喜三郎の修業 (10) 本田親徳と長沢雄楯

投稿:2020年04月14日

自宅で宗教活動を開始した喜三郎の周辺に、妨害行動をする人たちが現れたことを前回書きました。

妨害する人は、弟の由松(よしまつ)のように、身内にもいました。

弟だけでなく、伯母(喜三郎の母・上田ヨネの姉)さんも
「よいかげんに目を醒まして、早く帰って、元の乳屋や百姓をしなさい。お前がヒョロヒョロしているとおヨネがどんだけ心配するか知れぬ」
と喜三郎の宗教活動を否定して叱りつけました。〔第37巻第12章「邪神憑」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3712#a080

「預言者、郷里に容れられず」という聖書の言葉があります。
http://kotowaza-allguide.com/yo/yogensyakyouri.html
家族・親戚・友人など、近くにいる親しい人ほど偉大な人物の大きさが判らないものです。
ついこの前まで俗っぽい生活をしていた人間が突然「神が…」なんて言い出しても、誰もまともに相手にしないことでしょう。

これは王仁三郎のような教祖様でなく、ふつうの信者でも同様です。
新たに信仰した宗教を近親者に理解してもらうのは大変難しいことです。

宗教をポップにしたスピリチュアルという分野でも同じことです。
家族にスピを理解してもらえず浮いてしまう人は大勢います。

だからと言って、『理解のない人たちだなぁ』とか『生きづらい社会だなぁ』と、周りの人を恨んだり世間に背を向けたりすることは間違いです。
そのような社会に光を与えることが、信仰者としての重要な役割です。
神を信じて、強く生きねばなりません。

さて、ここまで自己流で幽斎修業(鎮魂帰神術)を行って来た喜三郎ですが、霊学を本格的に学ぶ機会が訪れました。
静岡在住の神道家・霊学者の長沢雄楯(ながさわ かつたて)の配下の者が、喜三郎の家を訪れたのです。

それは明治31年(1898年)4月3日のことです。
3月1日(旧2月9日)から一週間、高熊山に籠もり、下山してさらに一週間、自宅で霊的な修業をさせられて、それから幽斎修業を開始して二週間ほど経っていました。

長沢が主宰する稲荷講社の中堅幹部の三矢という男が、穴太の喜三郎の自宅に現れて、一緒に静岡に行くことになりました。〔第37巻第20章「仁志東」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3720

第37巻の章の順番だと、大阪宣教(第13~14章)よりも後ろ(第20章)に静岡行きのエピソードが載っていますが、時間順だと、静岡行きが先です。

細かい話ですが、初めて静岡に行った日は、文献によって日付が異なっており、霊界物語では4月13日に静岡に行き、長沢の門下生となり、一週間ほど滞在して霊学を学び、22日に帰郷したことになっています。
しかし『神霊界』掲載の随筆では4月15日に、
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c110708
「本教創世記」では4月28日に静岡に行ったと記されています。
滞在期間は三日間です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c16
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c17
いずれも王仁三郎が書いたものですが、文献によって異なるということは、本人もよく覚えていなかったのかも知れません。

さて、喜三郎と長沢雄楯との関わり(第20章)で覚えておきたいことをいくつかリストアップしておきます。

   ☆   ☆   ☆

●長沢雄楯は清水(現・静岡市清水区)の「月見里(やまなし)笠森稲荷神社」で神主をしていた。

地図 https://goo.gl/maps/fCqHaLZ8XDA2

「月見里(やまなし)いうのはずいぶん変わった名前ですが、月が見える里には山が無い(山が無いから良いお月見が出来る)ということから生まれた地名らしいです。
当て字ですが、発想がすごいですね。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9C%88%E8%A6%8B%E9%87%8C

また長沢は、三保の松原で有名な御穂神社の神官も務めていたようです。

●長沢雄楯の師匠は本田親徳(ほんだ ちかあつ)

本田は古神道家です。喜三郎が長沢宅を訪問したときにはすでに本田は故人となっていました。(明治22年に帰幽)

●実は喜三郎は本田と子供の時に遭遇していた

本田親徳は帰幽する前の年、明治21年の春、喜三郎が数えで18歳の時に、梨の木峠(京都市と亀岡市の境目の大江山中)で遭遇しています。
そして喜三郎に「十年後にまた会う日が来るだろう」と告げました。
不思議な出会いです。
また出口直とも八木で出会っていたというので驚きです。

オニペディア「長沢雄楯」
https://onipedia.info/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E8%A6%AA%E5%BE%B3

『大本七十年史』上巻
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c1434

●本田は清水に喜三郎がやって来ることを予言していた

喜三郎が本田と邂逅したのとちょうど同じ時期(明治21年春)に、長沢の母・豊子は、本田から
「十年後に丹波からある男が来る。その男が来ると神の道が開ける。その男に渡せ」
と言われて、鎮魂の玉や天然笛を預かりました。

そして十年後に、喜三郎が丹波から現れたのです。

喜三郎は豊子から話を聞き、それが十年前に梨の木峠で出会った老人だったことを覚りました。

●三大学則は本田の神霊が授けた

本田親徳が帰幽した後、その神霊が喜三郎に「三大学則」を授けています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=Z9022

その神霊は「異霊彦命(ことたまひこのみこと)(異霊比古命)」と名乗っていたのですが、最初は喜三郎はそれが本田の神霊だとは知りませんでした。

長沢から受け取った本田の著書に三大学則と同じことが書いてあったので喜三郎は驚いたのです。
そして長沢に本田の神名を尋ねると、長沢は「異霊彦命」だと教えました。
三大学則を授けてくれた神霊は本田親徳だったのです。

「無上の歓楽と希望に充たされ、天にも登る心持ちがするのであった」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c17
と本教創世記に書いてありますが、神の水も漏らさぬ仕組を実感して、そういう心境になったのでしょう。

予言通り十年後に、本田の神霊と再会して神教を授かり、そして鎮魂の玉や天然笛、著書を授かるという形で、十年前に出会った老人(本田)と再会したのでした。

その神秘の感動はとうてい口に言い表せないものだったと思います。

●第1巻第13章「天使の来迎」に登場する「二人の夫婦の神様」は長沢親子

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0113#a065
この霊界のシーンで夫婦の神様は、喜三郎に天然笛と鎮魂の玉を授けています。
場所も「三穂(御穂)神社だと思はれる所」なので、現界においては豊子と長沢雄楯に相応するのでしょう。
ただし現界では夫婦ではなく母と息子です。

第7巻第8章「羽衣の松」には男女の二神が登場し、「三保の松原」で日の出神に、歌で神示を(邪神が常世国に現れて天教山を襲いに来る準備をしているから言向け和しに行けという神示)を伝えます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0708

この二柱の神は沫那岐(あわなぎ)と沫那美(あわなみ)(三保津彦と三保津姫の分霊)と言いますが、長沢親子の神霊
ということになるのでしょうか。

   ☆   ☆   ☆

さて、喜三郎は数日間、長沢の元で鎮魂帰神術の修業をし、帰郷します。

このとき修めた鎮魂帰神術は、大正9年で止めてしまったので(「喜三郎の修業 (6) 幽斎」を参照)、現在は大本に伝わっていませんが、元を辿れば本田親徳の流れであるのです。

本田親徳の弟子は長沢雄楯以外にもおり、また長沢雄楯の弟子も王仁三郎以外にいるでしょうから、そちらの方には鎮魂帰神術が伝わっていると思いますが、現在はどのような活動をしているのか不明です。

文献としては八幡書店から『本田親徳全集』や『本田親徳研究』が出版されています。
http://www.hachiman.com/shopdetail/000000000185/
http://hachiman.com/shopdetail/000000000184/

もちろん文献だけで鎮魂帰神術が使えるようになるわけではないし、今の時代に鎮魂帰神術が必要だとも思いませんが、誰かが研究しなくてはいけませんので、興味のある方はぜひどうぞ。

帰郷した後、神示によって大阪宣教に行き、その後、やはり神示によって西北へ向かい、八木(やぎ)という町で福島久子(出口ナオの三女)と出会います。

第20章には、静岡行きのエピソードの後に、「西北を指して行け」という神示が下り、次の第21章で、八木で福島久子と出会ったという流れで書いてありますが、実際には静岡と八木の間に大阪宣教(第13~14章)が入ります。
時間順に書いてありませんので頭が少々混乱します。

(注・先ほど書いたように文献により相違があり、ひょっとしたら大阪宣教の後、静岡に行ったのかも知れません)

ということで、次回は大阪宣教のエピソードです。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年10月23日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック