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変性女子と、性的マイノリティ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月14日

諸外国では同性婚を認める国も増えているようですが、王仁三郎は同性愛についてどのように述べているでしょうか。

同性愛だけでなく、性同一性障害、オカマ、トランスジェンダー、女装趣味など、性的マイノリティと呼ばれるもの全般について、特に肯定もしていなければ否定もしていません。

当時は性的マイノリティのジャンルが今ほど多様でなかったこともあるでしょうけど、せいぜい男色(だんしょく)くらいにしか言及していません。
それも、そういう人たちが昔からいるよ、という事実について述べているだけで、それを肯定的にも否定的にも捉えていません。
座談会の中で次のような会話が交わされています。聖師は王仁三郎、寿賀麿(すがまる)は王仁三郎の二女・梅野の夫。高見、井上、林は信者です。

【高見】 『男でも○○県に男娼という奴がありますが、ああいうのは、どうなんですかなア』
【聖師】 『古(いにしえ)からある。若衆とかいうて…。あれは女の風をさして白粉をつけていてそれを男が買いに行くのや。十三、四から十五、六くらいまで尻に毛が生えたらいかん』
【井上】 『女は買いに行かんのですか』
【聖師】 『女子も行くが男も行く。両刀使いや。それだから十五くらいを過ぎるとあかん。つまりその括約筋が固くなるし毛が生えて来るからいかん。男娼の事を陰間(かげま)という。それは頼朝がカゲマサという若衆を寵愛した事が始まりで、それをカゲマ カゲマと呼んだ。それでカゲマというのや。それを略してカマというようになったのや』
【寿賀麿師】 『オカマを掘ると言いますなア』
【聖師】 『古は男色というた』
【高見】 『しかし現在でもあると聞いてビックリしました』
【聖師】 『九州あたりでは結婚するまでに女に相手になると、みんなが相手にしなかったもんや。それで男の取り合いが激しかった。そのために生命の果たし合いをやったくらいや。あんな事ばかり書いた本があるよ。「男色物語」とかいうんだったと思ったが……』
【林】 『何だか汚いなア』
【聖師】 『そんなこと考えたら出来やへん。学生などには随分流行っている。それに兵隊に坊主……何しろ小姓(こしょう)を置いたらキット嬶(かか)の代わりをさしている。その方面では徳川家綱なんて有名やがな』
【寿賀麿師】 『女を小姓に化けさして無理にやらしたら、食ってみたらうまかったんだろ……ハヽヽヽヽ』
〔「出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(四)」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B108500c07

というように、バカ話の中で男色のことが出て来るんですが、男色することについて特に肯定も否定もしていません。

霊界物語ではどうでしょうか。
霊界物語の登場人物はみな男か女かで、ゲイもニューハーフもいません。
男勝りの女は何人もいますが、オナベというほどではありません。
しかしたった一人だけ、異色の人物がいます。
第66巻に登場するサンダーという名の男性です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm66

いつも女装しており、しかも絶世の美女だというキャラクターです。男装の麗人ならぬ女装の麗人です。
しかし恋愛の対象は女性で、スガコ姫というカノジョ(許嫁)がいます。
現代で言う、女装子(じょそこ)とか男の娘(おとこのこ)というやつです。
決して軟弱な草食男子ではなく、悪党に誘拐されたスガコ姫を救出に行くという、勇敢な面も持っています。
このサンダーの女装趣味に関して、特に肯定的にも否定的にも描かれていません。ただ単に、そういう人、というだけです。
カノジョのスガコ姫も、彼氏の女装趣味について、特に何とも思っていないようです。ですから表面的にはレズのカップルに見えることになります。しかし親も周りの人も、特に不自然には思っていないようです。
一体なぜ、このような女装者を登場させる必要があったのか? ストーリーの上から言ったら、サンダーは女に見えることを利用して、悪党のアジトに潜りこむんですが、そのためにわざわざ女装者を登場させたのでしょうかね?

ともかく王仁三郎は、性的マイノリティについて、良いとも悪いとも、特別な評価は下していないので、ここは自分で考えるしかありません。

以前にも書いたように、王仁三郎の教育論は天賦の才能を育む天才教育です。人間は、神様から与えられた天賦の才能を発揮して、地上天国ミロクの世の建設に貢献することが、この地上界に生まれて来た使命です。

性的マイノリティの人が、そうした方が自分らしいと思うなら──つまり、体は男だけど心は女なんだ、とか、自分は異性ではなく同性が好きなんだ、とか──それが自分本来の生き方だと思うなら、そうすればいいと思います。それが惟神(かんながら)ということです。アブノーマルではあっても、その人にとってはそれが惟神なのです。それもまた神の仕組です。それがどういう仕組なのかは人間が知るところではありませんが、まあ、何かワケがあるのでしょう。

しかし天地の公道(自然の法則)はしっかりと見定めねばなりません。
上の引用文で王仁三郎が、括約筋がどうのこうのとバカ話をしていましたが、しかし、そもそもお尻の穴はウンコをする穴であって、ペニスを入れる穴ではありません。アナルセックスは天地の公道に反する行為です。

タバコなんかもそうです。肺は空気を吸う器官であって、煙を吸う器官ではありません。私も実は20年間タバコを吸い続けて34歳の時に止めたんですが、モッタイナイ精神を発揮してフィルターぎりぎりまで吸い、肺の隅々まで煙を充満させていたので、肺の中はすっかり真っ黒けです。神様から預かっている肉体を、本来の使用方法とは異なる使い方をするのは、天に向かって唾を吐くのと同様で、しっぺ返しがあってもおかしくありません。

天地自然の法則に反することを続けていたら、後で何らかの弊害が発生する可能性があることは、しっかりと覚えておくべきです。

ところで王仁三郎は「変性女子(へんじょうにょし)」です。出口ナオは逆の「変性男子」です。
変性女子というのは、霊魂は女だけど肉体は男、という神業上の役柄です。
ということは、王仁三郎は性同一性障害か~~という見方も出来るわけですが、王仁三郎は霊魂が女だということであって、心が女だというわけではありません。
一般に性同一性障害者は、肉体の性と心の性が異なると感じているのであって、霊魂がどうのこうのという問題ではありません。
そして実は、霊魂上の男女というのは、仮に男とか女とか呼んでいるだけで、世間一般で言う男女とは異なります。
霊魂上の男とは、厳の御魂であり、四魂のうち、経の二魂(荒魂と和魂)が強く働く霊魂です。
また霊魂上の女とは、瑞の御魂であり、四魂のうち、緯の二魂(幸魂と奇魂)が強く働く霊魂です。

四魂

〔第10巻第29章、第13巻総説参照〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1029
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm130003

このように変性女子とは霊魂上のことですので、性的マイノリティというわけではありません。

しかし王仁三郎は、

「王仁(私)は男で性が女であるが、髪の毛が濃く長くて多く、髭が少なく、身体が柔かで乳房が大きいところなど、肉体までが女に似ている」〔玉鏡「変性男子、変性女子」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg593

と、かなりきわどいことも言っています。
まあたしかに女性ホルモンは多かったのかも知れませんね。
ご自分がそういう変わり者なので、性的マイノリティのことも、否定的には見ていないと思いますよ。

↓髪の毛を垂らした王仁三郎  たしかに髪の量が多そうですね。

王仁三郎

王仁三郎の生地・穴太と、古代山陰道

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月12日

王仁三郎が生まれ育った亀岡市「穴太(あなお)」の語源は「穴穂」で、穴太寺の住職は代々、穴穂家が務めているようです。

この穴穂の語源ですが──古代、雄略天皇(第21代天皇)の勅命で、丹後半島の比沼麻奈為神社から豊受大神が伊勢に遷宮して外宮が創建された時に、御神霊を運ぶ一行は徒歩ですので道中で何泊かするわけですが、丹波・穴太の上田家の庭がその「御旅所(おたびしょ)」に選ばれました。その時に御神霊にお供えしていた稲穂の種が、欅(けやき)の老木の腐った穴に落ちて、そこから苗が育った。それを稲を四方に植え広めたところから「穴穂」の里の名が起こった──ということを王仁三郎は言っています。

「瑞穂神霊」『玉鏡』
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg651

「故郷の二十八年」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195305c103

現在の穴太は、亀岡市の市街地から2キロくらい離れた、長閑な農村地区です。

↓瑞泉郷(王仁三郎の生家)を中心とした地図(グーグルマップ)
https://goo.gl/maps/NfZi1d32fUJ2

山陰道(国道9号)からもだいぶ離れているし、こんな場所になぜ神輿を運ぶ一行が泊まったのか…と疑問に思う人もいることでしょう。
私も疑問に思いました。山陰道から1キロ以上も離れた穴太に、わざわざ立ち寄らなくても、沿道にもっと適した場所があったのではないか…と。

調べてみると、古代の山陰道は穴太付近を通っていたようです。
武部健一『続 古代の道』(2005年、吉川弘文館)p19によると、古代山陰道は下の地図のようなかんじで、穴太近辺を東西に通っていたようです。

穴太付近の古代山陰道

これは現代の府道402号線(市街地)~407号線、そして国道372号線です。
なるほど。開化天皇(第9代天皇)を祭る小幡神社や、孝元天皇(第8代天皇)を祭る御霊神社があるのも、ここが僻地ではなく山陰道沿いだったことが分かると、何となくうなずけます。この道を通って、四道将軍の一人・丹波道主命(開化天皇の孫)は丹波を平定したのでしょう。

↓穴太寺  昔このお寺の境内にあった小学校に上田喜三郎少年が通ってタダアイ事件とか起きたわけですね。ふむふむ。前述の「故郷の二十八年」参照

穴太寺

宣伝使は神様の有り難いことを宣べ伝える使者

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月11日

王仁三郎は教えの宣教者を「宣伝使(せんでんし)」と名づけました。
「宣伝」という言葉は、現代では主に企業の商品をセールスする際に用いられるので、宗教の「宣伝」というと、何やら商売っ気のあるような感じがして、少々嫌らしく感じるかも知れませんね。

しかし昔は、商業に限らず、主義主張を宣べ伝えることを、広く「宣伝」と呼んでいたようです。
政治の世界では「街頭宣伝」という言葉がありますね。ナチス・ドイツに設けられた「宣伝省」という官庁がありますが、これはナチスの思想を宣伝する役所です。
思想の宣伝は英語だと「propaganda プロパガンダ」、商品の宣伝は「publicity パブリシティ」が使われるようですが、日本語だとどちらも同じ「宣伝」という言葉が使われています。

王仁三郎によると、王仁三郎が「宣伝」という言葉を使い出したので世間一般でも「宣伝」という言葉をしきりに使うようになった…なんて意味のことを言っています。

 この地上一切のいずれの宗教においても、布教師とか宣教師とか、あるいは教師とか云うておりますが、大本が初めて宣伝使とこれを唱えたのであります。霊界においては総てエンゼルと称えられ、また宣伝使といわれておる。それを地上に写して宣伝使と名を附けたのでありますが、この頃は、曰く防火宣伝、曰く交通宣伝、曰く何、曰く何等々盛んに用いられておる。
 大本が尖端を切った後をみな、総てが使うておる。…
〔「時代に生きてはたらけ」『出口王仁三郎著作集 第5巻』〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195305c210

この宣伝使の「し」は、「師」でもなく「士」でもなく「使」です。神の教えを宣べ伝える「使い」です。
また宣「教」使ではなく宣「伝」使です。これについては王仁三郎は次のように述べています。

…なぜ他の宗教のように「教」の字をつけないかというと、それはすべての既成宗教は、みんな人の造った人造教であります。その人造教を開くのでありますから、布教師と云って差し支えない。しかし、この大本は宇宙の大元霊なる幽の幽にましますところの、吾々の目にも見えない、耳にも聞こえない本当に世界唯一の神様の意志を、私と開祖様が伝達司となって表示したものを、そのままに自分の考えを加えず、世の中へ伝えるのでありますから、宣伝使というのであります。もしも、たとえ少しでも自分の意志が入り、自分の勝手が入ったならば、これは宣伝使ではないのであります。
 仏教に諸善諸菩薩(しょぜんしょぼさつ)という言葉がありますが、この菩薩というものはちょうど、大本の宣伝使のようなものであります。しかし釈迦の教えはあの時代の婆羅門教(バラモン教)の、非常に苛酷な階級制度に反抗して起こったところの平等主義の教えであって、いわゆる釈迦その人が、昔からある印度の仏教及び婆羅門教、その他の宗教から脱出して、色々な宗教の粋を集めて一ツの社会主義的仏教を開いたのでありますから、やはりこれは人造教と云ってよいのであります。この人造教を布教宣伝する人を菩薩と唱えておるのであります。
 大本の菩薩はこれとは少し意味が違うのであって、いわゆる菩薩以上のものであります。仏の方では如来(仏)と云っている。仏ということは先覚者、証覚者というような意味であるが、本当の宣伝使なれば、これは如来の働きをするのであります。だから神様そのままの教えをするのが宣伝使であります。そういうふうに宣伝使というのは尊貴な職責でありますから、最も勇気がなければならず、最も人に優れた正しい智慧を走らせ、最も人に優れた光がなければいかず、最も人に優れた所の信がなければいけないので、いわゆる勇親愛智の四魂の働きが、すべての凡俗に超越しておらなかったならば、宣伝使の役は務まらぬ、誰も聞く者がないのであります。それでどうしても宣伝使は、勇親愛智のこの四つの霊魂──これをばどこまでも活用せねばならぬ。
〔「皇道大本は宇宙意志の表現」『出口王仁三郎全集 第2巻』〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121802c119

なるほど。勝手に教えを作るな、ということですね。

私も20代の前半、まだ王仁三郎と出会う前には、いろいろと教えを作りましたが(笑)、やはり王仁三郎にはかないません。霊界の様子なんて、とうてい私如きには分かりませんから、いろいろと勝手に作るわけです。それはそれで想像力を働かせるので楽しいですが、しょせんは人工物ですね。SF小説と変わりません。神の教えとは、ほど遠いものです。

ところで私は平成21年(2009年)頃から、霊界物語の普及のために、講座をやったり、ブログを書いたりと、いろいろと活動を始めたのですが、その時にさんざん悩みました。
霊界物語を解説するというのは、どうしても我意が入るのです。自分の意見です。そのまま読んでも難解だから、解説する必要があるわけで、初心者にも解りやすく説明しなくては、普及には繋がりません。しかし解りやすく説明するには、どうしても大胆に解釈して行かねばならないので、かなりズレてしまう可能性もあるのです。そうすると、勝手に教えを作ることになりはしないか、神の道を外れることになりはしないか、とあれこれ悩みあぐねました。
これは宗教神経症です。強迫神経症の一種です。宗教の信者というのは多かれ少なかれ、この強迫神経症にさいなまれています。フロイト曰く「宗教は人類全体がかかっている強迫神経症である」。
本来、こういった強迫観念から解放し、人間を自由にするために宗教があるのですが、その宗教が新たな強迫神経症を生みだして行くのですから、なかなか世の中は一筋縄では行きません。

そこで私が取った対策は「霊界物語を直接読んでもらう」ということです。
私がいろいろ何だかんだ言っても、実際のところは霊界物語を直接読んで自分で考えて下さい、ということで、出典をなるべく細かく記載しているのです。
要するに、『霊界物語ネット』で読んでもらうことを担保にして、いろいろ好き勝手なことを言わせてもらってるわけです。

神の道の取次(とりつぎ)としては、人を、自分の話に繋ぐのではなく、神様に繋ぐことが肝要です。
取次というのは、トーハンとか日販とかのことではなくて、人間と神様を取り次ぐ人のことです。「宣伝使」は王仁三郎だけが使っている特殊な専門用語ですが、「取次」はもう少し一般的な用語です。
宣伝使とか布教師とか宗教家とか、霊能者とか占い師とかチャネラーとかスピリチュアル・リーダーみたいな人は、みな取次です。私もいちおう取次です。
この取次としての自覚が足りないと、人を、自分に繋いでしまうのです。自分を権威者とし、自分の話を信じこませ、囲い込む。要するに自分のお客さんにしてしまうのです。本当は神様のお客さんなんですから、神様に繋げなくてはいけないのに、それを自分が横取りしてしまうのです。
重要なのは神様とその人との関係であり、それを繋ぐのが取次です。人々を神様の方に向けるのが仕事です。
私の場合は王仁三郎・霊界物語を通して、それを行っているわけですが、私が好き勝手なことをしゃべっても、人を私のところにとどめるのではなく、王仁三郎・霊界物語へと向かってもらうようにしておけば、それでいいかなと思っています。
もちろん究極的には、王仁三郎・霊界物語からも離れて、直接神様と繋がってもらうようにすべきです。

さて、先ほどの引用文に「菩薩」という言葉が出て来ましたが、菩薩とは、自らの救済、そして人々の救済を目指して修行する人です。
そういう意味では私も菩薩でした。

しかし、人間には、人間を救う資格なんてない、と霊界物語で教えられています。人を救うのは神の業であり、人が人を救うなんて思い上がりもはなはだしい、というわけです。
第46巻で、魔我彦と天使の会話の中に出て来ます。

魔我彦「…吾々は自分の身を救うて、それで決して満足は出来ませぬ。憐れな同胞の身魂(みたま)を救ってやりたいのでございます。宣伝使の必要も吾が身を救うためではございますまい。ここをハッキリと御教示願いたいものでございます」

天使「宣伝使は読んで字の如く、神の有り難きこと、尊きことを体得して、これを世人(よびと)に宣べ伝うる使者である。決して一人なりとも救うべき権利はない。世を救い、人を救うは即ち救世主の神業である。ただ宣伝使たるものは、神の国に至る亡者引(もさひき)である。この亡者引は、ややもすれば眼(まなこ)くらみ、八衢(やちまた)にさまよい、或いは根底(ねそこ)の国に客を導き、自らも落ち行くものである。それゆえ何事も惟神に任すが一等だ。何ほど人間が知識ありとて、力ありとて、木の葉一枚生み出すことも出来ないではないか。一塊(いっかい)の土たりとも産出することの出来ない身を以て、いかでか世人を救う力あらむ。ただ宣伝使及び信者たるものは、神を理解し神の国の方向を知り、迷える亡者をして天国の門に導くことを努むれば、これで人間としての職務は勤まったのだ。それ以上の救いは神の御手(みて)にあることを忘れてはなりませぬ」
〔第46巻第18章「エンゼル」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4618#a240

つまり、
取次の仕事は、神様の有り難いこと、尊いことを人々に伝え、神様の方に導くこと。
それだけやれば十分で、後は神様にお任せしましょう。

二つに引き裂かれた子 ──放任教育・天才教育のススメ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月10日

霊界物語の第1巻の前半は、王仁三郎の霊界探検の物語です。
そこに、少々怖い話がいくつか出てきます。

たとえば第17章「神界旅行(四)」に次のような話が出てきます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0117

──「足」という男が、ある竜女と結婚した(注・竜女というのは、竜神から人間に生まれ変わってきた女性のこと。この第17章の末尾に説明があるので興味ある方は読んで下さい)。
その「足」は前妻との間に二人の子どもがいたが、二人とも死んでしまった。

竜女との間に一人の男の子が生まれる。
「足」はその子を自分の後継者にしようとした。
しかし竜女も、その子を自分の後継者にしようとして焦った。
竜女には厳格な父母がおり、自分の家の相続者にしようとして男の子を離さないのだ。

こうして「足」は無理に引き取ろうとして、男の子の体を二つに引き千切ってしまった(注・これは霊界で目撃した光景です)。
現界でその子は、父につけば母にすまぬ、母につけば父にすまぬ…と煩悶した結果、とうとう病気になって死んでしまった。──

という話です。
子どもの奪い合いというのは、やはり昔でもあったんですね。
離婚が増加している現代では、もはや日常茶飯事だと思いますが。

アメリカ人男性と結婚した日本人女性が、離婚して、子どもを連れて日本に帰国し、その後「親権妨害」の罪でアメリカで逮捕された──というニュースがありました。(注・2011年10月のことです)

別れた元・夫が、子どもを返せ、と言うわけです。
子どもが拉致されて日本に連れて行かれたと、大騒ぎです。

夫婦間のゴタゴタはケースバイケースですから、一概にどうのこうのは言えませんが、子どもの心を、父親と母親がバトルして引き裂くような親は、そもそも親としての資格がないかも知れませんね。

しかし、誰だって最初から親としてプロの人なんているはずがありません。
あやまちを繰り返しながら親として育って行くのです。
結婚だって、よく考えてみると、一度目の結婚でうまくいく方が「奇蹟」かも知れませんね。生まれて初めて夫や妻になるんですから、最初からうまくなんか行きませんよ。

ところで子どもを引き裂く原因は、離婚したことではなく、子どもに対する執着心ではないかと思います。
子どもを自分のものにしよう、自分の思い通りにしようという、執着です。

父親も母親も、どちらも子どもを自分のものにしようとしたら、そりゃあ、子どもは二人の間で引き裂かれてしまうはずです。

王仁三郎の子育て法は「放任教育」です。
子どもを、親が決めた枠にはめて育てるのではなく、本来持って生まれたままに育てる、ということです。
天賦の才能を育てる、という意味で「天才教育」でもあります。

問『子供の教育は放任主義がいいのですか』
王仁『全くかまわぬ方が一番いい。好きなようにやらした方が良い。植木鉢の木よりも谷間の木の方が何ほど役に立つか判らぬからのう。ひねくれてしまったら何にもならぬ。そんな事は教育ではない。子供の教育は学校と家庭ですべきで、学校の教育は厳しいから、家庭は本当に自由な天国にしておいてやらねばいけない。でないと親の前では行儀が良くても、人のおらぬところで悪い事をやる。子供はひがませないようにせないかぬ。やんちゃをようせぬような子供は、学校の成績は良くても人に使われるような者にしかならぬ。……早教育はいけない。つめ込み主義はいけない。今は課目が多過ぎていかぬな。すべて天才教育でなければだめだ。一つか二つ好きなものをやらせる。書でも絵でも、歴史でも、文学でも何でも、その子の好きなものを、それだけやらせれば、一人前の者になるけれども、今の教育はそれをやらぬ。間口だけ広くして奥行が少しもない。今の学者は何も知らない。だから何にもならぬ。何も含まれているのだから、一つか二つやったらそれでよいのや。一つ道をズッと行きさえすれば、それに関連して他の事は覚えるものや。どんな学問でもすべて附随しているものや』
〔『出口王仁三郎全集 第二巻』「愛児の為めに」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121802c214

国依別『…俺の言う教育の「教」はそんなのではない。森林の中に雲を凌いで聳え立つ喬木(きょうぼく)の「喬」だ。現代のような教育のやり方では、床の間に飾る盆栽は作れても、柱になる良材は出来ない。野生の杉・桧・松などは、少しも人工を加えず、惟神(かんながら)のままに成育しているから、立派な柱となるのだ。今日のように児童の性能や天才を無視して、圧迫教育や詰込教育を施し、せっかく大木になろうとする若木に針金を巻いたり、心(しん)を摘(つ)んだり、つっぱりをこうたりして、小さい鉢に入れてしまうものだから、ろくな人間は一つも出来やしない。惟神に任して、思うままに子供を発達させ、智能を伸長させるのが真の教育だ。…』
〔霊界物語第69巻第3章「喬育」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6903#a278

こういう惟神な教育だったら、誰が育てたって同じかも知れませんね。
極論を言えば、飯だけ与えて放っておきゃ、勝手に育つのですよ。

「自分の跡継ぎにしよう」とか「優秀な教育を受けさせよう」とか「テレビタレントにしよう」とか「医者にしよう」とか、親にそういう利己的な願望・執着が強いと、たとえ離婚してなくても、子どもの心は引き裂かれてしまいます。親の期待に応えようという気持ちと、本来の自分・ありのままの自分で生きて行きたいという気持ちとで、真っ二つです。

子どもは神様からの預かりもので、神様から与えられた天賦の才能を発揮できるようにサポートしてあげるのが本来の親の役目です。しかし現実には、それを真逆に思っている人が多いのではないでしょうか。──子どもは親のもので、親の好きなように育てる──と。

この執着からなかなか離れることが出来ないわけですが、それを手放すことで「惟神の道」に入ることが出来ます。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2013年4月8日号掲載の文章に加筆訂正したものです)

神々が綾部に集まり会議する七夕祭は夜に始まる

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年07月09日

一昨日、7月7日は七夕でした。
天の川の両岸に住む織姫と彦星が年に一回逢うことができる日です。
願い事を書いた短冊を笹の葉につるす…という、メルヘンチックな行事ですが、王仁三郎的には、七夕というのは別な意味を持っています。

七夕は本来は旧暦7月7日の夜に行う星祭りですが、王仁三郎的には旧7月6日の夜から12日にかけて一週間行う「七夕祭」なのです。

旧七月六日の晩より七月十二日に亘り、綾部の本宮(ほんぐう)坪の内にて行わるる祭典は最も大切なる神事にて、この一週間は、御三体の大神様(天の大神)を初め奉り、八百万の神々様が御集会なされて、一年中における世界の経綸をお定めになるのである。
即ち地上の規則を地の高天原でお定めなさるのであるから、謹み慎んで、人民の願いごとなど決して、してはならないのである。
〔玉鏡「神庭会議」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg598

旧七月六日の晩から同十二日にかけて挙行される七夕祭は、神々様が地の高天原に神集いに集われて一ヶ年中の経綸について神議せらるる大切なる神事であることはかつても話したが、十二日の晩になると王仁(わたし)がその決定せられたる神事を承って、そのプログラム通り、一年間の御経綸を遂行する役に使わるるのである…
〔玉鏡「再び七夕祭に就て」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg599

旧暦7月12日というのは、王仁三郎の誕生日です。

その一週間前から八百万の神々が綾部の聖地に集まってその年の計画を立てて、王仁三郎がそれを実行するという、何ともまあ壮大な話です。
「人民の願いごとなど決してしてはならない」
と王仁三郎は強く戒めています。
世間一般で行う七夕の行事とはまるで異なりますね。

この七夕祭のルーツは大本神諭にあるようです。

 また、神諭には「綾部町本宮神宮坪の内は、神に昔から因縁のある結構な神の元の霊地であるから、明治二十五年から、神界の経綸で、世界一切の大本と相定まりたから、八百万の神を集めて、世の立替えの本をはじめる所であるから、人民では見当のとれんところであるぞよ。神宮坪の内に御三体の御宮を建て、天の大神さまをお祭り申し上げてあるのは、毎年旧七月七日天地の大神が御相談あそばす元の場所、陸(あげ)の竜宮と相定まりたからのことであるぞよ」とあり、これまでは神々が出雲で集会していたが、明治二五年の神定以来、綾部の大本で集会するさだめになっていたといわれている。
〔『大本七十年史 上』「出雲の火のご用」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c1622

この大本神諭が何年何月何日に下りた神諭なのかは不明です。

現代の大本ではこの祭典は「神集祭」と呼ばれ、今年(2017年)は新8月27日(旧7月6日)から9月2日(旧7月12日)にかけて行われます。
http://www.oomoto.or.jp/japanese/events/index.html

ちなみにこの祭典は午後6時30分から執り行われます。戦前の機関誌を見ても、時刻はよく分かりませんが、夕方から行っていたことが記されています。
7月6日の「晩」から行う…ということですね。
ところでなぜ「晩」からなんでしょうかね? よく分かりませんが、ユダヤ教やイスラム教のように日没を一日の開始と考えているのでしょうか?(前日の日没が一日の開始なので7月6日の日没が7月7日の開始となる)
それとも、『神々は夜に集まる』というような意味合いでしょうかね?
よく分かりません。ご存知の方教えて下さい。
余談ですが、かなり昔に大本神諭を調べていたら、日付が日没開始と思われる箇所がいくつか見つかりました。
メモがどこかに行ってしまったので、また調べてお知らせします。

(この文章は「霊界物語スーパーメールマガジン」2013年7月5日号掲載の文章に加筆訂正したものです)