喜三郎の修業 (14) 信仰の鍛錬

投稿:2020年04月30日

明治31年(1898年)旧6月(詳しい日は不明)、喜三郎に小松林命が神懸かりして、次のように命じました。

「一日も早く西北の方をさして行け、神界の仕組がしてある。お前の来るのを待っている人がある。何事にも頓着(とんちゃく)なく速やかにここを立って園部の方へ向かって行け!」〔第37巻第20章の最後〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3720#a305

こうして喜三郎は故郷を旅立つことになります。

「お前の来るのを待っている人がある」なんて、嬉しい話ですね。

山口百恵の『いい日旅立ち』は「ああ日本のどこかに私を待ってる人がいる♪」でした。
それはおそらく「いるはず」とか「いて欲しい」という期待・願望だと思いますが、喜三郎は神示によって「いる」と断言されたのですから、これはたいへん嬉しいことです。

しかしその神示を信じることが出来るかどうかが肝心です。
他人に懸かった神霊にせよ、自分に懸かった神霊にせよ、その神霊が語ることが必ずしも正しいわけではありません。
悪霊がウソをついて騙している可能性もあります。
迂闊に信じてしまうと、破滅の道を転がり落ちることになります。

第37巻の第2~3篇(第7~20章)には、邪霊に騙された霊媒者のエピソードがいくつか出ています。

たとえば第16章後半~第17章に出て来る「高島ふみ子」という女性にはお稲荷さんが懸かり、杉山という男と一緒になって盛んに人を集めて宗教活動をしていましたが、舞台裏ではインチキをやっており、イカサマの霊術を見せていたことが記されています。(これは高熊山修業前に体験したエピソードです)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3716#a221

また、第20章後半には、下司熊(げしくま)こと下司熊吉(げし・くまきち)という男が、斎藤静子という妻と一緒に神懸かりをやって、相場占いで金銭トラブルを起こし、インチキ宗教で一稼ぎしたものの、やがて流行らなくなり、最後には睾丸炎で死んでしまったという話が記されています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3720#a138

みな、変な霊が懸かってそれを信じてしまい、妄動・悪業に走ってしまったのでしょう。

しかし喜三郎に懸かった霊(松岡神使や小松林)も、牛糞を掴ませたり(第9章)、役者にしてやろうと言われて挫折させられたり(第19章)、けっこう色々と引っ掛け回しています。
そこの部分だけ取り上げてみたら、高島ふみ子や下司熊らと同様の悪霊憑きにしか見えません。

もちろん、高熊山修業や、静岡の長沢雄楯と出会ったことなど、数々の奇跡・神秘現象もあり、憑霊が正神であることを十分に信じるだけの現象が起きているのですが、しかし騙されるようなことがあると・・・ちょっと信じられなくなりますね。

そうやって神様は信仰を試します。
右に左に転がして、それでも信じることが出来るのか試すのです。
信仰を鍛えているとも言えます。
また、こういうときに、こういうことをすると、こういうことになるという、ハウツーを学ばさせているとも言えます。
牛糞騒動も役者騒動も、喜三郎に下心があったからに他なりません。

信仰とか信念いうのは、人が持つ一種の技術・能力であると思います。
信じることもそうだし、愛することもそうです。

料理を作るとか、文章を書くとかいうのと同じように、技術・能力です。
だから、色々な体験を積みながら、学習し、養い、磨いて行かねばなりません。

それがために、色々な苦難が降りかかってくるのだとも言えます。

喜三郎に小松林から「西北へ行け」と神示が下った直前にも、苦難が降り注いでいました。
喜三郎は下司熊に騙されてお金を巻き上げられてしまい、そのことに怒った弟の由松(よしまつ)が、「この神はめくら神だから、兄貴のバカが騙されているのを黙って見ていやがった。腰抜け神だ。もうオレのうちには置いてやらぬ」と言って、祭壇をひっくり返して暴れまくったのです。

それで、どうしたらいいのか産土の小幡神社に行って神勅を請うたところ、小松林から「西北へ行け」と神示が下り、それで「故郷を離れることを決意した」のです。

王仁三郎にせよ、出口ナオにせよ、最初から、神示に従っていたのではありません。
悪神ではないのか、騙されているのではないのかと疑いながら、その神と対話し、付き合って行ったのです。
つまり審神(さにわ)をして行ったのです。

おそらく、最初っから信じてしまっては、いけないような気がします。
そこが正しい道か悪しき道かの分かれ目のように思います。

それは、神懸かりして下りた神示に限りません。
信仰とか、信じる、ということ全般に通じます。
神社でおみくじをひいたり、占い師に相談に行ったりするのも同様です。
それを信じる自分がいるわけです。

信は芯であり、人間の芯となるものです。

現代はネット社会となり、ウソ情報が氾濫して、右往左往するような状態となっていますが、それは神様から「信じる」力を鍛錬させられているのではないかと思います。

「信じる」と言っても、頭から鵜呑みにしてはいけないのです。
どういう情報を信じればいいのか。
何を、どう信じたらいいのか、その能力・技術を養うことを、人類はやらされているのではないかと思います。

変な霊(情報)に騙されて破滅の道を歩まないようにするためには、牛糞を掴まされるような失敗経験も必要となって来ます。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月6日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック