カテゴリー別アーカイブ: 言向け和す

言向和(36) ヤクザと友達になった話

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月27日

前回に引き続き「悪を抱き参らせた」というような例を紹介します。

山元加津子さんという、石川県で養護学校の先生をしている女性がいます。
通称「かっこちゃん」です。
彼女がメルマガに書いていた話を紹介します。
かっこちゃんが「ヤクザと友達になった」話です。

オフィシャルなところには載っていないようなので、こちらのブログに転載されているものを読んで下さい。
「かっこちゃんのメルマガより。「お友だちのやくざさんのこと」」(さゆら日記)
http://nekonosatochan.blog89.fc2.com/blog-entry-507.html

その概略だけ紹介します。

かっこちゃんは東京に来たとき、電車に乗るために、山手線のホームで待っていました。
電車が入ってきて、車両のドアが開くと、そこに驚くべき光景を見ました。
何と、上から下まで黒ずくめの服装のヤクザが、若い学生の襟首を掴んで殴っていたのです。

そんな光景を目撃したら、皆さんだったらどうしますか??

見なかったことにして別の車両に移りますか?

それとも駅員や警察に通報しますか?

勇気のある人なら、そのヤクザに直接言うかも知れませんね。
「弱い者いじめするな」と。

悪に遭遇した時に人が取る態度は、通常は「逃げる」か「戦う」かどちらかです。(第23回参照)

見なかったことするのは「逃げる」だし、通報したり直接注意したりするのは「戦う」です。

しかし、そのときかっこちゃんが取った態度は違いました。

何と、そのヤクザをハグして
「大丈夫、怖くないよ、怖くないよ、大丈夫です」
と声をかけたのです。

あまりにも意表を突くやり方ですね。
しかし意図的にやったのではなく、自然にそういうことをしたそうです。

すると、かっこちゃんを睨み付けたそのヤクザの目から、驚いたことに涙がポロポロとこぼれ落ちたのです。

そしてヤクザが、
「自分は極道だ。どうしてそんなことするんだ?」
と聞くので、かっこちゃんは
「とっても、つらそうだったから」
と答えると、何と彼は「オー」と声をあげて泣き出したのです。

このとき何らかの理由でこのヤクザの心は和されたのだと思います。それで泣いたのでしょう。

その後いろいろあって、かっこちゃんはそのヤクザと文通友達になるんですが、詳しいことは前述のブログを読んで下さい。

前回のJINGAさんの例と同様に、かっこちゃんはハグをして、悪党(ヤクザ)を抱き参らせてしまったのです。
あるいは「態度で言向け和した」とも言えるでしょう。

悪党なんですから、警察に突き出すとかして、成敗してもいいのですが、しかし、そうではない方法をかっこちゃんは取ったのです。

どうしてそういう態度を取ったのか、それには事情があります。
その頃かっこちゃんは学校(養護学校)で、ある女の子の担当になって毎日一緒にいたんですが、その子はとてもつらいことがあると、他人の髪の毛をギューと引っ張ったり、殴ったり、ピアノだとか物をドーンと倒したりするのです。
それでも気持ちが収まらないと、自分の顔をバンバン殴ったりします。

養護学校の子でなくても、誰でもそういう体験があるのではないかと思います。
腹が立って、イライラして、どうしようもないとき、部屋の物を壊したり、身近な人にひどいこと言って八つ当たりしたり・・・

そういうとき、かっこちゃんはその子を「大好き」と言ってギューと抱きしめて「大丈夫、怖くないよ」と言ってあげると、だんだんと落ち着いて来るそうです。

そういう子と毎日学校で一緒にいたので、おそらく、その子と、ヤクザとが、重なって見えたのではないかと思います。

それで無意識のうちにハグして「大丈夫、怖くないよ」と言ったのです。

こんなことは意識的には、なかなかできるものではありませんし、意識的にやったとしても、果たして効果があるかどうか分かりません。
前回のJINGAさんの例と同様に、自然に体が動いたのです。

これは悪に立ち向かう態度の「第三の道」として、とても考えさせられる話です。

戦うのでもなく、逃げるのでもなく、友達になってしまう。

友達になると言っても、お茶のみ友達とか、酒飲み友達とか、そういう意味での友達ではありません。
ハートが、いや魂が繋がった関係、とでも言えばいいのでしょうか。

そういう関係になることで、相手に(そして自分にも)何らかの心的変化を与えているのです。

敵対している状態だったら、そんな変化は起こせないでしょう。
敵対関係を超えたからこそ、できたことだと思います。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2013年10月28日号 及び
「言向け和すメールマガジン」2016年3月2日号

言向和(35) 悪を抱き参らせる

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月26日

出口王仁三郎が創始した大本からは色々な新宗教が派生していますが、その一つに「日月神示」があります。
詳しくはウィキペディアを見て下さい。

その日月神示に「悪を抱き参らせる」というフレーズが出て来ます。

「抱き参らす」と言っても、敵の体を抱き締め、プロレス技をかけて降参させる…という意味ではありません。(^_^;)

ネットを探っていたら、悪を抱き参らせる体験をした人を見つけました。
次のブログに書いてあります。

「悪を抱き参らせる体験」(真日本建国)
http://jinga123.blog118.fc2.com/blog-entry-20.html

ブログ主はJINGAさんという人です。

詳細はブログを直接読んでいただくことにして、概略だけ紹介します。

──JINGAさんがあるセミナーに参加したとき、参加者の一人、Aさんの言動が突然おかしくなりました。
目がうつろになり、舌なめずりをし、言葉遣いが荒くなり、語尾に「~じゃ」をつけてしゃべるようになったのです。
そしてJINGAさんに対して、シャドーボクシングのように殴るマネをして来ます。

JINGAさんは手を出さず、腕組みをしてAさんを見つめました。

Aさんはしきりに挑発し、「お前、殴ってみろ」と言い出しました。
それでも手を出さないJINGAさんにしびれを切らし、JINGAさんの手を取ると、自分(Aさん)の頬にパンチを入れ始めたのです。

JINGAさんは無性に切なくなり、「もういい、もう自分を痛めつけるのはやめろ」という想いでいっぱいになりました。
それは乱暴者を息子をなだめる母のような心境でした。

そのときJINGAさんは、足を一歩踏み出して、Aさんをハグしたのです。

なぜそうしたのかはわかりません。
そしてAさんの背中をポンポンと叩き、その頭を撫でました。

するとAさんは
「おお、すまなかったのう。大丈夫か?」
と言って、JINGAさんの髪の毛を直してくれたのです。

その後Aさんの体は脱力して、催眠術にかけられたかのように、後ろにスーと倒れました。
JINGAさんはAさんの体を、そっと床に寝かすと、横にしゃがみこんで、胸をポンポンと叩きながら、まるで子供を寝かせつける母親の心情になっていました。
それはすごく切ない気持ちでした。

──という体験です。

半ば狂乱状態の人を落ち着かせたわけで、これは「言向け和す」そのものだと思います。

JINGAさんは、最後に次のように書いています。

──先に手を出さない。こちらから攻撃をしない。相手の手に乗らない。
何があっても、何を見ても、絶対に真コトを貫く。
排除するのではなく、抱き参らせる「親の愛」が大事である。──

全く「言向け和す」ですね。

このときJINGAさんは何かを意図して動いていたのではなく、無意識的に動いていたようです。

狂ってる人を意識的にハグすることはなかなか難しいと思います。恐いですからね。
この時は、自然と体が動いたからできたのでしょう。

ハグをした、ということで、文字通り「悪を抱き参らせた」のです。

   ○   ○   ○

実際に物理的なハグをしなくても、悪を抱き参らしてしまうケースもあります。

ときどき次のようなニュースが報道されます。
民家に強盗に押し入ったのに、その家の一人暮らしのオバチャンに説教され、結局何も盗らずに逃げた、という事件です。

「間抜けな強盗」ということで報道されるのですが、しかしそのオバチャンって、どんな人なんでしょうかね?
もちろんケースバイケースでしょうけど、強盗に対して正義感を発揮して勇敢に立ち向かって撃退した男勝りのオバチャン・・・というよりはむしろ、下町の人情オバチャン的な姿を私は思い浮かべます。

つまりその強盗が自分の子供のような年齢で──こんなバカなことをして人生台無しでしょ、親に迷惑かけないでマジメに働きなさい・・・みたいなことを説教している姿が目に浮かびます。

さすがにハグはしないでしょうけど、強盗するのをあきらめて逃げて行く犯人に、千円札の2~3枚でも手に握らせたかも知れません。「お金に困っているならこれを使いなさい」と。

強盗にしてみれば完全に「抱き参らせられた」わけです。完敗です。参ったとしか言いようがないでしょうね。
母親の大きな愛で包み込まれてしまい、戦闘意欲が失ってしまったのです。

このオバチャンから見たら、強盗に入られて恐い、という気持ちよりも、バカなことをしている犯人が憐れで、切ない気持ちの方が大きかったのだと思います。

そういう、広く包み込んでしまうような愛が、親心であり、神心です。

言葉自体で言向け和したのではなく、その態度で、言向け和したのだと思います。

次回は「悪を抱き参らせた」と言えるような体験をもう一つ紹介します。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2013年10月24日号 及び
「言向け和すメールマガジン」2016年7月27日号

言向和(34) 雷を言向け和した指揮者─緊張を感動で緩和する

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月25日

オーケストラの指揮者をしているEさんが講演の中で、次のようなことを語っていました。(分かりやすいように多少脚色しました)

アメリカの某都市の郊外で、屋外に巨大テントを張ってクラシックコンサートが開かれました。
その指揮者はEさんが尊敬する先生で、そのコンサートをEさんは聴きに行きました。

するとコンサートの最中に、巨大な雷が鳴り出しました。
だんだん近づいて来て、雷鳴が間近で轟きます。

観客の女性や子どもは、その恐ろしい雷鳴に悲鳴を上げ出しました。
こういうとき、ふつうなら、指揮者はコンサートを中止にするそうです。雷鳴で音楽が聞けませんからね。

しかしその指揮者は何故かコンサートをそのまま続行させました。
そして何を思ったか、雷鳴が轟くと、そちらの方に向かって指揮棒を振り出したのです。
あっちでゴロゴロ鳴ると、あっちへ指揮棒を振り、こっちでゴロゴロ鳴ると、こっちへ指揮棒を振り……その動きがあまりにもコミカルで、やがて観客は笑い出し、場内に笑い声が響き渡りました。(和された瞬間です)

コンサート終了後、観客たちは、すごい感動を与えてくれたこの指揮者に一言、感謝のお礼を言おうとして楽屋の前に並びました。
Eさんもお礼を言うために行ってみると、その列は300mくらい続いていたそうです。

仮にコンサートを中止しても、観客は帰れないので、会場の中で雷鳴に震えたまま過ごさなくてはいけません。
といって、ただコンサートを続行しても、雷鳴で音楽は聞こえないし、観客は悲鳴を上げるし、もうメチャクチャですね。
それが、この指揮者のとっさの判断で、雷の恐怖から、一転して感動に変わったわけです。

これは雷を言向け和した……のではなく、観客の、怖い、恐ろしいという怯える気持ちを和したわけですね。
そこに感動が、生まれたのだと思います。

あるいは──雷さんをもオーケストラの一員にしてしまったのかも知れません。
偉大な指揮者ですね。

   ○   ○   ○

このエピソードは、緊張をユーモアで和した例でした。
いや、もう少し厳密に言うと、ユーモアによって感動を起こし、その感動で和したのでしょう。
次の例はユーモアではありませんが、歌を歌って感動を起こして和した例です。

つい最近のことですが(2017/8/20)、歌手の松山千春が、出発が遅れていた飛行機の中で歌を歌って、イライラしていた乗客の心を和ませた、という出来事がありました。
ネットニュースから引用してみます。

スポーツ報知 2017年8月22日5時0分
「松山千春、出発遅れの機内で熱唱!イラ立つ機内静めた」
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170821-OHT1T50204.html

 歌手の松山千春(61)が、20日に搭乗した飛行機で出発が遅れた際に、機内の乗客のために自らの代表曲「大空と大地の中で」を機内放送を通じて披露していたことが21日、分かった。機内の険悪な空気を感じ、それを和らげようと自ら乗員に申し出た。“特例”でのサプライズに、乗客は大喜び。松山は20日夜のラジオでこの出来事に言及し、「みんなの気持ちを考えて、何とかしたいと思った」と振り返った。

 「いったい、いつになったら飛ぶんだ…」。イラ立ちが最高潮に達した機内に、松山の伸びやかな歌声が響き渡った。

 「いつの日か 幸せを 自分の腕でつかむよう」

 松山が乗ったのは、20日の札幌(新千歳)発、大阪(伊丹)行きの全日空1142便。同社広報部によると、出発予定は午前11時55分だったが、お盆休みの最終日ということで帰省ラッシュのため空港内が大混雑。保安検査場の通過に時間がかかったことに加え、各便とも満席で振り替えができないため、最後の乗客が搭乗するまで出発を遅らせざるを得なかったという。

 同便も約400人の乗客で満席。予定時刻から約1時間が過ぎ、殺伐とした空気が流れる中、その雰囲気をくみ取った松山は、客室乗務員に「みんな、イライラしています。少しでも機内が和むように歌わせて下さい」と申し出た。
(略)

 松山は自己紹介の後、CAが使用する受話器型のマイクを手に「大空―」の一節を披露。その後、独特の声のトーンで「皆さんのご旅行が、またこれからの人生が素晴らしいことをお祈りします。もう少しお待ち下さい」と、機長やCAに代わって謝罪した。松山の“神対応”に、乗客からは拍手が起き、ムードが一変。もくろみ通り、松山がマイクを取ったわずか2~3分で機内の空気は穏やかになった。結局、同機は午後1時3分に出発した。
(略)

なるほど。
松山千春もそうですが、CAも機長も、うまく機転が利きましたね。素晴らしいです。

このケースでは歌を歌って感動を起こしたわけですが、しかしもっと深く考えてみると、歌で感動したのではなく、「有名人が同じ飛行機に乗り合わせており、サプライズしてくれた」から、感動が起きたのではないかと思います。

もちろん歌を歌えばいいというものではありません。有名ではない歌手や、私のような無名人が歌っても、ブーイングが起きるだけです。
また、有名人ならば、歌が上手くなくても、やはり感動が起こったと思います。
歌でなくても、他のことでもいいでしょう。
ともかく感動を与えることで、、いつ離陸するのか分からない苛立つ気持ちから注意をそらし、緊張を緩和したわけです。
最初の雷の例も同様です。感動を与えることで、恐怖から注意をそらし、緊張を緩和したのです。

人間は、見ているところへ吸い込まれて行きます。特に恐怖や怒りや苛立ちはブラックホールです。そこへ見つめると、どんどんそこへ引き込まれて行き、他のことを考えることが出来なくなってしまいます。

自分で意識を転換できればいいのですけどね。
たとえば、仕事のことを考えるとか、旅先での観光のことを考えるとか、そうすれば、出発が遅れてもさほどイライラすることなく過ごせるのですが、現実には、自分で自分をマインドコントロール出来ない人の方が多いのです。そんな訓練は、人生の中で受けていませんしね。

それで仕方ないので、誰かがピエロになるのです。前述の指揮者や、松山千春のように。
うまく感動を起こすことが出来たから良かったですが、もし滑ってしまったら…痛いですね。これはイチかバチかの賭けです。二人とも必死だったと思います。

   ○   ○   ○

ところで「言向け」和すと言いますが、必ずしも「言葉」は要らないようです。この指揮者は自分の動作・態度で観客を言向け和したのですし、松山千春は「有名アーチストが生歌を歌って聞かせる」というサプライズで言向け和したのです。

人間の意思伝達手段には、言葉を使わない非言語コミュニケーションというものがあります。「目と目で通じ合う」ことがありますし、身振り手振りのようなボディランゲージもあります。

「こと」というのは漢字の「言」を当ててますが、「言」と「事」はもともと同語(同源)であると広辞苑に書いてあります。つまり「言向け」和すは「事向け」和すでもあるのです。

「事」とは人間の行為・行動のすべてあり、世の中に現われる一切の現象です。
人間が行うアクションのうち、他の生き物が使えない、最も特殊なアクションが「言」(言葉)です。
「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」と聖書にありますが、言葉を使えることが、人間を他の哺乳類から大きく進化させたと言えます。
言葉(文字)を使えば、遠く離れた地に住む人にも、はるか未来の子孫にも、自分のメッセージを伝えることができるのです。

私は二十歳を少し過ぎた頃、キリスト教に傾倒した時期がありました。聖書を読んで、とても心が和されたのです。
二千年という歳月を飛び超えてイエス・キリストの言葉が私を言向け和したのです。

このように言葉が持つ力は偉大であり、他の動物が持たない、人間ならではのコミュニケーション手段ですので、「事向け」ではなく「言向け」和すと呼んでいるのではないでしょうか。

しかし本来的には「事向け」和すであり、言葉を使わずに言向け和すことも出来るのです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
ブログ「言向け和す」2012年11月8日の記事 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)

言向和(33) DJポリス─群衆を言向け和す警察官

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月24日

前回は、もっとも「言向け和す」が必要とされる職業の一つ、クレーム対応係の例を紹介しましたが、今回は、もっとも「言向け和す」とほど遠い職業の一つ、警察官の例です。

警察と言えば「国営暴力団」と揶揄されるように、合法的な暴力行使を道具とする職業ですが、治安を維持する方法として、暴力以外の方法もあるんだというエピソードを紹介します。

2013年6月4日、さいたまスタジアムでFIFAワールドカップのアジア予選大会が開催されました。
日本対オーストラリアの戦いです。
この試合で負けなければ、翌2014年夏にブラジルで開かれるワールドカップの出場権を手にすることができる大切な試合です。

この日、東京・渋谷駅周辺では警視庁が数百人の警察官を動員し厳戒な警備態勢を敷きました。
サッカーのサポーターによる混乱を防止するためです。

勝っても負けても、サポーターの中には暴れる人がいます。
過去にはW杯予選後に何千人もの若者が押し寄せて、信号機によじ登ったり、辺りの看板を破壊したりするサポーターがいました。

渋谷駅前のスクランブル交差点は歩行者の通行量が多いことで世界的に有名で、1日に何と十万人以上も通行します。昼間だと多いときには30分間で4万5千人も通行するという、オバケ交差点です。

さて、試合の結果は引き分けでしたが、見事W杯出場が決まりました。
狂喜したサポーターたちが渋谷駅周辺に数千人詰めかけて、「ニッポン」コールや、お互いに手の平を出してハイタッチを繰り返し、駅前のスクランブル交差点は大混雑しました。

このとき、機動隊員が指揮車(ランドクルーザーのような四駆を改造した車輌)の上で、拡声器を使って次のように叫んだのです。

「こんな良き日に怒りたくはありません。私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いて下さい」

「皆さんは12番目の選手。日本代表のようなチームワークでゆっくり進んでください。怪我をしては、W杯出場も後味の悪いものになってしまいます」

「怖い顔をしたお巡りさんは、皆さんが憎くてやっているわけではありません。心ではW杯出場を喜んでいるんです」

「おうちに帰るまでが応援です」

「お巡りさんのイエローカードが出る前に交差点を渡りましょう」

こんなふうにユーモア混じりに呼びかける機動隊員に対して、路上にいた人々から笑いや歓声が沸き上がり、「お巡りさん」コールも一部で起きました。
するとこの隊員は、

「声援も嬉しいですが、皆さんが歩道に上がってくれる方が嬉しいです」

と返したのです。
そしてこの日、渋谷駅前では一人の逮捕者も負傷者も出ずに、大きなトラブルは起きませんでした。

指揮車の上でマイクを握るこの機動隊員の様子は通行人によって撮影され、その動画がたちまちインターネットに流れて話題となりました。
そして誰が名付けたのか、いつしか「DJポリス」(DJとはディスクジョッキー)と呼ばれるようになったのです。
(ユーチューブ等の動画サイトで検索するとDJポリスの動画がたくさん出てきます)

警察というと、高圧的に力で押さえつけるイメージですが、こういうやり方もあるんですね。
銃器や警棒によらずとも、騒然としている群衆を鎮圧できたわけです。
なかなか知恵を絞りましたね。

この機動隊員は警視庁第九機動隊に所属する二十代の「広報係」で、数人しかいない「広報技能検定」の「上級」合格者でした。
彼には後日、警視総監賞が贈られました。受賞理由は「現場の状況と空気を読んだ巧みな話術がサポーターらの心を捉え、理解と協力を得られた。結果的に負傷者、逮捕者を出さないことに貢献した」ということです。

皆さん、道を歩いていて赤信号を無視して渡ったり、自転車で二人乗りをしているのをパトカーに見つかって、「やめなさい!」と嫌みったらしい声で注意されたり、そういう場面を見かけたりしたことはありませんか?
ああいうかんじで、狂喜しているサポーターたちに「早く交差点を渡りなさい!」と注意したら、せっかく喜んでいるのに水を差されるのですから、たぶん憮然とするでしょうね。
そしてそういう怒りが群集心理によって拡大され、やがて暴動へと発展する可能性もあるわけです。

上から目線で押さえつけるのではなく、「私たちはチームメートです」と、彼らと同じ位置に立って、喜びを分かち合い、そして「~こうしてくれたら嬉しいです」とお願いする。
威圧的に命令されたら、人の気持ちは凝り固まってしまいますが、こんなふうに喜びを分かち合ってくれるのなら、とても和されますよね。

これは治安維持における「言向け和す」の実例です。暴力で押さえつけなくても、治安を維持する方法があるわけです。
こういうことを探求して行けば、とても素晴らしい「和」の社会を築くことができると思いませんか?

しかし、この方法には条件があります。これは本来威圧的で怖いはずの警察官だから、あのようなユーモラスで市民と対等の目線に立ったDJが効果があったのではないかと思います。いざとなれば拳銃を撃って逮捕することができるわけです。そういう怖さとのギャップが緊張感を和したのだという見方もできます。

もし警察官ではなく、区役所のオジサンが黒い腕カバーして事務的口調で「私たちはチームメイトです」とつぶやいたとしたらどうでしょうか? 「おまえなんかと仲間じゃねーよ」とバカにされるかも知れませんね。それで五時になったらさっさと帰ってしまうようではなおさらです(笑)
では、区役所のオジサンが市民に愛される「DJ役人」になるためにはどうしたらいいでしょうか?
いろいろと研究の余地がありそうです。

   ○   ○   ○

この「DJポリス」は他県の警察へも広がりました。
女性のDJポリスも存在しますが、女性警官だとあまり「怖い」というイメージがないので、路上の群衆にはラジオのDJガールやデパートの受付嬢と同じようにしか聞こえず、指示に従おうという気持ちが起きにくいかも知れません。
威嚇したら反感を持たれますが、なめられない程度に怖くしておかないと「DJポリス」の効果はなかなか発揮しにくいのではないかと思います。

京都の女性DJポリスがデビューしたというニュースが京都新聞サイトで報道されていました。そこから一部引用してみます。

京都新聞 2014年12月29日
「京都版「女性DJポリス」、大晦日デビュー 八坂神社で雑踏警備」
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20141229000082(リンク切れ)

 軽妙な話術で雑踏警備の誘導にあたる「DJポリス」の訓練を受けた京都府警の女性警察官が、31日に京都市東山区の八坂神社である「おけら詣(まい)り」の警備に登場する。京都を感じさせる言葉や表現で参拝者に安全を呼び掛け、年末の混乱回避を目指す。(略)
 31日を前に上京区の府警中立売庁舎で行われた事前訓練では、群衆を誘導する指揮官車に上り、「おけら灯籠は逃げることはありません。ゆっくりとお進みください」「ぎゅっと押しておいしくなるのは千枚漬けやお漬物だけ。人は押してはいけません」などと、ユーモアを交えて呼び掛けた。

おけら詣りというのは元日の早朝五時から行われる、一年の無病息災を祈るご神事です。元日も含めて正月三が日で百万人もの参拝者が八坂神社には訪れます。
雑踏ではなかなか前に進めずイライラがつのりますね。そういうストレス、緊張感をユーモアで緩和してくれるなら、落ち着いてゆっくり歩く気になることでしょう。

次回はそういう緊張をユーモアで和す例です。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2013年11月14日号 及び 2015年3月22日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)

言向和(32) クレーム対応─相手の気持ちに共鳴する

Published / by 飯塚弘明
投稿:2017年08月23日

日常生活での人間関係だけではなく、仕事における人間関係でも「言向け和す」は大切です。

たとえば企業で顧客のクレーム対応をするお客様係。
商品が壊れてたり、動かなかったりして、お客さんは電話をかけて来ます。怒っているので、たいていはケンカ腰で電話して来るのではないでしょうか? だから通常では言わないような汚い言葉で罵ったり、人格を非難するような言葉を吐くことも多いことでしょう。
「お前バカか!何度言ったら分かるんだ!」
「女じゃダメだ!上司を出せ!」
しかしどんなに罵声を浴びせられても、お客さんに対して罵声を返してはいけません。ますます客は怒り出して収拾がつかなくなります。

1999年に、ある大手電器メーカーのクレーム対応が悪くてネット上で大騒動になった事件がありました。
量販店でそのメーカーのビデオデッキを購入した男性が、製品に不具合があって修理に出したところ、男性の許可を取らずに勝手に改造され、その上、購入店 → メーカーのサービスマン → メーカー本社 と担当者が次々と変わってタライ回しにされた挙げ句に、メーカーの担当者が男性に、
「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。クレーマーっちゅうの、お客さんはね、クレーマーっちゅうの」
と暴言を吐いたのです。

男性はその会話を録音していて、インターネット上でそれを公開しました。
するとそれを見た人が問題視してネット上で騒ぎ出し、怒ったメーカーが男性に録音データ公開の差し止めを求めて裁判所に仮処分を申請。
そして大手マスコミがそれを報道して大騒動となり、怒ったネットユーザーたちによる不買運動へと発展してしまったのです。

クレーム担当者の対応が悪いと、企業全体の存亡の危機にもなりかねません。
しかし、もしお客さんを言向け和すことが出来たなら……逆に顧客満足度が上がり、お客さんにとっても企業にとってもハッピーな関係になるのです。

インターネットで調べると、クレーム対応の心得やノウハウを書いた本がたくさん出ています。
その中から、中村友妃子さんの著書『あなたが担当でよかった! ─クレームが感謝に変わる最強の心理学』(2004年、青春出版社)の「はじめに」から引用してみます。
大手企業で長年クレーム対応業務に携わり、その後独立して苦情対応研修の会社を経営されている方です。

「……ありがとうございました。それでは、失礼いたします」
 なんとか、相手に聞こえる程度の声で最後のあいさつをした。相手が受話器を置く音を確認して、ゆっくりと私も受話器を置いた。
 受話器を持っていた左のひじが、伸ばせないほど固まっている。指先はしびれている。
 受話器を当てていた左耳が熱い。そんなことよりも、もうすぐ涙があふれる。
 ふりしぼって、やっと出た最後の声は、気をゆるめるととっくに泣き声になっていた。
 急いでトイレにかけこみ、鳴咽をこらえて泣いた。五分ほどそうしているとすっきりする。
 そして、次の瞬間には爽快な気分になる。
 ──お客様対応業務の中で、そんなことが何度となくありました。
 あれほどカンカンだったお客様のお怒りが、だんだんやわらいできて、最後には、
「自分が言いすぎた」
と言ってくれた嬉しさ、感謝と感動と達成感。それが涙の理由でした。さらには、
「自分もあの電話では興奮しすぎました、ごめんなさいね。仕事頑張ってください」
など、わざわざお客様からお手紙をいただくようになり、その手紙をデスクで一読し、おもむろに引き出しにしまい、嬉しくて席を立つということもしばしばありました。
 こうしてお客様と分かり合えた瞬間の感動が忘れられず、いつのまにかお客様対応の仕事から離れられなくなっていました。

なるほど。すごいですね。
これこそ「言向け和す」です。
客も担当者も、両方がハッピーになれるのです。
この後も読んでみましょう。

 でも、そういう感動的な体験にめぐり合うまでには、その何倍も、苦労やつらい経験をしなければならないのがこの仕事の摂理でもあります。
 乱暴な言葉や大声を浴びせられる恐ろしさ、お客様の陰鬱な口調からふくらむ不安、出口の見えない迷走する会話、心を引きずって出かけた相対交渉(お客様と直接お会いしてお話しすること)など、苦しかったり、腹立たしかったり、さまざまな経験をしました。
 そのたびに、この仕事から逃避したいという思いにかられたものです。でも、心が「疲れた」と音を上げる寸前に、タイミング良く、お客様との感動的な結末を体験できたことが、私をクレーム対応業務を主とする会社をつくるまでにしてくれたと思います。(中略)
 お客様はそれぞれが、お客様独自の「心の事情」を抱えています。そこに気づき、応えることがクレーム対応の本旨だと、今になると思えてなりません。そうすることによって、「企業対消費者」ではなく、「人と人」という関係になっていくことができます。
 そこから、お客様から見れば、「この人が担当でいてくれてよかった」と思えるような対応になるのだと思います。

この「心の事情」というものはどういうものかというと、たとえば「孫の誕生日に贈ったケーキのネームプレートの名前が間違っている!」と怒ってクレームの電話をかけてきた女性がいたとします。その女性が一番言いたいことは「孫に嫌われ、息子夫婦の前で恥をかいた!」という切なさであり、そこに気づかなければ解決しないというのです。

名前が間違っていることに怒っているのではなく、そのことで孫に嫌われたり恥をかいたりした切なさ、悔しさ、寂しさ、そういう気持ちに共鳴してこそ、「この担当者は自分を分かってくれた」と思ってもらえるのでしょう。

罪を謝るというのは、「罪を謝る」のではなく、被害を受けた人の気持ちに「共鳴(共感)」することなのかも知れません。
そもそも窓口の担当者は、自分が悪いわけではないので(製造や営業、あるいは経営の問題だったりするので)本心から謝ることなんてできないでしょう。あくまでも会社の業務として謝るだけです。
しかしお客様の気持ちに共鳴することならできると思います。

   ○   ○   ○

相手の気持ちに共鳴できずに人間関係がおかしくなってしまうことは、よくあるのではないでしょうか?
特に家族など、身近にいる人は「自分の気持ちを分かってくれるはずだ」「分かって欲しい」という期待感があるので、その期待が外れると悲しさは層一層高まり、人間関係に深い溝を作ることになります。

テレビドラマで次のようなシチュエーションをときどき見かけます。
──子どもがグレて父親に反抗した。「お父さんは何にもしてくれない」と凄い憎しみの目を睨みつける。仕事一筋で家庭を顧みない父親は「お前の欲しいものは何でも買ってあげたのに、何で逆らうんだ?」と子どもの気持ちが理解できない。子どもは「お金の問題じゃないよ。もっとお父さんと一緒に居たかったんだ」と心の奥底にしまっていた声を叫んだ──。

これはドラマの中だけではなく、実際の家庭にも起き得ることです。
この子どもの気持ちに共鳴しなくては、謝ろうと何しようと子どもは許してくれないことでしょう。

ですが父親にも当然事情があります。家族のために一生懸命働いているのです。決して子どもを無視しているわけではありません。残業や休日出勤を断って、子どもと一緒にいる時間を作る、ということができない大人の事情があるのです。
つまり自分が悪いわけではないので、「自分が悪かった」なんて思うことはないでしょう。

しかし、子どもの「お父さんと一緒に居られなくて寂しい」という気持ちに共鳴することなら、できるのではないでしょうか?

子どもが本当に伝えたいことは「一緒に居て欲しい」ということではなくて、「一緒に居られなくて淋しい、悲しい、心細い」という気持ちなのです。その気持ちに共鳴して欲しいのです。お父さんは忙しくて一緒に居ることができないということは、話せば分かります。理性で理解できます。しかし感情が叫ぶのです、「淋しい」と。その感情の響きに共鳴(共感)して、二人が打ち解け合って心が一つになることが、「一緒に居る」ことなのではないでしょうか?

和合するというのも、罪を許すというのも、みな同じことではないかと思います。一つになった世界、それが「言向け和す」が目指す世界なのです。

(続く)


この文章は過去に次のところへ掲載した文章に加筆訂正したものです。
霊界物語スーパーメールマガジン」2015年3月19日号 及び
電子書籍『言向け和す ~戦わずに世の中を良くする方法』(2015年12月)