喜三郎の修業 (22) 集団の変容

投稿:2020年08月21日

第38巻にも大本草創期の様々なエピソードが書かれており、とてもおもしろいのですが、喜三郎の修業という観点から見ると、これ以上特筆すべきことが見当たらないので、これでこのシリーズを終わりにしたいと思います。

この第37~38巻には、おおむね明治31年の高熊山修業前夜から明治42年頃(一時綾部を離れていた喜三郎が綾部に戻った年)までのおよそ10年間の出来事が書かれていました。

一般の宗教の教祖伝だと、何らかの神秘現象によって自分の使命に目覚めた後、宗教活動を開始して、その周りに信者が集まってきて、教団が作られて行くのですが、出口王仁三郎の場合は、もともと存在していた教団に、外部からやって来て入り込み、教主の座を獲得するという、極めて特異なケースです。

出口ナオをタテの教祖とするなら、王仁三郎はヨコの教祖です。
ある意味では王仁三郎が大本を乗っ取ったとも言えます。大本という宗教現象が他に例を見ないおもしろさがここにあります。

以前にも書いたように、王仁三郎は単独で十分に宗教を作るたけのスキルを持っており、亀岡では実際にそうしていました。
わざわざ綾部なんかに行く必要は全くありません。自分が来ることに反対し、命を狙うような奴らがいるところに行く必要はないのです。
大本なんか相手にせずに自分一人でやっていた方が、もっと早くに教団を大きくすることが出来たのではないかと思います。

出口ナオの周りにはそれほど多くの信者がいたわけではないし、お金を持っていたわけでもありません。
何もないただの無学で貧乏なおばちゃんです。
出口ナオと組んだっていいことは何一つないのです。
にもかかわらず、王仁三郎がなぜ綾部の大本で活動しなくてはいけなかったのか? それがこの時期の王仁三郎(喜三郎)を読み解く大きな鍵であると思います。

それはとりあえずこのシリーズの第15回「初めての参綾」を読み返して下さい。

それは神界的には、太古の神約の実現でもあります。
「天の神様、地に降りて、お手伝い遊ばすぞよ」っていうやつです。
そのことは第4巻第45章「あゝ大変」を参照して下さい。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0445

つまり、地の神様(国常立尊)のお手伝いとして地上に降りて来たので、自分一人でやればいいということではないのです。
ご主人あってのお手伝いさんです。
あくまでも出口ナオの元で行わなくてはいけなかったのです。

そしてまた別の観点から見ますと──宗教というのは基本的に「個人の変容」を促すものですが、ミロクの大神の化身である王仁三郎の場合は「集団の変容」ということが任務になって来ます。
大本という人間集団、そして日本、世界という集団です。
王仁三郎は職業を「世界改造業者」だと称していましたが、人間集団(社会)の改革屋なのです。
だから自分で新たに人間集団を作るのではなく、既存の人間集団(綾部の大本)に乗り込んだのです。

あまり良いたとえではありませんが、ゴーンやマッカーサーのようなものです。自分で会社を作ったり国を作ったりするのではなく、すでにある企業や国家に乗り込んで来て、斜陽化している集団を立て直す改革屋です。

このあたりは深く探究して行くといろいろおもしろいことが見えて来ると思いますが、また別の機会にしたいと思います。

(このシリーズは今回で終わりです)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年12月4日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック