「有り難い」と感じることが出来るかどうかです。
自分のことではなく、他人に対してもそうです。
「あいつは行いが悪いから罰が下ったんだ」と感じるか、「神様によって助けられた」と感じるか。

自分の身魂の正体が顕れる時です。
この世界をどのように受けとめるかで、その人の生き方はガラリと変わってくることでしょう。

王仁三郎が二度の大弾圧にも負けなかったのも、彼がそういうものの見方をしていたからではないでしょうか。

世界の見方を変えることが、身魂磨きとも言えます。

大地震や火山爆発、感染病の流行など、自分の人生を狂わすようなアクシデントはたびたび起き得ます。
こういう時に、世界をどう見るかで、今後の人生が変わって行くのです。
災難は神様から与えられた試練です。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月20日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック