改心・改信・開信・改神

投稿:2017年06月17日

「改心しろ」と言われて改心できるならとっくの昔に地球はミロクの世と化していることでしょう。
喫煙者に「煙草止めたら?」と言うと必ず怒って開き直るし、30年以上も前の西田敏行のCMで「あなた、やってくれた?」「今やろうと思ったのに、言うんだもんなあー、もう」というのがありましたが、あれなんかもそうです。
結局、言い方が悪いと、相手に、罪悪心や劣等感を感じさせ、防衛~攻撃態勢へと入らせてしまうので、言向け和そうと思うなら言い方に気をつける必要があります。

私も今まで散々、人に怒られて来ましたよ。「飯塚さん、あなたの言い方が悪い!」と。
どう考えても私が言っていることの方が正しいのですが、私の「言い方」が悪いそうです!!!「言い方」が!
つまり私の言っていること自体は正しいということですね?? しかしどんなに正しいことを言っても、「言い方」が悪いと激しく非難され悪党扱いされてしまうのがこの浮き世です。
思い返すとクソ腹ただしいですが、これも修業と思って我慢するしかありません。(^_^;

大本神諭や霊界物語にも「改心」という言葉は頻繁に出て来ますが、それについて王仁三郎は注意を与えています。

「改心」という言葉ははなはだしく相手方に侮辱を感ぜしめ、不快を覚えしめる。みだりに云うべき言葉ではない。お筆先の改心なる辞句は改信開信……なる意味と思い、この言葉で言うがよかろう。
〔「改心」という語『宣伝使の心得』〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195600c24

なるほど。
「心を改める」というよりは、「信仰(信念)を改める」とか「信仰を開く」という意味で使え、ということです。

また、次のようなことも言っています。

神諭に「かいしん」「まんしん」と云ふ文字が所々にあるが、改心、慢心とかくのではなく改神慢神とかくのが本当である。心を改めると云う意味ではなく、今まで仏などを信じていたのを、神の道に改めると云うのである。慢神と云うのは神をみだすと云うので、それが悪いと仰せられるのである。
〔改神慢神『玉鏡』〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg686

神(信じているもの)を改める、神観・世界観を改める、ということです。

よく「心を改めなさい」と親が子に言いますが、果たして「心」というものをどうすれば改めることが出来るのか、よく分かりません。
それよりは、思想とか、信じていることを改めなさい、と言う方が分かりやすいと思います。思考回路とか行動原理を改める、てことですね。

もし「心を改めろ」と誰かに言われたら、「どうすれば心を改められるのか?」と質問してみて下さい。
「そんなの自分で考えろ」と逆上されそうです。
結局、「心を改めろ」なんて、人を批判するための慣用語として使われるだけで、たいして中味のない言葉だと言ってもいいかも知れません。

ちなみに大本神諭では「改心」という言葉がたくさん出て来ますが、新バージョンである「三五神諭」には一切使われておらず、すべて「改信」に変更されています。
読んでみて下さい。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6020