喜三郎の修業 (7) 大霜天狗

投稿:2020年04月06日

今回は第37巻第7~9章に出る「大霜天狗(おおしもてんぐ)」と名乗る霊についてです。

喜三郎は幽斎修業を始めたものの、最初の頃は素人の自己流で、てんやわんやの大騒ぎでした。

霊が懸かる修業者を神主(かんぬし)と呼びます。
一般的に神主と言ったら、神社の神主さんのように、祭祀の長を務める人のことを指しますが、審神(さにわ)用語としては、神霊が懸かる人のことを神主と呼びます。

神主となる修業者は男女ともにいましたが、やはり女性の方が霊が懸かりやすいようです。
多田琴という大柄な女性や、斎藤静子という小柄な神懸かりになり、ドスンドスンと飛び上がったり、しゃべり出したり、発動するようになったので、審神者(さにわ)を務めている喜三郎は「知らず知らずに天狗になってしまった」と述懐しています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3707#a034

ここで言う天狗とは鼻高天狗のことで、つまり高慢になったという意味です。
王仁三郎用語では「慢心取り違い」と呼びます。

多田琴には「白滝(しらたき)大明神」と名乗る霊が、斎藤静子には「恒富(つねとみ)大明神」と名乗る霊が懸かって、ああだこうだと大声で怒鳴ります。しかしそう名乗ったからと言ってそれが本物だとは限りません。
人間でもそうですが、偽名を名乗ったり他人の名をパクって偽称することはいくらでもあり得ます。
問答して、その真偽を調べるのが審神者の仕事です。

「修業場は一切他人の近よることを禁じていたが、あまり大きな発動の響きと神主の声とに、近所の者が聞きつけ、次から次へと喧伝(けんでん)して、昼も夜も家のぐるりは人の山になってしまった。」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3707#a109

昔だからまだ良かったものの、現代だったら、あっという間にSNSでウワサが広まってしまい、ネット民やマスコミの餌食になってしまいますね。
そんな大騒ぎの状態だったのです。

あるとき、喜三郎に松岡仙人(松岡天使)が神懸かりました。
喜三郎を高熊山に連れて行った、あの松岡仙人です。
松岡仙人は喜三郎の口を借りて、修業者の斎藤宇一(ういち)に語りかけました。
修業場として使っているのが斎藤宇一の家で、年はまだ22~3歳(数え年)の若者です。
(以下は意訳)

松岡仙人「お前は精神が悪くて神が懸かれないから、神主になるのはやめて、審神者になれ」
斎藤宇一「よろしくお願いします。一同の修業が済んだら、その後はどうしましょうか」
松岡仙人「5万円(当時の5万円は、現代の数十億円)やるから、この穴太の土地を買収して大神苑を作り、神殿を建てて、宗教の本部を作り、布教せよ。何事も神の命令に従え」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3707#a156

いかにも怪しい話ですね。
出来たての新興宗教が悪霊に騙されて転落する時によくありそうなパターンです。

斎藤宇一の父親・斎藤元市(もといち)は、相場に手を出して失敗し、先祖伝来の財産を失い、今や家屋敷まで無くなってしまいそうな瀬戸際にいました。
そのため、松岡仙人が5万円与えると言ったことを聞くと、たちまち喜三郎の前に現れ、欲望丸出しで、

斎藤元市「松岡さま、どんなことでも御用を聞きますから、早く5万円下さい。相場によって儲けさせてくれるのですか?」
松岡仙人「百年前に、坂井伝三郎という大阪の相場師が、住吉大社で大霜(おおしも)天狗となって、相場の守護をしている。その神がこの肉体(喜三郎)に憑るようにしてやる」

こうして大霜天狗(と称する霊)が喜三郎に懸かり、斎藤元市に相場で一儲けさせてやることになったのですが、相場をやる軍資金が必要です。
しかし斎藤元市はもうお金がありません。

大霜天狗「それなら、山奥に小判が埋めてある場所を知っているから教えてやろう。この肉体(喜三郎)を掘りに行かすから2~3日待っていよ」
斎藤元市「一人では賊にでも襲われた大変ですから、私もお供します」

元市は、大金を喜三郎に独り占めにされたら困ると思ったのでしょうね(笑)
しかしそうは問屋が卸しません。

大霜天狗「それはダメだ。ついて来ることはならぬ。その方の改心次第によって金を渡してやる」
斎藤元市「承知しました。慢心することはありません。ずっと心の底から改心しております」

喜三郎はその会話を聞きながら、そんな金があるものか、と疑っていました。(以上、第37巻第7章「五万円」より)

憑霊現象は、精神医学的には、いわゆる多重人格ということになると思います。
多重人格者の中には、他の人格が出て来てしゃべっている時は、本人の意識は眠っている場合があります。
本人は、他の人格が何をしゃべったのか覚えていないのです。
しかし大霜天狗が懸かっている喜三郎の意識は、それとは異なり、神霊がしゃべっていても、本人は目ざめています。
口だけが勝手に動いているのです。
私が若い頃に、変な霊が懸かった時もそういう状態でした。
出口ナオがお筆先を書いた時も、意識がある状態で書いています。
王仁三郎・霊界物語関連で出て来る神懸かりは、たいてい、意識があります。
意識がなくなって、完全に肉体が霊に支配されてしまうと、非常に危険です。薬物中毒患者と同じで、自分が何をやっているのか分からず、結果的に犯罪を犯しかねません。
常に自分の意識を保ったまま、懸かった霊を審神していないと、邪悪な霊に肉体を乗っ取られてしまう危険があります。

その日の夜、喜三郎は寝ていると、憑依した大霜天狗に起こされて、体を動かされて近くの山(小幡神社の裏の、殿山)まで歩いて行きました。(第37巻第8章「梟の宵企」)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3708

この時の喜三郎も、肉体は自分の自由が利かずに、懸かった大霜天狗によって動かされているのですが、しかし本人の意識はあります。
大霜天狗が懸かる時に、ヘソの下あたりから丸い固まりがゴロゴロと音をさせてノドの辺りまで舞い上がって来て、それで声を発するので、喜三郎(霊界物語中では雅号の「喜楽」)は苦しくてたまりません。

喜三郎「もっと楽に懸かって下さい」
大霜天狗「その方はまだ疑う心が無くならないから、それで苦しむのだ。早く改心して、神様の御用に立たねばならぬぞ」
喜三郎「私はもう神様のお道に入ったのですから、金の欲望はありません」
大霜天狗「バカ言うな。金が無くて神の道を広めることが出来るか」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3708#a012

などと一人二役で問答をします。
はたから見ていたら、一人でブツブツ独り言をしゃべっているのと一緒ですから、さぞ笑っちゃうことでしょうね。

さて、喜三郎は大霜天狗の言うことを疑い、また大金が欲しいとも思っていなかったのですが、大霜天狗と問答するうちに、やはり金が無くてはならぬと決心し、家から土掘りの道具一式を持って、大霜天狗が命じるままに、隣村の谷間(奥山の玉子ケ原)へ向かいました。

喜三郎は嫌々ながらも、そこで一時間以上も土を掘らされ・・・
案の定、小判は出て来ません。

大霜天狗「本当はウソだ。お前の心を試したのだ。アハハハ」
喜三郎「こりゃ、ドダヌキ! バカにするにもほどがある!」

喜三郎は怒って大声で怒鳴りますが、しょせん一人二役です。
自分で自分に怒鳴っているのです。

これを考えると、自分に懸かった神霊を信じるかどうかというのは、なかなか難しい問題ですね。
信じたいけど、信じてしまっていいのだろうか、と悩みます。

出口ナオも、最初の頃は、さんざん悩んでいました。
自分に懸かった神と問答しながら、少しずつ信じるようになって行ったのです。
神懸かりに限らず、信仰ということ全般に言えることだと思います。
目に見えないものを信じるのですから、信じていいのか、信じない方がいいのか、これは悩むはずです。
信じてしまって、もし間違っていたらどうしようか…と悩むのです。

そういう時はおそらく──信じてことが間違いだったと気づいた時に、どう対処するかが、重要なポイントになるのではないかと思います。
その「間違い」ということを、どう受けとめるかです。
『クソ、騙された』と、ふてくされてしまっては、ダメだと思います。
信仰を試されたの、修業させていただいたのだと受けとめるのがいいのではないかと思います。

しかしこの時の喜三郎は、少々ふてくされていたようです。
「去(い)にくされ(消え失せろの意)」と怒鳴って、自分の体を力一杯叩いたら、大霜天狗はどこかに行ってしまいました。

斎藤元市・宇一親子は、小判を掘りに行った喜三郎の後をこっそりつけていましたが、結局、小判が出て来なかったことを知ると、もう喜三郎を信用しなくなり、家を修業場として貸すことを止めてしまいました。(第37巻第9章「牛の糞」)
それから5日経ち、再び大霜天狗が喜三郎に懸かり、斎藤宇一に語ります。

大霜天狗「金はその方の心次第で与えてやる。まだ改心が出来ぬから、誠のことが言えぬのだ。金の欲が離れたらいくらでも与えてやる」
斎藤宇一「あまり欲な事は申しません。せめて、親父が相場で金を無くす前の状態にまで金を与えて下さったら結構です」
大霜天狗「この方の言うことを一から十まで信ずるのだぞ」
斎藤宇一「はい、一点も疑いませんから、お告げを願います」

こうして大霜天狗は、ある峠(葦野山峠)を下った道端に10万円入った大きな財布が落ちていると、お告げを出すのです。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3709#a102

斎藤宇一と喜三郎の二人は、お告げの通りに財布を探しに行きました。
暗い夜道で財布だと思って手につかんだものは……牛の糞でした。(笑)
また騙されたのです。

第9章の末尾に次のように書いてあります。

…かくの如くして神さまは天狗を使い、自分らの執着を根底より払拭し去り、真の神柱(かんばしら)としてやろうと思召(おぼしめ)し、いろいろと工夫をおこらし下さったのだと、二十年ほど経って気がついた。それまでは時々思い出して、馬鹿らしくってたまらなかったのである。
ああ惟神霊幸倍坐世。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3709#a278

お金への執着心を断ち切るための、修業だったのです。
しかし、もしここで「お金は欲しくありません」と言っていたら、どうなっていたのでしょうか?
その時は神様は、お金を与えてくれていた??
それとも「欲しくない」と言うのだから、お金は与えない??
う~ん、難しいですね。
難しいから、修業になるんでしょうけど。
もっとも、そんなことで悩んでいるうちは、まだまだ修業が足らない証拠かも知れません。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年10月12日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック