喜三郎の修業 (4) 松岡仙人が現れる

投稿:2020年03月27日

明治31年(1898年)旧暦2月8日の夜、大ゲンカをして重傷を負った喜三郎ですが、翌日、祖母に諫められ、心を改めることを決心しました。

そしてその夜、つまり旧2月9日(新3月1日)の夜、とても神秘的な現象が起きました。
それによって喜三郎は神業の渦に引き込まれて行くことになります。

そのエピソードは自叙伝の第37~38巻ではなく、第19巻第1章「高熊山」(謡曲高熊山)に書いてあります。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1901

謡曲調で書いてあるので、少々分かり難いかも知れません。
概略を記すと──

喜三郎は夜、寝ていると、枕元に突然、異様に輝く光の玉が現れました。
紫、青、黄色、白、赤の五色に輝く玉(5個だけなのか、それよりもっと多いのかは不明)は、狭い部屋の中を右に左に飛び交い、そして喜三郎の体を目がけて飛び込んで来ました。
光の玉は、胸や、腹や、肩や、背中に、滲み込んで行きます。

すると喜三郎はたちまち心機一転し、起き上がって筆を取ると、墨を付け、そして床の間の壁にさらさらと神の名を書き記しました。
「天地大本大御神(あめつちおおもとすめおおみかみ)」

なぜそういう神名を書いたのか理由は記されていないので分かりません。
フトそういう神名が頭に思い浮かんだのだのではないでしょうか。
つい昨日まで、この世に神なんていない、と思い詰めていた若者が、今は信仰深げに神の名を唱え出し、今までの自分の罪を詫びました。

そのとき、外から戸を勝手に開いて、洋服を着た男が入って来たのです。
当時はまだ服は着物(和服)が一般的であり、洋服は珍しい時代です。
男は──自分は天教山(富士山)の木花咲耶姫(木花姫)の使いである。木花咲耶姫が、西の空に瑞雲がたなびき、星の光が照らしているのを見て、これは神の仕組の真人(しんじん)が現れた瑞祥であるから迎えに行けと命じられた──と言うのです。
この男は、松岡芙蓉仙人だとか、松岡神使だとか呼ばれています。
喜三郎は、松岡仙人に連れられて高熊山の岩窟に向かいました。

突然現れて一緒に来いと言う松岡仙人を、喜三郎はいぶかしがり、呆然として松岡の顔を眺めていた……と書いてあるので、積極的に行こうと思ったわけではないでしょう。
成り行きで行くはめになった……というような感じだと思います。

喜三郎の家から高熊山の岩窟までは、だいたい2キロくらい離れています。
岩窟に到着すると松岡仙人は去り、舞台は一転して、そこは須弥仙山(しゅみせんざん)の頂上に変わりました。
仏教で宇宙の中心にあるとされる山を須弥仙(しゅみせん)と呼びます。梵語では「スメール」です。
大本神諭や霊界物語に出る須弥仙山というのも、そういう意味合いです。
世界の中心にそびえて、総てを見下ろせるというような霊域を指すようです。

喜三郎は高熊山の岩窟の前にいたのに、いつの間にか須弥仙山の頂上に立っていました。
そこへ白馬に跨がり白雲を別けて駆け来たった神人(しんじん)がいます。
彼は小幡大明神(おばた だいみょうじん)と名乗りました。
穴太の産土である小幡神社の神様です。つまり開化天皇の神霊です。

明神『われは小幡大明神なり。このたび五六七の神世出現に際し、天津神・国津神のよさしのまにまに、しばらく丹州(たんしゅう)と現れ給う汝が御霊(みたま)、現幽神(げん・ゆう・しん)三界の探険を命じ、神業に参加せしめよとの神勅なれば、三十五年の昔より、木の花姫と語らひて、汝が御霊(みたま)を拝領し、わが氏(うじ)の子として生まれ出でしめたり。ゆめゆめ疑うことなかれ』
〔第19巻第1章「高熊山」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1901#a124

丹州というのは丹波の国のことですが、「丹州と現れ給う」というのは、ここでは丹波の国の人として生まれた、という意味ではないでしょうか。
また、霊界物語に丹州という名の人物が登場します。第17巻から第19巻にかけて登場しますので、この丹州のこと指している可能性も高いです。

小幡大明神の言葉に喜三郎は深く感じ入り、涙を流しました。
つまり、自分の出生は、昔からの神の仕組みだったことを、ここで知ったわけです。
何らかの使命を持ってこの地に生まれ、そして産土神によって守られ、育てられていたことを悟ったのです。

喜三郎がケンカに明け暮れていた時期に、相手に殴られても、自分は相手を殴らなかったということを前回(第3回)紹介しました。

いつも叩かれもって、心に思い浮かんだのはこうである。
『何だか自分は、社会に対して大なる使命を持っているような気がする。万一人に怪我でもさせて法律問題でも惹起したならば、将来のためにそれが障害になりはせないか?』
というのが第一に念頭に浮かんで来た。
〔第37巻第5章「松の下」〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3705#a141

「大なる使命」を持っているように何となく感じていたことが、小幡大明神の言葉によって、より確実なものになって来たわけです。

この大宇宙の中で、人はどこから来てどこへ行くのか…ということを誰でも一度や二度は考えると思います。
自分は何のためにここに生きているのか…それを考えると、おそろしい孤独感・虚無感に襲われるのではないでしょうか。
それで自分の存在意義を探して、人は蠢(うごめ)くのです。
生きていることの意味です。
生命の充実感と言ってもいいかも知れません。
それで喜三郎は
『思う存分、大喧嘩をやって……偉い奴だ! 強い奴だ! と云われたい。そうして強い名を売って、たとえ丹波一国の侠客にでもよいからなってみたい』〔第37巻第5章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3705#a178
なんて思ったのです。

しかし彼の使命は他のところにありました。
この世に生まれる以前から、神に定められた何らかの使命があることを小幡大明神の言葉によって悟ったのです。
その使命を果たすために、この世に生まれて来たのです。
それを悟った時の感動というものは、とうてい口では言い現せないものがあったと思います。

さて、涙に暮れていた喜三郎は、ふと気が付くと、再び元の高熊山の岩窟の前にいました。
何と不思議なことだろうと首を傾けていると、またまた場面が変わり、そこに天国浄土の風景が開けました。
そこへ現れたのは女神様です。
彼女は国祖・国常立尊(艮の金神)の妻神の、豊雲野尊(坤の金神)です。

「…今より汝(なれ)が命(みこと)の体(たい)を借らん」
つまり喜三郎の肉体を使って御神業を行う、ということです。
するとまたもや場面は一転し、元の高熊山に戻っていました。

不思議な霊的現象です。
喜三郎は、突然、こういう神秘現象に巻き込まれて行ったのです。
それ以前は、牛乳販売のようなベンチャービジネスを手がけたり、ケンカに明け暮れたりして、かなり俗的な生活を送っていたのに、いきなり、あなたの知らない世界に入り込んだのです。
戸惑わなかったのでしょうかね?
いや、戸惑ったとしても、勝手に周りの場所が変わったり、勝手に神霊が現れたりするのですから、逃げるわけにも行かず、それを受け入れるしかないでしょうね。

もちろん伏線は敷かれていたのです。
直接的な伏線は、半年前の父の死です。
原因不明の病で、54歳という若さで亡くなってしまったのですが……
それも見方を変えれば、喜三郎を目ざめさせるための神の仕組だったと言えます。

父の上田吉松は、そういう御用を神様からさせられていたのだと言えます。
「因縁の身魂(みたま)を神が綱を掛けて引き寄せる」
というようなフレーズが大本神諭にたびたび出て来ますが、こうして喜三郎は綱を掛けられて、神業の渦に引き込まれて行ったのです。

(続く)


【附記】

第19巻第1章の小幡大明神(開化天皇の神霊)のセリフの中に
三十五年の昔より、木の花姫と語らひて、汝が御霊(みたま)を拝領し、わが氏(うじ)の子として生まれ出でしめたり」
という言葉が出て来ました。

35年前から、穴太に喜三郎が生まれるように計画していたというのです。

この時は明治31年(1898年)旧2月9日です。喜三郎の年齢は明治4年(1871年)7月12日生まれとして数えると、この時、満だと26歳、数え年だと28歳になります。

一体35年前とは、どういう意味でしょうか???

明治31年(1898年)の35年前は、満だと1863年、数え年だと1864年です。この時代だと数え年で数えるのが一般的でしょう。
すると1864年は幕末の元治元年になります。

この年の7月19日、京都御所で「禁門の変」が勃発しました。孝明天皇は旭形亀太郎に守られ、切神神示で下りた経綸書を持って危地を逃れたのです。

この神示の中で、丹波に王仁三郎が出現することが予言されています。

この話の詳細は出口恒・著(飯塚弘明・協力)『誰も知らなかった日本史 ~切神神示と共に甦る孝明天皇の遺勅』(ヒカルランド)をお読み下さい。

小幡大明神が言う「三十五年前」とは、この切神神示と深い関係があると考えられます。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年10月2日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック