カテゴリー別アーカイブ: 出口王仁三郎と霊界物語

ボードロノ、シウレン

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年02月19日

十年以上前のことですが、鼠先輩の『ギロッポン』という歌が流行りました。
ギロッポンとは六本木の俗称です。
寿司をシースーと言ったり、芸能界で使う用語ですが、言葉の前後を転倒させた逆さ言葉(倒語)は昔から世界中にあります。

話の内容が他人に容易に分からないようにするために、隠語として使われ出した場合が多いようです。
たとえば「ダフ屋」の「ダフ」は「札(ふだ)」の倒語、「ショバ代」の「ショバ」は「場所」の倒語です。

古くは、日本書紀に「倒語」という言葉が出て来ます。神武即位の年の出来事です。

宇治谷孟の『全現代語訳 日本書紀 上』(講談社学術文庫)から引用してみます。

「初めて天皇が国政をはじめられる日に、大伴氏の先祖の道臣命(みちのおみのみこと)が、大来目部(おおくめべ)を率いて密命を受け、よく諷歌(そえうた)(他のことになぞらえてさとす歌)、倒語(さかしまごと)(相手に分らせず味方にだけ通じるよう定めていう言葉)をもって、わざわいを払いのぞいた。倒語の用いられるのはここに始まった。」(同書p108)

ギロッポンのような倒語の始まりは神武創業の年に溯るわけです。日本国家の誕生と共に倒語も始まったわけです。ずいぶん古いからあるんですね。

さて、霊界物語にも倒語が登場しますので一つ紹介します。
第21巻第7章「誠の宝」に、倒語だけで書かれたセリフが出ます。

雲州(うんしゅう)、三州(さんしゅう)、甲州(こうしゅう)という名前の3人が泥棒が、杢助(もくすけ)の家にお金を盗みに入ろうとします。

家に入る前に、練習をします。
リーダー格の雲州が三州に、泥棒だと思われないよう、お経を唱えよと言います。
しかしお経なんて三州は知りません。
そこで雲州が「何でもいい。そこらの物をデタラメ放題に並べればいい。逆様に言うのだ」と教えます。
テキトーに逆様にしてしゃべれば、お経のように聞こえるというのです。

雲州が試しにしゃべってみます。
「まず屏風にフスマ、鍋に釜、徳利、杉に松、門口その他われわれの名だ」と言って、

「ブベウ、マフス、ベナーマカ、チバヒ、シバヒ、
ツマ、ギス、ドカー、シウウン、シウサン、シウコウ、ケワルハー、マーター、
ケーワー、ニーク、ツター、ケワー、リヨーニクー、
スケモクノボウニヨーノー、ギスーオーサン、ダーシン、ダーシン、
ワイカワイカ、ワカイマツー、カハノー、カナーデー、クタベツナツテ、
ルオーデー、ローアー、ハンニヤハラミタシンギヨウ、
ウン、アボキヤ、スギコーノリーモーデ、
ボードロノ、シウレン、オリーヤーマーシータ、
アサ、アサ、レコラカハレカノ、ラカダヲ、ラモイ、シヨマ、
ハンニヤハラミタシンギヨー」

と逆さ言葉を並べ立てました。
さて、何を言っているのか分かりますか??
実は正解は書いていません。
私が解読したところによると、次のようになります。

「ベウブ(屏風)、フスマ(襖)、鍋、釜、火鉢、火箸、
松、杉、門、雲州、三州、甲州、玉治別(たまはるわけ)、
竜国別(たつくにわけ)、国依別(くによりわけ)、
杢助(もくすけ)の女房のお杉さん、死んだ、死んだ、
可愛い可愛い、可愛い妻、墓の、中で、クタベツナツテ、
おるで、あろう、般若波羅蜜多心経、
ウン、アボキヤ、小杉の森で、
泥棒の、練習、をやりました、
さあ、さあ、これからは彼の、体を、貰い、ましょ、
般若波羅蜜多心経」

解読不能な言葉もいくつかありました。
たぶん前後の物語をよく読めば解って来ると思います。

こんなふうに霊界物語には、逆さ言葉で「暗号」が秘められている場合があるので、皆さん、霊界物語を読んでいて何か気がついたら教えて下さい!


この記事は「霊界物語スーパーメールマガジン」2012年12月12日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック

御神業と御奉仕

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年02月17日

「大鏡」(おおかがみ)と題した如是我聞集があります。
「王仁三郎聖師が折にふれ時に応じて話された断片を書きとめたもの」で、三鏡(さんかがみ。水鏡、月鏡、玉鏡の総称)の続編のようなものです。

機関誌『神の国』に(おそら昭和10年9月号から)連載されたもので、弾圧によって12月号で終わってますから、連載回数が少ないので単行本にはなっていません。

昭和10年9月号に「御神業と御奉仕」という題で、なかなか痛いことが書いてありました。心に残ったので紹介します。

 御神業とは筆先の三千世界を立替立直して、弥勒の世、即ち地上に天国を建設し、皇祖皇宗の御遺訓に奉答し奉(たてまつ)る謂(い)いである。
 御奉仕とは地上天国建設の御経綸について、無条件にその御用を勤めさして頂く事であるから、私心私欲を去って神の御為(おんた)め君国(くんこく)の御為めに奉仕させて頂かねばならぬ。
 奉仕の原則としては、奉仕さして頂くのであって、してあげるのではない。御用してあげるにあらずして御用さして頂くのである。奉仕には必ず感謝の念をもって当たらねばならぬ。また御用さして頂くことを無上の光栄と思惟(しい)せねばならぬ。
 仮にも報酬を望むが如き心、神に恩を売るが如き心が寸毫(すんごう)あってはならぬ。全身全霊を御神業の為に捧げ誠を尽くす事である。

「仮にも報酬を望むが如き心、神に恩を売るが如き心が寸毫あってはならぬ」──これはなかなか痛い言葉です。
報酬というのはお金のことだけではありません。見返りです。代償です。
『自分はこんなに頑張っているんだから、何かいいことがあってもいいだろう』と、私もつい思ってしまいがちです。
神様に文句を言おうとは思いませんが、ため息はつい出てしまいます。
宝くじはなかなか当たらないし・・・(^_^;

ここで王仁三郎は大本信者を相手に語っているので、御神業とか御奉仕というのは、大本の御神業であり、大本の御奉仕のことですが、しかしそういう狭い意味の御神業・御奉仕のことだけが対象ではないと思います。

「世の中の一切万事の出来事は 神のよさしの経綸(しぐみ)と知らずや」

という王仁三郎の歌があります。祭典や宣教のような狭い意味での宗教活動だけが神の経綸ではなく、世の中の一切の出来事が神の経綸だというのです。

その神の経綸に従事することが御用とか御神業というものです。

つまり私たちの日常生活すべてが御神業です。仕事をしたり、家事をしたり、育児をしたり、子供なら学校へ行って勉強したり、友達と遊んだり・・・
人間の活動すべてが神様の御用です。
地上に天国(ミロクの世)をつくるためにこの世に生まれて来ているのですから。

人生が自分の思い通りにならなくても、この世に生かされ、生活をさしていただいているだけでありがたい・・・と思えるようになるのが理想です。
そういう生き方が、惟神の道です。
『まじめに頑張っているのだから、報われたっていいだろう』
なんていうのは、実は自分の我欲であって、神様から見たら決して褒められた態度ではありません。
そういう、見返りを求めているようでは、まだまだ身魂が磨けていない、ということになりますね。

続けて王仁三郎はこういうことを言っています。

・・・にもかかわらず神の目から視れば、皆が御神業ぢゃ御奉仕ぢゃというて一生懸命やってくれてはいるようでも、それが御神業のお邪魔になったり、御経綸を妨げたりしているのが多いので、実は難有迷惑である。
 それらの裏面には必ず一種の野心を包蔵しているか、慢心しているか、功名心に駆られているか、我欲があるか、執着があるか、不平があるか、いずれにしても決して純で無いものが働いている結果である。感謝と報恩の念をもって不惜身命(ふしゃくしんみょう)的 神第一 信仰第一主義に誠でした仕事なれば必ずその結果は良いものである。(以下省略)

たとえば「法(教え)を守る」とか言って内紛を繰り広げる宗教団体の幹部なんかそうでしょうね。「正義の戦争」をする人です。難有迷惑です。
「国のため」とか言って戦争を始める為政者とか。
「会社のため」とか言って粉飾決算する役員とか。
「家族のために働いているだ」と言って家族を犠牲にするパパとか。
神様から見たら難有迷惑なんでしょう。
そういう人たちは、野心を包蔵しているか、慢心しているか、功名心に駆られているか、我欲があるか、執着があるか、不平があるか・・・

私もそうならないようにしなくては。
皆さんも、心当たり、ありますか??
注意して生きたいものです。


この記事は「霊界物語スーパーメールマガジン」2017年5月4日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック

王仁三郎の愛犬シロ

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年02月13日

近頃、外国で日本の秋田犬の人気が高まっているそうですが、王仁三郎の晩年の愛犬も秋田犬でした。
名前は「シロ」です。写真が残っています。↓

王仁三郎の晩年に側近をつとめた三浦玖仁子さんの回想記『花いろいろ ~出口王仁三郎聖師の側近七年の記録』(昭和63年発行)にシロのことが詳しく書いてありますので、引用してみます。

…ご洗顔のあと、まず雨戸を開けて、シ口、シロとお呼びになります。するとどこからともなく、シロがまっしぐらに飛んできます。純白の秋田犬であります。

 そのシロについて少し書いておきます。聖師さまが未決(注・刑事被告人を収容する現代の拘置所のこと。昭和17年8月7日に釈放されて亀岡に帰宅した)からお帰りになってまもなく、秋田の高橋早苗という方から一匹の秋田犬が届けられました。その方から私はお手紙を頂いたことがありますが、そこには次のようなことが書いてありました。

 ─大東亜戦争中のこと、街の中で利口そうな純白の犬に出会いました。あまり犬を好まぬ私がどうしたものか無性にその犬にひかれました。私は飼い主に「日本一偉い人に贈りたいからなんとかなんとか譲ってもらえないか」と頼みこみました。飼い主は「米と交換するなら差し上げましょう」と言われました。さっそく米集めにかかり、譲ってもらいました。次の問題は輸送でした。しかしこれも、親しくしていた駅長に煙草持参で頼みこみ、軍用犬としてようやく許可を頂きました。汽車には人もなかなか乗れない時代にほんとうにトントン拍子に話がはずみ、ようやく聖師さまにその犬を贈ることができたのです。─

 こうして、遠い秋田から聖師さまの元に届けられたのです。聖師さまに犬を贈りたい一心であったことが手紙からにじみ出ていました。この犬が聖師さまから寵愛を受けたことは述べるまでもありません。そして因縁の犬なのでしょう、のちに聖師さまの手足となって活躍するのです。シロ、という名付ももちろん聖師さまでございます。

 さて、朝の日課にもどります。聖師さまに呼ばれたシロは聖師さまから頭を撫でられ、貴重なるお菓子を与えられます。私は、それを側で眺めて─ああ、シロはなんと幸せものだろう。シロなんかに上げなくても、私に下さったらよいのに─と、羨ましく思ったものです。それから朝の散歩です。いつもシロがお供でした。(略)ある時、田圃道で転ばれたことがございました。すると、シロが聖師さまのたもとをくわえて、─早く起き起き─と言わんばかりに起こしてくれたということです。聖師さまは帰ってから「ホラ、これ見てみ。土が付いてるやろ」と言って満足そうに見せて下さいました。

『花いろいろ』p51-54

王仁三郎も年を取って体が自由に動かなくなって来たので、手助けのためにシロが神界から派遣されて来た…というような感じですね。

霊界物語でこのような犬として、スマートという名の犬が出て来ます。
宣伝使の初稚姫がいつも連れており、第49巻第8章「スマート」で初めて登場します。
見かけは狼のような猛犬で、色の黒い、メスの犬ですが、初稚姫を守る特別な御用をしている犬で、「霊犬」とも「霊獣」とも呼ばれています。

…スマートの如き鋭敏なる霊獣はその精霊がほとんど人間の如く、かつ本来の純朴なる精神に人間と同様に理性をも有するが故に、よく神人の意思を洞察し、忠僕の如くに仕うる事を得たのである。動物はすべて人間の有する精霊の内流を受けて活動することがある。されども普通の動物はその霊魂に理性を欠くが故に、初稚姫の如き地上の天人の内流を受くることは出来得ないものである。しかしこのスマートは肉体は動物なれども、神より特別の方法によって、即ち化相の法によって、初稚姫の身辺を守るに必要なるべく現じ給うたからである。
〔霊界物語第50巻第8章

王仁三郎の愛犬シロも、スマートのような霊犬だったのかも知れません。

『花いろいろ』に次のようなエピソードも書いてあります。
王仁三郎がシロを使って信者を救ったというのです。

…シロは普段、畳の上に上がるということはありませんでした。(略)この犬は、聖師さまの所にいつもお見えになる信者さんの家をよく知っていました。風邪のため聖師さまのもとに行けなかった人が、玄関に何かコトコトと戸を開けるような音がするので覗いてみると、そこにシロがいて、何か話のありそうな格好をするそうです。最近見ないので心配して来てくれたのであろうと思い、「シロ、迎えにきてくれたのか。私はな、今、風邪をひいて聖師さまのお側にゆけないので、また治ったらゆくからな」と、告げたそうです。するとシロは、いかにも分かったような様子で、すごすごと帰っていった、と語っておられました。また、シロは夜遅く聖師さまのもとを帰られるお客さまを、かならず家の近くまで送ってあげたものです。間接に聖師さまの御用をしていたのであろうことは、いろいろな逸話で間違いありません。
『花いろいろ』p87-88

…終戦後のことです。沖縄の崎山主会長さんから伺った話です。崎山さんが終戦後まもなく参拝された時、聖師さまが、
「沖縄の信者の中には空襲の時、シロに救われた者があるはずだが」
と、口にされたので、崎山さんが沖縄での会合でそのことを尋ねてみたそうです。すると、後方にいた五十歳位の一人の婦人が急に泣きだして、こう話されました。
「沖縄でのあの猛爆撃の時に、防空壕に入っていました。直撃弾が近くに落ちて、壕の入口が土砂でふさがりかけ、危険を感じて外へ出てみました。しかし八方火の海で、どっちに行ってよいやら皆目見当がつきません。ただ、”大神さま、惟神霊幸倍ませ”と大声で唱えていました。するとどこからともなく一匹の真白い犬がとんできて、あたかもこっちだ、こっちだ!と言わんばかりに、後ろを振り向き振り向き、先に走ってゆくのです。これはきっと神さまの使者に違いない、と直感して、犬の後をついて夢中で走りました。どこをどう走ったかは知りませんが、気がついてみると安全地帯に出ていました。犬はいつのまにか消えて見えませんでしたが、確かに神助があったと確信しています」この犬が聖師さまのおっしゃるシロであったことは述べるまでもございません
『花いろいろ』p22

王仁三郎は昭和23年1月19日に昇天しましたが、その後シロはどうなったのでしょうか?

その消息は不明のようです。

…聖師さまがご発病になった時期から、シロのことは人々の脳裏から遠ざかっていました。聖師さまが中矢田農園から瑞祥館(注・天恩郷内の建物)にお移りになってからシロはどうしたのでしょう。ある時、シロが猛犬とけんかをして怪我をしたということを耳にしました。聖師さまのご昇天の直前にシロも死んだとも聞きました。シロは霊界でもやはり聖師さまのお側に仕え、”シロ” “シロ” と可愛がってもらっているのでしょう。
『花いろいろ』p171

ワンコもただの犬ではなく、こういう特別な任務を持った犬もいるんですね。

ちなみに王仁三郎が高熊山修業をして自分の使命に目覚めた明治31年(1898年)は戌年でした。


この記事は「霊界物語スーパーメールマガジン」2018年1月2日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック

王仁文庫第九篇の「道の大本」と単行本の「道の大本」

Published / by 飯塚弘明
投稿:2018年11月05日

霊界物語ネットに『王仁文庫 第九篇 道の大本』(大正10年)と『道之大本』(昭和2年、単行本)を掲載しました。

題名は同じ「道の大本」ですけど、内容は異なります。混同しないように霊界物語ネットでは単行本の方を「道之大本」と表記することにしました。(両書とも表紙には「道之大本」と記されていますが奥付などは「道の大本」です)

似たような題名で『大本の道』という本がありますが、そちらは昭和20年代に『愛善の道』という題名で発刊された歌集です(後に増補して『大本の道』に改題)。

さて、二冊の「道の大本」ですが、何が違うのかというと、もともとは明治38年(1905年)に王仁三郎が執筆したもので、そのうちの一部分が機関誌『神霊界』大正9年(1920年)8月11日号~9月11日号の4号にて発表されました。それをまとめて翌10年8月に王仁文庫第9篇として刊行されました(同書「凡例」参照)。

これは「裏の神諭」とも呼ばれています。(表の神諭は大本神諭)

それとは重複しない別の一部分が、昭和2年(1927年)8月に単行本『道の大本』として発刊されました(同書「はしがき」参照)。

昭和47年(1972年)に刊行された『出口王仁三郎著作集 第1巻』に「道之大本 七」という文書が収録されていますが、そちらは王仁三郎の自筆本(漢字交じりの平仮名文)を底本としたもので、内容的には単行本の『道の大本』と重複しています。

昭和57年(1982年)刊の『大本史料集成 Ⅰ』に収録されている「道の大本」は、王仁文庫第9篇と同じです。

執筆した明治38年というのは王仁三郎がまだ30代半ばの青年で、大本の幹部たちから排斥され、出口直開祖に対する不満も溜まり、悶々としていた時期です。
出口和明著『大地の母 第8巻』「大橋越えて」にその執筆のエピソードが書いてあります。少々引用します。王仁三郎は「道の大本」の中で出口直や大本のことをかなり非難しています。

 臥竜亭に帰った王仁三郎は、役員たちのいないのを確かめて、『道の大本』八巻の執筆にかかる。第一章、第二章と教えについて書き進め、筆を置いて読み返す。苦労をして書きためた多くの書を役員たちに燃やされた悔しさがよみがえる。感情の激するままに、一気に筆を走らせた。

  第三章
一、丹波のある所に曲津神の集まる巣窟ありて、あまたの悪魔あらわれ、偽救世主をあらはして、世界を乱し破らんとす。王仁、天津神の命もてこの曲津神を国家のために打ち滅ぼさんと日夜心を砕きたり。
二、曲津日神は常識を缺きたる頑迷固陋のしかも朴直なる婦人の心にひそみ、常に偽善をもちて人をたぶらかすをもって、唯一の方法手段となしつつあり。
三、その婦人は年老いたるものにして、事の理非曲直を深く考え察するの明なければ、自ら妖神の言を固信し、世人みな濁れり我一人清めりとなして、偽救世の説をとなうるなり。
四、その説一として国家社会に害毒を流さざるはなし。曰く財産家は天の罪人なり、曰く漢字は国害なり、学校は害物なり、商工業は小にせよ、外国人は排斥せよ、服は和服にせよ、洋服は神意に反す、種痘は汚穢なり神慮にかなわず、桑を造るな、蚕を飼うな云々、一として生成化育の神意に反せざるはなし。これ妖魅の言辞にして社会の破滅を好むものたること言をまたずして明なるところなりとす。
五、曲津神は老いたる婦人の口を借り手を借りて世の中の多くの人をあざむかんとするなり。
六、曲津の曰く、三千世界を一つにまるめて神国にするぞよ、戦いがあるぞよ、東京へつめかけるぞよ、外国は地震雷火の雨降らし人を絶やして神国にいたすぞよ、世界の人民三分になるぞよ、この神にすがらぬ者は谷底へほかしてみせしめにするぞよ、神には勝てぬ往生いたされよ、はよ改心いたした者は早く助けてやるぞよなどと毒舌をふるうて、人を迷わせんとはするなり。
七、王仁その曲津を愛さんと思いて、浄心の本たる霊学をもってこれに対するや、かれ曲津神大いに恐れ忌みて、またもや口と筆もて王仁を傷つけんとはせり。
八、曲津神に心の根城を奪われて、山口あか(著者注・出口直を指す)といへる女、曲津狂祖となり、たかむらたかぞう(中村竹吉を指す)たかす迷ぞう(四方平蔵を指す)などその手足となりて、この豊葦原の瑞穂の国を汚し破らんとつとむ。
九、されどもはや瑞の霊の大神の宮居たる審神(者)の王仁、ここにいよいよ正義の矛をとりて現はれきたれば、いかでかかる曲津神をこの世にはびこらせおかんや。
十 すなわちここに直霊の霊の剣もて天の八重雲を吹きはらい、日月の光ここに現われたれば、いまや曲津は苦しみもだへつつあるなり。

ずいぶん派手に罵っていますね (^_^;
出口直を曲津呼ばわりです。

これはちょっと善言美詞とは言えないのでは??
「感情の激するままに」とありますが、自分の役割を全く理解してもらえない苛立ちが爆発したのでしょうね。
50歳以降に書いた霊界物語と比較すると、王仁三郎もまだまだ青かったんだなと言わざるを得ません。

さすがにこの罵りの部分は、王仁文庫の「道の大本」にも単行本の「道の大本」にも収録しなかったようです。
若き日の王仁三郎の副守先生の叫びではないでしょうか。

縁起譚 御巫(巫女)の起源

Published / by 飯塚弘明
投稿:2018年10月23日

霊界物語には、事物の起源・由来を説明した、いわゆる縁起譚(えんぎたん)がいくつか記されています。その一つ「御巫(みかんこ)」の起源です。

御巫(みかんこ、みかんのこ)とは、古代において、神に仕えた未婚の女性のことで、現代の巫女(みこ)のことです。

第78巻第2章「波上の追懐」より

ここに湯結比女の神(ゆむすびひめのかみ)は朝夕「火の若宮」に仕えまし、主の神(すのかみ)を始め、火の神と称えまつりし朝香比女の神の生魂(いくたま)に、白湯を沸かして笹葉に浸し、左右左(さゆうさ)に打ち振り、朝々の身魂(みたま)を清め、御湯(みゆ)を御前(みまえ)に奉りて忠実に仕え給いける。これより今の世に到るまで何れの神社にも御巫(みかんのこ)なるものありて、御湯(みゆ)を沸かせ、神明に奉る事とはなりたるなり。

舞台は「紫微天界(しびてんかい)」と呼ばれる原初の宇宙で、神々がまだ言霊だった時代の話です。万里ケ島(までがしま)の田族比女の神(たからひめのかみ)に、朝香比女の神が火打ち石を贈り、火食の道が開けたので、朝香比女の神を「火の神」と奉称するようになりました。その朝香比女の神を祭る「火の若宮」に仕える湯結比女の神(ゆむすびひめのかみ)が、火で水を沸かしてお湯にして神前に供えるようになった……というところから、御巫が始まったというのです。

ちなみに「御巫(みかんこ)」という言葉の語源は霊界物語には書かれていませんが、広辞苑によると「御神子(みかみこ)」が転訛したそうです。

(ご注意:全体の一部分を抜き書きしているだけですので、前後の文脈を知りたいときは原文を直接読んで下さい。また、意味は一つだけはありません。行間を読むことで違った意味が見えて来ます。いろいろな角度から考えてみて下さい。)