喜三郎の修業 (12) 女性関係

投稿:2020年04月22日

話は少し戻り、喜三郎が宣教のため大阪に到着した直後の場面です。

喜三郎が大阪という見知らぬ地で最初に頼ろうとしたのは、お国サンでした。お国サンは幽斎修業者の一人・多田琴(ただ こと)の母親です。

夫(多田亀)と離婚し、大阪に住んでいたお国サンの家に、多田琴が布教がてら滞在していたので、喜三郎はそこに行って多田琴と二人で大阪で大宣伝を試みようと考えました。

しかし、お国サンの名字も住所も知らなかったので、交番で尋ねても家がどこか分かりません。
穴太の田舎の感覚で、「お国サン」と名前だけ言えば誰だか分かると思っていたようです。

そこでふと思い出したのが、穴太の自宅の隣りに住んでいた斎藤佐市という人が、大阪の空心町(くうしんまち)というところで餅屋を開いているということでした。
このことは前回書きました。
喜三郎は斎藤佐一宅に行こうとして人力車に乗ったら、料金をボッたくられてしまい、斎藤佐市と会うことは出来ましたが、家が狭いので近くの旅館に案内され、そして二週間後、有り金を巻き上げられてしまったのです。〔以上、第13章「煙の都」〕

空心町は今は地名は残っていませんが、現在の大阪市北区天満一丁目~三丁目の辺りです。造幣局がある地域ですね。
https://onipedia.info/wiki/%E7%A9%BA%E5%BF%83%E7%94%BA

お金が無くなった喜三郎は帰郷する前に、もう一度、空心町の斎藤佐市宅を訪れました。〔ここからは第37巻第14章「夜の山路」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3714

するとそこに、佐市の娘の一人「いの」(おいの)が来ていました。

いのは実は喜三郎の元カノです。4年前に別れた恋人です。
すると母親が気を利かして、狭い家だけど泊まって帰れというので、妹の富野と5人で四畳半に雑魚寝することになりました。

しかし夜10時頃、姉の「お秋」が人力車でやって来て、いのを連れて帰ってしまいました。
この出来事は霊界物語(第37巻第14章「夜の山路」)を読んでいるだけでは、舌足らずでちょっと意味がよく分かりません。
出口和明著『大地の母』を読むとよく分かります。
もちろん『大地の母』は小説ですので推理・創作の部分もありますが、意味は通じます。

いのに関するエピソードは第2巻の次のところに出て来ます。
○穴太精乳館、百日養子、煙の都 (みいづ舎版 第2巻p64~137、p353)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c03
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c04
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c10

大地の母で「わき」と書いてあるのが、霊界物語の「お秋」のことだと思います。(「あき」が「わき」に転訛した?)
いのは大阪に嫁いだ姉(わき)の家に同居しており、たまたま空心町の両親の家に会いに来ていたのだろう…と大地の母では推測しています。

大地の母は、霊界物語第37~38巻や本教創世記など、王仁三郎が書いた自叙をベースに、あちこち取材・調査した書いた、王仁三郎の前半生を描いた歴史小説ですが、霊界物語とよく読み較べてみると、ところどころに食い違いが見られます。

たとえば、いのの妹・富野(とみの)の年齢は、霊界物語では16~7歳と書いてありますが、
「十六七の富野といふ妹が」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3714&mky=a009#a009
しかし大地の母では20歳と書いてあります。「二十歳の富野が」(みいづ舎版 第2巻p384)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c10&mky=a1050#a1050

また、喜三郎がいのと別れたのは、霊界物語では4年前と書いてありますが、
「四年以前に一寸悶錯を起して別れた娘」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3714&mky=a006#a006
大地の母では2年前と書いてあります。「二年前喜三郎との仲を裂かれて、いのは大阪に去った」(みいづ舎版 第2巻p377)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c10&mky=a0812#a0812

どちらかが間違いなのだと思いますが…たぶん霊界物語の方が間違っているのではないかと思います。
王仁三郎本人が書いているのに間違いがあるのか、と思う人もいるでしょうが、そうです、間違いと思われる箇所がけっこうあちこちにあるのです。前々回の記事(喜三郎の修業 (10) 本田親徳と長沢雄楯)で、喜三郎が初めて静岡の長沢雄楯の元を訪ねた日付が、王仁三郎本人が書いた3種の資料で異なっているということを指摘しましたが、日記に書き留めておいたわけでもなく、記憶に頼って書くのであれば、数字的なことはあやふやになってしまっても仕方がないと思います。
大地の母は著者(出口和明)が戸籍やお寺の過去帳など、色々な資料を調べて書いているので、こういう数字的なことはおそらく大地の母の記述の方が正確なのではないかと思います。しかし良く分からないので数字的なことはあまり深く追求しないで下さい。(^_^;)

さて、数年前に斎藤いのと恋愛に落ちた喜三郎は、明治29年(1896年)春、つまり高熊山修業の2年前、いのと結婚したいと父・上田吉松に告白しています。

しかし父は反対しました。
回顧歌の「相聞」には、うちは農家だから色白くて、か弱い女は嫁に取らぬと言って父が反対した、と歌われています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c55

その春、いのは大阪へ引っ越してしまい、そして8月に大阪で結婚することになり、この恋は終わりました。

その元カノと2年後に大阪で再会したのですが、よりを戻したいとか、そういう下心があったわけではありません。
「この時の喜楽は一切の情欲に離れ、ただ信仰一点張りに酔っ払っていた時だから、昔の女に出会い、一間に寝た所で、
別に旧交を温めようとも何ともそんな考えは持っていなかった。しかしながら何となくなつかしいような気がして、その女と同じ家に一宿することを嬉しく思うていたのである」
と書いてあります。〔第14章「夜の山路」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3714&mky=a018-a023

   ☆   ☆   ☆

ところで喜三郎の恋愛関係は、私が知るだけで、8件あります。
恋多き青年だったようです。
丹念に調べればもっとあるかも知れません。
すべて、高熊山修業の前までの恋愛です。
どのくらいまで親しい関係だったのか、王仁三郎本人が詳しく語っているわけではないのでよく分からないのですが、最後の2件は、籍は入れてないものの、事実婚です。

この恋愛体験は主に『出口王仁三郎全集』第8巻の回顧歌に記されています。
しかし固有名詞が書いていないため、相手が誰なのか判然としません。
大地の母では固有名詞を入れて書いてありますので、そちらの情報を含めてリストアップしてみましょう。
年代はおおまかなものです。

◆(1) 明治24年 20歳 初恋の「斎藤蘭」が結婚してしまい、失恋
○出口王仁三郎全集 第8巻 初恋
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c20
○大地の母 第1巻 久兵衛池事件、多情多恨、安閑坊喜楽
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138901c04 ~06

◆(2) 明治26年 22歳 「八木弁」と恋愛
○出口王仁三郎全集 第8巻 観音堂
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c34
○大地の母 第1巻 安閑坊喜楽、亀山城、園部殖牛社
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138901c06
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138901c07
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138901c08
○大地の母 第2巻 ラムネの泡
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c02&mky=a0666#a0666

◆(3) 「お仙」
○出口王仁三郎全集 第8巻 毛布、晩秋
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c38
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c39
○大地の母 第2巻 安閑坊喜楽
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138901c06
○大地の母 第3巻 色ぼけ欲ぼけ
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138903c03

◆(4) お松後家の一人娘「お鈴」との恋(自然消滅)
○出口王仁三郎全集 第8巻 靴音
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c40
○大地の母 第1巻 愛おとめ
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138901c09

◆(5) 明治28年 24歳 「安達志津江」と恋愛するが、結婚してしまい破局
○出口王仁三郎全集 第8巻 相思、留守、逆耳、血潮、夢現
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c58 ~62
○大地の母 第2巻 ラムネの泡、百日養子
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c02#a0427
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c04

◆(6) 明治29年 25歳 隣家の娘で幼なじみの「斎藤いの」と恋愛するが、結婚してしまい破局
○出口王仁三郎全集 第8巻 相聞、紅筆
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c55 ~56
○大地の母 第2巻 穴太精乳館、百日養子、煙の都
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c03#a0289
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c04#a0110
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c10#a0803

◆(7) 明治30年 26歳 「斎藤しげの」と結婚し斎藤家の婿養子となるが、義父とケンカして百日で出て行く(入籍はしていない)
○出口王仁三郎全集 第8巻 養子、百日
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c63 ~64
○大地の母 第2巻 百日養子
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c04#a0584

◆(8) 明治30年 26歳 「多田琴」と内縁関係になるがしばらくして別れる
○出口王仁三郎全集 第8巻 髪梳
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121808c72
○大地の母 第2巻 百日養子
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c04#a0998

というわけで、喜三郎は明治33年(1900年)に出口澄子と結婚する以前に2度、事実婚をしていました。

この最後の「多田琴」という名前に聞き覚えがあると思います。
冒頭に記しましたが、幽斎修業者の一人です。

最初に口切り(霊が懸かってしゃべり出すこと)をした女性です。〔第37巻第7章「五万円」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3707

霊界物語には、単に「多田亀という老侠客の娘」としか書いていないのですが、実は喜三郎の元カノだったのです。
いちおう、「ある機会から妙な仲となっておった」とは書いてますが、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3702&mky=a212-a214#a212
まさか内縁の妻だったとは、霊界物語を読むだけでは分かりません。

霊界物語執筆当時はすでに澄子さんと結婚していたので、配慮して、その辺りはわざとボカして書いたのかも知れません。

ところで、この女性たちと破局に至った原因は、いずれも相手とケンカしたのではなく、仕方なく別れることになったようです。
昔の結婚は、家と家との結婚という側面が強かったですから、相思相愛でも結婚できるとは限らなかったのです。
貧乏だからとか、親に気に入られなかったとか、そういうことで別れざるを得なかったようです。

喜三郎は大阪で斎藤いのの親の家に泊まりましたが、元カノの親の家に泊まるなんて、ケンカ別れだったら絶対できませんよね。

ケンカ別れではないので、彼女たちとの関係はその後も良好だったようです。
大地の母には斎藤しげのに関して、次のように書いてあります。

 喜三郎と恋愛したすべての女性がそうであるように、彼女もまた、晩年になっても、喜三郎の日常を知る人に会えば、必ず「喜三やん、どうしとってえ。元気にしとってけ」と、さも懐かしげに様子を知りたがったという。
〔大地の母 第2巻 百日養子〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138902c04&mky=a0933-a0940#a0933

元カノにそんなふうに思ってもらえるなんて、王仁三郎の人徳ですね。
ケンカ別れだったら、そんなふうにはなりませんもんね。
「思い出したくもないッ」というかんじじゃないですか?

王仁三郎は元カノへの対応を次のように語っています。

 五倫五常の道の廃れた支那でさえも、敬老尊師の道は残っている。いわんや君子国たる日本においておやだ。しかるに、この美風が衰えきってしまっているのは実に歎(なげ)かわしい次第である。
 他人でありながら、親にもまして自分を教育して下さるのは先生だから、師はどこまでも大切にせねばならぬ。忠信孝悌の道が廃れてどうして人間の道が立つものか、立替立直しが出来るものか。
 王仁(わたし)は残されたる唯一の恩師・長沢(雄楯)先生を親よりも大切に思っている。先生もお年を召していらっしゃるから、御達者な間に天恩郷や綾部の状況もお目にかけたし、嵐山の花も御案内したい。近々王仁自身でお迎えに行くつもりである。
 王仁は恋人に対しても同様な考えをもっている。次から次へと移ってゆく友愛結婚なんかとは反対に、若い時一度でも交渉のあった女(ひと)は永久に忘れぬ。その女が死んだらその子供のために尽してやる。王仁の命のある間は墓参りもしてやる。それが本当の人情ではないか。
 この点、頭山(満)翁も同意見で、馴染んだ女の墓参りを今もすると話しておられた。
〔玉鏡「敬老尊師」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg478

王仁三郎は実に人情の深い人ですね。
私もこういう人間に(なかなかなれませんが)なれるように努力したいものです。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年10月30日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック