喜三郎の修業 (20) 行動原理の転換

投稿:2020年06月04日

ようやく第37巻が終わりました。
今回から第38巻に入りますが、総説に次のように書いてあります。

 本巻は子の巻に続き瑞月王仁が斯道(しどう)に入信したる経路の大略を口述したもので、実際の百分の一をも尽くしてはありませぬ。(略)この『舎身活躍』の子の巻、丑の巻はいずれも断片的物語で、年次を逐うては述べてありませぬから、そのおつもりで読んで頂きたいものであります。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm380002

第37~38巻は、王仁三郎の前半生の自叙伝になっていますが、この総説に書いてあったように、年月の順序で、起きた出来事をじっくり書いているわけではなく、想い出したこと逐次、書き綴ったようなかんじです。

第1巻から続く太古の神代の物語の中に、突如イレギュラーな現代の物語が挿入されているので、唐突な感じがしますが、何となく気まぐれに書いて霊界物語の中に入れた、というわけでもないようです。

霊界物語全81巻は次の3つの大きな話のブロックに分けることが出来ます。(詳しくはオニドや、拙著『あらすじで読む霊界物語』を参照)

第1~36巻  仮にAブロックと名づけます。
第37~72巻  Bブロック
第73~81巻  Cブロック(天祥地瑞)

このAブロックとBブロックの間に、自叙伝が挿入されています。

第39巻以降は、フサの国~月の国を舞台にした、大黒主調伏の旅で、それまでのストーリーの流れから一転した、新展開のストーリーとなります。

それ以前のAブロックにおける登場人物の行動原理は、欲望です。
高姫を筆頭に、自己実現するための玉を手に入れるために世界を駆け巡りますが、それが結果的には、神様から身魂磨きの旅をさせられていたということになります。

それに対して、Bブロックでの登場人物の行動原理は、使命です。
スサノオによって大黒主調伏の使命を与えられた宣伝使たちが旅に出ます。

AとBの両者の違いを、身近なことに喩えるのならば、お金を稼ぐために仕事をするのか、それとも世のため人のために仕事をするのか、ということです。

若い頃は、収入とか、世間体とか、そういうことで仕事を選ぶ傾向があります。しかしだんだんと年を取ってくると(お金ももちろん大切ですが)他人に役立つこととか、社会に貢献とか、そういうことに目が開いて来ます。

これは一人の人間の発達でもそうだし、社会の発達においてもそうです。

高度経済成長して世界の一流国になったところで、それはうわべだけのきらびやかに過ぎません。
中味も光り輝くためには、自分が、この世に生きて果たすべき役割は何なのか、日本が果たすべき役割は何なのか、そういう役割とか使命ということに目を向けるようにならなくてはいけません。

その行動原理の転換期に現代日本はあるわけですが、霊界物語においては、「みろく」の第36巻を境として、登場人物の行動原理が転換するのです。

その転換点に、王仁三郎の自叙伝が挿入されており、それ自体が、王仁三郎自身の転換期のドラマになっています。

9度にわたる大ゲンカ、そして高熊山修業という、死と再生の儀式によって、それまでの世間的な願望で生きてきた王仁三郎が、天から与えられた自分の使命に目覚め、行動原理が大転換したドラマが、第37~38巻なのです。

ですから、決して、ただ何となくここに自叙伝が挿入されているのではなくて、霊界物語全体の流れの中で、ちゃんと意味があってここに挿入されているのです。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月27日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック