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喜三郎の修業 (18) 運が良いのか悪いのか

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年05月13日

第37巻の第21章「参綾」には、喜三郎が初めて参綾したこと(明治31年10月)と、綾部に移住したこと(明治32年7月)が記されています。その間は、園部の辺りで宗教活動を続けていました。

その時のエピソードが3つほど、次の第22章「大僧坊」、第23章「海老坂」に記されています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3722

1. 鞍馬山の大僧坊と偽る悪霊が取り憑いた小林貞蔵という男のエピソード(第22章)
2. 人見与三郎という僧侶がいる古寺でのエピソード(第23章前半)
3. 森田お民という稲荷憑きのエピソード(第23章後半)

この3つは直接霊界物語を読んでいただくことにして──その次、第24章「神助」と第25章「妖魅来」は、喜三郎が綾部に移住して大本での活動を始めた最初の頃のエピソードです。
そこから気づいたことを一つ取り上げます。

喜三郎は綾部でも幽斎修業を始め、それが順調に発達して来たある日、四方平蔵(しかた・へいぞう)という信者と共に、静岡の長沢雄楯の元を訪ねました。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3724#a139

月日は霊界物語には書いていませんが、別の資料によると、明治32年10月のことです。
31年4月に初めて静岡へ行き、5月に再訪し、今回が3度目になるようです。

二昼夜滞在した後、帰郷の途に就きました。

…午前一時の急行列車へ乗り込もうとする時、わずか二分の短き停車、ことに列車はボギー式で、田舎の汽車のように入口が沢山にないところへ、四方氏はあいにく目が悪い、夜分はほとんど灯があっても見えぬくらいだ。
それに沢山の荷物を肩にひっかけている。
喜楽も手一杯の荷物を下げて手早く乗車し、四方氏はどうかと昇降台を見れば、今片手をかけたばかりに汽車は動き出している。
駅員は力一杯の声を出して『危ない危ない』と連呼している。
四方氏はその間に七~八間(十数メートル)も引きずられていた。
喜楽は金剛力を出して荷物もろとも昇降台まで引きあげた。
この事を思うと今でもゾッとするようだ。

午前1時というのは、深夜です。
長距離だからか、そんな真夜中にも汽車が走っていたんですね。
今の夜行列車のような感じでしょうか?

ボギー式の車両というのは、車体に直接車輪が付いているのではなく、台車の上に車体を載せている車両で、車体を長くすることが出来ます。「列車はボギー式で」云々というのは、車体が長くて入口の間隔が離れており、停車時間も短いので乗るのが大変だ、という意味だと思います。
現代の感覚からすると、2分も停車しているなんてずいぶん長時間ですけど、昔のことだからホームというものが無い駅だと思います。汽車が来るまで駅舎で待っていて、汽車が入って来たら、駅舎から出て砂利の上を歩いて行って、「昇降台」(階段)を昇って車両に乗り込むという形です。
目の悪い四方平蔵が車両に上がるのが遅くなり、汽車が走り出してしまったというのです。
映画ではそういうシーンを見かけますが、実際にあるんですね。

喜三郎が力一杯引き上げて、四方平蔵は何とか汽車に乗れましたが、災難はこれだけではありませんでした。
午後1時、京都駅で降りて(静岡から京都まで12時間かかったことになります。現代なら新幹線で2時間くらいです)、亀岡行きの乗合馬車を待っていると、四方平蔵は食中毒で苦しみ出し、死人のような有様になってしまいます。

そこで喜三郎が、教祖(出口ナオ)から授かっていた「おひねり」を与え、鎮魂を施すと、御神徳によってたちまち病気は回復しました。

ここで言う「おひねり」というのは、世間一般で言うお金のことではなく、宗教用語であり、一種の神薬です。
神様に病気を治していただくために頂くものです。

宗教法人大本の公式サイトに次の資料がありました。
『大本いろは ご下付物3 おひねり』
https://oomoto.or.jp/wp/wp-content/uploads/2018/01/iroha09.pdf

 大本の「おひねり」は、当代の教主が祈念して神名を書いた和紙を折りたたみ、それをひねって小さくまるめたもので、重い病気や、突然の事故など、まさかの場合にご神水と一緒に頂きます。
 おひねりを頂くことで、体の中からも神さまのお力を頂き、大きなご守護を頂けるのです。
 おひねりは医薬品ではありません。感謝と畏敬の気持ちをもって、信仰的に頂きましょう。

出口ナオによって、この当時からこういうおひねりが与えられていたのです。

喜三郎は、元気になった四方平蔵と共に人力車に乗って亀岡に向かうと、今度は四方が乗った車の車輪が外れてしまい、四方は車から道路に放り出されてしまいました。
しかし奇蹟的に、かすり傷一つしないで無事でした。

──このように四方平蔵は一日のうちに三度も死にはぐったのです。

そんな目に遭ったら、皆さん、どう思いますか?
「ああ、ついてないな~」とため息ついたり、「何か悪いことしたかな」(つまり天罰)と反省したり、はたまた「悪魔が邪魔をしている」と思ったりするかも知れませんね。

しかしここで王仁三郎は、違う見方をしています。

…四方氏はよほど運の強い人と見え、一日の間に三度まで汽車、馬車、人力車の危難に救われるという事は、実に不思議である。
これも神様の御神徳と考えるよりほかに判断はつかぬ。
人間には一生のうちには必ず一度や二度は幸運が向かうて来る。
それと同様にまた一度や二度は大難が来るものである。
四方氏の信仰の力と大神様のおかげで、かかる危ない所を九分九厘で助けられたのは、全く神様に一心に仕えていたおかげである。

一日に三度も死ぬような災難に遭ったのだから「よほど運が悪い人」だ、と思うのは、凡人の発想です。

そういう人を王仁三郎は全く逆に、「よほど運が強い人」だと受けとめています。

災難が身に降り注いだ時、「運が悪い」と受け取るか、「運が良い」と受け取るかで、人生に違いが出て来ます。

死にそうになっても、かろうじて生きているのだから、それを「有り難い」と感じることが出来るかどうかです。
自分のことではなく、他人に対してもそうです。
「あいつは行いが悪いから罰が下ったんだ」と感じるか、「神様によって助けられた」と感じるか。

自分の身魂の正体が顕れる時です。
この世界をどのように受けとめるかで、その人の生き方はガラリと変わってくることでしょう。

王仁三郎が二度の大弾圧にも負けなかったのも、彼がそういうものの見方をしていたからではないでしょうか。

世界の見方を変えることが、身魂磨きとも言えます。

大地震や火山爆発、感染病の流行など、自分の人生を狂わすようなアクシデントはたびたび起き得ます。
こういう時に、世界をどう見るかで、今後の人生が変わって行くのです。
災難は神様から与えられた試練です。

(続く)


この記事は『霊界物語スーパーメールマガジン』2017年11月20日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック