喜三郎の修業 (15) 初めての参綾

投稿:2020年05月04日

喜三郎が小松林命から、お前が来るのを待っている人がいるから西北へ行け、という神示を受け、穴太から旅立ったのは「旧六月の暑い最中」でした。〔第21章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3721

具体的な日は分かりません。
明治31年(1898年)の旧6月というのは新暦だと7月19日(旧6月1日)から8月16日(旧6月29日、小の月のため29日が月末)の間になります。
たしかに暑い最中ですね。

3月1日~7日(旧2月9日~15日)の高熊山修業を終えてから、4~5ヶ月後のことです。

西北というのは微妙な方角だと思うかも知れませんが、地図をごらんいただければ分かるように、
https://goo.gl/maps/WZeSdbVn1ym
穴太から西北に向かって山陰道が延びており、つまり山陰道を山陰方面へ向かって進め、という意味です。

小松林は「園部(そのべ)の方へ向かって行け!」と命じていますが〔第20章の最後〕、園部というのは穴太から12キロほど離れたところにある町で(現在は合併して南丹市園部町)、喜三郎が4~5年前に(明治26~7年、22~3歳の頃)従兄の牧場で獣医学を学んだ町です。

しかし園部まで行かずに、もっと手前で、神が導いた出会いがありました。
出口ナオの三女・福島久子と出会ったのです。
場所は八木(やぎ)という町です。

…ただ一人穴太を離れ北へ北へと進み行く。道のりほとんど二里(8キロ)ばかり来たところに、南桑田、船井郡の境界の標(ひょう)が立っている。そこには大井川の清流をひいた、有名なる虎天関(とらてんいね)というのがある。〔第21章〕

穴太は南桑田郡、八木や園部は船井郡です。
「虎天関」は「虎天堰」とか「寅天堰」と表記している文献もありますが、虎天という名の井堰(いせき)のことです。
農業用水などに使うために川から水を引くために、川の水を堰き止めた所を井堰と呼びます。
地図だとこの辺りです。山陰道と川が接近したところです。
https://goo.gl/maps/N6pbHYKG37U2
航空写真で見ると、堰き止められているのがよく分かります。

この辺りの地理や、川の名前(大井川は桂川とも呼びます)については、以前にブログに書きましたので、そちらを読んで下さい。
「伝記地図(1)亀岡~綾部の概観」
http://iizukahiroaki.com/?p=1193

この付近に福島久子が茶店を出して、母(出口ナオ)の筆先で予言されていた人──この神(艮の金神)を見判ける者は東から出て来る、と予言されていた人を探すために、ここに茶店を出したのです。

なぜ綾部から遠く離れたこの場所(八木)だったかというと、久子が嫁いだ先(福島寅之助)が八木で、八木に住んでいたからです。

久子はナオと王仁三郎を繋ぐ重要なお役目をした人ですが、霊界物語の高姫に相応する人で、王仁三郎(霊界物語ではスサノオ)に反対して、大本内部を攪乱する、悪の御用を務めた人でもあります。
久子の一派は「八木派」と呼ばれ、霊界物語のウラナイ教に相応します。

喜三郎は久子から筆先を見せられ、そこに自分が高熊山修業中に見聞したことと一致することに驚いて、参綾(さんりょう)することを約束しました。

参綾とは綾部に参ることで、帰綾(きりょう、綾部に帰ること)とか帰亀(きき、亀岡に帰ること)なんて言葉もみな王仁三郎用語です。

綾部に行くことを約束したものの、実際に行ったのは、それから二ヶ月ほど経った秋の10月8日(旧8月23日)のことでした。

この時は、当時の役員信者らに猛反対され、時期尚早と判断して、すぐに引き上げてしまいました。

喜三郎はよそ者だし、毛色が異なるので、排除されるのも分かります。
宗教団体というのは、そういうところです。

もちろん宗教団体に限らず、政党だって、企業だって、そうですけどね。
人間社会に排除は付きものです。
その困難を乗り越えて、その社会に入り込み、内部から改革して行くというのは、とても大変なことです。王仁三郎はそれを行ったのです。

王仁三郎は、自分で新しい宗教団体を作り、広めて行く能力・実力を十分持っています。
反対派が渦巻く宗教団体になんか入らずに、自分で独立して活動して行けばよさそうなものです。
なぜそうせずに、茨の道を選んだのでしょうか?

それは、王仁三郎の救済法が「雛型」によるものだからでしょう。
実地で、政治運動・宗教運動によって人類社会を変えて行くというのではなく、出口ナオを中心とする「大本」という霊的集団を、立て替え(破壊)立て直す(再生)ことで、それを日本、そして世界へと波及させて行くという、超常現象による世界改造が、王仁三郎のお役目でした。
超常現象なので、常識では理解できませんが、数運などを見れば、そういうことだったんだなと受け入れざるを得ません。

また、別な見方も出来ます。
新しいものを作ったからといって、古いものを捨て去ってはいけないのです。
古いものと新しいものを和合させて行かなくては、人類社会は分断してしまいます。
古い価値観と新しい価値観が対立しやすいのはやむを得ませんが、それを繋いで行くことが、世界を統一するということです。
それが出来ずに離脱してしまったら、世界を統一することは出来ません。
分裂です。社会を食い千切る八岐大蛇の罠に引っ掛かってしまいます。

こんな頑固者のクソ野郎ばかりの宗教団体に居られるかッ、と愛想を尽かして出て行くことは簡単ですが、世界統一の使命を持った王仁三郎としては、あくまでもそこ(大本)に居て、そこを変えて行くことを選んだのです。

これは、神の「第三の選択」です。
陰謀論に「第三の選択」と呼ばれる説がありますが、ご存知でしょうか?
地球はこのままでは住めなくなるから、優秀な人間だけを選んで地球外に移住しようということをたくらんでいる連中がいるという説です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E

これは悪魔の第三の選択です。
古いもの、汚れたものは捨ててしまい、新しいものを作ろうというのです。
人類の生みの親である地球を捨てようなんて、全く悪魔的な発想です。

それに対して神の第三の選択は、古いもの、汚れたものを甦らすのです。
そして、優秀な選ばれた者だけではなく、総ての存在を救う、というのが、神の第三の選択です。

そしてそれが王仁三郎のやり方です。
彼の人生にはそれが顕著に顕れています。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月9日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック