王仁三郎の生地・穴太と、古代山陰道

投稿:2017年07月12日

王仁三郎が生まれ育った亀岡市「穴太(あなお)」の語源は「穴穂」で、穴太寺の住職は代々、穴穂家が務めているようです。

この穴穂の語源ですが──古代、雄略天皇(第21代天皇)の勅命で、丹後半島の比沼麻奈為神社から豊受大神が伊勢に遷宮して外宮が創建された時に、御神霊を運ぶ一行は徒歩ですので道中で何泊かするわけですが、丹波・穴太の上田家の庭がその「御旅所(おたびしょ)」に選ばれました。その時に御神霊にお供えしていた稲穂の種が、欅(けやき)の老木の腐った穴に落ちて、そこから苗が育った。それを稲を四方に植え広めたところから「穴穂」の里の名が起こった──ということを王仁三郎は言っています。

「瑞穂神霊」『玉鏡』
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg651

「故郷の二十八年」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195305c103

現在の穴太は、亀岡市の市街地から2キロくらい離れた、長閑な農村地区です。

↓瑞泉郷(王仁三郎の生家)を中心とした地図(グーグルマップ)
https://goo.gl/maps/NfZi1d32fUJ2

山陰道(国道9号)からもだいぶ離れているし、こんな場所になぜ神輿を運ぶ一行が泊まったのか…と疑問に思う人もいることでしょう。
私も疑問に思いました。山陰道から1キロ以上も離れた穴太に、わざわざ立ち寄らなくても、沿道にもっと適した場所があったのではないか…と。

調べてみると、古代の山陰道は穴太付近を通っていたようです。
武部健一『続 古代の道』(2005年、吉川弘文館)p19によると、古代山陰道は下の地図のようなかんじで、穴太近辺を東西に通っていたようです。

穴太付近の古代山陰道

これは現代の府道402号線(市街地)~407号線、そして国道372号線です。
なるほど。開化天皇(第9代天皇)を祭る小幡神社や、孝元天皇(第8代天皇)を祭る御霊神社があるのも、ここが僻地ではなく山陰道沿いだったことが分かると、何となくうなずけます。この道を通って、四道将軍の一人・丹波道主命(開化天皇の孫)は丹波を平定したのでしょう。

↓穴太寺  昔このお寺の境内にあった小学校に上田喜三郎少年が通ってタダアイ事件とか起きたわけですね。ふむふむ。前述の「故郷の二十八年」参照

穴太寺