カテゴリー別アーカイブ: 言向け和す

言向和(46) 周りを「共鳴」させる のび太くん

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月18日

「『言向け和す』というのは物理で言う『共鳴』のことだ」と、ある人が教えてくれました。

共鳴とは、共振とも言いますが、物体が振動を始めると、他の物体も振動を始めることです。
よく、二つの音叉(おんさ)を使って実験されます。片方の音叉を叩いて音を鳴らすと、もう片方の音叉も、叩いていないのに、共鳴して音を立て鳴り出すのです。
(ユーチューブに音叉を使った共鳴の実験がありました)
https://youtu.be/cVhWB3IniBo

これは物理現象ですが、心理現象でも「共鳴」という言葉を使います。「共感」という方が一般的ですね。他人の考えや行動などに同感・賛同することです。

「相手の気持ちに共鳴する」というように、たいていは、「共鳴する側」の立場で共鳴という言葉が使われますが、「言向け和す」を考える場合には、「共鳴させる側」の立場が重要であると思います。つまり「自分の気持ちに共鳴してもらう」ということです。

世の中を良くしようと思って、どんなに正しいことを主張しても、その主張に人々が共鳴してくれなくては、世の中を良くすることはできません。「世の中」とは人間の集団(社会)のことですから、他の人を共鳴させることができなくては、世の中を変えることは出来ません。

それで、「他人を共鳴させる」技術を身に付けることが、言向け和すために必要なことになって来ます。

霊界物語では、三五教は「感化力」が強い、というように、「感化力」という言葉が使われますが、この感化力とは「共鳴させる力」と言っていいと思います。

   ○   ○   ○

ネットで調べていたら、ちょっとおもしろい記事を見つけました。

「ドラえもん」の主人公のび太くんが、とある映画の中で、しずちゃんやジャイアン、スネ夫ら周りの人たちを「共鳴」させたことについて論じた記事です。

『「のび太」という生きかた:自ら動き、周りに共感してもらう』
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/1502/03/news001.html

詳細は記事を直接読んでいただきたいのですが、この記事の著者は、紹介している映画に出てくる恐竜のエピソードを通して、「夢を叶えるためには、「周りの人を感動させ、巻き込むこと」が重要である」と訴えています。のび太はそれができる人物だというのです。

なるほど。
のび太と言えば、全然パッとしない、いじめられっ子というイメージですが、実は「夢を語る少年」だったのです。

そう言えばそうかも知れませんね。
のび太の「悩み事」をドラえもんが未来のツールで解決して行くのが『ドラえもん』ですが、その悩み事というのは、言い方を変えれば「夢」です。たいていは身の回りのちっぽけな話題なので「夢」と言うには少々大げさですが、たまには前述の記事に出てくるようにスケールの大きな話題も出て来ます。そうすると、のび太が「夢を語る」少年だったことが見えてきます。

この記事では、その夢を叶えるためには
「人が共感できる夢を持ち、その夢に対するあなたの熱意が周りに伝われば、自然と協力者が現れ夢は自ずと叶いやすくなる」
という答えで結んでいます。
ある意味ではありきたりな解答ですが、この「共感できる夢」というのは重要です。「共感できない夢」もあるからです。

共感する人が多くても、共感しない人もまた多かったら、社会を変えることはできません。それどころか社会は分裂し混乱するだけです。

社会を変えるには、より多くの人を共鳴させて行かなくてはいけません。
一部の人だけではなく、多数の人が共鳴するような「夢」を作り上げて行く必要があります。
反対派をも共鳴させてしまうような、強い感化力を持った夢です。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章を加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年6月1日号

言向和(45) なぜ「言向け和す」が必要なのか

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月13日

前回紹介した松山氏のこの講演の中で、次のような発言がありました。

カレーの話題の後でこのように話しています。

…このように、食というのは、その土地の気候、風土といったものに大きく左右されます。宗教も同じで、気候、風土、それから歴史、文化、伝統といった色んな要素でその国にふさわしい形に洗練されてまいります。

なるほど。たしかにその国の文化というものは、その国土、その気候風土から生まれて来たものです。
砂漠だとか氷雪のような、生きるのに厳しい環境と、四季が多彩で豊かな自然に囲まれた環境とでは、そこで生きる人間の性質に大きな違いが出て来るのは当然です。

仮に日本の「寛容性のある宗教観」を外国に伝えたところで、歳月が経つにつれて、その国の気候風土によって現地化されて行くことになります。
外国の文化が日本に伝わると日本化されるのと同じことです。外国に日本文化を伝えても、やがて形を変えて行きます。形は残っても中味は変質して行きます。「寛容性のある宗教観」を外国に伝えても、それがその国に根付くとは限らないのです。

では、世界を寛容性のある世界にするにはどうしたらよいのでしょうか?
もちろん、文化を伝えて行くことも大切ですが、それだけでは限界があります。

日本列島から「寛容性のある宗教観」が生まれて来たということは、何を意味しているのでしょうか?
世界を寛容的にしたいというのであれば、それは「世界を日本のような自然環境にしよう」ということになるのではないでしょうか?

砂漠を緑化するなどして、ある程度は人為的な手段で世界を日本化することが可能だと思います。
しかし本格的に世界を変えるには、その程度ではダメです。もっと根本的な改革が必要です。
それは、天変地異によって地球環境が大きく変化するということです。
そのことを百数十年も昔の明治25年から、艮の金神さん(国祖・国常立尊)が出口ナオを通してメッセージを発し始めたのです。「三千世界の立替え立直し」です。

艮の金神こと国常立尊という神様は、端的に言うと、この地球の神霊です。
それは大地の女神とか豊穣の女神ではありません。大地の女神は大本神話では金勝要神(きんかつかねのかみ)と呼びます。
そういう優しそうな女神様ではなく、もっと恐ろしい神です。

国常立尊は、火山からマグマが噴き出してくる恐ろしい力を持った、この地球のことです。
その中心部のコアは400万気圧、5000~6000度という想像もつかない温度で金属が煮えたぎっているこの地球が、その神力を発動させて、大地を震わし、自然環境を大きく変えてしまうのです。その結果、世界中が今の日本のように比較的穏やかな自然環境へと変わるのです。
その時に地軸移動(ポールシフト)も起きます。そういう大規模な天変地異が起きるというのです。

それを「大峠」とも呼びますが、今の人類の在り方では大峠を乗り越えずに、人類が三分(3%)になってしまうと、予言と警告をして来たのです。

天変地異というとトンデモ系と受け取られがちですが、地球の長い歴史から見ると、実はよくあることです。3千年前の縄文時代には、海面が今より高くて東京も大阪も海の底でした。3万年前の氷河期時代には、逆に海面が低くて日本列島は大陸と地続きでした。
そういう長いタイムスパンで見ると天変地異なんてよくある話なのです。そういう数万年、数十万年に一度しか起きないような、あるいは数百万年、数千万年に一度しか起きないような自然現象がやがてそのうち起きるという、醒めた目で見れば、ただそれだけの話です。

動物や鳥や虫たちは地球の鼓動を感じて危険地帯から逃げ出したりするのですから、人類の中にもそれを感じ取る人がいて「ヤバイよ ヤバイよ」と声を発する人がいても何ら不思議ではありません。そのメッセンジャーの一人が出口ナオです。

その大峠を今の人類がなぜ乗り越えられないかというと、たとえばこういうことです。
大峠が訪れると陸が海となり海が陸となるようなことが起こります。その時に民族大移動しなくてはいけなくなります。
しかし今の世界の有り様では、移住の余地がありません。世界中の陸地はすべてどこかの国、どこかの誰かの所有地になっており、勝手に住むことは出来ないのです。避難したところで先住者が「出て行け」と言って衝突が起きるのは目に見えています。
非常時の大混乱の際には挙国一致(国と言っても全世界のことですが)して事に当たらねばなりませんが、とうていそういう状態ではありません。
そこで国祖の神様が昔から、「早く改心せよ」とメッセージを発して来たのです。我利我利亡者と化した人類に対する警告です。

それから百数十年の間に、ずいぶんと人類の在り方も変わって来ました。帝国主義の嵐も鳴りを潜め(今でも中国は帝国主義ですが)、交通・通信網の発達で、かなり「世界は一家、人類はみな兄弟」的になりつつあるとは思いますが、まだまだですね。
しかしもうそろそろ仕上げの段階ではないでしょうか。
世界政府樹立の段階です。
そのための「言向け和す」です。
そのために、太古の神代に天孫降臨し、神武天皇が日本を建国して、「言向け和す」を秘めておいたのです。

   ○   ○   ○

松山氏の講演の中でもう一つ取り上げたいところがあります。
講演の最後の方で次のように話しています。

…私この2年ほどで、前のローマ法王にご招待いただいてバチカンに行ったり、この4月にはここ京都ではダライラマ猊下にご招待いただいてシンポジウムに参加させていただきましたが、世界の宗教家が実はこの日本の宗教観に非常に期待されています。

ローマ法王(カトリック教皇)を始め世界の宗教家が日本の「寛容性のある宗教観」に期待しているということですが、「日本を見習って我が宗教も寛容的になろう」ということでしょうか??
しかし宗教はなかなか寛容的になれるものではありません。寛容的な宗教というのは、最初から寛容的なのです。
残念ながら、キリスト教やユダヤ教やイスラム教は、どうやっても寛容的にはなれません。無理です。宗教を改革しようとすると、闘争が起きて、分裂します。だから最終的には、地球環境を変化させることによって、人間の性質自体を変化させねばならないのです。

しかし、考古学的な発見が、宗教を根本から変化させる可能性もあります。
「百聞は一見にしかず」「論より証拠」で、物証が見つかることで、歴史観・世界観というものが変わる可能性があるのです。

先日、明智光秀が「本能寺の変」の直後に反織田信長勢力の豪族に送った書状の原本が発見されたというニュースがありました。
詳しいことはネットニュースを見て下さい。
http://www.excite.co.jp/News/it_biz/20170913/Cobs_1669569.html
http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/11/akechi-mitsuhide_a_23205232/
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091202000240.html?ref=rank

それによると、光秀の謀叛の目的は、室町幕府を再興することであった、ということです。
本能寺の変の動機については諸説あり、信長に対する怨恨だとか、何者かに操られたという黒幕説だとか、いろいろあるようですが、こういう物的証拠が発見されることで、歴史が塗り変わる可能性があるのです。

たとえば日本から「失われたアーク」が見つかったら、世界の歴史はどう変わるでしょうか?

あるいはまた、フリーメーソンが、太古からの数々の工作を裏付ける文書を世間に公表したとしたら、どうでしょうか?

そういう考古学的発見によって、世界の歴史が塗り変わり、「各地で別々に発展して来たように見える諸民族が、実は太古はみな一つに繋がっていたのだ」という、有機的な連関が見えてくるような歴史観・世界観の大転換が、天変地異の前に起こります。
そういう物的証拠が示されれば、宗教も、根本的な部分から変化を迫られることになります。

これは大本の雛型神業では、出口ナオ開祖の「見真実(けんしんじつ)」という形で顕れています。大正5年に開祖は、自分の手から出た筆先によって、王仁三郎の正体(ミロクの大神)を知ることとなり、世界観の大転換を迫られたのです。
そういうことがやがて世界にも起きます。

これはある意味で「言向け和す歴史観」だとも言えます。
他を非難し、敵を憎み、人類に分断をもたらす歴史観ではなく、すべての出来事は、より良い世界を創るためにあったのだという、世界を一つにするための歴史観です。

それが起きてから、ようやく世界政府も樹立されるのではないかと思います。

(続く)

言向和(44) 寛容性のある宗教観

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月12日

TED(テッド)はアメリカを中心に様々な分野の人物による講演会活動を行っている団体です。
2014年に京都で開かれたTEDの講演会で、あるお坊さんが講演しました。
臨済宗の禅寺の副住職をしている松山大耕氏です。
演題は「Reasons for religion」。直訳すると「宗教の理由」となります。(「宗教の理性」かな??)

ユーチューブに講演の動画があります。
https://youtu.be/8mAPA3YKC_A

十数分の短い話ですが、けっこう反響があったようで、ネット上のあちこちで紹介されています。
全文テキスト化したものがありますので、動画を見る時間のない方は、こちらをお読み下さい。
http://logmi.jp/34073

テーマ自体は、日本の宗教の寛容力が大きいことを訴えるもので、特に目新しいテーマではありませんが、しかし話しているエピソードがなかなかおもしろいです。

松山氏はお寺の子として生まれましたが、中学・高校はカトリックの学校に通っていました。

大学時代にアイルランドに行ったときに、現地の人に自分のそういう経歴を話すと、驚いて
「なぜあなたの国ではそんなことができるのか? アイルランドでそんなことをやったら殺される」
と言われたそうです。

アイルランドにも信仰の自由はありますが、国民の9割がカトリックです。
IRA(アイルランド共和国軍)というテロ組織が、イギリス領土になっている北アイルランドをイギリスから分離させて、全アイルランドを統一することを目的に長い間活動して来ました。(90年代末に停戦し、現在は武装解除しているようです)

IRAはカトリック過激派組織であり、イスラム教におけるアルカーイダやISILのようなものです。
要するにアイルランドには、自分の信仰する宗教以外は許容しないようなカルチャーがあるわけです。
「殺される」というのはさすがに大げさだとしても、カトリック信者の子供がプロテスタント系やイスラム系の宗教の学校に行くなんて、とうてい考えられないことなんでしょう。まして僧職者の子供だったらなおさらです。(ただしカトリックの神父は結婚禁止なので子供はいません)

松山氏の経歴を聞いたアイルランドの人は「日本では何でそんなことができるのか」とすごいカルチャーショックだったと思いますが、「そんなことをやったら殺される」と言われた松山氏もかなりカルチャーショックだったことでしょう。

しかし世界はそういうものだということを、私たち日本人はよく知った方がいいと思います。
結婚式はチャペルで行い、クリスマスを祝って、神社に初詣に行き、葬式は仏教で・・・なんていうのは、世界基準で見たらかなり異常な人たちなわけです。
それは果たして宗教的に寛容だということなのか、それとも無節操だということなのか・・・

松山氏は、この宗教観の違いは、食の違いと似ていると述べています。
洋食のコース料理にはメインディッシュというものがありますが、和食にはそれがありません。
懐石料理を想像してみて下さい。いろいろな料理が少しずつ出てきて、特別にメイン料理というものがありません。
ある特定の料理(宗教)だけを特別視することなく、全ての宗教に共通する倫理観とか哲学といったものを日本人は大切にしているのではないか、と松山氏は話しています。

他にも、日本とインドの仏教の違いはカレーに似ているとか、お坊さんだけあってなかなか話がうまいです。
で、最後は、日本人の持つ素晴らしい寛容性のある宗教観を世界に伝えて行きたい、そうすれば世界はもっと素敵になると信じている云々ということで、話を結んでいます。

   ○   ○   ○

松山氏のこの講演の中から特に抜き出して紹介したい箇所がいくつかあります。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年8月3日号

言向和(43) 憎しみの教育 その結果 寛容の精神に欠ける

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月10日

ユーチューブにあった動画で、中国の大学の所長が次のように語っていました。
『マフィア化する中国の医療』の2:13から
http://youtu.be/p-FZZYkTkZ0?t=2m13s

医療事故を隠すために病院が暴力を行使して被害者の声を弾圧している、という社会問題に対するインタビューです。
そういう問題が発生する理由の一つとして、この所長は、
「我々が受けた教育は階級闘争の教育で、憎しみの教育なので、寛容の精神に欠けている」
と語っています。

階級闘争の教育とは、一言で言うと「敵を憎め」という教育です。
共産主義が「悪魔の宗教」と呼ばれる所以です。

この所長が言うように、たしかに共産主義国家の中国では、党・政府の命令で、「敵を憎め」という教育が行われているのでしょう。「反日」がそのいい例です。
その結果、人心が荒廃し、寛容の精神に欠けるようになってしまったと、この所長は嘆いているのです。

しかし。
これは共産主義国家特有のことではありません。
日本でも「憎しみの教育」は身近なところに転がっています。

たとえば、夫婦仲に問題があり、妻が夫をバカにしている家庭があります。
妻の方が夫よりも仕事のスキルがあって収入が多く、夫が無能な人間に見えて仕方がないのでしょう。
そして子供を自分の味方につけて「父親はダメ人間」と教え込み、一緒になって夫を非難・攻撃させているのです。
この妻はイデオロギーとは無縁の人であっても、やっていることは階級闘争そのものです。
知らず知らずのうちに、そういう態度を取ってしまっているのです。
果してこんな「憎しみの教育」を受けた子供は、どういう人間に育つのでしょうか?

階級闘争から生まれるものは、自己嫌悪です。
夫を非難し、父親を非難し、そこから生じるのは空しさだけではないですか?
そういう男と結婚し、あるいは、そういう親から生まれた自分自身が、情けないだけです。
いくら夫や父親を非難しても、自尊心というものは決して生まれません。
自己嫌悪するだけです。自己嫌悪するから、なおさら父親を非難するのです。

年中、ストライキばかりしている労働組合があったらどうですか?
経営者を非難攻撃するのもいいですが、それは結局「うちの会社はダメな会社だ」と言っているのと同じです。

年中、政府や社会を非難攻撃している野党や市民活動家やマスコミがいたらどうですか?
それは結局「わが国はダメな国だ」と言っているのと同じです。

中国や韓国のように年中、日本を非難攻撃している国は、結局「わが国は簡単に他国に侵略されるような弱い国だ」と言っているのと同じです。そんな国の国民は、自尊心が育たず、自尊心がないが故にますます他者を非難攻撃することになります。

「弱い犬ほどよく吠える」と言いますが、自尊心のない人ほど、他人を悪く言うものです。
しかし他人を悪く言ったからと言って、自分が良くなるわけではありません。
それどころか、自分が悪く言っている人(あるいは会社とか社会とか国家とか)に依存して生きていかなくてはいけない自分が空しくなるだけです。
余計に自尊心が傷つくだけです。

安倍政権・自民党を一生懸命に非難攻撃して来た民進党が、脱党者が続出して解党寸前ですが、そんなのも良い例です。安倍政権の支持率を急落させたのですから、本当なら万歳三唱で結束力が高まるはずでしょう。ここで政権奪取のチャンスじゃないですか!
しかし他人の悪口しか言えない党なんて、嫌気が差す人もまた多いのです。民進党の支持率は低下し、それでは選挙に勝てないと脱党したくなる気持ちもよく分かります。

ツイッターだのフェイスブックだのインターネットの普及で、誰もが声を上げることのできる時代です。
他者を非難攻撃することが「言論の自由」であり、それが社会の健全発展につながるかのような錯覚が広まっているように思います。

ですが実はそれは悪魔の罠なのかも知れません。
社会はますます悪くなり、自分自身も悪化して行くことになるのです。

誰かを非難攻撃したい気持ちになったときは、まずその気持ちを言向け和してみる必要があるのではないでしょうか。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年2月17日号

言向和(42) ワールドワーク──敵同志が集まるグループセッション

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年09月08日

「ワールドワーク」というものをご存知でしょうか?

ユング心理学者のアーノルド・ミンデル(ウィキペディア参照)という人が創始したプロセス指向心理学を、会社や地域社会などの組織・団体に応用したものです。
紛争解決に役立つワークです。

たとえば宗教や人種で対立し、武力衝突が起きている地域で、対立している住民を集めてこのワークを行うのです。

多人数で行うグループセッションによくあるのは、アルコールやギャンブル依存症の人が集まって行うものです。
それぞれ自分の体験を語り合い、それに共感したり、励まし合ったりするわけです。

そこに「敵」はいません。ある意味ではみな同じような体験をした仲間(味方)ばかりです。

しかしこのワールドワークは、対立する人たちが集まります。お互いに、自分は被害者で、相手が加害者であると思っている敵同志です。
すごく激しいセッションになるでしょうね。

   ○   ○   ○

北朝鮮が核兵器の実験を行い、日米韓など関係諸国との対立がどんどん深まっていますが、国家間の対立でも、企業間でも、家族間でも、対立・紛争が起きるとよく「対話が大切だ」とか言います。

しかし対立もこじれてしまうと、もはや対話しても解決にはつながりません。
お互いに自分の利益を主張し、相手の非を責めるだけで、ますます仲がこじれるだけです。

感情が傷ついて、理性で解決できるレベルではなくなっているのです。

特に、怒りで頭に血が上っていると、自分のことしか考えることが出来なくなってしまいます。相手のことなど考える余地がありません。
和解なんてとうてい不可能です。

そういう場合は、理性的に解決しようとするのではなく、逆に感情を爆発させて、お互いに感情同志で戦わせた方が、むしろ解決につながる場合があります。
よく、不良少年を扱ったテレビドラマなんかに、子供が家庭で暴れた挙げ句に親と感情剥き出しのバトルをして心の奥底に押し籠めていた感情を吐露する場面がありますが、あれです。
「雨降って地固まる」です。

とはいえ、感情剥き出しのバトルは危険です。取っ組み合いのケンカになり、さらに相手を傷つけ、解決するどころか、かえって憎悪が深まる可能性もあります。
だからちゃんとファシリテーター(進行役)がいて、ルールに則って、感情の吐露を行って行く必要があるのです。
私の理解では、ワールドワークとはそういうグループセッションです。
(専門家から「そんな単純なものではない!」とお叱りを受けそうですが、私はその道の専門家ではないのでご了承下さい)

   ○   ○   ○

ワールドワークの参加者は、最初は敵(相手)に対して憎悪が剥き出しでも、「爆撃されて怖ろしかった」とか「銃で子供が殺されてとても悲しかった」という敵の体験談を聞いていくにつれ、『敵も自分と同じように、つらい思いをしていたのだ』という、感情の共感が生じて来ます。

相手の悲しい想いに耳を傾けることで、自分の正義は相手にとっては不義であるという、理性的に考えれば当たり前のことを実感するわけです。自分の報復が相手の報復を生み、憎悪が連鎖して、ここまで町が荒廃してしまったのだという現実を目の当たりにするのです。

それによって直ちに紛争が解決するわけではありません。
参加者が、憎しみを持って行く場がなくなってしまい、今度はその憎しみをどこに向けるのか、その向かう方向によってはますます大変なことにもなりかねません。

とはいえ、愛する家族を殺された人が憎しみをなくすことはなかなか出来ないと思います。
前回書いたように、憎悪を昇華できればいいのですが。。。

ワールドワークだけで紛争が解決するわけではありませんが、紛争解決に役立つワークであると思います。
興味のある方は勉強して下さい。

●A・ミンデル『紛争の心理学 ──融合の炎のワーク』講談社現代新書
http://amzn.to/2eKzOXU

●ワールドワーク ウィキペディア

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
「言向け和すメールマガジン」2016年1月13日号