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御神業と御奉仕

Published / by 飯塚弘明
投稿:2020年02月17日

「大鏡」(おおかがみ)と題した如是我聞集があります。
「王仁三郎聖師が折にふれ時に応じて話された断片を書きとめたもの」で、三鏡(さんかがみ。水鏡、月鏡、玉鏡の総称)の続編のようなものです。

機関誌『神の国』に(おそら昭和10年9月号から)連載されたもので、弾圧によって12月号で終わってますから、連載回数が少ないので単行本にはなっていません。

昭和10年9月号に「御神業と御奉仕」という題で、なかなか痛いことが書いてありました。心に残ったので紹介します。

 御神業とは筆先の三千世界を立替立直して、弥勒の世、即ち地上に天国を建設し、皇祖皇宗の御遺訓に奉答し奉(たてまつ)る謂(い)いである。
 御奉仕とは地上天国建設の御経綸について、無条件にその御用を勤めさして頂く事であるから、私心私欲を去って神の御為(おんた)め君国(くんこく)の御為めに奉仕させて頂かねばならぬ。
 奉仕の原則としては、奉仕さして頂くのであって、してあげるのではない。御用してあげるにあらずして御用さして頂くのである。奉仕には必ず感謝の念をもって当たらねばならぬ。また御用さして頂くことを無上の光栄と思惟(しい)せねばならぬ。
 仮にも報酬を望むが如き心、神に恩を売るが如き心が寸毫(すんごう)あってはならぬ。全身全霊を御神業の為に捧げ誠を尽くす事である。

「仮にも報酬を望むが如き心、神に恩を売るが如き心が寸毫あってはならぬ」──これはなかなか痛い言葉です。
報酬というのはお金のことだけではありません。見返りです。代償です。
『自分はこんなに頑張っているんだから、何かいいことがあってもいいだろう』と、私もつい思ってしまいがちです。
神様に文句を言おうとは思いませんが、ため息はつい出てしまいます。
宝くじはなかなか当たらないし・・・(^_^;

ここで王仁三郎は大本信者を相手に語っているので、御神業とか御奉仕というのは、大本の御神業であり、大本の御奉仕のことですが、しかしそういう狭い意味の御神業・御奉仕のことだけが対象ではないと思います。

「世の中の一切万事の出来事は 神のよさしの経綸(しぐみ)と知らずや」

という王仁三郎の歌があります。祭典や宣教のような狭い意味での宗教活動だけが神の経綸ではなく、世の中の一切の出来事が神の経綸だというのです。

その神の経綸に従事することが御用とか御神業というものです。

つまり私たちの日常生活すべてが御神業です。仕事をしたり、家事をしたり、育児をしたり、子供なら学校へ行って勉強したり、友達と遊んだり・・・
人間の活動すべてが神様の御用です。
地上に天国(ミロクの世)をつくるためにこの世に生まれて来ているのですから。

人生が自分の思い通りにならなくても、この世に生かされ、生活をさしていただいているだけでありがたい・・・と思えるようになるのが理想です。
そういう生き方が、惟神の道です。
『まじめに頑張っているのだから、報われたっていいだろう』
なんていうのは、実は自分の我欲であって、神様から見たら決して褒められた態度ではありません。
そういう、見返りを求めているようでは、まだまだ身魂が磨けていない、ということになりますね。

続けて王仁三郎はこういうことを言っています。

・・・にもかかわらず神の目から視れば、皆が御神業ぢゃ御奉仕ぢゃというて一生懸命やってくれてはいるようでも、それが御神業のお邪魔になったり、御経綸を妨げたりしているのが多いので、実は難有迷惑である。
 それらの裏面には必ず一種の野心を包蔵しているか、慢心しているか、功名心に駆られているか、我欲があるか、執着があるか、不平があるか、いずれにしても決して純で無いものが働いている結果である。感謝と報恩の念をもって不惜身命(ふしゃくしんみょう)的 神第一 信仰第一主義に誠でした仕事なれば必ずその結果は良いものである。(以下省略)

たとえば「法(教え)を守る」とか言って内紛を繰り広げる宗教団体の幹部なんかそうでしょうね。「正義の戦争」をする人です。難有迷惑です。
「国のため」とか言って戦争を始める為政者とか。
「会社のため」とか言って粉飾決算する役員とか。
「家族のために働いているだ」と言って家族を犠牲にするパパとか。
神様から見たら難有迷惑なんでしょう。
そういう人たちは、野心を包蔵しているか、慢心しているか、功名心に駆られているか、我欲があるか、執着があるか、不平があるか・・・

私もそうならないようにしなくては。
皆さんも、心当たり、ありますか??
注意して生きたいものです。


この記事は「霊界物語スーパーメールマガジン」2017年5月4日号の記事に加筆訂正したものです。(メルマガ登録ページはここをクリック