喜三郎の修業 (6) 幽斎

投稿:2020年04月03日

高熊山で一週間の霊的修業を行い、その後自宅で一週間の「床縛り」の修業を終えた喜三郎は、幽斎(ゆうさい)の修業に着手しました。

神を斎(いつ)き祀る方法(神祇の奉斎)には、顕斎(けんさい)と幽斎(ゆうさい)の二種あります。
顕斎とは、簡単に言うと、祭典のことです。
神官が行う本格的な祭典もそうだし、家の神棚だとか神社に参拝したりするのも顕斎です。
形をもって神を祀る斎(さい、いつき)が顕斎です。

それに対して幽斎とは、形を持たず、霊をもって霊に対することで、祈祷・祈願です。
また神人感合することでもあります。
喜三郎は幽斎を極めるために、神懸かりの修業を始めたのです。

顕斎と幽斎の詳細はこちらを読んで下さい。
○『出口王仁三郎全集 第1巻』「神祇の奉斎」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121801c13

顕斎というのは祭典だとか、参拝の方法であって、それを学ぶということは、たとえば祭式のやり方だとか、神饌物(お供え物)の並べ方だとか、参拝の作法を学ぶということになります。

文献としては昭和9年発行の『皇道大本祭式』をPDFにしたものがこちら↓にありますので、それを読んで下さい。
http://reikaimonogatari.net/dl.php
の onibon_pdf_02.zip です。(文献を読んだだけではよく分からないと思いますが、参考までにどうぞ)

次に幽斎ですが、喜三郎が行なった幽斎修業は「鎮魂帰神術(ちんこんきしんじゅつ)」という神人感合の法であり、「鎮魂」と「帰神」から成ります。
分かりやすく表現すると「神懸かり」になる修業です。
霊能開発法とも言えます。

神霊が懸かる修業者を「神主(かんぬし)」と呼び、指導者は神主に懸かった神を見判ける「審神者(さにわ)(旧仮名遣いでは「さには」)」になります。
神懸かりになると神主の体は動き出し(霊動と呼ぶ)、大声で叫んだり、時には座ったまま軽々と天上まで飛び上がりました。
憑依した霊に肉体が操られているのです。
それは正神の時もあれば邪神の時もあります。
神霊ではなく低級な動物霊の時もあります。
高級な神はそう簡単には懸かりません。
高級神を名乗る時は下級霊が詐称しているケースが多いので注意が必要です。
それを審神者が問答して正体を見判けて行くのです。

こういう帰神術は古来から日本にあり、古神道の世界で密かに伝えられて来ました。
たとえば日本書紀の神功皇后紀には、仲哀天皇九年三月一日に神功皇后が自ら神主となり、竹内宿禰に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を審神者として、審神(さにわ)が開かれたことが記されています。

古式では、
 神主
 審神者
 琴を弾じる役
の三者で構成されているようですが、喜三郎は場を清めるために琴ではなく、自ら石笛(いわぶえ)を吹きました。
石に天然の穴が開いて出来たもので、吹くと魂に染み入る音色が響き渡ります。

「さにわ」という言葉は三つの意味があり、まず帰神術(降神術、神降ろし)が行われる斎み清めた場所のことを「沙庭(さにわ)」と呼びます。
次に、降りた神霊に審問する行為を「審神(さにわ)」と呼び、そしてそれを行う人のことを「審神者(さにわ)」と呼びます。
ですから、「サニワがサニワでサニワする」という、早口言葉のようなことになります。(^<^)

喜三郎は後に綾部の出口直と出会い、彼女に懸かった神霊(国祖・国常立尊)を見判ける審神者としての役割を担うことになりました。
王仁三郎はこの幽斎修業を大本教団内で盛んに行ない、「予言」と並び「霊能」が世間の注目を浴びる大きな要素になったのですが、悪霊に肉体が乗っ取られて精神的におかしくなる危険もあり、大正9年(1920年)5月に王仁三郎はこれを禁止しました。
機関誌上で「従来の鎮魂帰神の実修法を更め、単に静座瞑目せしめて、お筆先を守護神に聴かしむるに止め、施術者の霊を注ぎ気合を掛くることを廃す。(但し静坐の姿勢は従前の通り)病気鎮魂及び憑霊の発動者には、特別鎮魂を施すことを得。其要領は従前の通りとす」と命じています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195401c2321
だから現在の大本教団では幽斎修業は行っていません。
「鎮魂」は精神統一法のような感じで現在でも行われていますが、「帰神」は廃れたため、具体的にどうやるのか詳しいやり方は分かりません。

第37巻に話を戻します。
喜三郎が人を集めて幽斎修業を始めたのは、自宅ではなくて、友人の斎藤宇一(当時22~3歳)の家を借りてでした。
○第37巻第7章「五万円」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3707

喜三郎がやり始めた最初の頃は、おそらく見よう見まねでやり始めたのではないかと思います。
本格的にやり方を覚えたのは、それから二ヶ月ほど経った4月下旬に、静岡の神道家・長沢雄楯(ながさわ かつたて)の元を訪ね、長沢から鎮魂帰神術を教わってからのことです。

この第7章に、体重が20貫(75キロ)もある多田琴(ただ こと)という名の女性が、神懸かりになって床が落ちるほど何度も飛び上がったというエピソードが書いてあります。
この多田琴は霊感の強い女性だったのでしょう。
彼女が最初に「口切り」をしました。
口切りとは、つまり霊が懸かって、しゃべり出すことです。

実は私も、霊憑りの体験があります。
飛び上がりはしませんでしたが、口が勝手に動いてしゃべり出しました。
神懸かりだとか、霊能にあこがれる人もいるかと思いますが、はっきり言って、そういう人にはろくな霊は懸かりません。
スプーン曲げのような超能力もそうですが、他人には出来ないことが出来るようになって注目を浴びたいという虚栄心から、そういうことに興味を持つ場合が多いのではないでしょうか?

私も二十代の前半に、霊能に興味を持ち、変な霊が懸かったのですが、やはりそういう虚栄心がありました。
そのことは今までに何度か書いてますのでここでは詳しくは書きません。
知りたい方はブログを読んで下さい。
○「神との出会い(7)憑霊体験の巻」
http://iizukahiroaki.com/?p=194

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年10月9日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック