喜三郎の修業 (13) 小松林命

投稿:2020年04月24日

旅館に宿泊代をぼったくられてお金が無くなってしまった喜三郎は、仕方なく郷里の穴太に帰ることになります。
元カノ(斎藤いの)の実家に一泊し、翌日帰るのですが、手元には2銭半しか残っていません。

ネットで調べると、明治30~40年代の東京の国鉄初乗り運賃は5~6銭だったようです。だから2銭半ではとうてい汽車に乗れません。
そこで線路を歩いて帰ったと歌で記されています。〔第37巻第14章「夜の山路」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3714#a149

大阪から穴太まで「十三里」(52km)の道のりです。マラソン(42.2km)より長いですね。
現代人だったら挫折してしまう距離ですが、当時は鉄道も自動車もまだまだ発展途上で、徒歩移動が当たり前の時代ですので、このくらいなら一日で歩けてしまうようです。

この歌の中に「四月十五夜の月は」云々と出て来るので、帰郷した日は旧4月15日、新暦だと6月3日だったことが分かります。
大阪に出向いた日は分かりませんが、二週間旅館に泊まり、元カノの実家に一泊したので、おそらく計15日滞在したのではないかと思われます。

ここで、高熊山修業からの出来事を簡単にまとめてみます。

新3月1日(旧2月9日)高熊山修業開始
新3月7日(旧2月15日)正午 帰宅
新3月9日(旧2月17日)早朝 体調に異変 床縛りの修業開始
新3月15日(旧2月23日)床縛りが終わる
幽斎修業を始める
新4月3日(旧3月13日)(神武天皇祭)三矢が訪問
新4月13日(旧3月23日) 静岡へ 長沢雄楯に弟子入りする
新4月22日(閏3月2日) 帰郷
新5月20日(旧4月1日)? 大阪宣教へ
新6月3日(旧4月15日) 帰郷

わずか三ヶ月の間に、喜三郎は実に多くのことを体験していますね。
それから二ヶ月後に、八木の茶店で福島久子(出口ナオの三女)と出会うことになるのですが(第21章)、第15~19章はそれまでの間に起きた出来事です。
複数の女性の憑霊現象が物語られています。

第15章 石田小末
第16章 岩田藤
第17章 高島ふみ子
第18章 多田琴と石田小末
第19章 阿栗(おぐ)

これらのエピソードは割愛します。直接、霊界物語を読んで下さい。

第19章の前半に書かれている役者騒動について書いておきます。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3719

喜三郎は、壮士芝居の役者を募集する広告が新聞に載っているのを見ました。
壮士芝居とは「自由民権思想を広めるために始めた演劇」〔デジタル大辞泉〕で、後に新派劇へと発展して行ったジャンルです。
https://kotobank.jp/word/%E5%A3%AE%E5%A3%AB%E8%8A%9D%E5%B1%85-89399

喜三郎がその広告を見ていると、多田琴に小松林命(こまつばやしのみこと)という神霊が懸かり、役者にしてやろう、と喜三郎に言います。

喜三郎は広告を見て、自分も役者になってみたいと思っていたので、大喜びしました。
早速、お金を15円集めて京都へ行き、10円の入会料を払って劇団に入り、稽古に励み出しました。
しかし、お尻に大きな腫れ物が出来てしまい、痛くてたまらず、芝居どころではなくなります。

すると喜三郎に松岡神使が懸かって大声で嘲笑います。
「役者になりたそうにしておるから、ちょっと改心のためになぶってみたのだ」

喜三郎は仕方なく故郷に帰ると、お尻の腫れ物はすっかり完治してしまいました。

世界を救うという重大な御用があるにもかかわらず、役者になってみたいというような浮気心を抱いたため、改心させるため神様が苦難を与えたのです。

「それきり壮士俳優になってみたいという心は、スッカリ消え失せ、一心不乱に神界の御用に尽くすという心になったのである」
と王仁三郎は霊界物語に書いています。

自分が進むべき道から逸れてしまったため、神様から気づきを与えられたのだ、とも言えるでしょう。

   ★   ★   ★

この小松林ですが、王仁三郎の前半生に出て来る重要な人物の一人です。
松岡天使と共に、王仁三郎の活動初期に懸かっていた憑霊の一つで、明治32年に綾部に移住してからは、当時の大本の役員信者に「小松林の悪神が懸かっている」ということで攻撃材料にされました。

第9章で、「小松林の命令」で現れた大霜天狗は、財布だと思わせて牛グソを掴ませました。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3709#a026

第19章では、喜三郎に「役者にしてやろう」なんて甘い餌をまきました。
このように小松林はイタズラ好きの神霊ですが、悪神と言うのはちょっと言いすぎです。

それがなぜ悪神扱いにされたかというと、出口ナオ開祖の筆先で、小松林が守護している間は、喜三郎(緯、瑞霊、変性女子)は開祖(経、厳霊、変性男子)に敵対すると出たからです。
○参考 大本神諭 明治36年旧6月14日
「この緯役は小松林の守護の間は、男子を敵対うて…」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os246&mky=a013#a013

開祖に敵対すると神示が出たので、悪神とされたのです。
それで役員信者たちは、その悪神が懸かる喜三郎を排斥したり、早く改心せよと迫ったのです。

この小松林とは何者かと言うと、多田琴に懸かった小松林が「わしは男山(おとこやま)の眷族・小松林命であるぞ」と言っています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3719&mky=a005#a005

男山とは石清水八幡宮(京都府八幡市)が鎮座する山で、明治期には男山八幡宮と称していたようです。
○ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
(石清水八幡宮は、京都の裏鬼門を守る神社ですね)

…余は常に、この神と入魂となり、余が修行中、すなわち十か年間は、小松林の御名を拝借する事を赦されたり。
 付記す。小松林は八幡宮の高等なる眷属神にして、生前は武士なり。神功皇后の軍に従いて、三韓を征し玉いし英雄なりしなり。
〔本教創世記〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c16

というように、小松林命は生前は武士で、神功皇后に従い三韓征伐に出征したと王仁三郎は書いています。
それは竹内宿禰(たけのうちすくね)のことです。
○聖師伝
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B100800c16#a058

また小松林命は「素盞嗚尊の分霊」でもあります。
○大本七十年史 上
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c1511

そしてまた王仁三郎は、「後小松天皇」(第100代天皇。南北朝が統一した最初の天皇)は小松林の霊だとも言っています。
○『新月の光』上巻p306「後小松天皇」

小松林という神霊が喜三郎のもとに現れたのは、高熊山修業の時からで、いろいろと神示を与えています。
「三大学則」はその時に小松林から伝えられたもので、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c232
「いろは歌」や「太古の神の因縁」も小松林が伝えたものです。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c03
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121801c24

小松というのは、小さな松、若い松という意味ですが、高熊山の山頂は、当時は小松が茂る林だったというので、そこからのネーミングかも知れません。

開祖に敵対する役だと筆先で言われた小松林命ですが、大正5年の神島開きの折りに出た筆先で、ミロクの神の系統だということが明らかにされました。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os250

この小松林命が、喜三郎に
「西北へ行け。お前を待っている人がいる」と神示を下し、
福島久子、そして出口ナオと出会うことになるのです。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月2日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック